391.F級の僕は、二股疑惑を全力で否定する
6月17日 水曜日5
僕の返答を聞いた鈴木は、下唇を噛みしめたまま俯いてしまった。
……う~ん、ちょっときつく言い過ぎた?
少し可哀そうになった僕は、もう一度鈴木に声を掛けた。
「なあ、そもそもお前、なんでそんなに強くなりたいんだ?」
そう。
こいつが僕に付き纏っているのは、僕がいきなり強くなった――F級の強さじゃ無くなった――手段を探る、或いは僕から直接教えてもらうため、と僕は理解している。
しかし思い返してみれば、その理由を教えてもらった事は無かったはずだ。
しかし鈴木は俯いたまま答えない。
「お前、D級だろ? そりゃ上にS、A、B、Cっているけど、人類の半分は僕みたいなF級だって聞いている。そんなF級やE級と比べれば、少なくとも今の時点でも、強さって点で見れば、上から数えた方が早い位の位置に居るじゃないか」
S級なんて日本にたった3人。
A級は……前に四方木さんから聞いた話では、二桁台だったはず。
そりゃB級やC級には敵わないだろうけど、別段、社会的に蔑まれる位置に居るというわけでは無いはずだ。
鈴木が吐き捨てるようにボソッと呟いた。
「……そんなんじゃダメなんだよ……」
「ダメ? なんで?」
「あたしがD級だから……皆……」
呟きが涙声に変わっていく。
「お、おい……」
慌てて声を掛けたけれど、鈴木は俯いたまま、ポタポタ涙を地面に落とし始めた。
今僕等が居る場所は、2階に上る階段の登り口。
こんな所でこんな場面を他人に見られたら、なんと思われるか分かったものじゃない。
僕は周囲に視線を向けた。
幸い今の所、人目は無さそうだ。
「とにかく今日は帰れ。お前の話、今度時間作ってゆっくり聞いてやるから」
「理由……」
「理由?」
鈴木がガバッと顔を上げた。
その目からは、まだ涙がボロボロ零れ続けている。
「あたしが強くなりたい理由話したら、お前がどうやって強くなったか教えてくれるか?」
どうやって、と言われても……
「悪いけど、お前のステータスがどうやったら上がるかとか、そういう話だったら、全く僕は役には立てないぞ」
僕のこの能力、具体的には経験値を獲得してレベルを上げ、それに伴ってステータスを上昇させる能力。
スキル書を使用して、或いは人間相手になんらかのアクションを取る事で、新しいスキルを獲得出来る能力。
これらは全て“何者か”――真偽不明ながら、かつてエレシュキガルは、自分こそがその“何者か”であると口にしていたけれど――から受動的に与えられたものだ。
つまり、自らの努力や何かで手に入れたものではない。
従って、“どうやって手に入れたか”と問われても答えようがない、
「それでも!」
鈴木の声がやや大きくなった。
「それでもいいから、お前が強くなれた方法じゃ無くて、きっかけだけでもいいから、教えてくれよぉ……」
その時、僕の右耳に装着した『ティーナの無線機』を通して囁き声が届いた。
『Takashi? 部屋に居ないみたいだけど……』
ティーナさんだ。
どうやら“謎の留学生エマ”への“変身”が終了して戻って来たのだろう。
僕は慌てて右耳の『ティーナの無線機』を右手で押さえながら囁き返した。
「今ちょっと外に出ているんだ。取り込み中だから、そのまま部屋で待っていて」
『取り込み中?』
ティーナさんの訝し気な返事に被せるように、鈴木が声を掛けてきた。
「何一人でブツブツ言っているんだ?」
どうやら僕が言葉を発したのには気付いたようだけど、内容までは聞き取れなかったようだ。
僕は、鈴木に再度告げた。
「実は今から関谷さんが来るんだ。で、色々やらなきゃいけない事があるから今日は帰ってくれ」
鈴木が少し前のめりになった。
「関谷って、お前のカノジョだろ? もしかして、今からどこかのダンジョンに潜るのか?」
「例えそうだとしても、それ、お前に説明する必要ってあるか?」
「やっぱり! なあ、頼むからあたしも……」
話していると、上方、2階からどこかの部屋の扉が開く音がした。
続いて廊下を階段の方に向かって歩いて来る足音も。
他の部屋の入居者だろうか?
