478.F級の僕は、エレンが転移の魔法陣について説明するのを聞く
6月18日 木曜日29
視界が先程の空き地に切り替わった瞬間、恐らく生まれて初めて転移を経験したのであろう、ゴルジェイさん他、有力者達の間にざわめきが広がった。
「一瞬にして移動したぞ……」
「これが転移……」
そんな中、同行していたマトヴェイさんが地面にしゃがみ込み、何かを熱心に確認し始めた。
その時になって僕は、地下にも描かれていたのと同じような、精緻な幾何学模様が地面に描き出されている事に気が付いた。
隣に立つエレンに、そっとたずねてみた。
「ここにも魔法陣が描かれている感じだけど?」
「転移の魔法陣は、入口と出口の二つが対になっている。入口を作って転移先を設定すれば、出口にも同じ魔法陣が出現する」
なるほど。
つまり、神樹や富士第一の転移ゲートと同じ仕組みって事のようだ。
ゴルジェイさんが、同行した幕僚達に大声で指示を出すのが聞こえてきた。
「この場所に守衛の兵を配置する手はずを整えろ。それと、篝火も出来るだけたくさん持ってこさせるんだ。後は……」
ゴルジェイさんが、僕の方に顔を向けて来た。
「地下からここへ転移して来る予定の住民の数は、約1万人と話していたな? 重傷者等、手当が必要な者の人数は分かるか?」
僕はエレンに視線を向けた。
僕の視線に答える形で、彼女が口を開いた。
「住民の総数は11,032人。怪我を負っている者は……今はいない」
遠隔視か何かで確認したのであろう。
エレンが淡々と説明した。
「そうか……」
ゴルジェイさんは少し考える素振りを見せた後、再び幕僚達に声を掛けた。
「住民達は数日間、絶飲食を強いられていたはず。一応、炊き出しの準備もさせておけ」
「かしこまりました」
と、しゃがみ込んで魔法陣を調べていたと思われるマトヴェイさんが立ち上がった。
彼が、エレンに声を掛けてきた。
「エレン殿……でしたかな。この魔法陣は、お一人で構築されたのか?」
エレンが黙って頷くのを目にしたマトヴェイさんの目が、大きく見開かれた。
「なんと……エレン殿はこれ程までに見事な転移の呪法、どのようにして身に付けられたのじゃ? いずこかの高名なアカデミーか大学で学ばれたご経験をお持ちか?」
エレンは少し怪訝そうな表情になってから、首を振った。
「私は誰からも魔法を教わったりしていない。転移能力は生まれつき」
「生まれつき……!」
少し絶句した後、マトヴェイさんがエレンに探るような視線を向けて来た。
「失礼ですが、エレン殿は……実は人間ではない?」
僕の背中をサッと緊張感が走った。
エレンは、精霊の力で人間の女性に擬装してはいるけれど……
しかしエレンは小首を傾げてから、のんびりした口調で言葉を返した。
「あなたに私がどう見えているのか分からないけれど、私は私」
答えになっているようでなっていないその言葉を聞いたマトヴェイさんが、噴き出した。
「フワッハッハッハ! 面白いお方じゃ」
そして僕に声を掛けてきた。
「さすがは、単独でカースドラゴンを撃破し、解けないはずの呪いを解き、複雑極まりない魔法陣をあっけなく書き換えて見せたルーメルの勇士殿のお仲間じゃ。世界は広いという事ですな」
僕等の話が一段落つくのを待っていたかのように、ゴルジェイさんが口を開いた。
「お前は一度、地下に戻るのだろう?」
僕は頷いた。
ここに来て、30分近くは経過しているはず。
そろそろ戻らないと、あのグレーブ総督達が、僕の仲間達に難癖付け始めるかもしれない。
「では、俺も一緒に地下へ連れて行ってはもらえないだろうか? 俺自身の目で、親父や住民達の状況を確認しておきたい」
ゴルジェイさんを?
