百円から始まる恋
「あーっ、ムシャクシャするっ!」
俺は叫ぶのと同時に、そばに落ちていた空き缶を蹴飛ばした。むしゃくしゃしていた割には、綺麗に弧を描いて宙を舞った。俺の叫び声が近くを走る電車の音に掻き消されるのと同時に、空き缶が落ちた。気持ちが萎えた。カランという空き缶の乾いた音が、俺の気持ちを一層虚しくさせた。
「ちっ」
軽く舌打ちをして、辺りを見回した。気づけば結構遠くまで来ていたようだ。周りに見覚えはあるが、はっきりしない。あそこのコンビニは知ってるような知らないような、そんな感じだ。
街の風景は嫌いじゃない。背後に沈む夕陽と相まって、何だか嫌な気分はしなかった。むしろ、妙にいい気分だ。
「兄ちゃんよ、ちょっとこれやっていかねぇか?」
「あぁ?」
不意に俺は声かけられ、立ち止まった。声のした方を見ると、声の割に、妙に愛くるしい顔をした初老の男が立っていた。
「爺さんよ。俺はこんなナリだが、生憎と真面目でできたんだぜ? ギャンブルはやらねぇよ」
「はっはっは。そんなんじゃないわ。ゲームよ、ゲーム。ちょっとやっていかないかね?」
「ゲームぅ?」
「ん、ゲームよ。兄ちゃんはやったことないんか?」
そう言って男は、奥を指差した。そこには薄暗い商店街とは似つかわしくない、電飾で煌々と眩しく光る、ゲームの筐体がいくつか見えた。
「あぁ、アーケードゲームね」
「そうそう、別にとって食うような阿漕な商売はしてんよ。少しやっていってくれりゃええ」
男は軽く笑いながら答えた。その姿に信頼に足るものはあまり見えなかったが、妖しく光る筐体のネオンに吸い寄せられるように、俺はゲーム屋へ足を向けた。
「まいどあり」
男が言った。
「まだやってねぇから」
俺は男の言葉に突っかかりながらも、ゲーム屋の中へ入っていった。
「おお」
ゲーム屋の中は、外から見るより、意外と大きかった。おそらく、奥行きがあるのだろう。部屋の奥が、ずっと向こうに見えた。
「へぇ、色々あるんだな」
中を見渡すと、本当に色々なゲームがあった。アクションやシューティングはもとより、パズルゲームや格闘ものなど、特定のジャンルに偏っていることはなく、様々なものが取り揃えてある。
「あっ! このゲームなっつかしぃの」
たくさんのゲーム機の中から、俺は一つの筐体に目がとまった。
「グールーファイターじゃん」
一昔前っぽいフォントで筐体にデカデカと書かれているそれに、俺は心を奪われた。「グールーファイター」と書いてあるそれは、何年も前のゲームだが、俺と同じ世代のティーンエイジャーなら、恐らくしたことがない奴などいないんじゃないかって言うくらい、熱中したゲームだ。
「いっちょやってみるか」
百円を取り出し、筐体に入れる。これまた一昔前を感じさせるフォントで、タイトルが、プロローグが、そして、キャラクターセレクト画面が流れた。規制が緩かった時代だ、バイオレンス激しいキャラクターのモーションが荒々しいが、妙に感傷的になる。俺はスティックを傾けながら、感覚を取り戻すように、あるキャラクターのところで手を止めた。「格闘家タツ」と描かれたそれを選択すると、一人プレーの無差別対戦モードを選んだ。
「おっ、リバーシージョーじゃん、なっつかしい」
ジョーは、細身のアメリカ人をモデルにしたキャラだ。体温機能の調整に異常をきたしているという設定のキャラで、年中集めのダウンを着ている。それを活かした攻撃もバリエーションに富む。どのような攻撃なのか、記憶を確かめつつジョーと勝負をしつつ、その後出てくるキャラとも対戦した。「霞のお涼」「シュン・イワイ」「アンドロイドケージ」など、見れば見るほど感慨深いキャラクターとバトルをし、倒していく。
