博士
白い砂の砂浜が美しい海岸線のカーブを描く。
テトラポッドを少々まとわせた低い堤防のむこうにはあまり車の行き来のない国道があり、低い山には青く雑木が生い茂っている。
その中腹に古びた洋館があった。いや、古びたというのはかなり控えめだろう。屋根も抜けているし、窓も全部破れている。立派な廃屋だ。
ただ、離れのこじんまりとしたロッジと、ながめのよいあずまやだけは古いながらもしっかり残っている。
そこに上る道も舗装はめくれ、雑草は生え放題。それでも週に数回は通う車があると見えてわだちの形に踏み分け道がついている。
いま、そのわだちをおっかなたどりながら一台の軽自動車が上っていく。軽自動車にはわだちの幅はすこおし広いらしく、がたがたとゆれるが、見かけより馬力があるらしくエンストすることもなく急坂を上ってくる。
あずまやでそれを見ている者がいた。ぼさぼさ髪のアロハシャツに短パン姿の男で、先ほどまで何かやっていた端末と、吸殻で一杯の灰皿を前に、朽ちかけたロッキングチェアでだらしなく体をゆらしながら、眠そうな目で眺めているのである。
軽自動車はとうとう登りきった。そこにはすっかり地面に根をおろした貨物コンテナがいくつも据えてあり、どうやら倉庫に使っているように見える。
きしんだ音をたてて軽自動車はその前に止まった。
もう少しあずまやの男に近いところに止めたくても、壊れた水上バイクや、レンガやブロックを無造作に積んだ小山や、もう使えない発電機やバーベキューセットといったがらくたが散らかっていて無理だったのだ。
ドアがあいて出てきた運転手は背の高い女だった。髪はきちんとまとめ、少し上等のビジネススーツを着たいかにもできそうな女性会社員といった風情。照り返しの強い沿岸をドライブするため、サングラスをかけている。
男はむくっとおきあがった。しかし立ち上がって迎えにいくでもなく紙巻の煙草をくわえて火をつけた。
「山ノ下博士? 」
女がよく通る声で呼びかけると、男は手をあげて応えて、彼女がやってくるのを紫煙はきながら待った。
「財団の片瀬ともうします」
差し出された名刺を面倒くさそうに受け取って博士と呼ばれた男は目を走らせた。
「片瀬うん・・・も? 」
「きらら、と読みます。京都にきらら坂という地名があるそうで、その字だそうです」
「雲母できらら、か。京都の人?」
「父は洛北の出ですが、私は東京育ちです」
「道理でなまりがない」
灰皿に吸殻をねじこむと、男は端末のスリープを解除して彼女が使えるよう押しやった。
「認証コードを」
かちゃかちゃと打ち込みリターンすると、画面に彼女の名前と顔写真、略歴が表示された。博士はざっと眺めて目の前にいるのが本人だと確かめた。
「なかなかの才媛ですな。何か飲みますか? 」
テーブルの下のクーラーボックスの中には氷と缶ビール、ペットボトル茶、外国製のソフトドリンクらしいものが溶けた水に浸っている。あまり衛生的に見えないものだから、片瀬きららは一旦はことわろうかと思った。が、喉がひどく渇いていることを思い出し、茶を希望した。
「ビールでもばれやするまいに」
と博士は自分はビールを手にする。
「仕事中ですよ」
「能率アップのためさ。一息ついたら報告を始めようか」
「すぐ始めて結構です」
「少し長い話になる。俺もちょいと心の準備が必要だ。トイレに行きたければロッジにはいってすぐ右にあるからすませておくといい」