488.F級の僕は、自分が大金持ちになっている事を改めて自覚する
6月19日 金曜日3
机の上の目覚まし時計は、午前10時18分を指していた。
なんだかんだで朝から少し疲れたけれど、つまり、僕が一度向こうに戻ると約束した時間まで、1時間を切っているという事だ。
ちなみにオベロンは、空中にふわふわ静止したまま、僕がつけてやったテレビの前で釘付けになっている。
画面の中では、有名タレントが地域の名店を訪れ、色々リポートするという情報番組の1コーナーが進行中。
ありがちな内容だけど、オベロンにとっては物珍しいのだろう。
時々画面に一人でツッコミを入れながらも、熱心に見入っている。
今のうちに、“井上さんに、イスディフイと僕等の世界の現状について説明して協力を求める”という今日の企画について、ティーナさんや関谷さんと打ち合わせを済ませておこう。
そう考えた僕は、インベントリから『ティーナの無線機』を取り出して、自分の右耳に装着した。
「ティーナ……」
少し間があってから、ティーナさんの囁きが戻って来た。
『Takashi! 帰って来たのね。どう? 向こうの状況は?』
向こうの状況……
昨夕、ティーナさん、そして関谷さんの二人と会話を交わした後、状況は、“大きく”という言葉では言い表す事が出来ない位、変化している。
語り尽くすなら、1時間や2時間、あっという間に過ぎてしまうだろう。
「あっちの状況は、後で時間を作って詳しく説明するよ。それで、昨日話していた、井上さんの件なんだけどね」
『もしかして、Sekiya-sanも交えて話を詰めておこうって事?』
さすがはティーナさん、話が早い。
「うん。お願い出来るかな?」
『Sure! ちょっと待ってね……』
数秒後、エマモードに切り替えたらしいティーナさんから囁かれた。
『中村サン、関谷サン、こんニチは』
『こんにちは』
関谷さんの声だ。
「関谷さん、ごめんね。授業中じゃ無かった?」
今、ここN市は金曜日の午前中。
真面目な大学生なら、当然講義を受けているはずの時間帯だ。
『ううん、大丈夫。ちょうど今、休み時間よ』
「じゃあ、手短に済ませちゃおう。ほら、昨日話していたでしょ? 井上さんにイスディフイについて説明しようって」
『あ、その話ね。中村君は、何時頃だったら大丈夫?』
確か今日は、向こうで午前中、今後について有力者達を交えて協議する事になっていたはず。
協議の結果がどうなるかは分からないけれど、メルの件に区切りがついた今、今日午後からすぐに何かが始まる、と言う事にはならないのでは?
それと、ユーリヤさんからクリスさんを紹介してくれ、とも言われていたっけ。
でも、その事も含めて、午前中に全て済ませてしまう事は十分可能だろう。
と言う事は、午後からは基本、僕は暇になるはず。
「そうだね……午後5時以降位だったら、多分、大丈夫だと思うよ」
『じゃあ、美亜ちゃんにも連絡して、夕方、皆でどこかでご飯でも食べながら……あ、でも、個室がいいよね?』
「そうだね」
僕はオベロンの様子を、チラッと横目で確認してみた。
彼女は変わらず、テレビに夢中のようだ。
夕方、関谷さん達と会うなら、こいつもやっぱり連れて行く事になるだろうし……
「実はちょっと皆に紹介しておきたい奴がいてね」
『紹介?』
「うん。ちょっと訳ありの奴なんで、なおさら個室、それも監視カメラとか無さそうな所がいいかな」
音声拾われなくても、監視カメラにオベロンが映り込むだけで、ちょとした騒ぎになりかねない。
それまで僕と関谷さんのやりとりを聞いていただけのティーナさんが、問い掛けてきた。
『中村サンの言う“訳あリノ奴”って、どンナ人でスカ?』
「まあ、人というか……」
自称精霊王なんだけど。
関谷さん、そしてティーナさんと一緒に訪れたあの謎の空間で会話を交わした……
「話すとちょっと長くなりそうだから、実際、見せながら説明するよ」
『でシタら……』
ティーナさんが言葉を返してきた。
『JMマリオネットホテルの部屋を借リテ、ルームサービスを頼むノハいかがデスか?』
JMマリオネットホテルは、N市の中心街近くに建つ、外資系の瀟洒なホテルだ。
以前、曹悠然が僕に接触してきた時、代わりに関谷さんとティーナさんに話を聞きに行ってもらった場所でもある。
確かに高級ホテルの一室を借り切ってしまえば、セキュリティー上の問題――というか、オベロンを無関係の第三者に見られてしまう危険性――は解決しそうだけど……
「それ、高くない?」
詳しくは無いけれど、少なくともウン万円って単位になるのでは?
