190.F級の僕は、この世界の現実を改めて考察する
5月31日 日曜日1
日付が変わる前の30日土曜日午前、僕は四方木さんから、92層のゲートキーパーを討伐するS級のクラン達の荷物持ちをお願いされていた。
事前に聞いていた日程では、今日31日日曜日午前9時、富士第一ダンジョンに入る事になっていたはず。
状況を整理してみよう。
今、午前4時。
関谷さん達によれば、連絡を受けた均衡調整課の真田さん達が僕の部屋にやって来たのが、午前3時15分頃。
僕のアパートから田町第十ダンジョンまで、深夜だし、車なら飛ばせば10分ちょっとだろう。
それから均衡調整課が直ちにダンジョンに入るとして、入り口から最奥のあの大広間までは、歩いて2時間。
もし真田さん達が、戦闘無し、或いはあったとしても、一瞬でカタがついて、駆け抜けたとしても、1時間以上はかかるはず。
とすれば、均衡調整課の広間への推定到着時刻は、どんなに早くても午前5時前。
そこで僕と落ち合い、話を聞いて、襲撃者達のダンジョン外への搬送の目途をつけるのに30分程度、つまり午前5時半前に広間から入り口に引き返し始めるとして、ダンジョンの外に出られるのは、早くても午前7時前。
それから均衡調整課に直行して午前7時20分。
午前7時半、均衡調整課の入る総合庁舎屋上のヘリポートからヘリコプターに乗り込んだとして、富士第一到着は、丁度午前9時頃。
計算上は、息せき切って目を充血させた荷物持ちが、『すみません、遅くなりましたぁ!』と駆け付けて、皆からひとしきりどやされてから、討伐隊は10分遅れで出発出来る事になる。
いや、いくらなんでも徹夜明けで富士第一92層での荷物持ちは、きつすぎる。
しかもただの徹夜じゃない。
A級以上の襲撃者達と激しい戦闘をこなした上での徹夜。
下手したら、荷物担いで歩きながら寝てましたって可能性もある。
仕方ない。
事情が事情だし、今回の荷物持ち、辞退させてもらおう。
というより、こんな状況だし、既に均衡調整課の四方木さん辺りからS級の伝田さんに、荷物持ちの件、連絡してくれているかもしれない。
そんな事を考えていると、関谷さんが心配そうに声を掛けて来た。
「どうしたの? 急に難しい顔して黙り込んじゃってるけど」
「ごめん、ちょっと今からの予定を頭の中でシミュレートしてたんだ」
僕は今日、富士第一92層での荷物持ちする予定だった事を説明した。
僕の話を聞いた関谷さんが、当惑したような顔になった。
「それじゃあ中村君、寝ないで荷物持ちしなきゃいけなくなるんじゃ……」
「だから断ろうかな、と。まあ、均衡調整課の方から、もう伝田さんの方には連絡してもらえてるかもだけど」
僕の楽観的な推論を聞いた茨木さんが、渋い表情で口を開いた。
「事情がどうあれ、中村君が今日富士第一に潜らなくて済むかどうかは、S級達の気分次第だと思う」
「えっ? そうですか?」
「均衡調整課とS級達のクランとの力関係を考えれば、残念ながら、中村君の意思だけで一旦決まった“支援要請”を覆す事は不可能だろう」
茨木さんにはA県の均衡調整課に勤める従兄弟がいるそうだ。
A県は、S級の伝田さんの出身地でもあるそうだ。
そのため、その従兄弟は、伝田さんや彼の率いるクラン『白き邦』との折衝に当たる機会が多いのだという。
「あいつが言うには、S級は、均衡調整課を小間使いか何かと勘違いしているらしい。協定を結んでいるとは言っても、結局、S級の思い通りにしか事は進まないといつもぼやいてるよ」
言われてみれば、今回の荷物持ちの件も、四方木さんが色々奔走してくれたみたいだけど、結局、S級の伝田さんの思い通りになっている。
それはともかく、茨木さんの話は、改めて今の僕等の世界が置かれている現実を思い出させてくれた。
今のこの世界、流星雨が降り注いだあの夜から等級が全てに変わってしまった。
頂点に立つS級はクランを率いて特権を享受し、最底辺のF級はストレス解消の捌け口兼荷物持ちとしてこき使われる運命だ。
僕自身もF級だった。
いや、今でも“公式”にはF級のままだ。
かつての僕は、ステータスの低さを馬鹿にされ、罵られようが殴られようが、ノルマ達成のためには卑屈な笑みを浮かべて荷物持ちを続ける事を余儀なくされていた。
僕がその境遇から脱出できたのは、突然、経験値を獲得し、ステータスを向上させる能力が手に入ったからだ。
能力の向上に伴い、周りの僕を見る目が徐々に変わって行った。
それは別段、僕等の世界が変わったわけでは無くて、僕自身が、この世界のルールに則れば、“強者”に分類される側に立ち位置が変化したからってだけの話だ。
そんな世界だからこそ、“ただの均衡調整課嘱託職員”が事件に巻き込まれた程度の事情なんかより、S級様がどうしたいかが優先されるのだろう。
この世界をこんな風に変えたのが、もしエレシュキガルなら……
あいつを消滅させれば、僕等の世界も元に戻るのだろうか?