「いやー、久しぶりにやってみても、やっぱ面白いわ。ん?」
ケージを倒したところで、急に画面が切り替わった。画面に表示されていたのは、「挑戦者!」の文字。対面側の筐体からの挑戦だ。
「おう、いいじゃん。やってやろうじゃんか」
俺は迷わず、「イエス」を選択した。
「野生児フランケンねぇ」
挑戦者が選択したキャラクターが画面に現れたのを見て、思わず俺は呟いた。
あちらさんが選んだフランケンは、あまり人気のないキャラクターだ。攻撃が単調なのと隙が大きく、上級者かよっぽどの物好きしか使わないのが理由だが、向こうが選択してきたということは、つまり、よほどの好き者か、熟練者だということだ。
そうこう考えているうちに、また、画面が変わった。対戦画面だ。こちらが左、むこうが右に配置されている。
「おっしゃ」
スタートと同時に、一気に距離を縮めた。持ちキャラであるタツは、スタンダードなキャラクターだ。本来ならやや距離をとって、無難な勝負をとるのが一般的な闘い方である。わざわざフランケンの得意な近距離戦でプレーする必要はない。が、緒戦だ。相手の出方を探りたいところがある。これは『ほらほら、得意な近距離戦だぞ。どう出る?』という、ある程度以上のプレイヤー同士なら分かる社交辞令のようなものだ。
「うおっ!」
こちらの誘いに対して、フランケンのプレイヤーのあしらいは、とても特異なものだった。距離を詰めるこちらの出方に対して、絶えず距離をとった。端に詰められそうになったら、ジャンプなどを駆使して、絶えず密着されることを嫌った。俺は負けじと距離を詰めようとするが、近づこうとした動きの一瞬をつくように、フランケン得意の打撃をもらった。
『こいつ、強ぇ!』
心の中での叫びだったが、いつ口に出してしまうか分からないほど、フランケンのプレイヤーは強い。こちらの誘いに対して決して隙を見せず、膠着状態を焦った俺の一瞬の隙を、うまいこと突かれた。気がつけば残りライフに倍以上の差がある。こちらの焦りを感じるプレーに対し、フランケンの佇まいはさながら『ほらほら、もっと打ってきなさいな』と聞こえるような、余裕と自信を感じた。
『これ以上はダメだ』
俺は意を決して飛び込んだ。同時に、手元のコントローラーで、複雑なコマンドを入力した。このゲームには公式には書かれていないが、実は必殺技を凌駕する超必殺技というものが設定されている。ライフが一定以下で、かつ複雑なコマンド入力が必須だが、俺は慣れた手つきで入力した。入力にあわせ、画面のグラフィックが大きく変わった。入力成功の証だ。「よしっ!」と声を張り上げ、俺は思わず立ち上がった。勝利したと確信したからだ。
「な、何で」
俺が現実に引き戻されるのに、そう大して時間はかからなかった。まさに超必殺技がヒットしたと思った瞬間、フランケンが攻撃を避けたのだ。正確には避けたというよりも、攻撃の際に発生するモーションを用いた回避であった。うまく発生させないとできない、タイミング勝負の世界。下手をすれば超必殺技をまともに受けて、敗北するかもしれない刹那の駆け引き。フランケンのプレイヤーはそんな危険なプレーをこのタイミングで難なくこなし、圧倒的大差をつけて勝利した。倒れたタツの横に立つフランケンが、どことなく輝いて見えた。
「くそっ! もう一回だ。おい、向こうの奴よ。もう一度やるよな?」
俺はそう言って、百円を投入した。続けざまに始まる対戦モード。フランケン側の回答は「イエス」だった。
「負け、負ける? 俺が? まだまだあああっ!」
