64.F級の僕は、少々、横着な戦いを試みる
5月19日 火曜日9
10頭目のドラゴンパピーが、光の粒子になって消え去った直後、僕から見て、ドラゴンパピーの向こう側にいたらしいエレンの姿が、目に飛び込んできた。
エレンは、僕と目が合うと、声を掛けてきた。
「お疲れ」
「ありがとう」
僕は、エレンに言葉を返しながら、10頭目のドラゴンパピー戦で抱いた違和感を思い返していた。
9頭目まではともかく、10頭目のドラゴンパピーは、逃げようと思えば、前方に移動出来たはず。
それが、ずうっと、僕を背中に乗せたまま、その場でもがき続けていたのは……?
「もしかして、エレン、僕が戦ってる間中、ずっとそこに立ってたの?」
「終わるの待ってた」
エレンは、以前、モンスターは、自分には襲い掛かって来ない、と話していた。
恐らく、ドラゴンパピーは、前方に移動したくても、エレンがそこに立っているせいで、動くに動けなくなっていたのだろう。
エレンには、多分、そのつもりは無かったのだろうけれど、どうやら、エレン自身が、車止めならぬ、ドラゴン止めとしての役割を果たしてくれていたらしい。
僕は、改めて、エレンにお礼を言った。
「本当に助かったよ。ありがとう」
エレンは、一瞬キョトンとしたが、すぐに僕にたずねてきた。
「レベル上がった?」
「上がったよ。今、レベル60」
僕の言葉を聞いたエレンは、目に見えて嬉しそうな顔になった。
10頭目のドラゴンパピーが落とした月の雫とBランクの魔石をインベントリに収納していると、ノエミちゃんも、僕に近付いて来た。
「タカシ様、お怪我は?」
「全然大丈夫だよ。もしかしたら、今までで一番楽な戦いだったかも」
実際、MP自動回復の素材集めが終わったら、改めて、ドラゴンパピー狩りに来るのも良いかもしれない。
月の雫も、もう少し手に入れておきたいし。
エレンが、口を開いた。
「じゃあ、次行く?」
「うん。次は、第60層のペルーダを倒しに行こう」
「分かった」
第60層は、床、壁、天井全てが、黒い大理石のような素材で出来たダンジョンだった。
僕は、インベントリから、月の雫5本と神樹の雫5本を取り出し、腰のベルトに差した。
「ペルーダは、強毒の霧を吐いてきます。タカシ様を守ってくれるよう、精霊達に呼びかけますね」
そう話すと、ノエミちゃんが、美しい声で歌い始めた。
僕の周りに銀色に渦巻く何かが集まり、僕を優しく包み込んだ。
これで、ペルーダの吐き出す毒の霧は無効化できるはず。
僕の準備が整ったのを確認したエレンが、声を掛けてきた。
「ペルーダ呼んでくる」
「うん。お願いするよ」
エレンが、暗がりの向こうへ去って程なくして、モンスターの咆哮が聞こえて来た。
「ウォォォ!」
頭部と尻尾がヘビ、身体がライオンという異形のモンスター、ペルーダが姿を現した。
ペルーダは、僕に気付くや否や、3m以上もある巨体を感じさせない軽い身のこなしで、僕に襲い掛かってきた。
僕は、それを寸での所で躱しながら、ヴェノムの小剣をペルーダの胴体に突き立てた。
「ガァァァァ!」
ペルーダは、怒りの形相で僕を睨むと、突如、僕に向かって、紫の霧を口から噴き出した。
―――ピロン!
ペルーダの毒霧により、【強毒】を受けました。
強毒!?
―――ピロン!
【強毒】を浄化しました。
以前、第57層で戦ったデルピュネは、【毒】攻撃をしてきた。
【強毒】は、それの上位互換攻撃みたいなものかな?
いずれにせよ、今日は、その威力を“体感”せずに済みそうだ。
僕は、ペルーダから距離を取った。
そして、ペルーダが、再び僕に飛び掛かってくるタイミングを計って、スキルを発動した。
「【影分身】……」
僕の足元の影が盛り上がった。
出現した【影】は、ちょうど僕に飛び掛かってきたペルーダを、真下から攻撃する形になった。
―――ドスッ!
「ガァァァァ!」
ペルーダは、不意打ちになったその攻撃を腹にまともに食らい、苦悶の絶叫を上げながら、仰け反った。
僕は、続けてスキルを発動した。
「【影分身】……」
僕の影の中から、またもう1体、【影】が出現した。
【影】は、そのままペルーダに飛び掛かり、その胴体に小剣を突き立てた。
「ガァァァァ!?」
ペルーダからすれば、いきなり現れたもう1体の【影】に気を取られた隙に、最初に呼び出した【影】が、ペルーダの身体を再び斬り裂いた。
ペルーダが、絶叫して、大きく身を捩った。
僕は、さらに2体、【影】を呼び出した。
総勢4体の【影】が、ペルーダに四方から襲い掛かった。
僕のMPは、これで1秒間に4ずつ消費される事になるはずだ。
【影】だけで、モンスターを倒したら、どうなるんだろう?
