589.F級の僕は、曹悠然と共に暗い海へとダイブする
6月24日 火曜日E4-1
液体窒素の入ったボンベを1本手に入れた僕達は、今度は甲板に向かって移動を開始した。
ちなみにボンベ自体、結構な重量があったので、持ち運びの利便性を考えて今は僕のインベントリの中に収めてある。
隣を歩く曹悠然が囁いてきた。
「私達が視た“予知夢”通りとすれば、“敵”の本隊はそろそろ、この船内に乗り込んできているはずです」
僕は“夢”の中で、甲板に出た瞬間、強烈なサーチライトを照射された時の事を思い出した。
今のところ僕達は、手に入れた液体窒素で海上に氷道を作り出し、その上を召喚したオロバスに乗って移動する予定だ。
つまりどうあっても、一度は甲板に出ざるを得ないけれど、このまま何の工夫も無ければ“夢”の中同様、相手に僕達の存在を捕捉される可能性が高い。
「どうしましょう? なんでしたら甲板に出る時、【隠密】を使いましょうか?」
その場合、曹悠然にはまた、麻袋に入ってもらう事になるけれど。
「そうですね……」
考える素振りを見せる曹悠然を横目に、僕も少し考えてみた。
口にしておいてなんだけど、捻りも無くただ【隠密】使うだけだと、もし相手に【隠密】を見破るスキルや能力――例えば【看破】のような――を持っている者が居れば、少々厄介なことになる。
なるべくなら、相手に気付かれる事無く……って、あっ!
こういうのはどうだろう?
僕はとりあえず、自分の“思い付き”を曹悠然に伝えてみた。
話を聞き終えた彼女は、少し感心した雰囲気になった。
「それは試してみる価値がありそうな話ですね」
「曹さん的に、ここはこうした方が良いとか、無いですか?」
「私の方からは何も。どのみちうまく行かなくても私が死に、あなたが“巻き戻る”だけですし」
「曹さん!」
彼女が少しおどけた雰囲気になった。
「安心して下さい。新しい契約を結んだのですから、あなたの要求に一度も応じないまま自分が死ぬ事前提での行動は取りませんよ」
「その辺はホント、お願いしますよ」
「それにしても意外でした」
「意外とは?」
「私が事前に得ていた情報とは違って、現実のあなたはちゃんと色々考えているのだな、と」
彼女が事前に得ていた情報って多分、“(中村隆は)能力は高いけれども、臨機応変な対応力には欠ける”っていうアレの事だろう。
まあ、その評価は自分的にも間違ってはいないと思うけれど。
「ふふ、そんな顔しないで下さい。要するにあなたを見直したと言っているのですから」
話している内に、甲板に繋がる扉の一つに到着した。
“夢”の中で僕達は、ここから甲板に出た。
しかし今回、僕は扉を開ける代わりに、事前に曹悠然に伝えていた通り、スキルを発動した。
「【影分身】……」
途端に【影】が1体、沸き上がって来た。
僕はその【影】に指示を伝えた後、来た通路を引き返し、今度は別の甲板に繋がっている扉へと向かった。
船内から甲板へ通じている扉は、最初に僕達が到着した前方の他に、右舷と左舷、合わせて合計3カ所ある。
僕はそのいずれの場所でも【影】を1体ずつ呼び出し、それぞれ指示を出してから配置した。
そして僕達自身は左舷の扉の前で、下準備を行った。
すなわちゴーグルを外し、曹悠然を麻袋に詰め、僕がそれを抱え上げ、【隠密】のスキルを発動した。
「それじゃあ、行きますよ」
麻袋の中に声を掛けた僕は、3カ所に配置した【影】達に、ほぼ同時に扉を開けさせた。
“夢”の中同様、サーチライトの強い光が、真っ暗闇だった船内へと射し込んでくる。
僕の傍にいた【影】が滑るように動き出した。
そしてそのまま、サーチライトの光源が設置されているであろう場所に向かっていく。
少し遅れて、中国語と思われる怒号が飛び交い始めた。
どうやら他の扉から甲板に出た【影】達も、しっかり“仕事”をしてくれているようだ。
それを確認してから、僕は【影】達とは逆方向、つまり船の後方に向かって静かに、だけど小走りで移動し始めた。
