32.F級の僕は、柄が悪い人を演じてみる
正体がバレると嫌なので......
5月15日 金曜日5
「終わった……」
僕は、しばし放心状態に陥っていた。
幸運が重なったとはいえ、B級モンスターを倒す事が出来た。
興奮で、身体の震えが止まらない。
しばらくして落ち着いてくると、僕の方を凝視している関谷さんと目が合った。
そして、僕は今更ながら、自分がかなりまずい立ち位置にいる事に気が付いた。
エレンの衣を被っているから、関谷さんには、僕の正体はバレていない……はず。
なら、急いで魔石とアイテムを回収して、ここから立ち去ろうか?
しかし、それだと、もうすぐ駆け付けるであろう、均衡調整課やらA級やらに調査されて、何かボロが出てしまうかも。
少し悩んだ後、僕は、魔石とセンチピードの牙を拾い上げると、関谷さんに近付いた。
関谷さんは、固まったように僕を凝視するのみで、一言も発しない。
僕は、魔族の小剣をチラつかせながら、フードの上から口元を抑え、わざと抑揚を抑えた低い声と、ぶっきら棒な口調で、関谷さんに話しかけた。
「おい、今ここで起こった事は、他言無用だ」
関谷さんは、固まったまま、頷いた。
「モンスターは、勝手に消えた。いいな?」
関谷さんは、やや怯えた表情になって、またも頷いた。
ちょっと怯えさせ過ぎたかな?
僕は、少し関谷さんが気の毒になり始めていた。
添田さんの方に視線を移すと、意識は戻っていないものの、出血は止まっているようであった。
しかし、関谷さんの回復魔法では、食いちぎられてしまった右足までは、修復できていなかった。
ふと、あと1本、神樹の雫が残っている事を思い出した。
これって、使うとHP完全回復するけど、欠損部位も治ったりしないかな?
僕は、半分、実験気分で、腰のベルトから、最後の神樹の雫を取り出した。
そして、アンプルの首の部分を折ると、添田さんの口元に近付けた。
と、それまで固まっていた関谷さんが、急にハッとしたように、添田さんを庇うような仕草を見せた。
「あの……それは、何ですか?」
怯えながらも、仲間を気遣う関谷さんらしい言葉。
僕は、先程と同様、フードの上から口元を押さえ、出来るだけ抑揚を抑えた低音、かつ、ぶっきら棒な声で返事した。
「安心しろ。傷薬だ。それと、今から起こる事も、他言無用だ」
僕は、そのまま神樹の雫を添田さんの口の中に注ぎ入れた。
添田さんは、むせながらも、どうやら、それを飲み下してくれたようであった。
瞬間、添田さんの全身が微かに発光したかと思うと、右足が徐々に再形成され始めた。
同時に、添田さんが呻きながら、目を覚ます気配を見せた。
「うそ……」
関谷さんの目が、これ以上無い位、見開かれた。
僕も、心の中で驚嘆した。
神樹の雫、HP完全回復のみならず、欠損部位の回復まで可能とは、実は物凄いポーションなのでは?
ともあれ、添田さんが完全に目を覚まして、僕の姿を見てしまえば、話がさらにややこしくなる。
僕は、急いでその場を離れ、入り口に通じる回廊目掛けて走り出した。
そして、関谷さん達から、完全に死角になっている場所まで行くと、エレンの衣を脱いだ。
エレンの衣をサイコロ大に丸めてポケットに収めた僕は、改めて、広間の様子を伺った。
丁度、添田さんがふらつきながら身を起こそうとして、それを関谷さんが手伝っているのが見えた。
僕は、二人に見られないよう、用心しながら、最初に隠れていた柱の影に素早く移動した。
そして、魔族の小剣とBランクの魔石、そしてセンチピードの牙を自分のカバンの中に収めた。
僕は、柱にもたれながら、ようやく一息つく事が出来た。
そう言えば、レベルとステータス上がったってポップアップ出てたな……
僕は、柱の影から、関谷さんと添田さんの様子を再び伺った。
二人は、立ったまま何かを話している。
そして、紫の霧を吸い込んで倒れているC級の人達の方に向かっていった。
しばらくは、こっちに来ないかな……
僕は、自分のステータスウインドウを呼び出してみた。
―――ピロン♪
Lv.56
名前 中村隆
性別 男性
年齢 20歳
筋力 1 (+55)
知恵 1 (+55)
耐久 1 (+55)
魔防 0 (+55)
会心 0 (+55)
回避 0 (+55)
HP 10 (+550)
