624.F級の僕は、ティーナさんに目が笑っていない笑顔を向けられる
6月21日 日曜日20
右耳に『ティーナの無線機』を装着した僕は、少しだけ迷った後、無線機の向こうの彼女にこう呼びかけた。
「“エマさん”聞こえる?」
すぐに言葉が返ってきた。
『Takashi。終わったの? って、その前にEma-san?』
「色々説明したいことがあるからさ」
僕は手にしている黒い立方体『ティーナの重力波発生装置』にMPを10込めてみた。
そしてその装置が仄かな光を発するのを確認しながら言葉を続けた。
「今すぐこっちに来てもらえる?」
『それは大丈夫だけど……つまりまだ、そこには曹がいるって事ね?』
さすがはティーナさん。
“エマさん”と呼びかけただけで、多分だけど、こちらの状況を理解してくれたようだ。
「ダンジョンの入り口は【影】に見張らせているし、ここには僕と彼女しかいないから安心して」
『曹が生きている時点で、全然安心出来る状況じゃないんだけど……まあいいわ。とりあえずそっちに行く』
近くの空間が渦を巻くように歪みだした。
そして見慣れたワームホールが出現した。
そしてそこを潜り抜けて、銀色に輝く戦闘服に身を固めたティーナさんとオベロンとが、相次いで姿を現した。
しかしそれを目にした曹悠然に、僕が事前に予想したほどの驚きは感じられない。
曹悠然がティーナさんに声を掛けた。
「お久しぶりです、“Ema”さん。それとも蒂娜・桑德斯さんとお呼びした方がいいですか?」
ティーナさんの目がすっと細くなった。
「何か勘違いをサレているみタイですケド、私は中村サンと同じ大学に通う留学生のエマでスヨ」
「分かりました。そういう事にしておきましょう」
曹悠然が口の端を僅かに歪めた。
「しかし驚きました。あなたが転移能力者だったとは」
ティーナさんはその言葉を無視するように、僕に囁いてきた。
「とりあえず、状況を説明して」
「実はね……」
僕は曹悠然に“拉致”同然に連れ去られた後の出来事について、時系列的に説明し始めた。
そして彼女が“閉じて壊れた世界”の記憶を保持して……
「待て!」
オベロンが僕の言葉を遮ってきた。
「おぬし、今なんと?」
「いやだから、彼女にはあの閉じて壊れた世界の記憶があるんだよ」
オベロンが、それこそ天地がひっくり返ったかの如く驚いた表情になった。
「そ、それは有り得ぬ話じゃ!」
「有り得ない? どうして?」
「どうしても何も……」
オベロンは空中にふわふわ浮かんだまま、曹悠然に向き直った。
「おぬし……妾の事も覚えておるのか?」
「もちろん覚えていますよ」
「……あの世界でおぬし、一度死んだであろう?」
曹悠然がわざとらしくすっとぼけた顔になった。
「さあ……?」
「有り得ぬ。あの状態でおぬしが記憶を保持したままここへ戻ってくるなど、有り得ぬ話じゃ」
僕はオベロンに声を掛けた。
「さっきから有り得ないって騒いでいるけれど、なんで?」
記憶を保持したまま戻ってきた云々って話なら、僕がまさにそれに該当するわけで。
「よいか。あの世界はこの中国娘に固着しておった。あの世界が弾けて消え去るには、この娘の死が絶対必要条件じゃった。つまりあの世界とこの世界の中国娘は全然別の……いや、待てよ?」
話しながら、オベロンがハッとした雰囲気になった。
「まさか……あやつの仕業か?」
「あやつって?」
しかしオベロンは一人でぶつぶつ呟きだした。
「あやつならやりかねん。しかしあやつは今動けぬはず……ではどうやった? まさか眷属を……いやしかしそれはそれでおかしな事に……」
曹悠然がオベロンに声を掛けた。
「あなたの仰る“あやつ”について、もう少し具体的に教えてもらえますか?」
オベロンが曹悠然に探るような視線を向けた。
「おぬし……あの世界の終りで、何者かに出会ったであろう? そやつがおぬしをこの世界へと連れ戻した。違うか?」
「どなたの話をされていますか?」
「じゃからその……背中に天使みたいな翼を生やした偽善女の事じゃ!」
500年前のイスディフイに“召喚”される直前、一度だけ言葉を交わした双翼の女性の姿が一瞬、頭を過ったけれど。
曹悠然が表情を変えないままオベロンに言葉を返した。
「もし仮に私があの世界の終りの場所で誰かに会ったとして……それは何かあなたと関係がある話なのでしょうか?」