サーチライトの照射範囲は意外と狭かったらしく、最後尾に向けて進み始めてすぐに、夜の闇が僕達を包み込んでくれた。
曇っているのか、或いは月齢の関係か、どちらにせよ幸運な事に、空に月明りは見当たらない。
甲板に積み上げられたコンテナの脇を抜け、進む事1分少々で、予定通り、最後尾へと到着する事が出来た。
遥か前方から、怒号が風に乗って聞こえてくるけれど、今のところ、僕達自身の所在は把握されていないようだ。
手すりから身を乗り出すと、眼下には、波打つ暗い海面が見えた。
なんだか昼間見た時より、随分遠くに感じるな……
ほんのちょっとだけ怖気づいたけれど、まあ、別段、大した危険性は無いはず。
僕は心の中でそっと深呼吸してから、麻袋の中の曹悠然に声を掛けた。
「それじゃあ、飛び込みますよ」
そして宣言通り、暗い海に向かってダイブしつつ、障壁を展開した。
刹那の浮遊感の後……
―――ポチャン
事前にエレンから聞かされていた通り、障壁に包まれた状態で、ぷかぷか海上に浮いていた。
その事にホッと胸を撫で下ろした僕は【隠密】を解除して、麻袋の中から曹悠然を開放した。
曹悠然が興味深げに、そっと周囲に視線を向けた。
「本当に浮いていますね」
「はい」
僕はインベントリを呼び出した。
そして中から液体窒素のボンベと『オロバスのメダル』を取り出した。
「今のところ、向こうはこちらの状況に気付いてはいないようです。僕の【影】達もまだ斃されていません」
「さすがですね」
「まあラッキーだっただけだと思いますよ」
自分で言うのもなんだけど、思い付きにしては、随分うまく行っている。
「ご謙遜を。三思而行。あなたがあの短い時間で、これ程緻密な計画を立てられる方だったとは、嬉しい誤算です」
いやそれ、完全に勘違いですよ。
それはともかく、この幸運を生かして、予定通りさっさとここから離れた方が良いだろう。
僕は液体窒素の入ったボンベを曹悠然に手渡した。
「それじゃあ氷道の方、宜しくお願いします」
僕からボンベを受け取った曹悠然が、前方の海面にボンベに取り付けられたノズルを向けた。
「大きさは幅2m程度、厚さ10㎝程で良かったですよね?」
「はい」
ノズルの先から、-200℃近い液体窒素が、海面に向けて一気に放出された。
海面が勢いよく凍り付いていく。
数秒後、僕達のすぐ前方に氷道というより“氷の舞台”が出現した。
「それじゃあオロバスを召喚しますね」
メダルを握り締め念じると、“氷の舞台”の上に嘶きと共に、6本足の凶馬オロバスが出現した。
始めてオロバスを目にしたはずの曹悠然が、大きく目を見開いた。
「魔法の詠唱も無しに、このような召喚獣を呼び出す事の出来るこうした道具は、伊斯迪辉では一般的なのでしょうか?」
以前、ティーナさんから全く同じ質問をされたっけ?
その事に苦笑しつつ、その時と大差無い返事をした。
「一般に出回っているかどうかは、実はあんまり詳しくないんですよ」
そして“氷の舞台”の上に立つオロバスに跨り、彼女を僕の前へと引き上げた。
彼女が再びボンベに取り付けられたノズルを前方に向けた。
「それでは氷道の作成は任せて下さい」
「あ、ちょっと待って下さい」
彼女が不思議そうな雰囲気で振り向いてきた。
「どうしました?」
「実はこのオロバス、短時間、多分……数十m位の距離なら、50m程度の高さまで舞い上がって移動出来るんですよ。なので……」
僕の追加の説明を聞いた彼女が笑顔になった。
「なるほど。確かにそっちの方が、より効率的と言えますね」
「それでは改めて出発しますね」
「はい。宜しくお願いします」
僕はオロバスを出発させようとして……固まってしまった。
後方の、ついさっきまで僕達が乗り込んでいた貨物船も含めて、周囲は暗闇に閉ざされており……
つまり……
「すみません。方向って分かりますかね?」
「方向?」
一瞬、怪訝そうな顔になった後、曹悠然が吹き出した。




