179.F級の僕は、慌てた声の井上さんからの電話を受ける
5月30日 土曜日5
僕は、自分の右腕に嵌めた『エレンの腕輪』に触れながら計算してみた。
今のMPは、底上げ分含めて166。
普通の攻撃なら、166秒、つまり2分46秒で障壁を維持出来なくなる計算だ。
戦闘中は、【影分身】や【看破】、それに【置換】といった、MPをそれなりに消費するスキルを使用する事が多い。
MP切れで大変な事にならないよう、使いどころを考えないといけないな……
「心配しないで。その腕輪には、MP1,000まで充填出来るようにしてある」
「この腕輪に?」
「そう。だからあなたのMP消費無しに通常の攻撃なら、17分近く完全に防ぎ続けてくれる」
「凄いね。でも、空っぽになったらどうすれば良いの?」
「腕輪を触りながら念じれば再充填できる。腕輪を身に付けたまま就寝すれば、自動的にあなたのMPからも充填してくれる。その場合、あなたのMPが半減した時点で、あなたのMPが自然回復するまで自動充填は停止される。だから眠ってる間にあなたのMPがゼロになって慌てたりする事は起こらない」
なんだか至れり尽くせりだ。
「凄いね。ありがとう」
僕の言葉にエレンが嬉しそうに微笑んだ。
「お礼なんていらない。あなたに何かあったら私は生きていけない。だから、頑張って最高の腕輪に仕上げた。1秒当たりのMP消費率は上昇するけれど、魔法、スキル、物理、ブレス……種類を問わず、星を丸ごと破壊するような攻撃であっても、全て完全に防御してくれるはず。充填が面倒なら、いつでも【異世界転移】して私を呼んで。私が代わりに充填してあげる。本当は、ずっとあなたの傍にいて、あなたを守り続けてあげたい。だけど、それが出来ないから、代わりにその腕輪を肌身離さずずっと身に付けていてくれると、とても嬉しい」
エレンから向けられるあからさまな好意に、僕の心臓の鼓動が早くなった。
「エレン……」
と、アリアからの念話が届いた。
『タカシまだ? 本当に料理、無くなっちゃうよ』
そうだ、アリア達を待たせていた。
急に現実に引き戻されたような感覚に襲われた僕は、エレンに声を掛けた。
「アリア達が待ってる。行こう」
エレンと共に階下に下りて行くと、宿泊者用の飲食スペースの一角に陣取ったアリア達が僕等に手を振ってきた。
「遅い!」
「ごめんごめん。ちょっとエレンと話す事があって」
僕の言葉を聞いたアリアの目が少し細くなった。
「何の話?」
「これ」
僕は自分の腕に付けた『エレンの腕輪』と首に掛けた『欺瞞のネックレス』を皆に見せた。
「エレンが造ってくれたんだよ。で、使い方を聞いてたら遅くなったんだ」
「なんだ、そんな事か」
アリアがなぜかホッとしたような顔になった。
そんなアリアの耳元で、隣に座るクリスさんが何かを囁いた。
アリアが少し赤くなりながら何かを言い返している。
アリア、すっかりクリスさんと仲良くなってるな……
二人の様子を微笑ましい気持ちで眺めながら、僕はテーブルの上の料理を一口食べてみた。
「おいしい!」
独特の香辛料っぽい味付けのされた豚肉のような食感のお肉。
口の中で旨味たっぷりの肉汁が程よく溢れ出してくる。
「お口に合いましたようで良かったです」
ターリ・ナハが声を掛けて来た。
「もしかしてこれ、ターリ・ナハが作ったの?」
「はい。私達獣人族の伝統料理の一つです。ワイルドボアの蒸し焼きに、月明草粉で味を調えてあります」
「ターリ・ナハって、料理得意なんだね」
僕は以前、やはりターリ・ナハが作ってくれた焼き鳥のような料理の事を思い出した。
あれも相当美味しかった。
「料理は昔から好きでしたから」
ターリ・ナハが少し恥ずかしそうに頬を染めた。
頭の上の狼の耳がピコピコ動いて可愛らしい。
と、僕の隣に腰かけて、皆の会話を黙って聞いていただけのエレンが、突然そのお肉料理にフォークを突き刺して、自分の口へと運んだ。
そして一口ずつゆっくり確かめるように咀嚼すると、何かに納得したような顔になった。
「なるほど。タカシが好きなのはこういう料理……」
「そうだね」
