538.F級の僕はユーリヤさんに、皇帝陛下の居室での出来事を説明する
6月20日 土曜日32
話が一段落ついた所で、僕は改めて、エレンとユーリヤさんが転移であの場を去った後の出来事について説明した。
皇帝陛下は無事解呪出来た事。
見た感じ、体力は落ちてはいそうだったけれど、声には力があり、後遺症も無さそうな雰囲気だった事。
皇帝陛下に事情――と言っても、僕一人で解呪したって説明だけど――を説明していたところ、ニヌルタが近衛兵達を引き連れて乱入して来た事。
ニヌルタが、ユーリヤ様に皇帝陛下を呪詛で冒した嫌疑が掛かっている、と発言した事。
その根拠の一つとして、ユーリヤさんが皇帝陛下に贈ったティーカップが、帝国内に持ち込まれた後、呪具に変えられていたらしい事。
ユーリヤさんが、雇い入れた冒険者である僕を送り込み、皇帝陛下を……
「待って下さい!」
ユーリヤさんが、僕の話を遮ってきた。
「ニヌルタはあなたの事を、私が雇った冒険者だ、と断言したのですか?」
僕は頷いた。
「最初はハッタリかとも思ったのですが、彼が言うには、宮廷特務による内偵で確かめた、と」
「宮廷特務の内偵……」
ユーリヤさんが、何かをじっと考え込む素振りを見せた。
「……ユーリヤさん?」
彼女は僕の声掛けに、ハッとしたように顔を上げた。
「何か気になる点でも?」
「妙ですね……」
「妙、とは?」
ユーリヤさんが首を傾げながら、言葉を返してきた。
「私が初めてタカシさんとお会いしたのは、10日前、あの解放者達による襲撃の時です」
あの日の出来事が、脳裏に鮮明に蘇ってきた。
ゴルジェイさんの軍営を辞した僕達は、その夜宿泊予定だったチャゴダ村に向かう途中、“偶然”、ユーリヤさん達が襲撃を受けている現場に行き会ったのだ。
僕の感慨を他所に、ユーリヤさんが言葉を続けた。
「あの時、私達はまだ属州モエシアを潜行(※気付かれないように移動する事)している最中でした。もちろん、完全とは言えないですが、叔父の息のかかった者達に気付かれてはいなかったはずです。それにもし万一、あの時私達が出会ったという事実を、宮廷特務に把握されてしまっていたとしても、時間的に矛盾が生じます」
「矛盾?」
「あの場所から帝都までは、昼夜兼行で早馬を飛ばしたとしても、10日以上は確実に掛かるはずです。転移能力者でも無い限り、現時点で私とタカシさんがこうして出会っている事を、帝城内の人間が知っているのはおかしいです」
「ですが、ニヌルタは転移能力を持っていますよね?」
僕の言葉を聞いたユーリヤさんが、大きく目を見開いた。
「ニヌルタが? 転移能力を持っている? それは本当ですか!?」
あれ?
宮廷魔導士長であるニヌルタの転移能力、ユーリヤさんは知らなかった?
「ええ。彼は確か転移能力を持っているはずです。ですからここからは僕の推測ですが、自分か、宮廷特務の誰かを僕達の近くに転移させて……」
僕の言葉が終わるのを待つ事無く、ユーリヤさんが声を上げた。
「タカシさん! それはニヌルタ自身が、そう口にした、という事ですか?」
そう言えば、ニヌルタ自身の口から転移云々という言葉は出てはいなかったっけ?
「ですが、彼が転移能力を持っている事は確実です。なぜなら……」
言いかけて、僕は言葉を途中で飲み込んでしまった。
僕がなぜ、ニヌルタが転移能力を持っている事を知っているのか。
それはひとえに、あの世界で、あいつがイヴァンと交わしていた会話を直接この耳で聞き、あいつがメルを転移で連れ去ったのを、直接この目で確認したからだ。
しかしそれを告げる事は、あの世界で僕が何を体験させられたのか、言い換えれば、帝国の将軍が、帝国の掲げる正義の旗の下、いかなる蛮行を働いたのか、帝国の皇太女であるユーリヤさんに告げなければいけない事を意味する。
そして僕はまだ、そのための心の準備は出来ていない。
……そう言えば、こっちに戻ってきた後、どこかで誰かがニヌルタの転移能力に触れていなかったか?
