473.F級の僕は、敵方の魔族と対峙する
6月18日 木曜日24
視界が切り替わった先もまた、薄暗く柱の無い大広間のような空間であった。
頭上十数m程の高さに、石材のような素材で構成された高い天井が、ぼんやりとではあるが確認出来た。
水平方向に視線を向けると、2~30mより先は闇に閉ざされ、奥行きを見通す事は出来ない。
そして天井と同じく、石材のような素材で構成された床の至る所に、大勢の人々が倒れこんでいた。
エレンとノエミちゃん、そしてクリスさんが、その場で一斉にしゃがみ込み、床を熱心に観察し始めた。
その時になって僕は、この場所の床一面に、巨大で複雑な幾何学模様が描かれている事に気が付いた。
「これが禁呪を発動させている魔法陣だと思うんだけど、どうかな?」
魔法陣の一部を指でなぞりながら、クリスさんがエレンに問い掛けた。
「そう。これを書き換えれば、ここに居る人々を目覚めさせる事が出来るはず」
「それじゃあ、早速僕等で手分けして書き換え……」
クリスさんが言葉を途中で切り、ふいに立ち上がった。
同時に、エレンとノエミちゃんも同じように立ち上がった。
クリスさんが闇の向こうに鋭い視線を向けた。
「隠れていないで姿を見せたらどうだい?」
その言葉に応じるかのように、僕等から10m程離れた場所の空間が揺らめいた。
そして一人の人物が姿を現した。
黒っぽいローブを纏うその人物の、白髪に覆われた頭部には特徴的な一対の角が見て取れた。
「ふふふ、やはりこの程度の術ではお前達から身を隠す事は出来ないか」
僕は抱えていたメルの身体をそっと床に横たえてから、右手にヴェノムの小剣(風)を構え直した。
年齢不詳、恐らく魔族と思われるその男の視線がメルに向けられた。
「エレシュキガル様の祝福を受けし舞女の力をもってしても、事は成就しなかったか……」
嘆息する男を、ノエミちゃんが睨みつけた。
「魔族よ、仲間達と共に大人しくこの地を去るか、私達に斃されるか選びなさい!」
「イシュタルの眷属よ」
男が静かに言葉を返してきた。
「勇者に光の巫女、そして忌み子に依り代。この状況でお前達に勝てると思う程、自分達の力を過信してはいない。それにエレシュキガル様再臨の儀が失敗した以上、黒い負の感情を凝集させる禁呪も無意味なものとなってしまった」
男が右手を上げ、指をぱちんと鳴らした。
途端に、この広間の床全体が不規則に発光し始めた。
そしてあの全身総毛立つような異様な感覚が襲い掛かってきた。
思わずふらついた僕の様子に気付いたらしいターリ・ナハが、背中に手を添え、支えてくれた。
「タカシさん、大丈夫ですか?」
心配そうに覗き込んでくるターリ・ナハの背中越しに、苦し気な様子のエレンが、床に手をつくのが見えた。
「タカシ様? それにエレン!?」
ノエミちゃんが一瞬驚いたような表情を見せた。
しかしすぐに彼女は男に視線を戻し、厳しい声で問いただした。
「黒い負の感情をここへ逆流させていますね?」
彼女が何かを唱えると同時に、僕を襲っていた異様な感覚が,潮の引くようにすーっと消えていくのが感じられた。
男の顔が残忍に歪んだ。
「逆流も何も……」
男が再び指をパチンと鳴らした。
「我々には不要になったので、元の持ち主達に返してやろうというだけの話だ」
床に横たわっていた大勢の人々が、のろのろと起き上がっていくのが見えた。
クリスさんが鋭い声で警告を発した。
「気を付けて! 彼等は“まだ”目覚めていない!」
目覚めていない?
どういう意味だろう?
