557.F級の僕は、時間が巻き戻っている事に気が付く
6月21日 日曜日D1
【異世界転移】でボロアパートの部屋の中に戻って来た時、僕の心臓の激しい鼓動はいまだ収まる気配を見せていなかった。
なにしろ、目の前で……
目の前……
って、あれ?
―――どうして僕の心臓はこんなにもバクバクしているのだろう?
確かに何か衝撃的な体験をしたという記憶が残っている。
しかしその具体的内容は、さっぱり思い出せない。
今僕はここへ【異世界転移】して戻ってきたばかりのはず。
だとすれば、心の中に残るこの“何か衝撃的な体験”は、ここへ【異世界転移】してくる直前、トゥマで発生した可能性が高い。
僕はつい先程まで、そこにいたはずのトゥマでの出来事を思い返してみた。
ユーリヤさんに、用事を済ませてきたいので、トゥマの時間で午後まで地球に【異世界転移】してくる、と伝えた。
ユーリヤさんから、今日の昼間、アリアやクリスさんも呼んで、前回延期になってしまったお茶会を開く心積もりだった事を知らされた。
そのお茶会に参加出来ない事を謝罪して、彼女に残念がられた。
そこには僕の想定する、“何か衝撃的な体験”の記憶が入り込む余地は、全く存在しないように感じられた。
その内に、段々心が落ち着いて来た。
疲れているのかもしれない。
気を取り直した僕は、今更ながら、部屋の中に熱気が籠っている事に気が付いた。
机の上の目覚まし時計に視線を向けると、時刻は午後1時16分。
初冬のトゥマと違い、ここ日本のN市は初夏を迎えている。
僕は机の上のリモコンに手を伸ばし、クーラーのスイッチを入れた。
そして立ち上がり、吹き出してくる冷気を浴びようとして……僕は胸元に焼けつくような熱さを感じた。
慌てて懐に手を入れ、熱の源を探った僕の指先に、硬い何かが触れた。
取り出してみると、それは焼けつくような熱と共に凄まじい輝きを放つ『追想の琥珀』であった
始祖ポポロより始まり、代々の舞女達の想いが凝集した結晶。
メルと本当の意味でさよならを交わした後も、僕はこれをインベントリに収納せず、半ばお守り代わりに懐に入れ、持ち歩いていた。
その『追想の琥珀』がなぜ今になって……って、えっ!?
突然、視界が切り替わった。
火花を散らしながら大爆発する車。
路肩のコンクリート壁に激突した車の上に襲い掛かる高圧電線の断端。
路上に投げ出された僕、そしてその前に体感していたはずの凄まじい衝撃。
進行方向、道路を挟むようにして立つ2本の鉄塔とその間に架かる送電線。
曹悠然との会話……!!??
全ての情景が“逆再生”され、そして僕は、“今”に戻って来ていた。
収まっていたはずの心臓の鼓動が再び大きくなっていた。
なんだ今のは!?
しかし僕の五感の全てが、今“視た”情景が、つい今しがた僕が実際に“体験”したものだと告げてきている。
そして今回は僕の理性もまた、これが“幻視”等ではなく、つい今しがた起こった現実であった事を理解した。
しかしそれなら、これは一体どういう事だ?
まさか衝撃的な体験を目にした瞬間、時間が過去に巻き戻ったとでも言うのだろうか?
深呼吸しながら、今“視た”情景をもう一度思い返してみた時、僕は再び衝撃的な事実に気が付いた。
これが初めてではない!
そう。
思い返した“情景”の中で、僕は激しい違和感と既視感によって、大混乱に陥っていた。
そして今、それら全てが、それ以前に実際体験した出来事によって引き起こされていた事が理解された。
何度も巻き戻っている!?
だとすれば、いつから巻き戻りが始まった?
