197.F級の僕は、とんでもない事を頼まれる
5月31日 日曜日8
バティンの待ち受けるゲートキーパーの間は、90層、91層のゲートキーパーの間と同じく巨大な白いドーム状の構造物になっていた。
その入り口の前で、バティン討伐についての最終的な打ち合わせが行われる事になった。
二つのクランに属するA級達が輪になって座る中心には、伝田さんと田中さん。
そして僕達均衡調整課かから派遣されてきたポーターは、少し離れた場所に腰を下ろした。
時刻は午後3時過ぎ。
ダンジョン内部であるにも関わらず、空には少し西に傾いた太陽が輝き、僕の頬を心地よいそよ風が撫ぜて行く。
僕等と再合流してからあまり情報交換出来ていなかった安田さんと大藤さんに、米田さんが、リーサルラットやファイアーエレメントが現れた時の状況を説明し始めた。
均衡調整課内では、情報共有が基本なのだろう。
おおむね、起こった事実をそのまま伝えるつもりのようだ。
僕は、A級達の輪の方に視線を向けた。
伝田さんが、A級達にバティンについて説明を始めるのが聞こえて来た。
「……バティンは戦いが始まると同時に、4体に分身する。但し、その中の3体はダミーだ。本体は、HPを凝集した小さなコアになって、4体の内の1体に潜みながら、ダミーと一緒になってこちらを攻撃してくる。当然、ダミーを攻撃してもHPは一切削れない。本体を攻撃しても、コアに当たらなければ、HPは削れない。そして最大の問題は、コアの位置を事前に見定める方法が、現状存在しない事だ……」
僕はやはりコアにHPを凝集していたあの空王フェニックスの事を思い出した。
あの時は、エレンが僕の身体を操り、コアの正確な位置に魔導電磁投射銃の照準を合わせてくれた。
「ただし、この前の偵察戦で、コアに攻撃が命中した場合、数秒間、コアが輝く事が判明している。だから僕等はひたすら全力でバティンを攻撃し続けて、コアの位置を炙り出さないといけない」
なるほど、中々厄介そうなゲートキーパーだ。
もし神樹第92層のゲートキーパーも同様の能力を持つバティンだったとしたら……
まあ、イスディフイには、エレンもノエミちゃんもいる。
コアの正確な位置は、彼女達によってたちどころに炙り出されるだろう。
改めて、僕は地球のS級やA級達よりも随分恵まれた環境で、神樹のゲートキーパー達と戦ってこれた事を実感した。
伝田さんの話に耳を傾けていると、米田さんが話しかけて来た。
「中村君、安田さんが君に質問があるそうだ」
安田さんは、G県の均衡調整課所属のB級だ。
僕は安田さんの方に顔を向けた。
「なんでしょうか?」
「魔法結界のような障壁で、田中さんのドラゴニックオーラを耐えきったって話、本当ですか?」
まあ、隠しても仕方ない。
「結果的に防御出来ただけです。時間も短かったですし」
「いやいや、S級の攻撃、数秒間とはいえ耐えきったのは、十分自慢になりますよ」
このまま話していると、僕の能力の事を根掘り葉掘り聞かれそうな雰囲気だ。
僕は話題の変換を試みた。
「ところでさっきの伝田さんの話、どう感じました?」
「伝田様の話? ああ、イレギュラーなモンスター達の出現に、斎原様が関わっているんじゃないかってあれですか?」
「はい」
「正直、判断つきかねますね。我々もS級の方々の能力、全て完全には把握出来ていません。斎原様は、魔力を込めた弾丸を専用の拳銃で射出する戦い方を好まれますが、モンスターをダンジョンの任意の位置に召喚する能力を持っていないとは言い切れません」
「では、やはり斎原さんが仕組んだ可能性もありって事ですか?」
「可能性としての話なら、答えはイエスですね。ただ……」
安田さんが、米田さん方を見て肩をすくめた。
「S級の方々が率いるクラン同士の話ですからね。我々均衡調整課としては、本当の戦争にならなければ、関与のしようが無いと言いますか……」
米田さんも口を開いた。
「中村君は、均衡調整課の仕事を始めてまだ日が浅いから知らないかもしれないけれど、基本、S級絡みの争いの話には、均衡調整課は関わらない事になってるんだ」
そんな話をしていると、ふいに背後に人の気配を感じた。
振り返ると、伝田さんと田中さんが立っていた。
僕を含めて、均衡調整課のポーター達が、慌てて立ち上がった。
僕等を代表する形で米田さんが口を開いた。
「ご相談、終わりました?」
「うん。それで……」
伝田さんは、僕に視線を向けながら、米田さんへの言葉を続けた。
「ちょっと中村君と話したい事が有るんだ。借りても良いかな?」
「どうぞどうぞ」
なぜか僕の頭越しに、伝田さんと米田さんが話をしている。
「それじゃあ中村君、ちょっとこっちに来てくれ」
何の話だろう?
