89.F級の僕は、アリアに地球の話をする
5月21日 木曜日11
王宮に到着して馬車から降りると、事前に知らせを受けていたらしいノエル様と女官達が、僕を出え迎えてくれた。
「勇者様、お帰りなさいませ」
僕は、ノエル様に頭を下げた。
「わざわざのお出迎え、ありがとうございます」
「いえいえ、勇者様のご無事なお姿、一刻も早く確認したくて勝手に参っただけでございます」
ノエル様達の案内で部屋に戻った僕は、普段着に着替えて、ようやく一息ついた。
僕が、光の武具を丁寧に箱に収めていく女官達を眺めていると、ノエル様が声を掛けてきた。
「勇者様、この地は、創世神様の恵みの力で温泉が湧くんですよ。王宮内にも、浴場がございます。もしご希望でしたら、夕食の前に、ご案内しましょうか?」
温泉!
そう言えば、僕の知る限り、この世界の人々は、濡れタオルで身体を拭いたり、せいぜい水浴びする位。
湯船にどっぷり肩まで浸かるという習慣は持ち合わせていない、と思っていたのだが……
「ありがとうございます。是非お願いします」
ノエル様はにっこり微笑むと、女官の一人に何事かを囁いた。
メイド姿のその女官が、僕の前で一礼した。
「では、こちらへ」
彼女に連れられて僕が向かったのは、同じ建物の最上階だった。
温泉浴場は、その一角に設けられていた。
聞けば最上階は、王族の居住区にもなっており、王族以外の者は、普通は立ち入る事が出来ないそうだ。
「勇者様は、特別なお方ですから」
僕を案内してくれた女官のゾーイさんは、そう説明してくれた。
それはともかく、異世界イスディフイで温泉に入れるとは思ってもみなかった。
僕は、案内された脱衣所で服に手を掛けて……
そのまま固まった。
「……えっと、すみません。ちょっと外で待っていて貰えると助かると言いますか……」
そう、なぜか、僕をここまで案内してくれたゾーイさんが、そのまま僕の傍に立っていたからだった。
僕の言葉を聞いた彼女は、少し困った顔をした。
「ですが、高貴な方の湯浴みのお世話は、私達の大事な役目の一つですから……」
「僕は、別に高貴な生まれとかじゃないですよ?」
元々、平凡な家庭に生まれた貧乏大学生だし。
しかし、ゾーイさんの瞳にみるみる涙が溜まってきた。
「勇者様……もしや、私では、ご不満でございますか? でしたら、代わりの者を……」
そのまま肩を落として出て行こうとするゾーイさんを、僕は、慌てて呼び止めた。
「ちょ、ちょっと待ってください。ゾーイさんがどうこうとかじゃないんですよ」
「それでは、私に湯浴みのお世話を?」
う~ん、これでは埒が明かない。
僕はただ単に、一人でのんびり湯船に浸かりたいだけだ。
知らない女性に裸を見られながらでは、温泉を楽しむどころの話ではない。
仕方ない……
「ゾーイさん、実はその……僕には、呪いが掛かってまして」
ゾーイさんの顔に訝し気な表情が浮かんだ。
「呪い……ですか?」
「はい。女性の前で裸になると、勇者としての力が失われてしまうという……」
我ながらなんという言い訳……
出来るだけ申し訳無さそうな表情を作りながら、僕は、ゾーイさんの様子を窺ってみた。
さすがに、笑われるかな?