心を落ち着けながら、僕は今日の出来事を再び思い返してみた。
今朝は起きた時、エレンが僕の寝顔を一晩中眺めていたという衝撃の事実を知らされて……
…………
1回目は、部屋で鈴木が来るのを待っていた時、耳慣れない破裂音を耳にして、ティーナさんと一緒に玄関に向かった所で“巻き戻った”。
2回目は、部屋で鈴木が来るのを待っていた時、拳銃の発射音を耳にして、ティーナさんと一緒に玄関に向かった所で“巻き戻った”。
3回目は、部屋で鈴木が来るのを待っていた時、拳銃の発射音を耳にする前に、ティーナさんを残して部屋の外に出たら、不審な黒い車から出て来た小柄な人物が、拳銃の発射音の直後、頭を吹き飛ばされて殺される場面で巻き戻った。
そして4回目。
つまり今、曹悠然になかば拉致同然で連れ出された先で、突然千切れた高圧電線が道路に降って来て、
それを避けようとした曹悠然が急ハンドルを切り、
しかし路肩に激突してしまった瞬間、衝撃で車外に投げ出された僕の目の前で、
曹悠然がまだ乗っていたはずの黒い車に高圧電線の断端が降りかかり、
飛び散る火花が漏れたガソリンに引火して大爆発した瞬間、巻き戻った。
ここまでの記憶の共通点は唯一つ。
曹悠然が死亡した(と想像出来る状況下も含めて)瞬間、僕は【異世界転移】して地球に戻って来た時間と場所に巻き戻されている?
しかしもし彼女の死が、僕の時間が巻き戻るきっかけになっているとすれば、不可解な問題が多々存在する事になる。
まず、なぜ彼女と僕なのか? という根本的問題。
はっきり言って、彼女と僕とは、表面上の絡みしか無かったはず。
均衡調整課での事情聴取の時に初めて会って、
それから僕のチャットアプリのIDを何らかの手段で調べてメッセージを送りつけてきて、
さらに関谷さん(と鈴木)と潜った押熊第一から出てきた所に、突然現れて、
そして今日、直接会って話をしたいというメッセージを一方的に送り付けて来た。
僕と彼女との間には、ただそれだけの関係性しか存在しない。
次に、では彼女は今どういう状況にあるのか? という問題、
もし彼女が、自分の生命の危機か、或いは何か他の条件か、とにかく何らかの形で時間を巻き戻す事が可能な能力者だったと仮定して、彼女は時間が巻き戻っている事を自覚出来ているのだろうか?
それと、もし彼女が時間を巻き戻す事が可能な能力者だったとして、どうして僕がそれに巻き込まれている?
少なくとも今のところ、この4回の巻き戻りの間、ティーナさんも、関谷さんも、井上さんも、巻き戻っている事を自覚、或いは混乱している様子は見受けられなかった。
僕はとりあえず、今の状況を4回目の時と比較してみる事にした。
まずは……
「オベロン!」
しかし“前回”同様、返事は無いし、姿も見当たらない。
「【異世界転移】……」
“前回”同様、不快な効果音と共に、赤枠に赤字のウインドウがポップアップした。
《!》現在、逾槫鴨に依存するスキルは使用不能になっています。
「ステータス!」
ステータスは“前回”同様、呼び出す事が出来た。
さらに【影分身】と【置換】は使用可能な事、しかし、【ニニ繝ウ繧キ繝】の力は制限を受けている、というメッセージが表示されるだけで、やはり“前回”同様、使用不能になっている事等が確認出来た。
さて、どうするべきか?
ティーナさんに連絡を取り、この巻き戻り現象について相談してみる?
それとも、曹悠然に連絡を取り、この巻き戻り現象について問い質してみる?
散々悩んだ挙句、僕はインベントリから『ティーナの無線機』を取り出した。
そしてそれを右耳に装着してから呼びかけてみた。
「ティーナ……」
すぐにいつもの彼女の声が返ってきた。
『Takashi! 帰ってきたのね? Good timing!』
僕はいきなり用件を切り出した。
「ごめんだけど、いますぐここへ来てもらってもいいかな?」
『Takashiらしくない情熱的なお誘いね。いいわよ。あなたのcuteでspecialなTinaがすぐに駆け付けてあげる』
うん。
彼女の方は平常運転のようだ。
僕自身がこんな状況に陥っているからこそ、だろう。
相変わらずなティーナさんに、図らずも少し癒されてしまった僕の視界の中、部屋の隅の空間が渦を巻いて歪み始めた。




