426.急転
6月17日 水曜日40
「言うは易しでな。普通はMP0になればよくて酩酊、悪くすれば昏倒するわい」
愉快そうに笑う“アルラトゥ”のその言葉は、僕を少なからず混乱させた。
「それではなぜ、そんな“重大な秘密”を僕に教え……」
その時、魔法陣の直上に浮かぶ黒い結晶体――定理晶――が数回激しく明滅した。
それに気付いたらしい“アルラトゥ”の口元が一瞬強張るのが見えた。
「いよいよ……」
「いよいよ?」
しかしその強張りは、僕が彼女の言葉を反射的に聞き返した時には消え去っていた。
“アルラトゥ”が、なんでもないような雰囲気で立ち上がった。
「さて、そろそろドルメス達の様子でも見てこようかのう」
「それじゃあ私も……」
続けて立ち上がろうとしたメルを、なぜか“アルラトゥ”が押しとどめた。
「なに、ちょっと様子を見て来るだけじゃ。すぐに戻って来るゆえ、タカシ殿と留守番していておくれ」
そして“アルラトゥ”は僕に顔を向けてきた。
「それとタカシ殿……」
「はい」
慌てて立ち上がろうとした僕の耳元に、彼女が顔を寄せて来てそっと囁いた。
「そなたは恐らく日暮れを待たずにこの地を去る事になる。だからそれまでの間で構わぬ。どうかメルの事を守ってやって欲しい。あの子はわしらにとって希望の光なのじゃ」
中腰の姿勢のまま、僕は思わず彼女の顔を見返した。
「それは一体、どういう……」
しかし彼女は僕の問い掛けに答える事無く、口元に笑みを浮かべたまま、すぐに僕の傍を離れてしまった。
そして素早く何かを唱えると、虚空へと溶けるように消えていった。
メルと二人、この場所に残される形になってしまった僕は、芝生の上に座り直した。
メルの方に視線を向けると、彼女はなぜか一人でにこにこしている。
その雰囲気に違和感を抱いた僕は、彼女に声を掛けてみた。
「なんか、楽しそうだね」
口にしてから違和感の正体に気が付いた。
ここはドーム状の閉鎖空間だ。
芝生が広がり、中央に魔法陣が描かれた丸い円盤状の床と、その直上に浮遊する定理晶が存在するだけ。
見える範囲内に、メル位の年代の少女が喜びそうなおもちゃや遊具みたいなものは存在しない。
にも関わらず、彼女はとても楽しそうなのだ。
僕の言葉を聞いたメルは、ハッとしたような表情をした後、すぐにはにかむように俯いた。
「ごめんね。皆の話があまりに面白かったから……」
「皆って……」
少し考えてから、ある事に思い当たった。
もしかして?
そして彼女の次の言葉が、僕の推測を肯定した。
「精霊達」
「ここにもいるんだ」
僕には見えないどころか、気配さえ感じ取れないけれど。
「うん。ここは皆にとっても、凄く居心地がいいんだって。だからいっぱいいるよ」
「そうなんだ。僕もその精霊達と話せれば……」
……あれ?
“精霊”と話をした事、無かったっけ?
いや、精霊を認識できない僕が、会話を交わした事、あるはずないよな……
なぜか僕の右手が自然に腰のベルトへと伸びていた。
しかしながら、そこには当然“何も差さっていない”。
と、いきなりメルの表情が曇った。
「どうかした?」
しかしメルは僕の問い掛けに言葉を返す事無く、ひたすら何かに集中する素振りを見せたまま固まっている。
そのまま見守る事数秒。
彼女が弾かれたように顔を上げた。
「大変!」
彼女の顔に、明らかな焦りと動揺の色が浮かんでいた。
「どうしたの?」
彼女が上ずった声で告げて来た。
「悪い人間がやって来たって。それで皆が……殺されちゃうかもって!!」
「皆って、精霊達?」
彼女は激しく首を振った。
「違うよ! ルキドゥスの人達の事だよ! ドルメスさんが……殺されたって!!」
ドルメスが?
殺された!?
僕はここへ来る直前、メルや“アルラトゥ”達と会話を交わしていた、あのやや大柄なダークエルフの姿を思い起こした。
彼の姿を最後に見て、まだ1時間も経過してはいないはず。
なのに……!?
