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唯は焙烙(ほうろく)でオーツ麦を炒っていた。

そこは古い半木骨造(ハーフティンバー)の家の台所兼食堂兼居間で、広さは12畳ほど。北側の壁龕(へきがん)に耐火煉瓦を積んだ大きな平炉があって、西側には天井まである作りつけの棚が設えてあり、鍋や食器や瓶や食料品がゴタゴタと並んでいる。部屋には他に木のテーブルと肘掛け椅子が2脚、それとスツールが1脚ある。

 ()()にきて1週間。唯は現状を理解しつつあったが、それでもまだ半信半疑だ。

まさか異世界に来るなんて……

 自室で気を失ってからどのくらい経ったのかは知りようがないが、次に目覚めときはこの家のベッドの上だった。

見たことのない部屋――。

混乱したまま外に出ると、そこには見慣れない風景が広がっていた。

メルヘンチックな半木骨造(ハーフティンバー)の家々が並び、遠くにゴシック様式風の教会か神殿の尖塔が見えた。そして、近くを()き牛を引いた金髪碧眼の農夫が通る。

一体ここはどこなの?

 最初に言葉を交わした人物は山査子(サンザシ)の生垣を挟んだ隣家の住民で、ヒュー・シュミットという、やはり金髪碧眼の鍛冶屋の男だ。幸いなことに言葉は通じた。異世界転移のお約束というやつか?

鍛冶屋から教えてもらった村の名前を聞いて、唯はハッとした。

コペルニクス。

ふざけた名前だが唯には心当たりがあった。

同級生で幼馴染みのエリアス・加賀美が創作するTTRPG『カッサンドラ』に出てくる村の名前と同じなのだ。

「もしかして、この近くにワン・フーという地下迷宮があるのでは?」と唯が尋ねると、ヒューは「もちろんだ、この村の名物じゃないか」と答えた。

ワン・フー。

唯は確信した。

どうやらここは、エリアス・加賀美が作った世界のようだ。彼は自分の作る世界の地名に月のクレーターの名前を付けていたのである。コペルニクスもワン・フーもクレーターの名前だ。偶然ではないだろう。


『早くおいで、こっちは楽しいよ』


意識を失う間際に聞こえたあの声は、やはりエリアスだったのだ。

そうか、私はエリアス君が作った世界に来たんだ。あるいは、飛ばされたのか、引きずり込まれたのか。

いずれにせよ、エリアス・加賀美が関わっているのは間違いないだろう。


 唯は木べらで焙烙のオーツ麦を静かに掻き回した。焦がさないように火加減にも気を配る。

あれから1週間、唯は村中を回って情報を集めた。

その結果得た情報では、コペルニクス村はモントヤーデ帝国領内のグーテンベルク島にあるということ、

近くには古代文明の遺跡である地下迷宮『ワン・フー』が広がっていること、

村がその地下迷宮を探索する「探索者」たちの拠点になっていることを知った。

そして唯については、最近村に住み着いた新しい住民で職業は「仕立て屋」ということになっていた。

勿論、これにも心当たりがあった。

というのも、唯とエリアスの二人はよく『カッサンドラ』を舞台にしたTTRPGに興じていて、その際、自身の分身であるプレーヤー・キャラクターの職業(クラス)として唯が選んだのが仕立て屋の村人なのだ。

職業(クラス)には他に剣士、魔法使い、弓使いなど数種類用意されているのだが、村人を選択すると「家付き」という特典があったため、唯は迷わず村人でのプレイを選んだのである。

この「家付き」というのはかなり美味しい特典で、宿泊費と食費の節約になるほか、本来有料のアイテム保管庫も自宅であればタダになり、しかも無制限に道具や装備を保管できるのである。

もっとも、美味しいと喜んでばかりもいられない。他の職業と違って「村人」は初期の段階では武器・防具の使用と装備が一切できないので、そのハンデを補うための「特典」でもあるからだ。『カッサンドラ』にはいたるところに危険なモンスターが徘徊しているので、武器が使用できないのはかなり深刻である。

そればかりか、唯にはもっと深刻で喫緊の問題があった。

 お 金 が な い のである。

『カッサンドラ』では、スタート時点に職業(クラス)に関係なく20枚の銅貨が所持金として用意されていて、それは目覚めた時にベッドわきのテーブルの上に置かれていた。

だが、この額は三日分の食料分にしか相当しない。

唯はこちらの世界に来て早々に、いかに食い扶持を稼ぐかという現実的な問題に取り組まなければならなくなったのである。

 そこで、考えた末に思いついたのが、ワン・フーの探索者向け携行食糧の販売だった。

この辺りでは携行食と言えば固焼きのパンを指すらしく、いわゆる乾パンのようなもので日持ちはするが味はいまいちだという。ならばと、唯は有り金をはたいて材料を買い込みシリアルバーを作って売り込むことにしたのだ。穀物を炒り、そこに刻んだ干しブドウや乾燥アンズ、クルミを入れ、バターとハチミツで煮詰めて固めるのだ。

3日前に試作品を作って売り歩いたところすこぶる大好評で、今日も朝からオーツ麦を炒っている訳である。異世界だろうとどこだろうと、生きている限り食べて寝ることは変わらないのだ。

 とにかく、当面は食い扶持の確保だ、と唯は考えた。ある程度生活を落ち着かせて、そこから先のことを考えよう。なにしろ自分は村人Aなのである。戦士のようにモンスターをなぎ倒したり、魔法使いのように火の玉をガンガン飛ばす技能はないのだ。危険なことからは極力避けなければならない。

 オーツ麦に火が通って焙烙を五徳から下ろそうとしたそのとき、背後からクスクスと笑い声が聞こえてきて、唯は危うく焙烙を落としそうになった。

驚いて振り向くと、いつからそこにいたのか、部屋の隅に若い男が立っているではないか。

 男は豪奢な衣装に身を包んでいた。ダマスク織りに似た鮮やかなサフラン色の長衣に、黒い毛皮で縁取られた濃紺のビロードのマントを羽織っていて、腰には螺鈿の鞘に納められた剣を佩いている。肩に流れる淡い金髪は絹布のようで、瞳はまるで蒼玉(サファイア)だ。

男は悪戯っぽい笑み浮かべてこちら見ているが、その顔には見覚えがあった。

というより、知っている顔だ。

「あ、あなた、エリアス君? エリアス君じゃないの?」



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