ロビィ
片瀬きららが戻ってくると、博士は椅子をすすめ、端末を操作してテーブル上空にプロジェクターで像を結ばせた。
円筒状態の胴と腕一本、そして制御用の小型端末がケーブルでつながれた、産業用ロボットの試作品のようなものが映っていた。
「最初の一連の試作、ロビィシリーズだ」
「ロビィ? 」
片瀬は書類かばんから薄い携帯端末とマイクつきカメラを出しながら尋ねた。
「『我はロボット』に出てくるロボットの名前さ。三原則ロボットを作る最初の試作シリーズにはぴったりの名前だろう? 」
書名は1950年刊行のアイザック・アシモフのロボットもの短編集の名前である。
「なるほど。では、これより記録に入りますので説明をお願いします」
「承知した。聞き手は財団の理事連を想定で間違いないね? 」
「はい、みなさんその道では大変な専門家ですが、全員がロボット開発にくわしいわけではないので、ご配慮をお願いいたします」
「合点承知」
博士はビールをぐいっと一口やる。この姿をそのまま理事会で上映はできないな、と片瀬は心中眉をひそめた。後で昔の映像でましなのをさがしてかぶせるか。
「三原則ロボットを作るためには、必須の条件というものがある。つまりそれができなければ三原則そのものが守れないという条件だ。ここんとこは結局一から考えることになった。できないと思われてたんだろうね。三原則の実現は」
ここでげっぷを一つ。のみきった缶を後ろに無造作に投げる。ゴミ箱をねらったのではないから、そのまま下へと遠く軽い落下音を連打して空き缶は消息不明になった。
「ロビィシリーズではこの必須の条件を単体で実装し、機能の十分性を確かめてから組み合わせて何がおこるかまでを目的とした。今見ているのはロビィ1だ。
「ロビィ1では最も重要で基礎的な機能の実装を行った。命令解釈能力だ。一から作ったらこれだけで一生ものだっただろう。幸いなことに単機能ロボットやもっと高度な介護ロボット用に随分研究されているので、既成のものに随分助けられたよ。
「命 令解釈能力を構成するものは多々あるけれど、乱暴に一言に集約してしまえば、想像力というものになる。命令を受ける、文章解析し、達成条件、利用可能な資 源、指定された制約事項を理解し、二次的なもの三次的なものを含めて選択可能な行動を抽出、組み立てて現状から達成条件までの行動マップを作成する。こう いってしまうとなんでもないように聞こえるけれど、多少なりとも使えるレベルのものを作るのは実に大変だ。チューニングする余地はどのステップにもある。 ロビィ1は検証にたえるだけのチューニングを行うために作成した。だから腕一本のシンプルなものにしたんだ」
ここで博士は煙草を一本出したすっていいかと片瀬にきいた。どうぞ、と半ば儀礼的な答え。気にせずアロハシャツの毛脛男は火をつけ、あたりに強い香りがただよった。
「ここまでは現在の用途限定ロボットでも実現できている話だ。いよいよロビィ2では命令の受否を三原則に照らすために重要な機能を実装してみた」
かちっと手の中のリモコンデバイスを鳴らすと、そっくりだが、微妙に違う一本腕ロボットが現れた。
「ロビィ2だ。ロビィ1のソフト、ハードと同じものを積んで、さらに追加機能を実装してある。ロビィ1を直接いじらなかったのは対象実験のためだ。これが研究費の膨らんだ原因の一つだ。妥当な出費かどうかは理事のみなさんのご判断におまかせする。
「さ て、ロビィ2に積んだ機能とはあー、かいつまんで名前をつけると行動結果演算能力というところか。あまり適切な名前じゃないんだが、要するに行動の結果、 影響を算出する能力だ。さっきの命令解釈能力を拡張して、命令達成後、命令遂行中の一定範囲一定時間内の環境への影響を算出させるもので、環境からの干渉 も計算にいれる。これは思考というところかな。想像し、考える。人間にも大事なことだね。
「ロビィ2では環境要素はあらかじめ与えておく。自分で取得するのはロビィ3で実装する機能が必要だからね。さて、この二台の動作の差を実験の記録でお見せしよう」
軽くキーをたたくと、実験映像になる。いまよりこざっぱりした白衣姿の小さな博士とロビィが2台。そしてそれぞれ机があり、その上を吹き払うように古臭い扇風機がすえてある。
