194.F級の僕は、S級の本気を目の当たりにする
5月31日 日曜日5
構成員同士の些細な諍いがきっかけで、クラン『白き邦』とクラン『百人隊』は、それぞれ別々に92層のゲートキーパーの間を目指す事になった。
当然、僕等荷物持ちも二手に分けられた。
伝田さんのクラン『白き邦』には、G県の安田さんとI県の大藤さん。
そして僕とF県の米田さんは、田中さんのクラン『百人隊』にそれぞれ割り振られた。
どうでも良いけれど、まるで子供の喧嘩だ。
ティーナさんが、日本のS級達はクラン作って猿山の大将気取ってるだけって話してたけれど、案外、正確な見方かもしれない。
こんな体たらくで、手強いらしい92層のゲートキーパー、バティンにちゃんと協力して立ち向かえるのだろうか?
とは言え、今日の僕はただの荷物持ち。
成り行きを見守るしかない。
見せてもらった地図によれば、今の地点からゲートキーパーの間までは1時間程かかるらしい。
僕等の前を行く田中さんとクラン『百人隊』のA級達は、伝田さんやクラン『白き邦』のA級達を悪しざまに罵りながら進んで行く。
その最後尾を、僕と米田さんが、荷物を背負って黙々とついていく。
そのまま何事も無く、30分程過ぎた時、前方から叫び声が上がった。
「ジャイアントマンティス2体!」
どうやら、モンスターが現れたらしい。
僕は米田さんと一緒に、戦闘の邪魔にならないように少し物陰になっている場所へと移動した。
田中さんとA級達が、ただちにモンスターに攻撃を開始した。
ジャイアントマンティスは、その名の通り、3m近い巨大なカマキリだ。
巨体に似つかわしくない素早い動きで獲物の命を刈り取ろうと、前脚の鎌を振り回している。
それをS級の田中さん以下、A級9名が、翻弄しながら次第に追い詰めて行く。
10分程で、1体が光の粒子となって消えていった。
MPを節約しながらとは言え、さすがS級とA級の集団だ。
この感じなら、もう1体が倒されるのも時間の問題だろう。
と、ふいに僕は悪寒を感じた。
なんだろう?
背後を振り返った僕は、不思議な光景を目の当たりにした。
何かが濛々と土煙を上げながら、猛然とこちらに突っ込んで来る?
「どうしました?」
僕の視線に気付いた米田さんが、僕の視線の方向に顔を向けた。
途端に彼の表情が引きつった。
「大変だ! 新手のモンスター!」
米田さんは立ち上がると、前方で戦っている田中さん達に大声で呼びかけた。
「後方から複数のモンスターが接近しています! 気をつけて下さい!」
何人かのA級が米田さんの声に反応して振り返った。
彼等の表情が一気に強張るのが見えた。
「リーサルラット複数!」
その声にジャイアントマンティスと戦っていた田中さんが、大声で指示を出した。
「こいつはオレが倒す! 他の者は、リーサルラットを迎撃しろ!」
どうやらこちらに向かって来るのは、リーサルラットというネズミ型のモンスターの群れのようであった。
僕は米田さんに囁いた。
「僕の傍から離れないで下さい。障壁を張ります」
「障壁?」
驚く米田さんに構わず、僕は米田さんを一緒に包み込むようにして障壁を展開した。
これで少なくとも、B級の米田さんは守れるはず。
リーサルラットの群れは、すぐそこまで迫っていた。
大型犬程の大きさのその巨大なネズミ達は、しかし、僕と米田さんの前を素通りして、前方で身構えるA級達に襲い掛かって行った。
パッと見た感じ、その数は50を下らないように見えた。
怒号が渦巻く中、直ちに新しい戦いが始まった。
その様子に視線を向けながら、米田さんが呆然と呟いた。
「なんでリーサルラットがここに……? しかもこんなにたくさん……」
「リーサルラット、この階層で出現したらおかしいんですか?」
「中村君は知らないかもしれないけれど、リーサルラットは富士第一では85層に出現するA級モンスターだ。富士第一は、階層ごとに出現モンスターが固定されている。しかもその種類は、階層ごとにすべて異なっている。だからリーサルラットは、本来92層に出現するはずの無いモンスターなんだよ。しかも見た所、50体を超えてそうだ。モンスターが同じ場所でこれ程の数、纏まって出現するなんて、世界的にも聞いた事が無い」
地球のダンジョンでは、モンスターは殆ど単独行動だ。
一度に出現するのは、多くても2~3体。
「ではなぜ……」
「分からない。しかし最近、本来そこに居るはずの無い強力なモンスターが突然出現した、という報告が、各地の均衡調整課から入っている。これも同様の現象なのかもしれない」
アルゴス、ファイアーアント、アンデッドセンチピード……
僕自身、何度も、本来はそこに居ないはずのモンスター達と遭遇してきた。
それはともかく、状況は次第に悪化していった。
S級の田中さんは、一人でS級モンスターのジャイアントマンティスと渡り合っている。
圧倒しつつあるものの、まだとどめを刺せていない。
対してA級9人は、A級モンスター、リーサルラット50体以上に圧倒されつつあった。
モンスターの数が多過ぎる。
「まずいな。リーサルラットは、唾液に猛毒が含まれているんだ。例えA級でも噛まれるとただでは済まない」
リーサルラット……
あれ?