MP 0 (+55)
使用可能な魔法 無し
スキル 【異世界転移】【言語変換】【改竄】【剣術】
装備 無し
レベルが56まで上昇している。
しかも、ステータス的には、C級上位に匹敵する程まで成長した。
自然に笑みが零れた。
と、僕等のいる大広間に近付いて来る、複数の足音が聞こえてきた。
そして、間も無く、大広間に、四方木さん、真田さん、更科さんに、あのA級の安藤さん、先に逃げた同じ班の人達、総勢十数人が姿を現した。
彼等は、臨戦態勢のまま、僕等のいる場所に駆け込んで来たが、やがて戸惑ったように辺りを見渡した。
添田さん達がいる事に気付いたらしい四方木さんが、声を掛けた。
「添田さん、アンデッドセンチピードは……?」
「それが……俺が気付いた時には消えていたようで」
「消えた……?」
「ああ。そうだよな?」
添田さんが、関谷さんに声を掛けた。
関谷さんが黙って頷くのを確認した四方木さんは、少し小首を傾げた。
しかし、すぐに、一緒に来た人々に声を掛けた。
「とにかく、負傷者達を運び出しましょう。添田さんと関谷さん以外は、いませんか~」
四方木さんの声に応じる形で、僕は、柱の影から皆の前に姿を現した。
一応、スタンス的には、今の今まで、蹲ってガタガタ震えていた事にするつもりである。
僕に気付いた関谷さんは、驚いたような顔で、僕に話しかけてきた。
「中村さん!? 逃げなかったんですか?」
「それが、つい逃げるタイミング失っちゃって……」
僕は照れ笑いを浮かべながら、関谷さん達の方に歩み寄った。
関谷さんの反応を見る限り、“あの黒ずくめの謎の男が僕だ”とは思っていなさそうで、少し安心した。
四方木さんが、驚いたように僕の顔を見て、声を掛けてきた。
「中村さんも、なかなか運が良いお人ですな。また後で、その運の良さの秘訣、色々お聞かせ下さい」
……つまり、またまた後で呼び出されて、色々聞かれるという事だろう。
諦めた僕は、ただ愛想笑いを浮かべて黙って立っていた。
と、集団の中から、佐藤が関谷さんに走り寄ってきた。
「詩織ちゃん、良かった! 無事で……」
佐藤は、関谷さんの手を取ろうとして、さりげなく躱されていた。
「おかげさまで。佐藤君も無事で何よりです」
「僕だけ先に行ってごめんね。だけど、あの時はあれが最善の策で……ほら、こうして救援隊連れて戻ってきて、関谷さんも添田さんも無事だったし……」
「……そうですね」
関谷さんの、佐藤に向ける目が、氷のように冷たい。
佐藤は、さらに何か取り繕うように話しかけていたが、最後には、関谷さんに全く相手にされなくなってしまった。
ああなると、佐藤も痛々しいな……
見るとは無しに見ていた事に気付かれたのか、佐藤が僕の方に近付いて来た。
そして、意味も無く蹴られた。
「おい、ナカ豚! 調子こいてんじゃねえぞ!」
佐藤は、そのまま肩をいからせながら、歩き去って行った。
「さあ、皆さん、撤収しましょう!」
四方木さんの一言で、僕等は、ダンジョンの出口に向かって歩き出した。
あの紫の霧を吸い込んで倒れてしまったC級の4人は、仲間が担ぐ担架の上に寝かされていた。
彼等が吸い込んでしまったあの紫の霧は、どうやらマヒ性のガスだったらしい。
大抵の場合、時間経過と共に動けるようになるそうだ。
帰り道、添田さんが、先に逃げたC級達に声を掛けた。
「おい、お前ら。外に出たら、全員、荷物チェックするぞ。俺が気絶している間に、魔石ちょろまかしてる奴がいないとも限らねえからな。それと、F級」
添田さんは、僕等の方にも声を掛けてきた。
「お前らも、個人の荷物含めて全部チェックするからな。魔石ちょろまかしてるんだったら、早めに戻しとけよ?」
やれやれ、無くなった右足含めて全快させて上げたのに、横暴なB級だ。
って、本人は、僕に神樹の雫飲ませて貰った記憶は無いだろうし。
ふと僕は、重要な事に気が付いた。
僕の手荷物、見られたら、色々まずい物も入っている。
エレンの衣、魔族の小剣、アンデッドセンチピードの落としたBランクの魔石、センチピードの牙……
どうしよう?
まあ、外に出て、本当に全部見られそうになった時、考えよう。
午後2時過ぎ、僕等の帰還をもって、本日のN市黒田第八ダンジョン攻略は、無事終了した。