一瞬戸惑ったけれど、彼のその申し出は、僕等にとっては返って好都合かもしれない。
彼を同行して戻れば、彼と話す事で、グレーブ総督が僕等に向けている(らしい)猜疑の目を和らげることが出来るかもしれない。
「分かりました。それでは一緒に参りましょう」
転移の魔法陣を使って地下に戻って来ると、魔法陣の脇には、僕の仲間達以外に、グレーブ総督達の姿もあった。
僕と一緒に転移して来たゴルジェイさんに気付いたらしいグレーブ総督が声を上げた。
「ゴルジェイか!?」
「父上、それに兄上も! よくぞ御無事で」
ゴルジェイさんから、兄上と呼びかけられていたのは、グレーブ総督のすぐ後ろに立つ、仕立ての良さそうな衣服を身に付けた、やせぎすの壮年の男性であった。
そう言えばグレーブ総督の次男で、ゴルジェイさんのお兄さんに当たる人物も、州都モエシアで受難した、とマトヴェイさんが話していた。
「ゴルジェイ、そこの冒険者共の話では、お前が軍を組織して、州都モエシアの城外に布陣しているとか」
「はい。幸い、ルスラン殿の御助力を得る事が出来まして、一両日中には、数千の兵力が参集する予定になっております」
ルスランという名に聞き覚えは無いけれど、ゴルジェイさんが敬称付きで呼んでいるところを見ると、恐らくここ属州モエシアの有力者の一人なのだろう。
「では、今手元にある兵力は?」
「約三千にございます」
「州都モエシアに立て籠もる敵の兵力は?」
「正確な数字は把握出来ておりませんが、人モドキ共だけなら数百匹単位かと。ですが総督府周辺に結界を張り、恐らく多数のモンスター供も引き連れておりますので、油断は禁物でございます」
グレーブ総督が満足そうな笑顔になった。
「ゴルジェイ、やるではないか。この戦役に目処がついたら、お前の階級も一つ二つ上げねばならんな」
「有り難きお言葉……」
その後も和やかに交わされていく親子の会話。
と、グレーブ総督が何気ない風で、僕等に声を掛けてきた。
「そう言えば、この転移の魔法陣を構築したのは、エレンとかいう名の冒険者であったな?」
「はい」
頷きながら、エレンの方に視線を向けた。
因みにエレンは僕等の会話に関心が無いのか、どこ吹く風と言った雰囲気だ。
「他に転移の呪法を使用出来る者は?」
僕はクリスさんに視線を向けた。
しかし彼女は、僕にだけ分かるように小さく首を振った後、口を開いた。
「転移の呪法を心得ているのは、そこにおりますエレンのみで御座います」
グレーブ総督は、今度はエレンに直接問い掛けた。
「転移の魔法陣で100人ずつ地上に送ると申していたな。魔法陣はお前が作動させるのか?」
エレンが首を振った。
「私がいなくても転移は可能。魔法陣の中に立ち、誰でもいいから中心部の丸い部分を踏むだけ」
「その際、何か詠唱の言葉、或いは魔力の消費は?」
「必要無い。作動させるのに必要な術式は全て組み込んである。ただし魔法陣の中に100人以上立っても、一度に転移出来るのは100人だけ」
「転移の魔法陣は、一方通行か? つまり、こちらからは100人送れるが、向こうからは100人送る事は出来ないといった制限はあるのか?」
エレンが再び首を振った。
「地上にあるのもここにあるのも同じ。中心部の丸い部分を踏めば、双方向とも、一度に100人までなら転移可能」
エレンの返事を聞いたグレーブ総督が、ゴルジェイさんに声を掛けた。
「ゴルジェイ、一度地上に戻り、この女の言う通りにして、本当に兵士を100人ここへ転移させられるかどうか、確かめて来い」
「かしこまりました」
ゴルジェイさんは、すぐに転移の魔法陣の中心に向かって歩き出そうとした。
それを、グレーブ総督が呼び止めた。
「待て、イグナートも連れて行け」
イグナートと呼ばれた、ローブを纏った初老の男性が進み出た。
ゴルジェイさんは、イグナートと共に魔法陣の中央付近に立った。
彼が魔法陣の中心部、丸い部分を足で踏むと、二人の姿は掻き消すように消え去った。
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おやおや、どうも面白い事になりそうじゃな。
妾はもうしばらく高みの見物を決め込むとするかのう……
ズズズ……
うむ。
煎茶はやはり一番茶に限る!