エレンが作ってくれた手料理の原材料の一つだったような……?
「ぎゃああああ!」
悲鳴を上げて、突然A級の一人が倒れ込んで動かなくなった。
噛まれたのであろうか?
顔が紫色に腫れあがっている。
「吉田!」
A級のヒーラーが、慌てて回復を試みるけれど、既に手遅れに見える。
「おい、出し惜しみするな! 友成、大魔法だ」
「分かった」
魔法系と思われる友成とよばれた女性が、何かの詠唱を開始した。
そして彼女の前面に巨大な魔法陣が出現した。
「穿て! 雷!」
凄まじい雷撃がリーサルラットの群れに襲い掛かった。
直撃を受けたリーサルラットの何体かが弾けて光の粒子となって消えて行く。
しかし、絶命せず傷を負っただけのリーサルラットの体液を浴びてしまったA級達が、地面をのたうちながら苦しみ始めた。
鎧やロープが溶け、皮膚が焼け爛れて行く。
「リーサルラットから距離を取れ! 奴らの体液も猛毒だぞ!」
「無茶言うな、この状況で距離取れるわけ無いだろ!」
今や、A級達は壊滅状態に陥っていた。
どうしよう?
戦った方が良いだろうか?
このままだと、S級の田中さんはともかく、A級達は全滅するかもしれない。
その時、田中さんが、一際大きな叫び声を上げた。
―――オオオオオン!
まるでドラゴンの様な咆哮。
田中さんの身体を真っ赤に燃える様なオーラが包み込んでいく。
それはまるで翼を大きく広げたドラゴンのようで……
それを見たA級の一人が、大声で叫んだ。
「総裁のドラゴニックオーラだ! 皆、退避!」
生き残ったA級達が、リーサルラットが来たのとは逆方向へ、我先にと逃げ出していく。
そして……
―――ゴォォォ……
凄まじい熱量を孕んだ猛炎が、ダンジョン内部の全てを焼き尽くす勢いで駆け抜けた。
僕の障壁維持にかかるMPの消費量も一瞬にして跳ね上がった。
時間にしてほんの数秒だろうか?
猛炎が消え去った時、辺りを静寂が包み込んでいた。
ジャイナントマンティスもリーサルラットの群れも、そして哀れなA級の犠牲者たちも、何もかもが消滅していた。
これが田中さんの“本気”だろうか?
「くっそー! こんなトコでコレ使わないといけないなんてよぉ!」
田中さんが憤懣やるかたない、といった雰囲気で地面を蹴飛ばすのが見えた。
ともかく、モンスター達は、一掃されたようだ。
僕は障壁を解除すると、米田さんと一緒に田中さんに近付き、声を掛けた。
「お疲れ様です」
「おわっ!?」
田中さんが、なぜか大きく仰け反った。
「お前等……なんで生きてる?」
「生きてるって……まあ、隠れてましたから」
障壁について説明するのが少し億劫だった僕は、そんな風に言葉を返した。
田中さんは、僕と米田さんの顔に代わる代わる視線を向けた後、たずねてきた。
「……お前等、見たな?」
「見たって、何を……」
言いかける僕の言葉に被せるように、米田さんが答えた。
「見ておりません。二人で岩陰に隠れて頭を抱えて震えておりました。気付いたら、終わってました」
「本当か?」
「はい」
田中さんは、ふっと肩の力を抜いた。
「まあいいや。お前等、いらん事言うなよ? ここでは何も無かった。手違いでウチのA級が何人かモンスターに殺された。それだけだ」
「はい!」
そのまま僕と米田さんは、手分けして魔石を拾い集めた。
不思議な事に、魔石はあれ程の猛炎に焼かれてもなんともないように見えた。
二人で集めた魔石を数えてみると、Sランクの魔石1個と、Aランクの魔石56個であった。
やがて逃れていたA級達も戻って来た。
数えてみると、2名欠けている。
A級2名が犠牲になったものの、何事も無かったかの如く、僕等はそのままゲートキーパーの間を目指して再び歩き出した。