もしかして田中さん、僕が障壁を展開して米田さんを護っていた事に気が付いた?
それで、その事を伝田さんに伝えた?
なんだか厄介な事になりそうな予感を抱きつつ、僕は伝田さんと田中さんの後に続いた。
皆から少し離れた場所まで移動すると、伝田さんが口を開いた。
「さて中村君、少し君にお願いがあるんだ」
「お願い? ですか?」
「うん。君、お嬢と仲が良いんだよね?」
あれ?
障壁の話じゃ無い。
「別段、親しくさせてもらっているとは思わないですが」
伝田さんがニヤリと笑った。
「とぼけなくても良いよ。君、お嬢のクランに誘われたでしょ? で、四方木が慌てて君を“嘱託職員”にした……」
なぜ伝田さんがその話を知っているのだろう?
「誘われたのは事実ですが、お断りしました」
「でも、お嬢は随分君に御執心らしいじゃないか。君がアメリカの魔女に拉致された時、わざわざ助けに行ってたし」
「あれは、四方木さんが頼んでくれたからですよ」
「頼まれたって、気にいってなかったら、わざわざ自分で出掛けたりしないよ。まあ、それは置いといて……」
伝田さんが、僕に試すような視線を向けて来た。
「お願いって言うのは他でもない。君にお嬢のクランに加入してもらいたいんだ」
「えっ?」
話の展開についていけず、僕は絶句してしまった。
伝田さんが、話を続けた。
「今回、こんな事が起こったじゃないか。で、僕としてはお嬢が怪しいと思うんだけど、証拠がない」
「すみません、僕、均衡調整課の嘱託職員なんで、クランには所属できないかと」
僕が四方木さんの話に乗って、均衡調整課の嘱託職員の“フリ”をしているのは、そうしたクランへの加入といった煩わしい雑音から逃れるためだ。
「当然、均衡調整課は辞めてもらう」
「それは……」
言いかける僕の言葉に被せるように、田中さんが口を開いた。
「俺からも頼む! 斎原のクランに入って、あの女の仕業だって証拠を掴んできて欲しい。でないと、俺は、あいつらに顔向けが……」
死んだ二人の事が脳裏に浮かんでいるのであろうか。
田中さんがボロボロ大粒の涙を流し始めた。
粗野な言動が目立つ彼も、自分のクランのA級達の事はちゃんと大事に思っているようだ。
しかし……
これって、つまり僕に伝田さんや田中さんの“スパイ”として、斎原さんのクラン『蜃気楼』に潜入しろって事?
そんな事を考えていると、伝田さんが田中さんを宥めつつ僕の方に視線を向けた。
「十分な報酬は約束する。自然な形でお嬢のクランに潜入出来るシナリオも用意した。君はただ、僕達の指示通り動いてくれれば良い」
そして伝田さんは、勝手にそのシナリオとやらを話し始めた。
伝田さんが、今回の事件の黒幕は斎原さんであると推測を述べる。
それを聞いた僕が、いくらなんでも、その話には無理があると難癖をつける。
腹を立てた伝田さんと、斎原さん黒幕説に同調した田中さんにより、実は僕こそが斎原さんから送り込まれた工作員で、今回の事件のお膳立てを手伝ったのでは? と言いがかりをつけられる。
身の危険を感じた僕は、S級を抑える事の出来ない均衡調整課では無く、斎原さんを頼る事に……
いかにもありがちな陳腐なシナリオ。
まあ、シナリオの内容如何に関わらず、元々そんな“潜入捜査”受ける気も無いけれど。
「そろそろ僕達、バティン討伐開始するからさ。詳しい話はまたあとで」
S級らしい傲慢な物言いを残して、二人はA級達の元へと戻って行った。