そう言えば、昨日は“エレンの手料理”を食べてとんでもない事になったっけ。
僕が妙な感慨にふけっていると、エレンがターリ・ナハに話しかけた。
「この料理の作り方、私にも教えて欲しい。代わりに魔族の伝統料理を教えてあげる」
魔族の伝統料理ってもしかして……
『ヘルリザードのぶつ切りと妖樹の新芽を、ポイズンアラクネの髄液でコトコト煮込んだ。隠し味にリーサルラットの脳漿を混ぜてある。とても美味しい』
昨日のアレは、世の中に広めない方が……
僕の懸念を他所に、ターリ・ナハが笑顔で答えた。
「分かりました。あなたはタカシさんと共に、私をあの地下牢から救い出して下さった恩人です。私程度の料理で良ければ、喜んでお教えしますよ」
エレンは、ターリ・ナハとの会話をきっかけに、昨日よりも仲間達と打ち解けた感じで話し出した。
たまに頓珍漢な受け答えをするけれど、それも僕等の会話のスパイスの一つになってその場が盛り上がった。
ノエミちゃんの推測では、エレンは、エレシュキガルが自らの身を守るために創り出した人格なのだという。
そして目の前で楽しそうに仲間達と語り合うこの“エレンの宿る身体”こそ、500年前、世界の半分を焼き払った魔王エレシュキガルその人なのだと。
例えそれが真実であっても……
500年間、ただひたすら一人で生き抜いて来たらしいエレン。
自分が犯した罪の重さに圧し潰されそうになっても、僕なんかが示した生きる道を信じてくれているらしいエレン。
彼女が幸せになってはいけないなんて道理は無いはずだ。
エレシュキガルを完全消滅させてエレンを救う。
そのためにも、可能な限り急いで神樹第110層を目指さないといけない。
仲間達と談笑しながら、僕は決意を新たにした。
夜9時過ぎ……
アリア達に別れを告げた僕は、【異世界転移】で地球のボロアパートに戻って来た。
まだ『佐藤博人』との約束の時間まで2時間近くある。
スマホを確認してみると、井上さんからのメッセージが届いていた。
5月30日 19:46……
『しおりん知らない?』
そう言えば、昨日、関谷さんから来週のダンジョン攻略の予定たずねるメッセージ届いてたっけ。
ちょうど良い。
確か、O府O市にこの近辺唯一のA級ダンジョン、淀川第五があったはず。
井上さんに聞いてみよう。
―――『こんばんは。関谷さんとは、今日は連絡取ってないんだ。話変わるけど、淀川第五、潜った事ある?』
僕の送信したメッセージは、すぐに既読になった。
そして、僕のスマホに井上さんからの着信が入った。
「もしもし?」
『中村クン? しおりん知らない?』
なんだか少し慌てたような声だ。
「どうしたの?」
『夕ご飯一緒に食べようって話してたのに、夕方の6時位から、全然連絡つかなくなったのよ。中村クン、しおりんと何かあった?』
「なんで井上さんが関谷さんと連絡取れない事と、僕が関係あるの?」
『キミがしおりんに余計な事言って、しおりんが傷心癒すために旅立っちゃったとか?』
僕は思わず苦笑した。
井上さんは、どうも僕と関谷さんとの関係性を誤解している。
「そんなわけ無いでしょ。でも、連絡つかないのは心配だね」
『そうなのよ。あの子、今まで連絡無しで約束すっぽかした事なかったんだけど』
「体調崩して、家で寝てるとか?」
『実は家にも行ったんだよね。でも、誰もいなかった』
「家にもって、井上さん、O府に住んでるんじゃ無かったっけ? 今どこ?」
『N市駅前。連絡つかないから、一人でご飯食べて、とりあえず帰ろうかとしてたところ』
しかし、関谷さん、どうしたんだろ?
その時、僕は突然嫌な考えが頭に浮かんだ。
佐藤は、関谷さんの気を引くために、田町第十の攻略を企画した。
そして僕は今夜、『佐藤博人』から呼び出しを受けている。
「一旦、電話切っても良い?」
『何? もしかして、心当たり有るとか?』
「無いけど、一応、確かめときたい事あるから」
『あ、ちょ……』
なおも何か言い縋る井上さんの言葉を振り切るように、僕は一旦電話を切った。
そして電話帳を開くと、茨木さんの電話番号をクリックした。