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ごめんなさい。地下迷宮に潜るのはまだ先になりそうです。
簡単には潜れませんw
唯はノートとエリアスの顔を交互に見やった。
ノートはA5の大きさで表紙は焦げ茶色、背表紙は浅黄色だ。
「これはなに?」
「僕がここに来たのはそれを渡すためさ。さぁ、手に取って中を見てごらんよ」
唯は渋々とノートを持ち上げた。彼のペースに乗せられているようで癪に障ったが、好奇心には勝てなかった。
最初のページを開くと、そこには唯の氏名、年齢、性別と職業とパラメーターが書かれていた。
腕力:1
体力:1
知力:5
器用さ:50
知識:1
素早さ:1
幸運:50
TTRPGには欠かせないキャラクターシートだった。コンピューターゲームでいう「ステータス画面」である。
それにしても、この激しく偏った数値はなんなんだ。笑えばいいのか?
唯はノートから顔あげ、困惑気味にエリアスを見つめた。
「ちょっと、意味が分からないんだけど」
「僕からの贈り物だよ。前にも何度か説明したけど、この世界にはレベルの概念はない。全ては数値と経験だよ。経験を積んで技能を身に着けて、その技能を更に派生させていくのがこのゲームのカギさ。大盤振る舞いしてあげたんだから、もっと喜んでよ」
「でも、これ、いつも二人で遊んでた時と数値が違うわ」
「数値の上限を99に変更したんだ。いちいちサイコロ振るわけにはいかないからね。こっちは現実の世界と変わらないんだから自分の意思で動いてくれよ。いっておくけど、君のために能力を可視化してあげたんだ、気に入らないなら返してもらおうかな」
と、エリアスが手を伸ばしてきたので、唯は慌ててノートを抱きかかえた。
「ははっ、そうこなくっちゃ。唯一の情報だから有意義に活用することだね」
「こっちでは何もかもエリアス君の思い通りみたいね」
「んー、そんな事ないよ。僕の力の及ばないこともあるさ。例えば、こっちでの『死』は文字通りの死だよ。僕でさえその死の運命からは逃れられない。カッサンドラは動き出したんだ。僕もこの世界の駒の一人なのさ」
唯は大きなため息をついた。エリアスへの怒りは急速に萎え、そのかわり逃れられない罠に陥ったような諦観と脱力感に包まれた。主導権はエリアスにあるのだ。彼がルールであり、彼女はそれに従わなければならない。
「いったいどこでそんな力を?」
「唯、僕はね、カッサンドラに行きたいって毎日空想してたんだ。現実逃避の馬鹿馬鹿しい夢さ。でも、そのためなら血肉も魂も捧げられるって本気で考えていた。きっと、そんな僕の願いに応えてくれたんだ。カッサンドラは具現化し、僕の望む身体と力を与えてくれたんだよ」
随分と抽象的な回答だ。だが、唯は納得することにした。どんな説明を受けたところで、この理不尽な状況は変わらないのだ。
「さてと、渡すものも渡したし、そろそろ僕はお暇しようかな。これから宮廷のご婦人方が開く茶会に出るんでね」
そう言ってエリアスは右手を頭上に揚げた。その薬指には金色の縞の入った赤い石の指輪が嵌められている。
「ちょ、ちょっと待ってよ、お暇ってどこへ? まだ、一杯聞きたいことがあるのに…」
「どこって、もちろん、帝都ヴェルサリオの宮殿だよ。僕は長距離移動の魔法が使えるんでね」
「そんな…」
「唯、君は少しお人好しの所があるから心配だけど、でも、きっと大丈夫さ。ま、せいぜい死なないようにがんばってよ」と言うや否や、右手の指輪から閃光がほとばしり、次の瞬間にはエリアスの姿が消えていた。
唯は呆然として暫くその場に立ち尽くした。
いまのが魔法なのか? まるでイリュージョンだ、と思った。
エリアスは皇子という身分を得た上に魔法まで使えるようだ。それに比べてわたしは…。
唯はどっと疲れを感じて椅子に腰かけると、思い出したように小脇に抱えたノートをテーブルの上に置いた。そういえば、まだ最初のページしか見ていなかった。他には何が書かれているんだろう?
ノートをパラパラとめくってみたが、ほとんどが白紙だ。
いや、待てよ、真ん中あたりに何か書かれている。
ページ数でいえば10ページ目。『攻撃技能』とタイトルが書かれていて、左側の11ページには『一般技能』と書かれている。『攻撃技能』の方は真っ白だが、『一般技能』には色々と細かく書き込まれている。
裁縫:B
皮革細工:D
鍛冶:E
薬師:D
調理:C
農業:E
読み書き:D
それぞれの項目の後ろに分岐線が引かれ、更に細分化された技能が書かれている。
裁縫:B ――綿A――麻A――帆布B――絹B――ウールB
――染織D
――ステッチA――刺繍B
――リフォームB
これが「派生」というものか?
なるほど、このページには唯の習得済みの技能が書かれているようだ。ざっと見ただけでも結構ある。器用さ50は伊達じゃないようだ。後ろのアルファベットは熟練度だろう。実際、鍛冶以外なら元の世界でも出来そうなものばかりだ。
「うーん」唯はノートを睨み付けながら低く唸った。
カッサンドラで生きていくだけなら、これで十分だろう。だが、エリアスの提示した二つの方法に挑むとなれば、これら一般技能だけでは難しい気がする。
まず、一つ目の帝都ヴェルサリオのエリアスに会いに行くというものだが、これはかなりの難関に思われた。
なんといってもその距離だ。ここは帝国本土から遠く離れた僻地の島である。ここから本土へ渡り何か月もかけて帝都を目指すことになれば、路銀を工面するだけでも苦心しそうだ。
当然、道中には山賊、追剥、野盗、魔物等に襲われる危険が常にあり、そうなると、ある程度の武器の扱いが必要になってくる。しかも、仮に帝都に無事辿り着いたとして、なんの肩書もない無名同様の田舎娘がそうやすやすと帝国の皇子に拝謁できると思えない。
無理ゲーじゃん。
唯は長嘆息を漏らして天井を仰ぎ見た。絶対に無理だ。
では、二つ目のワン・フーはどうだろう?魔物が徘徊する地下迷宮の最深部を目指すというものだが、帝都への長旅と同様、こちらも「無理ゲー」にしか思えない。
唯は長い間天井を見つめていた。あれこれと自分なりに方策を立ててみたが、どれもこれも自分が死ぬ場面にしか行きつかない。戦士や魔法使いならば、多少の危険にも対処ができるのだが…。
どれほど時間が経ったのか、お腹の鳴る音で唯は仕方なく椅子から立ち上がった。
こうしていてもしょうがない。唯は近所の農家から分けてもらった牛乳と余ったオーツ麦で粥を作って食べると、自家製シリアルバーを売るために家を出た。ここ数日で何組かのワン・フーの探索者パーティーと知り合いになったから、もっと詳しく話を聞いてみることにしよう。