それを検証するため、僕は、戦いの場から少し離れた場所に移動した。
そして、ステータスウインドウを呼び出し、MPの減り具合をチェックした。
結構なスピードで減少していくな……
計算上も、MPを補充しなければ、4体同時に維持できるのは、14秒程度。
僕は、そのままステータスウインドウのMPの項目を眺めながら、適時、月の雫を飲み干し、MPを補充し続けた。
ペルーダは、途中何度か火属性の魔法を使用した。
周囲を地獄の業火で焼き尽くすような強力な魔法の直撃を受けて、僕の【影】も何度か消滅させられた。
しかし、その度に僕は、すぐに【影分身】のスキルを発動した。
再生した【影】達は、ペルーダをひたすら切り刻み続けた。
僕が、5本目の月の雫を飲み終えた時、【影】の攻撃を受けたペルーダが、ついに断末魔の絶叫を上げた。
「ガアァァァ……」
そして、ゆっくりと、光の粒子になって消えていった。
―――ピロン♪
【影B】が、ペルーダを倒しました。
経験値817,077,082,600を獲得しました。
Bランクの魔石が1個ドロップしました。
ペルーダの毛皮が1個ドロップしました。
【影】だけでモンスターを倒す事は、十分可能なようだ。
ただし、“【影B】が、ペルーダを倒した”ってポップアップしているところを見ると、自分で倒すよりは、獲得経験値、減少しているのかもしれないけれど。
でも、これって、月の雫、大量に確保できれば、後は、【影】大量に呼び出して、月の雫ガブガブ飲んでるだけで、時間さえかければ、より安全にレベル上げ出来ちゃうって事だよね?
僕が、少々横着な事を考えていると、エレンとノエミちゃんが、近付いて来た。
「ご苦労様です」
「お疲れ」
「ありがとう」
二人に言葉を返しながら、僕は、ペルーダのドロップ品を拾い上げ、インベントリに収納した。
これで、残すところは、インプの核のみ。
「じゃあ、第46層に行こう」
…………
……
レベル60になった僕にとって、レベル46のインプは、最早相手にもならなかった。
インプは、その多彩な魔法を披露する間も無く、遭遇して3秒後には、光の粒子となって消え去っていた。
僕は、改めてインベントリを呼び出し、エンプーサの鉤爪、ペルーダの毛皮を取り出した。
そして、インプの核と合わせて、エレンに手渡した。
「これで素材は全部揃ったかな?」
エレンは、僕から手渡された品々を入念にチェックした後、微笑んだ。
「これで大丈夫。明日の晩には、出来上がる」
「じゃあ、今夜はこの辺にしとこう。夜も大分更けてきたはずだし」
さすがに、少々疲れて来た。
体感的にも、とっくに日付が変わってる気がする。
明日は、いよいよアールヴ神樹王国に到着だし、早く宿のベッドで寝たい。
「分かった」
いつものように、エレンが、僕の右手を握り、左腕に、ノエミちゃんがしがみついてきた。
が……
「ん? どうしたの?」
なぜか、エレンが、転移しようとしない。
かわりに、小首を傾げて固まっている。
「エレン?」
僕の言葉に、エレンが、困惑したような顔になった。
「タカシの部屋が無くなってる」
「えっ?」
部屋が無くなってる?
どういう事だろう?
ノエミちゃんの顔が険しくなった。
「転移先……私達が宿泊しているウストの村の宿屋に、何か異変でも生じているのでは?」
僕は、エレンの方を見た。
エレンは、どこか遠くを見つめているような表情で呟いた。
「これは……燃えてる?」
「!」
僕とノエミちゃんは、顔を見合わせた。
「エレン、とりあえず、ウストの村の宿屋近くで、人目に付かない場所があったら、そこに転移させて」
エレンは、頷いた。
一瞬の後、僕等は、どこかの建物の影に転移していた。
転移した直後の僕等の耳に、大勢の人々が叫ぶ声が聞こえて来た。
そして、夜空の一角が、赤々と照らし出されているのにも気が付いた。
「エレン、ここでノエミちゃんを守っていて。様子を確認してくる」
「タカシ様!」
僕は、ノエミちゃんの声に振り返る事無く、直ちに、建物の影から飛び出した。