と、無線機の向こうでティーナさんが吹き出すのが聞こえた。
『ちょ、ちょっと! それ、本気で言ってる?』
……どうでもいいけど、ティーナさん、素に戻っているよ?
「いや、別におかしなことは言ってないと思うんだけど。ねえ、関谷さん?」
『中村君、なんだったら、私が出そうか?』
「いやいや、それは悪いよ」
『ちょっと、Takashi!』
完全に素に戻っているティーナさんからの声が届いた。
「なに? エマさん」
『今、modeを切り替えたから、Sekiya-sanに私達の会話は届いてないわ』
なんでまた、グループトーク設定を切ったのだろう?
『ねえ、S-rankの魔石、あなたいくつ持っている?』
「いくつって……あ!」
言われてみれば、均衡調整課で換金すれば1個10億円で引き取ってもらえるSランクの魔石だけでも、40個近く、インベントリに収納してある。
他、諸々合わせれば、その気になれば魔導電磁投射銃を即金で買える位のお金は持っている計算だ。
『その気になったら、hotelごと買い取ってownerにだってなれちゃうわよ?』
そんな事言われても、長年沁みついた貧乏性は急には抜けないわけで。
『あんまり長時間放置しちゃうと、Sekiya-sanに不審がられるから、戻すわよ?』
そしてすぐに、少し慌てた感じの関谷さんの声が聞こえてきた。
『……か村君? エマさん?』
「関谷さん、聞こえてるよ」
『関谷サン、すみマセン、機械の不調だっタヨウです』
『良かった。急に声が聞こえなくなったから、どうしたのかとちょっと心配になっていました』
なんだか相変わらず関谷さんの人の好さが滲み出る発言。
「そうそう、さっきの話だけどさ。高級ホテルの一室借り切った方が、落ち着いて話も出来るし、ついでに美味しい物を食べてのんびりするのもいいかもね」
いくらかかるか知らないけれど、まさか魔導電磁投射銃を買うよりはお金、かからないはず。
『そうよね。なんだったら、今回は私が出すから安心して』
「心配しないで。よく考えたら、AランクやSランクの魔石、いくつか持っているし、それ換金したら、多分、ホテル代払っても余裕でお釣り来ると思うから」
『部屋の手配は、私に任セテ下さい。JMマリオネットでコンシェルジュしテイる知り合いが居マスカら』
『じゃあ、美亜ちゃんへの連絡は私がするとして……実際、予約を取れたら教えてもらってもいいですか?』
『分かリマした。とりアエず、夕方6時半でドウデしょう?』
『大丈夫です』
「僕の方も大丈夫だと思うよ。今日は日中、あっちで過ごしていると思うから、こっちに戻ってきたらまた連絡するよ」
『了解デス』
『うん。分かった。気を付けてね』
関谷さん、そしてティーナさんとの無線機を介した会話を切り上げた僕は、オベロンの様子を確認してみた。
彼女はまだ、テレビに釘付けの様子であった。
画面の中は、今やトレンドと化した感のある、米中両国で発生中のスタンピードについての話題に切り替わっていた。
オベロンは画面を凝視しながら、なにやらぶつぶつ呟いていた。
「……べばどうせ一緒に消え去るじゃろうが……放っておいたら、あやつの力を強めてしまうし……」
「オベロン?」
「はぅわぁ!?」
空中にふわふわ静止しているオベロンが、バック転しそうな勢いで、大きく仰け反った。
僕は苦笑した。
「驚き過ぎ!」
こちらに向き直ったオベロンは、ややむくれた雰囲気になっていた。
「おぬし、急に声を掛けられれば、誰でも驚くわい!」
「でも、声を掛けるよって予告は不可能だよね?」
予告した時点で、声掛けが発生しているし。
「そんな屁理屈を……はっ!? さてはおぬし、いたいけな美少女を驚かせて悦に入るという……」
「それはもういいいから」
僕はオベロンの言葉を遮った。
「そろそろあっちに戻るよ」
テレビとエアコンのスイッチを切った僕は、【異世界転移】のスキルを発動した。




