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452/694

452.F級の僕は、『追想の琥珀』に封じられし想いを追体験する


6月18日 木曜日3



始祖ポポロより始まる、歴代の舞女(みこ)達の記憶の奔流の中で、“あの夢(第439話)”の続きが語られる……



エレシュキガルが自らの創造物達に植え付けざるを得なかった黒い負の感情は、一方で彼等自身の向上心を醸成(じょうせい)し、社会を発展させるのに欠かせない感情でもあった。

彼女は、創造物達が日々生み出す黒い負の感情の内、過剰と判断した分を定理晶(じょうりしょう)を使って回収し続けた。

そしてその全てを自身の神性によって浄化し、この世界に自身が実体として留まる代償(コスト)として消費し続けた。

彼女の慈愛の眼差しの(もと)、創造物達とこの世界は発展し続けた。

同時に生み出される過剰な黒い負の感情も次第に増加し続けた。


永遠に続く事が約束されていたはずの楽園。

しかし徐々にその(ほころ)びが顕在化していく……


際限なく増え続ける膨大な量の黒い負の感情は、やがて彼女の神性による浄化の許容限界を超えた。

誰も――彼女自身ですら――気付かない内に、それはゆっくりと、しかし確実に彼女自身を(むしば)み始めた。

黒い負の感情による侵蝕は、徐々に彼女自身を変えていった。

それは甘く、麻薬のように彼女を魅了していった。

いつしか彼女は、より多くの黒い負の感情を欲するように変容していった。


やがて彼女自身の手により、楽園に魔族を頂点とした厳格な階級制度が導入された。

楽園に住む者達は、その能力によってでは無く、種族の違いによって評価(差別)される事になった。

そして彼女自身の御座所であった神樹の各階層には、モンスターが配された。

神樹の最上層、空中庭園に留まる彼女に会う栄誉を欲する者達は、モンスターに挑み、神樹を昇ろうとするようになった。

彼女にとって、彼等がモンスターと死闘を繰り広げるさまを眺めるのは、愉悦(ゆえつ)を伴う娯楽となった。

歴代の舞女(みこ)達の(いさ)めの言葉も、最早(もはや)彼女の耳に届く事は無くなってしまった。


こうして楽園は失われた。

凄まじい差別、嫉妬、怨嗟、憤怒……ありとあらゆる種類の黒い負の感情が渦を巻き、人々から笑顔を奪い去った。

この世界は、エレシュキガルに、ただ黒い負の感情を捧げるためだけに存在する、魂の牢獄と化していった。


しかし全てが手遅れになる直前、一人のエルフの少女が万難(ばんなん)を排して神樹を昇り、空中庭園に至る事に成功した。

彼女こそ、後にダークエルフへと堕とされた者達によってその名を受け継がれていく舞女(みこ)アルラトゥ。

そしてアルラトゥと邂逅(かいこう)する事で、エレシュキガルの中に僅かに残されていた光もまた、警告を発する事に成功した。

(いつく)しむべきこの世界にとって、自らが災厄と化してしまった事を自覚したエレシュキガルは愕然とした。

しかし侵蝕を受け、変容してしまった彼女には、取れる選択肢が(ほとん)ど残されていなかった。


彼女は残された光を切り離し、この世界に生きる一人の少女へと転生させる事で、彼女自身の浄化を図る事にした。

同時に、光を切り離した後の自分が完全に闇に堕ちる事を予測して、同じ高次元の存在であるイシュタルに助けを求めた。

イシュタルはエレシュキガルの召喚に応じて、この世界へとやってきた。

エレシュキガル、イシュタル、そしてアルラトゥの三者によって、壮大な、しかし欺瞞(ぎまん)に満ちた神々の戦いが計画された。


そして戦いが始まった。

アルラトゥの教唆(きょうさ)により、彼女の妹、ノンナは事情を知らされる事無く、イシュタルの祝福を受けて初代の光の巫女となった。

イシュタルを擁し、エレシュキガル打倒の旗を掲げた彼女は、人々を率いて立ち上がった。

アルラトゥ自身は当初の計画通り、光を切り離し、完全に闇へと身を堕とした“魔王”エレシュキガルの側に立ち、妹が率いる“反乱軍”と対峙した。

全世界を巻き込んだ大戦に発展するかに見えたこの戦いは、しかし呆気(あっけ)ない形で幕切れとなった。

エレシュキガルが()いた階級制度の最下層、獣人族の英雄カルク・モレが、イシュタルより与えられし無銘刀(第157話)を振るい、この世界における“魔王”エレシュキガルの実体を破壊する事によって。