「大ありじゃ!」
「それは何故?」
「それはっ……!」
口をしばらくパクパクさせた後、オベロンが僕に向き直った。
「大体、おぬしが悪い!」
「え? なんで僕が?」
「そもそも、なんでこの中国娘がまだ生きておるのか、という話じゃ」
「だからそれを説明しているところだろ?」
「説明なぞ不要じゃ! おぬしがこやつに情を移してしまっておるというのなら……」
曹悠然がすっと僕に寄り添い、腕を絡めてきた。
「彼に断りなく、私に手は出さない方が良いですよ?」
「……どういう意味じゃ?」
曹悠然が上目遣いで僕を見上げてきた。
「彼は私と特別な関係性を築きたいと言ってくれました。その代わり、全力で護るとも。ですから、あなたが私に“また”何か危害を加えれば、今度こそ彼との関係性は破綻しますよ?」
「ぬぅ……」
滅茶苦茶悔しそうな顔になったオベロンに代わって、ティーナさんが口を開いた。
「Takashi。どういう事なのか、私も凄~~~~く説明してもらいたいんだけど」
ティーナさん、一応笑顔のつもりなんだろうけれど、眉根がひくついているのが隠しきれていない。
それ以前に、話し方が最早完全にエマモードじゃなくなっている。
「いや、だから今説明を……」
答えながら、僕はやんわりと曹悠然を引き離そうと試みた。
しかし彼女は逆に絡めてきている腕に力を込めてきた。
「曹さん。ちょっと離れてもらってもいい?」
彼女の先程の言動とこの体勢、完全に誤解を生んでいるはずなので。
「どうして? 君とは特別な関係性を築きたいから僕の命令には無条件に従え、その代わり全力で護るからって言ってくれたじゃない」
「いやそんな話は……」
言いかけて思い出した。
そういえばあの閉じて壊れた世界で、死に急ぐ彼女の行動に制約を加えるため、そういった内容の新しい“契約”を結んだっけ?
「あれ、前の世界での話だよね?」
それに特別な関係性って……今更だけど、なんだか色々誤解を生みそうな……
曹悠然が露骨に悲しそうな顔になった。
「もしかして、もうあの“約束”は無かった事に? 私に死以外の選択肢があるはずだって言ってくれたのは、その場限りの……」
「そんな事は無いよ!」
「Ta・ka・shi」
ティーナさんが、異様に優しい猫なで声で語り掛けてきた。
「もしかして、乗り換えちゃった? 私の知らない二人だけの4日間の旅路の中で」
「そんな事は無いよ!」
ってコレ、どういう状況?
なんか本筋と全く無関係な所で、ものすごい方向に暴走始まってない?
とりあえず、話を戻さないと……
曹悠然を振りほどく事を諦めた僕は、忌々し気な表情のオベロンと、刺すような視線を向けて来るティーナさんからの圧を極力気にしないようにしつつ、なんとか現状について説明し終える事に成功した。
「……というわけで、別段、彼女が死ぬ必要性って無くなっていると思うんだよね」
話を聞き終えたティーナさんが、曹悠然に問い掛けた。
「で、結局のところ、あなたは彼にどういった感情を抱いているの?」
「ちょ、ちょっとティーナ!?」
せっかく軌道修正したんだから、蒸し返すのは止めようよ。
しかし曹悠然は僕をそっと制すると、静かに言葉を返した。
「絆よ」
「絆? それは彼に対する恋愛感情に起因しているって理解でいいのかしら?」
「そんな浮ついた感情ではなく、もっと魂の奥深いところで、彼とは強く結びつけられていると感じているわ。私は黒い四角垂を創造した瞬間、ある人物の記憶の透镜を通して伊斯迪辉の情景を垣間見た。そして私と彼だけが、あの閉じて壊れた世界の記憶を保持している。つまりそういう意味での絆よ」
「なるほどね……」
ティーナさんが不敵な表情を浮かべた。
「つまりあなたがTakashiを、自らの意思で裏切る事は有り得ない」
「そうね。それは断言出来る。それに……」
曹悠然が優しい視線を僕に向けてきた。
「万が一の時は、今度こそ彼自身の手で決着させてくれるって約束も取り付けてある。でしょ?」
いきなり話を振られた感じになった僕は、慌てて首を縦に振った。
「う、うん。そうだね」
ティーナさんが首を竦める仕草をした。
「ま、色々思うところはあるけれど、いいわよ。このまま曹を私達の協力者として迎え入れる方向で話を進めましょ」