しかしその記憶は、なぜか霞の向こうで曖昧だ。
急に押し黙ってしまった僕に違和感を抱いたらしいユーリヤさんが、顔を寄せてきた。
「タカシさん?」
「は、はい?」
僕は思わず彼女から少し距離を取った。
ユーリヤさんが束の間、怪訝そうな表情を浮かべた後、問いかけてきた。
「タカシさんは、ニヌルタが転移能力を持っているという事を、いつ、どうやって知ったのですか?」
「それは……確か誰かが……」
「タカシさん、これは今後の私達の計画の成否を握る、重要な質問です」
ユーリヤさんが、僕の顔を覗き込んできた。
彼女の顔はいつになく真剣だった。
「答えにくいのであれば、いつどうやって、については話して頂かなくても結構です。ですがこれだけは確認させて下さい。ニヌルタが転移能力を持っているというのは、タカシさん自身でも確認が取れている、確実な話なのでしょうか?」
僕は目を閉じてゆっくりと深呼吸した。
そしてざわついていた心が落ち着くのを待ってから、再び目を開いた。
「はい。ニヌルタが転移する場面をこの目で確認しました」
「それで……ニヌルタ、或いは彼に与する者達は、あなたがその事実を知っている事を把握していますか?」
再度思い返してみたけれど、皇帝陛下の居室で対峙した時、ニヌルタの口から“転移能力”についての話は出なかったはず。
「多分、把握してはいないと思います」
心なしか、ユーリヤさんがホッとしたような顔になった。
しかしすぐに表情を引き締めると口を開いた。
「分かりました。ですが今後の私達の計画の進め方、根本的に見直さないといけないかもしれませんね」
「……それはニヌルタが転移能力を持っているという事実を前提に、計画を練り直すという理解で正しいですか?」
ユーリヤさんが頷いた。
「そうです。恐らく彼の転移能力については、“敵”が意図的に、少なくとも私には知られないように、隠している可能性が有ります。ちょうど私達が、クリスさんやエレンさんの転移能力について、他の方々に伏せているように」
なるほど。
転移能力は。距離と時間の制約を無視した移動を可能にする。
それは転移能力を保持している側は、保持していない側に対して、大きなアドバンテージを得られる事を意味する。
ユーリヤさんが、僕に視線を向けたまま。言葉を続けた。
「タカシさん、ニヌルタが転移能力を持っているという話、他の誰かに伝えたりされましたか?」
僕は首を横に振った。
「ニヌルタの転移能力について僕が口にするのは、今日、この場所が最初ですよ」
「ではそのまま、ここだけの話にしておいて下さい。他のお仲間の方々に今後伝えるかどうかは、私に判断させてもらえないでしょうか?」
「分かりました。ユーリヤさんにお任せします」
元々、僕の立ち位置は、ユーリヤさんの盟友だ。
計画を立て、運命を切り開こうとするユーリヤさんこそが、こうした問題において最終判断を下すのは、寧ろ当然の話とも言える。
彼女が微笑んだ。
「ありがとうございます。それと、もう一つお願いがあるのですが……」
「どんなお願いですか?」
ユーリヤさんは、一度エレンにチラッと視線を向けてから、再び僕に声を掛けてきた。
「エレンさんに、ここに留まって、一緒に行動してもらえないか、お願いして頂けないですか?」
「エレンに?」
もしかして……?
「“敵”の転移能力に対する対策、としてでしょうか?」
「そうです」
僕はエレンに視線を向けた。
「エレン、もしここに留まって、一緒にユーリヤさんを手助けして欲しいって言ったらどうする?」
「あなたの願いを叶えるのが私の喜び。あなたが望むのなら、私は喜んでここに留まる。ただ……」
エレンが少し口ごもった。
「どうしたの?」
僕の問い掛けに、エレンが言いにくそうに言葉を返してきた。
「魔族は帝国では明確に敵対種族だと聞いている。私がここに留まる事は、かえって、ユーリヤに不利に働くのでは?」
「それなら、精霊の力で見た目を変えればいいんじゃないかな?」
州都モエシアの地下で、総督のヴォルコフ卿と対面した時、彼女は精霊の力で人間の冒険者に擬装していた。
ところが、エレンの顔が曇った。
「私は精霊の力を使って、見た目を変える事は出来ない」
「え? だって、この前……」
「州都モエシアの地下での事なら、精霊の力を使用したのは光の巫女」
その言葉を聞いたユーリヤさんが驚愕したような声を上げた。
「待って下さい! 今、聞き間違いでなければ、“光の巫女”という単語が聞こえた気がしたのですが……?」
……そういやノエミちゃんの事は、ユーリヤさんには伝えないつもりだったのに……




