622.F級の僕は、用意していた“腹案”を披露してみる
~鈴木の憂鬱なお使い~その3
「……出られませんね。電源が入っていないか電波が届かない所にいらっしゃるようです」
四方木英雄は首を竦めながら、自分のスマホをポケットに仕舞い込んだ。
鈴木月がイライラした感じで声を上げた。
「とにかく早くしてくれよ! ぐずぐずしていてあいつに呆れられたらどうしてくれるんだ?」
しかし四方木英雄はいつもの通り、捉えどころのない雰囲気を崩さないまま言葉を返した。
「それで、一体いくら必要なんでしょうか?」
「えっ?」
そんなにすんなりお金の話になるとは、彼女自身期待していなかったのかもしれない。
鈴木月は目を白黒させている。
そんな彼女を横目で見つつ、四方木英雄が問いを繰り返した。
「ですから何かを購入する資金がご入り用なんですよね? ご予算、お聞かせ頂けますか?」
「え~と……」
鈴木月の瞳が、まるでパソコンを起動した時のアクセスランプの如く、凄い勢いで泳ぎ始めた。
「大体……10万……じゃ足りないか。20万? あれ? でもそういやパソコンっていくら位するんだっけ……?」
しばらく鈴木月の返事を待つ素振りを見せた後、四方木英雄はやおら、懐から1枚のカードを取り出した。
よくあるIDカード位の大きさのそれは両面真っ黒で、表面に何の情報も記載されてはいないように見えた。
彼はそのカードを鈴木月に見せながら口を開いた。
「ではこのカード、お貸ししましょう」
「なんだそれ?」
「均衡調整課専用のクレジットカードみたいなものです。コレを使えば現金用意していなくても何でも買えちゃう優れモノです」
鈴木月はそのカードに手を伸ばした。
しかし彼女の手が触れる寸前、四方木英雄がそのカードを持つ手をすっと引いた。
「ただしコレ、当課職員専用なんですよ。具体的には支払い時に事前登録されている静脈認証が必要になります」
「なんだよ」
鈴木月が不貞腐れた雰囲気になった。
「だったら使えないじゃん」
「そうですね。鈴木さん、残念ながらウチの職員じゃないですし、そもそもウチの採用基準も満たしていません。ですからこうしませんか?」
そう前置きして、四方木英雄はある提案について話し始めた。
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6月21日 日曜日18
話し終えると、曹悠然が口を開いた。
「それで……結局、あなたは私にどうしろというの?」
「曹さん」
答えはほぼ予想出来ているけれど、一応、確認の言葉を口にした。
「黒い四角垂を僕達が破壊した後、今の君なら自らの意思で再創造する可能性は無い……って事だよね?」
曹悠然の口元が僅かに歪んだ。
「そうね。それは有り得ない。というより……」
彼女が懐からあの黒い“水筒”を取り出した。
「どうして今の時点で私がこれを持っていると思う?」
内部に反リチウムという反物質が封じ込められている、黒い四角垂を完全に破壊して余りある威力がある……らしい強力な爆弾。
「もしかして、僕にこうして“今日”この時間帯に会う前から、黒い四角垂を破壊するつもりだった?」
彼女が首を縦に振った。
「“前”という言い方も変だけど、話したでしょ? 最初に黒い四角垂を創造した時、事前に私が試作していた黒い結晶体の模造品の欠片が閃光を放った。その時、隠されていたはずの真実を幻視したって。“視えた”のは、この世界の運命が無数の枝へと分岐していく姿。そして理解出来たのは、私が創造してしまった黒い四角垂が、この世界の混沌の中心と成り得るって事。だから私は局長に、黒い四角垂の破壊を提案した。だけど局長は首を縦に振ってはくれなかった……」
僕の脳裏に“あの時”、秦皇島に向かう貨物船の中で、曹悠然に乞われて【異世界転移】のスキルの発動を試みた時の事が鮮やかに蘇ってきた。
……気付くと僕は真っ暗闇の中、黒く輝くピラミッドの傍に立っていた。
高さは数mあるだろうか?