それから俺は何回負け続けただろう。投入した百円の枚数が分からなくなるほど、俺は負けた。しかし、負けても不思議と不快ではなかった。むしろ、清々しいものだった。タツとフランケンのモーション一つ一つが、会話のように流れ込む。心地良ささえあった。
『お前、距離をとるのは性格か? それともそういう戦略か?』
『いやいや、クセみたいなもんだよ。君こそ劣勢になると必要以上に焦りが出てくるね? 性格かな?』
『焦りぐらい、こんだけ負けてたら出るだろうさ!』
『ん、そうだね。しかし、君は面白いね。ひと昔前の使い古されたコンボや組み立てで来るけど、そこらの上手い奴よりよっぽど面白いよ』
『へへ、そりゃどうも。やり方が古いのはブランクがあるからな。こいつに触るのはなん年ぶりくらいかって感じだ』
『へぇーっ。それでこの上手さは凄いよ。今からでもやり込めば?』
『うーん、それもいいかもな』
『じゃあ、頑張ることだね。っと、油断大敵だぜ?』
『あっ!』
気づいたときには、タツが画面の中で宙を舞っていた。カウントとライフを十分に残し、いつものように佇むフランケン。
「くっそ!」
思わず声が漏れた。そして反射的に、ゲームの筐体を思いっきり叩いてしまった。ガン、と叩いた音が、静かな店内に響いた。しまった、と思わず赤面する。
「へぇ、意外だね。タツのプレイヤーがこんな良い男だったとは」
不意に俺の頭上から声がした。
「ははっ、しかも同い年ときている」
「な、なあっ?」
「キミの着ている制服、第三高校のやつでしょ? しかも、今年から制服のデザインが変わった。つまり、キミは高校一年生ということだ」
「っつ!」
「はは、別に何もしないよ。私も高一なんだ。まぁ、高校は美山高校だから違うんだけどね」
美山高校、その言葉に俺は幾ばくか驚いた。美山高校とは県下一、二を争う進学校だ。そんな秀才、天才揃いの学生、しかも女生徒が、こんなところでゲームに没入しているとは。
「ん? キミ、私のことを『こんな美人で天才な女子高生が、なんでこんなところでゲームなんてしてるんだ?』って思ったでしょ」
「美人は思ってないぞ」
「あら、意外だね。これでも学校ではモテるほうなんだけどね」
確かに、暗がりのせいでよく分からなかったが、目を凝らしてみるとすごく綺麗だった。いや、綺麗という言葉は言葉足らずかもしれない。同世代の中でも群を抜いていると思う。
透きとおった瞳と肌、すらりとした頰のあたり、艶やかな口もと、綺麗に整えられた髪型。顔だけでも十分に綺麗だ。それに、筐体から乗り出しているせいかうまく判別つかないが、程よい肉付きと、それに……胸もありそうだ。昼間の駅前やアーケード街を歩いていたら、同世代の男子高校生なら、ほぼ振り向くだろう。確かに、自分で言うだけのことはある。
「あっ! ってことは、天才ってところは少なからず思ってたわけだ」
「まぁ、少なからずは」
「キミ、正直でいいね。いいよいいよ」
「うるせぇ。それに俺はキミじゃねぇ。恵智樹って名前があるんだ」
「ふーん。じゃあ、トモくんだね」
「なあっ? 勝手に略すなぁ!」
「チッ、チッ、チッ。ゲームの世界ではかったものが勝者だよ? だから、私がどう呼ぼうと、トモくんがいくら不平不満を言ってもしょうがないのだ」
「……くそっ!」
「自覚があってよろしい。さて、キミの名前を聞いて、私が名乗らないのも野暮だからね、教えてあげるよ」
「別にいいよ」
「いやいや、名乗らせてもらうよ。勝負の世界じゃ、互いに名乗ってなんぼだよ。ゲームでもさ。私は友田恵。メグって呼んでね」
「嫌だ、絶対呼ばん」
「そう言われても、呼んでもらわないと困るね。勝負の世界じゃ、勝ったものに従うものさ。それに君は、こういう事には一本筋を通す人だと思うんだけどなー」
「ぐぅ」
「なぁーっ?」