「この実験ではそれぞれにまったく同じ命令、紙を百枚二つ折りにして箱にいれろというものを与える。公平のため命令は録音でまったく同じものを与えている。環境の干渉は一定間隔で扇風機が風を送るというものだ。さて、どうなるかというと」
ロビィ1は命令を受けるとしばししてから猛然と紙を折り始めた。しかし、扇風機の風が出ているときもかまわない。やがて積んだ紙がなくなる。すると、やは り少し考えてから散乱した紙を拾って折り始める。風に乱されるとまた少し考えて折る。命令された数をおると、あたりには紙が散らかり、風とともに踊ってい る。
「頭悪いだろ? ロビィ2はどうなるかというと」
ロビィ2は扇風機が回るタイミングになるとアームで紙を押さえ、風がやむと作業した。紙は乱れ飛ぶことなく全部おることができた。そして作業を終了すると、紙を押さえて風に飛ばないようにしている。
「再度、同じ命令を受けるかもしれないからああしているんだが、別に賢いわけではない。命令の反復性、再現性をあらかじめ、あー、つまり教えてあるだけだ」
博士はむきだしのすねをぽりぽり書いた。ちょっと手を休めて足元にうっちゃっていた蚊取り線香の箱をあけて一巻き出して火をつけた。
「ロ ビィ3では環境要素を自分で判断、分析、蓄積できることを試みた。平たくいえば状況判断能力だ。ロビィシリーズには光、振動、圧力の三種類のセンサーを備 えて、これを統合判断するシステムを組み込んである。データの蓄積と法則の割り出しを内挿で行うと膨大なサンプルが必要な上に、少し違うパターンに遭遇す るとデータ収集のために停止してしまうため、外挿で判断させるようにした。なので、状況判断は常に確率に依存することになる。確率の算出根拠は不明な要素 を仮定で判断したとき、その仮定の発生確率によるわけだが、これは以前遭遇した類例より算出しているわけで、つまり経験を積むほど正確な見通しを立てるよ うになっていく作りとなっている。経験とカンというやつだね。
「ありがたいことに、人間の記憶のように不完全なコミュニケーションに依存しないと 伝達できないわけではなく、これらの経験とカンは後続のロボットたちに継承させていくことができる。ロビィ3はこの能力に加えて自己保全機能をつけたのだ が、その成果はこの、ロビィ3の歩行タイプのデモでみてくれるとわかるだろう」
立体映像の中では、二足歩行のみができるロボットが飛んでくる野球のボールを器用によけながらボールのあたらないものかげまで避難していく様子がうつっている。完全によけきれず、時々がつんとかすってよろけるが直撃だけはなんとか避けていた。
「人間みたい・・・」
片瀬がぽつんとつぶやくのを博士は微笑みを浮かべて聞いていた。
「ロ ビィ4では、ここまでの機能を統合した。まだ三原則は完全に実装していない。統合したということは・・・ええと、まあ簡単なことではないんだがここはうま く組み合わせたということで理解していただきたい。機能強化のためのフィードバック疎通とかすごくすごく大変だったんだけどね」
ロビィ4の姿は二足歩行の一本腕ロボットだった。胴に光センサーとしてのカメラと音センサーとしての振動受信針、そして全身にべたべたと圧力感知センサーが張られ、かつ行動の自由を奪わないように外付け制御装置にケーブルが伸びている。
立体映像の中で、ロビィ4は段差や障害物、破裂しそうな風船、突然の飛来物、高熱をもったもの、深い水溜りといった障害をよけたりかわしたり、あるいは移 動させたりしながら横切り、なみなみと水のはいったコップを大事に大事にかばいながら、やはりよけたりかわしたりしつつ戻るという作業をやってのけた。行 きと帰りで、危険や障害ののりこえかた、かわしかたが異なるところが興味深い。
「ロビィ4は特定のプロトコルで受けた命令を実行するロボットだ。 命令実施過程および命令待ち状態の間は命令実行の次優先順位で自己保全を行うようにできている。三原則の第三法則だけは実装されとる状態だ。課題はまだま だあるが、ロビィ4で自律型の三原則ロボットの見通しは立ったといってよい。ここで終われれば、期間と予算はなんとかおさまったんだが、次も難題だった」
