牙を研ぐ
牙を研ぐ
のどかな草原、それを川のように貫く、一つの道があった。数多くの旅人が通ったのだろう。草もまばらで、人3,4人分ほど土がその茶色を覗かせていた。
そこで、二人の武人が相対していた。双方とも獲物は刀で、それを正眼に構えている。その常人には出せぬ異常なまでの威圧感と、腰に差した脇差しは、彼らが侍である事を雄弁に示していた。
双方の間には、ただ殺意だけがあった。相手を、なんとしてでも殺さんとする、凝縮された憤怒だ。
――互いが、妻の仇である。
ぴき、と音が鳴った。片方、廣野長之助が、亡き妻を想い噛み締めた奥歯に罅が入った音である。瞳孔は開き、白目は赤く血走り、瞳には憎悪が宿っている。
長之助は殺意が仇の方を向き、刀の形をとったのを感じた。
気付けば突いていた。怒りにより限界を超え膨張した筋肉がそれを神速の物とする。
相手、片野斉之助は先手を取られたにも関わらず冷静であった。
――無策の突きだ。
斉之助は長之助の突きに自分の刀をあてると、柄を手元に引き、軽く捻った。刀の反りによって突きはその向きを変えたが、神速の突きを反らしきるには叶わず、肩に刀が深々と突き刺さる。斉之助は鉄仮面の下に隠した煮え油のような憤怒でそれを無視し、返す刀で長之助を突いた。
尋常の立ち合いならここで決着がついていたであろう。
しかし、これは仇討である。己の半身を失った者同士が、片身のみで殺し合う場である。
斉之助は敢えて右肩と胴の繋ぎ目を刺した。長之助の右肩は使えなくなり、刀を押し分けるように血が噴き出る。
長之助はほぼ無心でこの立ち合いが終わっていないことを悟り、もはや使い物にならない大刀を手放し、左手の裏拳で斉之助の頭を狙った。武士たるもの、素手で人体を破壊できるほどの筋力は持ち合わせている。
しかし、頭を捉えた手ごたえはなかった。見ると、左手が手首から切断されている。
大刀を手放したは斉之助も同じだった。彼は恐るべき速さで小刀に手を伸ばし、抜刀の勢いのまま長之助の手首を切断したのだ。
斉之助は相手が最早自分を害しえぬことを悟ると、小刀で長之助の四肢の腱を切って行った。
「殺してやらぬぞ」
彼は呪詛を吐いた。長之助の顔が腱を切られた痛みと恐怖で大きく歪む。
「お前は、意思のみ明瞭なまま、体を奪われ、芋虫のように生きるのだ」
自分の手首の止血をする斉之助が、彼には鬼に見えた。
武士としての仕事を終えた斉之助は屋敷に帰ってきた。もう師走であり、彼が吐く息は白い。
仕事に疲れた彼の心を癒すのはペットへの餌やりだ。
「ほれ、飯だ」
よほど腹が減っていたのか、ペットは泣き声を上げながらそれを貪る。
それを見る斉之助の顔には、深い笑みが刻まれていた。
シグルイ読みながらゆっくり書きました。