実体を失った“魔王”エレシュキガルは、次元の狭間へと放逐され、世界は解放された。


アルラトゥとイシュタルは、開戦前に結んだ“密約”を巧妙に覆い隠そうとはしたものの、闇に堕ちた“魔王”エレシュキガルを完全には(あざむ)く事が出来なかった。

アルラトゥの裏切りに気付いた“魔王”エレシュキガルは、放逐される直前に、ポポロの血脈に呪いを投げかけた。

呪いにより、ポポロの血脈は、唯一、イシュタルの祝福を受けていたアルラトゥの妹、ノンナ(光の巫女)を除いて、全てダークエルフへと堕とされた。


全てが終わった後、イシュタルは、エレシュキガルが残した光が芽吹くまで、この世界の新しい“管理者(創世神)”として、神樹最上層の空中庭園に留まる事になった。

勝利を収めたノンナを始めとする人々は、イシュタル降臨前の歴史を忌まわしい物と考え、記録から全て抹消する事にした。

こうして創世神イシュタルを(あが)める世界が成立した。


見かけ上、“魔王”エレシュキガルの側に立ったアルラトゥは、世界から拒絶される事となった。

新しく成立した世界が再び混乱する事を嫌った彼女(アルラトゥ)は、(ノンナ)にすら真実を告げる事無く、世界からの(そし)りを甘んじて受け入れる道を選んだ。

彼女は一族を率いて隠遁(いんとん)した。


世代を()るに従って、真実を知る者達は姿を消していった。

ただ、代々の舞女(みこ)達のみが、継承の儀によって、真実を文字通り“継承”していく事になった。

やがて徐々に数を増やしていったダークエルフ達の中には、外の世界へと出て行く者も現れるようになった。

しかし彼等はその辿(たど)ってきた歴史的経緯から、魔族と同じく、イシュタルを信仰する事は無かった。

そのため、イシュタルの光の民を自称するエルフ達からは、常に敵対的な目で見られ続けてきた。


500年前、“魔王”エレシュキガルがこの世界へ再臨を図った時、多くのダークエルフ達は、魔族達と共に、魔王に忠誠を誓う事になった。

ただ、当代の舞女(みこ)であった“アルラトゥ”が率いる一族のみは、“魔王”エレシュキガルに(くみ)する事を嫌い、魔の森の一角、霧境(けっかい)に護られたルキドゥスの地へと移り住む事になった。

こうして彼等は、あの運命の日を迎える事になった……

…………

……


夢から覚めるように、意識がゆっくりと覚醒していく。

しかし今回の“夢”はどうやら、忘却の彼方へと去ったりはしないらしい。


僕の右手の中の『追想の琥珀』を、僕の右手ごと、自身の両手で包み込んでいるユーリヤさんが、呆然とした雰囲気で(つぶや)いた。


「今のは……一体……」

「何が“視え”ました?」


彼女は呼吸を整える素振りを見せながら口を開いた。


「始祖ポポロより始まり……イヴァン将軍に最後の舞女(みこ)、アルラトゥが殺されるまでの……歴代の舞女(みこ)達が目にしてきたと思われる……“情景”です。ですがこれは……これがもし真実の歴史だというのなら……」


彼女が“視た”情景が、彼女自身にとって余りに衝撃的すぎたのだろう。

彼女はそこで絶句してしまった。

それはともかく、彼女と僕は、どうやら同時に同じ情景を目にしたようだ。


「もしかしてユーリヤさん、僕にもその情景を“視せて”くれました?」


ユーリヤさんがやや(いぶか)しげな表情になった。


「何のお話でしょうか?」

「いえ、実は僕もたった今、恐らくユーリヤさんが“視た”のと同じ情景を目にしたんですよ。僕は物の来歴を“視る”能力を持ってはいないですし、そもそもこの『追想の琥珀』を託されて以来、そんな情景を目にした事も無かったので、てっきりユーリヤさんが視せて“くれたのかと」


ユーリヤさんが小首を傾げた。


「それは……不思議な話ですね。私はこの能力を使って自分が“視た”情景を、他者に“視せる”能力は持っていないんですよ」

「そうなんですね……」


では何故(なぜ)今、あんな情景が“視えた”のだろうか?

改めて“視えた”情景を思い起こした時、不思議な事に気が付いた。


情景は、イヴァンに敗れた“アルラトゥ”が、息を引き取る瞬間で終わっていた。

しかしその場に居て、彼女と会話を交わしたはずの僕の存在は“記録”されていないのだ。

もしかすると、あの世界が、僕にとっては“過ぎ去った幻影”のような世界だった事と関係しているかもだけど……

そんな事を考えていると、ユーリヤさんがおずおずと問い掛けて来た。


「タカシさんはその……コレ(追想の琥珀)を一体、どなたから託されたのか……お聞きしてもいいですか?」



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