博士は片瀬の硬い、白磁のような顔をサングラスごしにじっと見た。
「なあ、片瀬さん。あなたは人間とは何か答えられるかね?」
「いま思い出せるだけでも三通り、ちょっと調べさせていただければもっと定義がありますが」
「それは道徳上の人間とか宗教上の人間、あるいは法律上の人間とかだよね。ロボットにわかるように人間を定義してやるとすればどうだ? 」
「DNA分析でもできれば万全でしょうね。よほどの遺伝子異常さえなければ、ホモ・サピエンスと判別することはできます」
「すると最初に命令するときにはちくりとやってしばし分析、あとは骨相とかの一致で本人認証して音声命令を受諾するかどうか判断すると、そうなるわけだ」
「DNA分析や本人認証は信頼できる機関に証明を発行させるということはできませんか」
「と、なるとロボットにとって人間とは認証機関によって証明を発行されたIDを備えている個体ということになるね。つまり、それさえあれば馬だって鹿だって人間と認証される」
「馬と鹿は極論ではありませんか? 」
「人間ならそう思うだろうが、ロボットにはまずその基準を与えてやる必要がある」
「なるほど、わかりました」
「映画のブレードランナーを観たことはあるかい? …そうか知らないか。じゃあ、アンドロイドは電気羊の夢を見るか、も読んだことはないね」
「SFはあまり好きではないので」
「そ うか。かいつまめば、人間そっくりの脱走ロボットを探して狩る話なのだが、その中に人間か人間でないか判別するテストが出てくる。質問して、いろいろ反応 を確かめるテストだが、時間は数秒で終わるようなものではない。しかもあれは人間が誤判断しないように行われるものだ。要するに、命令者が人間かどうかを 判断するにはロボットに高度の判断機能、センサー、そして十分な処理判定時間を与えてやる必要がある。それでもうまくいくかどうかは基準の取りかた次第。 アシモフの作品にも、主が現在の人類とはかけはなれた姿と能力に進化したがゆえに現在の人類を人間と認めないロボットが出てくる」
「わからなくなってきました」
「結論だけ言うと、だね」
博士はとんとんと煙草の箱を叩いて一本抜いた。
「人間かそうでないかは、ロボットにつけられる範囲のセンサーで得た情報を元にファジーに判定するほかない、ということだ。つまり一定の確率以上で人間と判定されたものを人間として扱うしかない」
「事故で手足を失った人が助けを求めても、人間とみとめず、無視するということは? 」
「状況判断能力がそれを補完する。これはこういう状態の人間だろうと。災害救助の現場に多く立ち会ったロボットほど的確に判断できるようになるだろう。ただ、やはりロボットの総合性能に依存するのはしようがない」
「しかし」
「人間が判断を誤らないとどうしていえる? 」
「それは…人間ですから」
「ロボットこそ人間を見間違えてはいけないんだよ」
博士はきりっと背筋を伸ばしてそう言った。
「命令を受けるため、人命をおびやかさないため、人間を人間でないと誤認してはいけないんだ」
「理解しました。続けてください」
博士はぐにゃっと姿勢をくずすと煙草に火をつけて紫煙を吐いた。
「人 間かどうかの判断を行う方式は二つ。一つは認証機関によって発行されたIDによる識別。実装するならこちらのほうが簡単で安価だ。そのかわりさっきいった ようなリスクは伴う。一番安いのはタグを埋め込んでおいてそれがあれば人間と認識する方式。普及させるならこの方式をお勧めする。その代わりタグをなくし た状態ではロボットに殺されても文句は言えない。賢明なる理事会の皆さんは次にあげる問題でこれが一番現実的と知ることができるだろう。