僕は無理矢理心を落ち着けながら、目の前で震える少女に優しい口調で問いかけた。
「メルはどうしてその事が分かったの?」
「精霊達が……」
精霊達が教えてくれたって事だろうか?
「状況、もう少し詳しく分からないかな? それと、舞女様は……」
“アルラトゥ”はここを去る前、“ドルメス達の様子を見て来る”と話していた。
さらに彼女は僕に、“メルを守って欲しい”とも囁いてきた。
まさか彼女もまた、僕の知るアルラトゥ同様、未来が視えていた……?
「舞女様は皆と一緒に居るって。レイラさんやロビンさんやソロンさん達と一緒に。だけど……!」
メルは今この場で、悲惨な情景を目の当たりにしているかのように顔を引きつらせた。
僕は彼女の両肩をそっと掴んだ。
「落ち着いて。精霊達に舞女様達を助けるようにお願いできない?」
メルと同じく精霊達を認識できるノエミちゃんやノルン様は、強力な精霊魔法を使用していた。
「無理だよぉ……」
メルの両目から涙が溢れ出して来た。
「精霊達は優しいから、戦ってってお願い出来ない……」
「戦ってもらうんじゃなくて、守ってもらうんだ。例えば、相手の魔法とか攻撃を無効化する結界を張ってもらうとか」
エレンは神樹の間で『精霊の詩』を歌って、アールヴ神樹王国の高位の魔導士達ですら破る事の出来ない結界を展開した。
少なくとも相手の攻撃が届かなければ、“アルラトゥ”達が殺される事は無いはず。
メルは泣きじゃくりながら言葉を返してきた。
「やった事無いからやり方が分からないよぉ。それに私、魔法使えないし……」
「それじゃあ……」
どうすればいい?
僕は今一度試してみた。
「インベントリ……」
しかし何も起こらない。
「【影分身】……」
やはり何も起こらない。
インベントリも呼び出せず、全てのスキルも使用不能らしい今の僕に出来る事は、殆ど無いように感じられた。
だけど……
どうやら僕の手の届かない所で、僕と関わり合いを持った人々が次々と殺されようとしているらしい。
それを知らされて、このままここに座っていていいはずがない。
僕はメルに話しかけた
「精霊達に頼んで、僕をその侵入して来た人間達の所に連れて行ってもらえないかな?」
ダークエルフでは無い僕なら、
見た目、この世界の人間である僕なら、侵入者達との間で交渉の余地が有るかもしれない。
身体を小刻みに震わせていたメルがぎゅっと目を閉じた。
数秒後、目を開けたメルの震えは止まっていた。
彼女の顔には、何かを決意した表情が浮かんでいた。
「分かった。精霊達にお願いしてみる」
ふいに僕等の周囲に、光り輝く何かが集まって来た。
メルが僕の右腕にしがみついて来ると同時に叫んだ。
「舞女様達の所に連れて行って!」
身体がふわりと浮き上がった次の瞬間、いきなり視界が切り替わった。
斉所の白壁は消え去り、代わりにルキドゥスの拠る大樹の内壁が目に飛び込んできた。
そして……
凄まじい重力加速度と共に、周囲の情景が猛烈な速度で後ろへと過ぎ去り始めた。
ルキドゥスを飛び出し、巨木の間を抜け……
数秒後、僕等の身体は急停止した。
思わず前のめりに転びそうになった僕達に、驚いたような表情をした人々の視線が集まるのが感じられた。
周囲を見回すと、そこには十数名のダークエルフ達の姿があった。
皆一様に緑色の軽装鎧に身を固めている。
しかし“アルラトゥ”から渡された“お守り”が仕事をしてくれているのなら、僕の姿は彼等から隠されているはず。
はたして彼等の視線は僕では無く、隣に立つメルへと向けられているようであった。
彼等の一人がメルに声を掛けて来た。
「メル、お前一体、どうやってここへ?」
メルはチラッと僕に視線を向けた後、彼等に言葉を返した。
「走って来て……その……あの……舞女様は?」
彼等の一人が少し離れた場所を指差した。
そこは林間に開けた小さな空き地になっていた。
そこに金色に輝く重装鎧に身を固め、右手に巨大な斧のような武器――ハルバート――を構える大柄な男と対峙する“アルラトゥ”の姿があった。