ところが、ゾーイさんは、これ以上ない位に大きく目を見開いていた。
「そのような御事情でしたら、早く解呪して頂きましょう! 王宮内には、この世界最高峰の呪術師も多数おりますので……」
「え~と……無理なんです」
「無理?」
「はい。これは、勇者の宿命と言いますか……」
まずい、これ以上だと、僕の方がもたないかも。
僕は、込み上げてくる笑いを懸命にこらえるため、俯いた。
しばしの沈黙の後、彼女が口を開いた。
「……分かりました」
再び顔を上げた僕の目に、真摯に僕の事を案じているらしい彼女の顔が飛び込んできた。
「あの……この事は、くれぐれも内密に……」
僕の言葉に、ゾーイさんが頷いた。
「もちろんです。勇者様の秘密は、墓場まで持っていく所存でございます。それでは、外でお待ちしておりますので、何かございましたら、お呼び下さい」
そう話すとゾーイさんは、一礼して、何かを決心したような顔で出て行った。
ふぅ……
なんだか、思った以上に純粋な人だったんだな。
文字通り、僕の口から出まかせを、そのまま信じてくれたらしい彼女に、今更ながら、軽い罪悪感を覚えてしまった。
ともかく、これでようやくのんびり温泉を楽しめる。
脱衣所で服を脱ぎ、タオルを手に浴室への扉を開いた僕の鼻腔を、樹木特有の良い香りがくすぐった。
思ったよりも大分広い浴室内は、木をふんだんに使用した造りになっていた。
浴槽も、大人が数人、足を延ばせる位の広さがあった。
僕は、身体を洗うと、早速、湯船に浸かった。
今日も色々あった。
あとは、夜こっそり部屋を抜け出して、ノエミちゃんと神樹の間に行かないと……
30分後、温泉をしっかり堪能できた僕が脱衣所を出ると、ゾーイさんが僕を待っていた。
「温泉、いかがでしたか?」
「凄く良かったです。ありがとうございました」
「ご夕食、殿下がご一緒に、と仰っていました。ご案内させて頂いても宜しいでしょうか?」
「もちろんですよ。ありがとうございます」
ゾーイさんの案内で向かったノエル様の部屋には、既にアリアの姿もあった。
アリアは、僕に気付くと、すぐに駆け寄ってきた。
「タカシ、おかえり。神樹、どうだった?」
「なかなか内部が面白い造りになっていてね……」
僕等が話していると、ノエル様が笑顔で声を掛けてきた。
「勇者様、アリアさん、料理が冷めない内にどうぞ」
僕等が席に着くと、直ぐに料理が並べられた。
僕は問われるままに、アリアとノエル様に、今日の神樹内部での出来事を語って聞かせた。
話が一区切りついた所で、僕は、明日、アリアと一緒に一旦、ルーメルの街に戻りたい、と申し出てみた。
ノエル様は、笑顔で僕等の話を受け入れてくれた。
「分かりました。それでは、ルーメルまでは、私どもでお送りいたしましょう」
「その事なんですが、乗合馬車みたいなので、のんびり向かおうと思ってます」
僕の言葉に、ノエル様の顔が少し曇った。
「それでは、少しお時間がかかりすぎるかと……」
「ここに来る時は、黒の森通って、緊張しっぱなしだったので、ちょっとのんびり旅を楽しんでみたいと言いますか」
僕としては、アールヴとルーメルの往復にかかる20日間を利用して、“自由時間”を確保したい、という思惑があった。
その間、基本的には、地球で過ごして、折りを見てこの世界に来て、アリアやエレンや、可能ならノエミちゃん達と神樹を登る。
20日後には、エレンに頼んでアールヴ近くに転移させて貰って、乗合馬車で戻って来たフリして、王宮に顔を出す。
そのためには、出来るだけノエル様がらみの交通手段は避けるべきだ。
「それにしましても、20日間は長過ぎるかと。ルーメルまでは、アリアさんとのんびり向かわれて、ルーメルからこちらにお戻りになる際には、お迎えに上がらせて頂けないでしょうか?」
どうしよう?
ノエル様は、基本的には、僕に急いで神樹を登って貰いたいようだ。
さすがに、20日間の“自由時間”確保は、難しいかな……
僕は、折衷案を提案してみる事にした。
「分かりました。それでは、ルーメルまで10日、向こうで2日程のんびりさせて頂いて、12日後にお迎えの方と共に、こちらに戻る、というのはどうでしょうか?」
「そういたしましょう」
ノエル様は、笑顔になった。
夕食後、部屋に戻る僕に、アリアがそのままついてきた。
僕等を部屋まで送ってくれたエルフの女官に、アリアは自分を待つ必要は無い事を告げた。
女官は、一礼して去って行った。
部屋の中で二人きりになると、アリアが、酷く真剣な面持ちでたずねてきた。
「タカシ、昼間、イシリオンに話した内容って……ホント?」
イシリオンに話した内容?
あっ!
―――僕が、この世界の人間じゃないのは、確かだ
きっとあの発言の事を言っているのだろう。
僕は目を瞑った。
僕の脳裏に、僕がF級だと分かり、皆にいいように虐められ、利用され続けた地球での日々が蘇ってきた。
そしてあの日、初めてこの世界に転移して、アリアと出会って以来の日々も思い起こされた。
アリアは、いつだって僕の味方でいてくれた。
彼女になら、全てを話しても良いのではないだろうか?
いや、全てを話すべきだろう。
目を開けた僕は、アリアに向き直った。
「驚かないで聞いて欲しいんだけど……」
こうして僕は、僕の生まれた世界について、アリアに話し始めた。