「今ひ とつは経験の蓄積でどんな状況でも人間を判別する優秀な判別能力を持たせたもの。ロボットの経験は継承、複写できますが経験によってはおかしな癖がつくこ ともある。それに、人間を判別するために優秀なセンサーと優秀な処理能力を求められる。優秀な処理能力を必要とする理由は、せっかくの経験を継承さ せる以上、より深い判断結果を残していくことが有意義だからだ。ただし、おかしな癖がついたものははじいていかなければならんし、同じ経験を継承し ていても優劣が出る。そのために、経験複写の過程では混合と淘汰が必要になる。おかしな宗教を発明したロボットなんぞ無用ですしな。このため、自律判断 能力を備えたロボットは非常に高価なものとなる。普及にはむきません。しかし、まるで無用というわけではない。と、いうのはタグ判別の…面倒なので普及型 と呼びますが、普及型のロボットも人間が危険な状態になるかという状況判断のために判断能力が必要ですし、そのためには経験の蓄積がないのは致命的だ。普 及型の処理能力とセンサーはコストパフォーマンスの良いもののはずだから、普及型そのものの経験蓄積を継承するより、自律判断…面倒だから高級と呼ぶが、 高級ロボットのものを基に焼き付けてやるのがよい。そうなると高級ロボットはわずかでもあったほうがよいし、メーカーも普及型の製品何万、何十万台に対し て一台の高級ロボットを持つことで製品評価があがるなら必要な投資と見ることができるし、高級ロボットが優秀で有名になるならこれに越した宣伝効果はな い。鉄腕アトムの各国の有名なロボットたちを思い出しますな。
「そういうわけで、高級ロボットの研究を継続することにした。高級ロボットすなわちヒューマノイドというわけではないので念のため」
ここでフィルターのこげる臭いに博士は悲鳴をあげて、やけどした指を氷の解けた水であわてて冷やす。
「実 はもう一つ、普及型より高級なセンサー、処理能力をつけて製品と同様のデバイスを持つプロトタイプという方式も考えられる。これも片手間に研究して成果を まとめてあるのでご参考にされたい。経済的だが、袋小路に陥りやすいので、機能のあまりかわらないものには向いている。
「さて、ロビィ5の話をす る前に、オモイカネ1から7と名づけた人間についての判定基準思索をさせたコンピュータの話をしよう。そう、コンピュータだ。出力デバイスはモニターと外 部媒体、あとは手動電源のプリンタのみに限定し、任意に動かせるデバイスは一切与えなかった処理能力のみのロボットたちだ。理由は明快。彼らはいわゆる 狂ったコンピュータになりやすく、大変危険ということだ。みなさんも、人間滅ぶべしという結論を出しかねない危ない人間に武器は持ってほしくないと思うだ ろう。まして彼らは目的達成のために生まれた者たちだ。腕一本でもいかなる手段を編み出してくるかわからない」
片瀬は語り口に熱を帯びてきた博 士を暖かいような、さめたような目で眺めていた。狂気さえ感じるその姿は、しかめっつらの並ぶ会議ではかなり編集しないと見せられないしろものだった。彼 女はみないふりをしているが、時々、普通は見せたくはないし、見たくもないものがちらほら見えている。
「この七台のコンピュータにはロビィ4のソ フトウェアを搭載させ、ロビィ4の数万倍の処理能力で人間というキーワードで集めてきたデータをありったけ食わせて人間の判別方法について考えさせた。七 台もつかったが、それでも足りなかったかも知れない。うち三台は狂った。人間は不完全であり、完全な機能を開発するまで存在を凍結すべきだ、とか、人間と いうものは存在しない、それは錯覚であり、すべてロボットである、とか、人間の望みは自滅であり、ロボットはこれを助けなければならない、といった結論に 至ったのだ。ほかの四台は非常にユニークな人間の判別方法を結論として出した。この四台を接続、ディスカッションさせてさらに摩訶不思議だが納得の行く方 法を導いたあと、短時間で判定できるよう、近似判定方法を同じように考案させ、たたかわせてまとまったものにした。詳細は省くが、目からうろこの視点が多 い。この過程については高い価値を持つと思う。理事会諸賢ならばこの記録を有意義に使いこなせると信じるよ。しかし、この成果をもって人間の学者が不要に ならないということにはならない。ロボットたちの処理能力、算出能力は精確だが、与えられた条件から出発し、制約の中から出ることができない。オモイカネ の七台にしても、時折、人間の干渉によって袋小路を突破しなければならないことがあったのだ。
「かくして、だいたい人間を判別するかたわら、それが本当に人間か判別しつづけるロボットの人間認識の基礎ができた。あとは統合するだけ、というところまで達してロビィ5の開発にかかった」