しかし僕がその疑問の答えに辿り着く前に、魔族の男が声を上げた。
「では後始末はお前達に任せて、我々は“大人しく”退散するとしよう」
転移の魔法を発動しようとしたのだろう。
男の身体が揺らめいた。
瞬間、クリスさんが何かを唱えながら右手を前に突き出した。
彼女の少し前方、何も無い中空に、凄まじい勢いで魔法陣が描き出された。
「ぐぅぅ……!」
男が苦し気に身を捩った。
「このまま逃げられると思ったのかい?」
クリスさんが右手で何かを引く動作をした。
それと連動するかの如く、魔族の男の身体が、クリスさんの描き出した魔法陣へと引き寄せられた。
「こいつは拘束して、情報を……」
言いかけたクリスさんが、突然身を躱した。
今までクリスさんが居た場所に、棍棒が振り下ろされていた。
「新手!?」
男の仲間が現れたのかと思ったけれど、意外な事に棍棒を振り下ろして来ていたのは、さっきまで床に倒れていた街の住民の一人と思われる中年の男性だった。
男性は何かぶつぶつ呟いてはいるが、その目は虚ろであった。
いつの間にか、周囲は異様な状況に陥っていた。
起き上がった人々は、皆、先程の中年男性と同じく、目が虚ろなままのろのろと、ある者は異様な叫び声を上げ、またある者はぶつぶつ不明瞭な言葉を呟きながら、手近な者同士、争い始めていた。
―――うぉぉぉ!
―――殺してやる……殺してやる……
―――これは全部俺のモノだ! お前達には銅貨1枚とて渡さんぞ!
「一体何が!?」
「恐らく悪夢に操られているかと」
しばし呆然とその場に佇んでしまった僕に、ノエミちゃんが推測を聞かせてくれた。
「逆流した黒い負の感情が、禁呪の効果で、より強烈な悪夢となって皆を突き動かしていると思われます」
つまり街の住民達はいまだ目覚めぬまま、夢遊病のような状態で相争っている!?
「どうすれば……」
戸惑っていると、クリスさんが申し訳無さそうな声を上げた。
「ごめんよ。あいつに逃げられてしまった」
話していると、今度は若い女性が包丁を振り回しながら僕等の方に突進してきた。
―――ガキン!
しかし彼女の振り下ろした包丁は、僕等から数m程離れた場所で、見えない何かに弾かれた。
「防御結界を張った」
エレンが説明してくれた。
「この人達を悪夢から解放するには、床の魔法陣をなんとかしないといけない。だけど……」
エレンが珍しく口ごもった。
クリスさんが代わって言葉を続けた。
「魔法陣は多分、縦横500m以上に渡って描かれている。これだけ巨大な魔法陣を調べながら書き換えていくには、僕等で手分けしたとしても、1時間近くかかってしまう可能性があるんだ。だけどこの状況でそれだけ時間をかけていれば、その間に、悪夢に操られた人々がお互いを傷つけあって、とんでもない事になってしまうのは目に見えているからね。麻痺系、或いは拘束系の魔法で行動を阻害するにも、人数が多過ぎるし……」
クリスさんの言葉に、勝ち誇った感じの声が被せられた。
「じゃから言ったであろう? 無駄な事は止めておけ、と。今からでも遅くない。早々にここを退散するのじゃ」
声の方向に視線を向けると、結局ここについて来ていたらしいオベロンが腰に手を当て、無い胸を張って、空中でふんぞり返って……そうだ!
僕はオベロンに声を掛けた。
「さっきみたいに、時間の流れに干渉してくれないか?」
オベロンは僕との契約の前後、僕以外の時間の流れを極限まで遅らせていた。
僕等以外の時間の流れを遅らせる事が出来れば、その間に魔法陣を書き換え、人々を悪夢から解放する事が出来るはず。
オベロンの眉根がピクっと撥ねた。
「そ、それは……無理じゃ!」
「なんで?」
「その……あんまりやり過ぎると、やつらに気付か……あ、いや、その……“く、くるーたいむ”があるのじゃ!」
「くるー……もしかして、クールタイム?」
「そう! それじゃ! 実はアレは、一年に数回しか使えぬ大技なのじゃ!」
本当だろうか?
首を捻っていると、僕等の話に聞き耳を立てていたらしいクリスさんが話しかけてきた。
「時間の流れに干渉って、何の話だい?」
「実は……」
説明しようとした矢先、オベロンが声を被せてきた。
「あ、いや、これは妾達だけの内輪の話なのじゃ! 部外者は入って来てはならぬのじゃ!」
僕は、クリスさんの方を向いて騒ぐオベロンの背後からそっと近寄り、空中に静止する彼女を左手で掴み取った。
「別に僕達だけの秘密の話じゃ無いでしょ?」
「こりゃ! 離すのじゃ! いたいけな少女を鷲掴み……モガフガ」
僕は空いている右手で、ジタバタ暴れているオベロンの口を封じながら、クリスさんを含めたその場の全員に、改めて説明の続きを行った。
「……そんなわけで、オベロンが協力してくれたら、魔法陣を書き換える時間を稼げると思ったんですが……」