色んな想いが頭の中を駆け巡ったけれど、とりあえずは今どうするかだ。
「茨木さん、関谷さん、僕はそろそろダンジョンの方に戻りますね」
「分かった」
「気を付けてね」
「それでお二人はどうされますか? 帰るならタクシー代、お貸ししますよ?」
二人は、『七宗罪』 (QZZ)の構成員達に拘束されていた。
関谷さんのスマホを勝手に使って茨木さんを呼び出した連中だ。
財布や金目の物は取り上げられたのでは無いだろうか。
「いつまでもここにいたら、中村君に迷惑かけちゃうもんね」
「俺も家に帰るよ。家族には井上さんの電話を借りて無事を伝えたけれど、早く会って安心させたい」
二人の返事を聞いた僕は、タクシー会社に電話をした。
幸いな事に、早朝のこの時間、丁度一台だけタクシーを回してもらえる事になった。
僕は、関谷さんにアパートのカギと二人のタクシー代として千円札10枚を差し出した。
「カギ、渡しとくよ。かけたらポストに入れといて。お金はいつでも良いよ」
「中村君、本当にありがとう。中村君がいなかったら、私、きっと今頃生きてはいなかったと思う」
「この恩は一生忘れない。俺に何か出来る事があれば、いつでも言ってくれ」
二人に見送られる形で、僕は再びワームホールを潜り抜け、田町第十最奥の広間へと戻って行った。
「Welcome back!」
ゆらゆら揺らめく透明な人型の姿のティーナさんが、戻って来た僕を出迎えてくれた。
僕は改めてティーナさんに頭を下げた。
「今夜は色々ありがとうございました。ワームホール、消滅させて下さい」
「ふふふ、この位で恩を着せられるなら安い物です。これからも遠慮なくどんどん呼び出して下さい」
ワームホールを消滅させながら、ティーナさんが悪戯っぽく微笑んだ。
これ、本当に呼び出し続けたら、気付いたら僕がティーナさんに色々利用される関係性が出来上がってましたってパターンだな。
「それで今の状況なんですけど……」
僕はティーナさんに、関谷さんと井上さんから聞いた話、そしてそこから類推される均衡調整課が駆け付けて来るであろう推定時刻について説明した。
「という事は、最速であと30分程で均衡調整課がここに駆け付けるって事ですね」
ティーナさんは、自身の右腕に巻いたアナログ式の時計に目をやりながらそう言葉を返してきた。
「はい。ですからティーナさん、そろそろ戻ってもらっても大丈夫ですよ。あとはあいつらを見張っとくだけですし」
「あら、せっかく来たので、帰るのは、日本の均衡調整課の皆さんの仕事ぶり、勉強させてもらってからにしますね」
単に好奇心か、それとも別の思惑が有るのか。
ともかく、後は待つだけだ。
広間の入り口付近、拘束着を着せられ、目を閉じたまま横たわる孫浩然 (ハオラン=スン)の哀れな犠牲者に視線を向けていると、今更ながら眠くなってきた。
僕はダンジョンの壁にもたれるように腰を下ろした。
眠そうな僕の様子に気付いたらしいティーナさんが声を掛けて来た。
「Californiaは朝ですけど、日本は夜中でしたね。今夜は寝て無いのでは? 均衡調整課が駆け付けたら起こしてあげますから、眠っても構いませんよ」
「そんなわけには……」
言いながら、段々意識がぼんや……り……して……
…………
……
「Takashiさん、そろそろ起きて下さい」
「うわっ!?」
次に気付くと、ちょうど均衡調整課の真田さんや井上さんが、広間に駆け込んで来るところであった。