「狂った三台は停止させたのですか? 」
「お、質問が出たか。うれしいね。あの三台は三台で別に連結させて討論させてみたんだよ」
「面白半分に? 」
「学問的興味ということにしておいてくれ」
「どうなりましたか?」
博士は手で爆発のしぐさを作った。
「相互にウィルスや破壊因子のはいったワームを送り込み合い、三台とも壊れた」
「なぜ? 」
「きちんと説明するとむずかしいのだが、誤解を受ける表現を恐れないなら心中だ」
「心中? コンピュータが? 」
「狂ったからだと思わないでくれ。あれはあれで彼らの論理的帰結なのだから。少なくとも、人間と同じには考えないように」
「そのデータも? 」
「もちろん提出する。すばらしくも物悲しいデータだよ」
博士は須臾の間冥福を祈るような顔を見せてから、低くなったトーンを上げた。
「さて、ロビィ5の話をしよう」
モニターにはロビィ4とそっくり同じ腕一本の二足歩行ロボットが映し出された。
「ロビィ5は4のソフトにオモイカネの人間認識能力を統合したものだ。三原則の適用箇所についてはロビィ5のマーク1については命令受容部に最優先命令として適用してみた。これはとんでもない失敗になったよ」
映像は博士の周りをちょろちょろ走り回って刃物や熱源など危険物を遠ざけ、あるいは博士が近寄らないよう一生懸命妨害するロビィ5のかいがいしくどこか滑稽な姿が映し出される。
「ちょっ と考えればすぐわかることだった。状況判断能力の認識できるかぎりの危険を看過することで人間に危害を加えることになると判断したんだ。そこでマーク1を 改造して与えられた命令だけに責任を持つようにしてみた。こうなると目の前で人が死にかけていても命令なしには何もしなくなるどころか、自己保全命令にし たがってとっとと逃げ出すようになるんだが、まあそれだけですむならと思ったら」
今度は命令に対して屁理屈をこねて拒絶しかしない珍風景が映る。
「こ れはテストで問題のある命令を出してるからで、ごく単純な命令なら問題なく聞いてくれる。単純な機能のロボットならそれで十分だから、おおいに技術的選択 としてはありだ。ロボットの職能を単純労働にとどめるならここまでで十分に実現性は見えたといっていいだろう。だが、そんなロボットの三原則はただ道具の 安全性を高めるメソッドにしかすぎない。ゆえに、高級ロボットの開発としてはこの選択はなしだ。してみると最初のほうが方針としては正しく、何かを間違え ていたことになる。さて、それは何かということだが」
博士は自分を指差した。
「ロビィ5マーク1は私を危険回避もできない間抜けと決め てかかっていたことが一つ。そこを判断にいれればお節介はだいぶ省くことができるだろう。それと三原則の適用部位に間違いがあった。命令受容部ではだめな のだ。そこでは狭い視野でしか三原則を適用できない。そこで人間関係の要素をより上位の意思決定部の制約事項に組み込んでみた。それまでは命令を受けたら とにかく実行しようとして状況と行動結果分析で行動を制限していたが、あわてて動く前に、まずは考えるようになったということだ。
「この結論を得て完成したのがロビィ5マーク7だ。3から6まで試行錯誤に費やしてできたこいつは、人間が自分で自分の安全を処することのできる間は見守るだけで手を出さず、必要なら注意を促し、さりげなく主である人間を守る気の利いたロボットとなった」
ホテルのボーイのように付き従うロビィの画像がでる。
「民族の判別と礼儀作法、対応の学習を行わせればスターウォーズに出てきたプロトコル・ドロイドだって作れそうだろ?」
得意げな博士に、片瀬はスターウォーズはみていないと答えてがっかりさせた。
「こうして最初の高級ロボットロビィが完成した。本来なら研究はここで終わりだろう。この時点で提供した成果物により、最初の製品たちが生まれたはずだ。実際、普及型だけ視野にいれればこれで十分だろう」
「しかしあなたは研究をお続けになった」
片瀬は表情なくそう言った。
「なぜですか?」