とにかく誰かが下りてこようとしているようだ。
そして僕と鈴木は、2階に続く階段の登り口で押し問答中だ。
他人に見られたらいらない誤解を生むかもしれない。
僕は鈴木の両肩に手を掛けた。
「とりあえず、ここに居たら邪魔だから、あっちへ……」
「お、おい! 痛いって! 乱暴すんなよ!」
身体を捩る鈴木を強引にアパートの裏手に押して行こうとした矢先、背後から声を掛けられた。
「……何しているの?」
振り返ると、階段を下りかけているティーナさん――今は謎の留学生エマに扮してはいるけれど――と目が合った。
鈴木が叫んだ。
「離せよ! 痛いって言ってんだろ!」
僕は慌てて掴んでいた鈴木の肩を離した。
そのままティーナさんは、階段を下りて来た。
彼女は僕、鈴木と順番に視線を向けた後、面白いおもちゃを見付けた子供のような笑顔になった。
「中村サン、女の子に乱暴したらダメでスヨ?」
いや違うから!
抗議の声を上げようとした瞬間、鈴木の方が先に声を上げた。
「お前、中村の知り合いか?」
話しかけられる事を予期していなかったのか、ティーナさんは一瞬キョトンとした後、笑顔で言葉を返した。
「初めマシテ。私は留学生のエマです。中村サンと同じ大学で同じ学科デス」
「お前、ここに住んでいるのか?」
「住んでイルノハ別の場所デスヨ。今朝はたまたま用事があって、中村サンの部屋を訪れていたダケデス」
「用事があって? 中村の部屋を訪問?」
「はい」
鈴木の表情が、みるみるうちに、なんだか鬼の首でも取ったような感じへと変化していく。
「なあ、この事、お前のカノジョは知っているのか?」
「何の話だ?」
「だから……」
鈴木がずいっと顔を寄せて来て小声で続きを口にした。
「お前がこの赤毛オンナを部屋に連れ込んでいたって事だよ」
赤毛オンナって……
確かにティーナさん、ブロンドの髪を今は特殊な染料で赤っぽく染めてはいるけれど。
それはともかく、部屋に?
連れ込んだ??
酷い言いがかりだ。
「だから、連れ込んだんじゃ無くて、ちょっと話をしていただけだ! エマさんもそう言っているだろ?」
と、ティーナさんが口を挟んできた。
「中村さんのカノジョって、誰の事デスカ?」
どうやらさっきの鈴木の言葉に反応したらしい。
チラッとティーナさんに視線を向けると、明らかに機嫌が悪くなっている。
その様子に目ざとく気付いたらしい鈴木が、下卑た笑顔を浮かべて囁いてきた。
「おいおい、二股かよ。なかなかやるじゃん?」
「なんだよ、二股って!?」
「だってお前、1時間ほど前にあたしが呼び鈴押した時、寝ていたんだろ? で、今、赤毛オンナがお前の部屋から出て来たって事は、昨日から二人で部屋の中でいちゃついていたって事だろ?」
そうだった。
こいつは少なくとも1時間以上、僕の部屋の前で、ひたすら僕が出て来るのを待ち続けていた。
つまりこいつからすれば、ティーナさんがワームホールを使って僕の部屋を訪れた事は知る由も無いわけで、状況から判断して、ティーナさんが、昨夜から僕の部屋に泊っていたって誤解しているって事らしい。
鈴木が小声で言葉を続けた。
「しかも赤毛オンナ、あの様子だと、自分こそ本命って思っているんじゃないか?」
「だ・か・らぁ!」
思わず声が大きくなったタイミングで、アパートの前に、見覚えのある車が一台停車した。
ベージュの軽自動車。
関谷さんの車だ。
鈴木もその事に気付いたのだろう。
僕に若干憐れむような視線を向けて来た。
「おいおい、二股するならスケジュール管理位、しっかりやっとけよ」
「だから二股なんかかけてないって言っているだろ?」
僕の声が大きくなったからだろう。
ティーナさんが再び問い掛けてきた。
「中村サン、二股かけているんデスカ?」
「かけていません!」
車のドアが開き、関谷さんが姿を現した。
僕等に気が付いたらしい彼女は、こちらに笑顔を向けて来たけれど、それはすぐに怪訝そうな表情へと変化した。
「あれ? 中村君にエマさん、それと……鈴木さん?」
鈴木は挨拶代わりに関谷さんに軽く手を上げてから、僕に囁いてきた。
「今から修羅場か……刺されんなよ?」
「違うって言っているだろ!?」
「巻き込まれたら嫌だから帰るわ」
ティーナさんがジト目、関谷さんが困惑顔の中、何かを納得した感じの鈴木は自分のスクーターに跨って走り去って行った。