表面に継ぎ目は全く見当たらない。
そしてその底部は奇妙な事に、地面から数cm浮遊している。
ふいに、何者かがそばに立っている事に気が付いた。
その人物が声を掛けてきた。
それに対し、“僕”は何事も無いかの如く言葉を返していく。
不思議な事に、見えているはずのその人物の顔を僕は認識出来なかった。
加えて交わしているはずの会話の内容もまた、認識出来なかった。
やがて会話は終了し、相手はかつかつと靴音を響かせながら立ち去って行った。
“僕”の方はと言えば、認識出来なかったはずの会話の内容に、なぜか焦燥感だけが膨れ上がり……
つまり“あの時”、曹悠然が話していた相手は局長……中国国家安全部第二十一局のトップ、劉刻雷だったのだ。
僕は理由不明に、彼女の“記憶”を通してその場面を追体験していた。
彼女はその場で彼に黒い四角垂の危険性を説き、その破壊を提案した。
しかし彼は彼女の提案を拒否した。
だから彼女は……
「だから私は、あの後すぐにこの容器を手に入れて……」
彼女が右手の黒い“水筒”を僕の方に翳すような身振りを見せつつ、言葉を継いだ。
「{Li}(反リチウム)を創造した。祖国の名誉を守るため、独断での破壊の機会を窺おうとしたの。だけどその後、私の意図に気付いたらしい『七宗罪』が裏から手を回してきた。結果、私は中国本土から“出向”という形で日本へと追い払われてしまった」
最初の“巻き戻り”が始まる前、曹悠然の突然の再来日について、ティーナさんは中国が日本に対して提案してきている田町第十に関する日中合同調査の件が関わっているらしいと話していた。
多分だけど、建前上はそういう事になっていて、だけど裏にはそうした真の事情が隠されていたって事なのだろう。
それはともかく、僕は今の話の中で気になった点についてたずねてみた。
「局長の劉刻雷って、もしかして『七宗罪』と繋がっている?」
聞いている限りでは、第二十一局全体がアヤシイという印象を受ける。
だとしたら、闇の深さは僕の想像以上って事になる。
彼女が弱弱しい微笑みを浮かべた。
「分からない」
「分からない? だけど……“視えた”んだよね? 君の同僚というか、第二十一局内に『七宗罪』に繋がっている“裏切り者”達がいるって」
「“視えた”のは確かだけど、誰がその“裏切り者”なのかといった具体的な内容は、実は何一つ覚えていないの」
どういう事だろう?
少しの間首を捻っていると、彼女が言葉を続けた。
「黒い四角垂が閃光と共に出現した瞬間、過去、現在、そして未来……全ての時空の全ての記憶と知識が、私という存在に奔流の如く押し寄せてきた。つまり膨大な量の情報の骤雨を暴力的に浴びせられた。ここからは推測だけど、与えられた情報量が多過ぎて、私という個人の容量をあっという間に超えてしまった可能性があるわ。だから詳細は流れ去り、目録だけが残っているのだと思う」
まあ、今の僕では、その瞬間、彼女に何が起こっていたのか、知る由もないけれど。
曹悠然が探るような視線を向けてきた。
「それで話を戻すけれど、結局、あなたは私にどうしろというの?」
そろそろ最初に用意していた“腹案”を披露するべきだろう。
「実は均衡調整課から、“富士第一特別専従チーム”を作るからそこの責任者になって欲しいって頼まれているんだ」
「……まさか、私をその“富士第一特別専従チーム”で“保護”しようって事?」
「違うよ」
「違う?」
「君を保護するんじゃなくて、手伝って欲しいんだ。仲間として。可能だったらウーさんも一緒に」
彼女の顔が一瞬、パッと明るくなりかけて……しかしすぐにそれは寂しげな表情に取って代わられた。
「言いにくいんだけど、日本も均衡調整課も私の祖国の意思に反する行為を押し通すには余りに非力……」
「まあ聞くだけ聞いて」
僕は彼女の言葉を遮った。
「まずは一緒に黒い四角垂を破壊しに行こう。その後は……」
こうして僕は、事前に用意していた“腹案”を彼女に話してみた。