「二 つある。人間は長命となり、人口が減った。普及型は現場指揮する人間がいないとトラブルに対応しきれないし、時々軌道修正してやらないと迷走する。人間の 代わりをする高級ロボットが必要と判断したことと、そのためにはロビィではいささか不安があった。ロビィは普及型のフラグシップモデルだからね。なので、 いくつか実験を行ってロビィに足りないものを確かめた」
映像は島の海岸にぽつんとたたずむロビィの姿を映し出した。
「顕著だったのはこの孤島実験だ。命令すべき人間がいないこの島で、しかし人間のための船着き場や灯台はおかれたここに、維持管理を命じて置き去りにして遠隔監視したものだ」
「ずいぶんぼろぼろの船着き場ですね」
「もちろん。数十年前から人間が使わなくなった場所だからね。灯台だってかろうじて自動点灯しているが、昼間の太陽光発電で二時間もすれば力つきて消えてしまう有様だ」
「ロボットのことながら、かわいそうなことをしますね」
「人 間なら怒ってやめてしまうような仕事だね。だからこそロボットにやらせてみた。ロビィには十分な資材と道具、それにデータを渡してある。しかし灯台と船着 き場が壊れるのは時間の問題だったし、私のほうでしかけをして壊れるようにした。トラブルへの対応能力に疑いはない。だが、人間不在でその対応がどうなる のかはぜひ確かめたかった」
「どうなりましたか?」
「ロビィの仕事は完璧だったよ」
映像は切り替わる。
崩壊した古い 灯台の土台から黒い鉄骨の塔が空にのびている。前の灯台とほぼ同じ高さの頂上には回転灯とおぼしき円筒。そして日当りのよいあたりには太陽光発電パネルが 並べられている。カメラがパンして映した船着き場も壊れた廃材をどけたあとに船をもやうための黒い杭が海上に突き出し、その間を三十センチも幅はなさそう な渡し板が走っている。
「灯台は一晩海上を照らし、船着き場は容易に壊れないものになった。ロビィにこう作れという示唆はいっさい出していない。彼が判断し、設計したものだ」
「しかしこれは・・・」
「そう、灯台はともかく船着き場は何のためかということを考慮していない。人間がいないから、ロボットの都合のよいように作って、何のためかという配慮がない。灯台にいたっては上のほうのメンテナンスにのぼっていけるのはロビィだけの作りになっている」
「本末転倒しているように見えますね」
「こ の島にいってみた。船着き場の足下はあぶなっかしかったが、エスコートは適切で、海に落ちることなく上陸できたよ。しかし、何か間違っていると感じたので そのことを指摘すると、理路整然と自分にできることはすべてやったことを説明してくれた。船着き場の設計など、この島に人間がすんでいないからで、こうし て人間が来たからには作り直すと答えてのけたよ。どうだ、人間が滅びた後もロボットたちは文明を維持していってくれそうな話だろう? 」
「ぞっとするような眺めになりそうですけどね」
「然り、然り、まるで別の種族として、最初に与えられた命令を自分本位に解釈し、発展させてそれでも立派な文明を作ると思うよ。もし、その文明と人類が接触してもわかりあうことは難しいかもしれないけれどね」
このへんは編集、と片瀬は手帳端末を使って記録中のデータに付箋をつけた。
「ま あ、これではロボットだけを遠隔苛烈な環境に送り込んで人間を迎え入れるための任務なんかには送り出せない。南極基地の維持をまかせて翌年来たらとんでも ないことになっている、ということは十分起こりえる。人間がいなければ、有効な三原則は自己保全だからね。いささか乱暴かつ強引にまとめれば、だ。ロビィ の欠点は、人間のための存在ゆえに、人間がいなければ自分を見失うという一点にある。人間とともにある限りは心強いパートナーとなることは保証するが」
「想像力と考える力を持っているのに、そうなるわけは? 」
「三 原則適用の時間感覚にある。アシモフ博士のロボットは大変優秀だから人類の歴史に思いを馳せて人命の損失をはかりにかけているが、ロボットが全部そんな崇 高な思慮にはまりこんでしまっては、生み出した目的を達成などできはせん。介護ロボットが老人たちの命より若く将来のある介護士たちの健康をとったらどう なると思う? それでなくとも、そんな演算には相当の処理能力が必要だ。高級ロボットの処理装置はもちろん高度なものだが、それでも十分ではない。いつか はできるだろうが、そこまでの長い間は仕事をさぼって昼間っからのんだくれて政府批判をやってる親爺どもと大差はないはずだ」
このたとえもちょっと編集、片瀬は付箋紙をいれる。
「しかも崇高な考えをまとめれるほどになっても結論は同じとは限らない。ロボット同士で争いや集団自壊がおきるよ。そして勝ったロボットたちは崇高で高度なお考えで我ら人類をよき方向に導いてくれるわけだ。こりゃロボットじゃない。怪しげな神だな」
「それで、どうされたのです?」
遠くにきらきらと海が見える。片瀬は仕事をほうりだして泳ぎたい気になった。このへんはもうほとんど無人だからどんな格好で泳いでも見られる心配はない。
「い ろいろ考えて、試した結果、オブザーバープログラムを組み込むことにした。これは三原則そのものほど強くロボットを束縛せず、その行動選択において特定の 傾向に重みをつけるプログラムだ。三原則からのフィードバックを常時受けているため、人命に対する配慮が常にきくことになる。処理能力が高まれば人類の歴 史に対する深慮遠謀も可能だが、それを行動原則とするのではなく、行動の選択要素に落とし込んでしまえる。これを開発したのが次の試作ダニーシリーズとな る。ダニーとはつまりわれらがダニール・オリバーのことだ」
ここで博士は日がかげってきたことに気づいた。
「ちょっと寒くなってきたな。続けるならロッジの中にはいろう。だが、あんたはみたところ、風呂が恋しくてしかたないように見えるね。今日はこれまでにしないか? 」
「そうですね」
片瀬きららは手帳端末で予定日程を確かめた。
「報告の残りが本日と同じくらいであれば」
「ダニーで終わりになるからもう少し短いよ」
「では、また明日」
「ここでまってるよ」
「早めにきますので、設備なども見せてください」
「承知」
最後に車窓からみた博士は相変わらずデッキチェアでビールの缶片手に手をふっていた。
海岸線の道路を走って町まで一時間ほど。
途中、廃屋をのぞけば人家は一件もないし、すれちがう車もいなかった。エアコンのほとんどきかない車内は暑いし、きちんと着込んだ下は博士に見抜かれた通り汗だくだ。
誰もいない白い砂浜ときらめく海を見ていると、全部脱ぎ捨てて泳いだら気持ちいいだろうなという気もしてくる。タオルがあればそうしてしまったかも知れない。
町に入れば人の姿も少し見かけるようになった。
といっても風通しのいい日陰に寝椅子を出して昼寝している姿や、ホース手にして散水している姿をあわせて一度に三人以上見ることもない。
人口数十万を数えていたはずの遺跡のようなこの都市の今の人口は二千人かそこららしい。
当然、使われていない建物のほうが多い。そして、きわめて古いものばかりなのに、倒壊、崩落の危険を感じるようなものは目につかない。大変状態がよい。
片瀬は車をホテルの前に乗り付けた。借りた時にそこにあった、その場所である。ホテルの建物は立派だが、一階の店舗や貸衣装屋などがはいってたとおぼしきスペースは閉鎖され、二階のフロントと低層の数部屋だけがホテルの体面を保っている。
「おかえりなさい。ボイラーに火をいれときましたけん、汗を流されるがよいでしょう」
唯一の従業員のフロントの老人はまるで民宿の主のようであった。
「ありがと」
お湯はいつでも出る訳じゃないんだ、と片瀬は驚いた。まったくとんでもないところだ。
しかしほかに客がいる様子がないのだから、それも無理はない。これで商売がよく成り立つものだ。
部屋は清掃され、出かけた時にはベッドサイドに投げ出してあった大きな鞄はクローゼットの中にきちんと収まっていた。これもあの老人がやったのだろうか。
鞄の電子錠を解除し、着替えをつめたインナーバッグや、旅行用の化粧道具箱をベッドの上に並べると、薄型の衛生通信機が現れた。補助アンテナをのばし、軽くふれてスイッチをいれてみたが、設定済みの交信チャンネルに通信可能なものは一つもない。
「まだ妨害されてる」
あまり楽しそうな様子もなく通信機を閉じる。
そして化粧道具の箱から手のひらに収まるような銃を取り出した。
「一応、持って行こう」
使わざるを得ない時は、きっと絶望的な状況だろう。