「ね? さあさあ、早く呼んでよ」
「……ぐ」
「ん、何? 聞こえないよー?」
「……め……ぐ……」
「えっ! 何々?」
「メグっ! さぁ、これでいいんだろう?」
「おおーっ、よく出来ました!」
「……うるせぇ」
「ふふふっ! っと、名残惜しいけど、そろそろ時間だ。私は帰るけど、トモくんさ、キミ、明日も来なよ。また、相手してよ」
「ふんっ、嫌だ、断る」
「ええっ、駄目なの?」
「と、言いたいところだけど、負けっぱなしは癪だからな。しょうがねえ、明日も来てやるよ」
「本当? やった、嬉しい」
「ふんっ!」
それから数ヶ月が経った。
俺は「あのゲーセン」に毎日入り浸っていた。
あの女、メグにリベンジを果たすためだ。
「だーかーらー、そんな一本調子じゃダメだって。もっと周りを見ないと、ね?」
「うるせえ。これが俺のポリシーなんだよ。攻めて攻めて攻めまくるのがさ」
「うんうん、トモくんのそういうところ好きだよ」
「なあっ?」
急な言葉に、動揺する。ボタンにしっかり置いていた右手が、思わずブレた。
「あっ、ほら。隙ありー!」
「あっ!」
気づいたときには、目の前に「負け」の文字。今日も俺の完敗だ。
「おいおいおい。今のは無しだろ。動揺させやがって!」
「ん、動揺? 私、何か言った?」
「そ、それは……」
「何か言いましたっけ、私?」
そういうとメグは、筐体から離れ、ずいっと俺と画面の間に体を捻りこんできた。
髪を掻き上げながら、うなじを触る仕草に、思わず動揺した。
「な、何も言ってねぇよ、バカっ!」
「あら、バカって言われちゃった。まぁいいか、次やろうよっ!」
「ケッ、次は負けないからな、メグ!」
「もちろんさ、そういう意気できてもらわないとつまらないよ」
俺たちは試合を再開した。
季節も秋に差し掛かったからだろうか。午後5時を過ぎると、気温が下がったせいか、それとも湿度の問題か、店内とはいえ、ひんやりとする。適度な涼しさが、思考をクリアにする。俺にとっては絶好のプレータイムだ。
「さっきさ」
「あ? 何だよ」
「普通にメグって呼んでくれたね、ちょっと嬉しいよ」
「なあっ?」
「はい、隙ありー」
「ぎゃっ」
また、やられてしまった。俺はノータイムですかさずコンティニューする。
「おい、卑怯だぞ!」
「えっ、何が?」
普通にやっても強いのに、メグは「こういうこと」が非常に上手い。
いや、上手いなんてもんじゃない。きっと天性のものなのだろう。
「トモくんが弱いのは、隙があるからだよ」
「いや、それはお前が……」
「まぁ、こっちも本気にならないと負けちゃうからね」
「あぁ?」
「隙ができちゃうとね、そうなる前に決めないと」
「隙があると? 俺にはねぇよ。でも、いつもいつもメグがちょっかい掛けてくるんじゃないか」
「はははっ、嬉しいよ。無視すればいいのに、ゲームに夢中のようでも、私のことを少しは意識してくれてるんだ」
「なっ!」
「うんうん、嬉しい嬉しい。こりゃ、今度の連休にデートくらいしてあげないとね。トモくんがいじけちゃうね」
「はあっ?」
「はい、隙ありー」
そう言ってメグは、得意の投げ技で、俺の持ちキャラを投げ飛ばす。画面に出る敗北の文字。今日はこれで10連敗だ。
「さあっ、もうひと勝負といこうか?」
メグは俺の横に立って、見慣れた財布から小銭を出し、ボタンを押した。
「おいっ、それ俺の財布じゃんか!」
「ははっ、気にしない気にしない」
「いやいや、気にするだろ」
そう言いながらも俺はボタンに手をかけた。画面に映る俺の顔は笑っていた。少し前じゃ考えられなかったことだ。ちらっと横にいるメグの方を見ると、彼女も笑っていた。出会った頃とは違い、無邪気な表情が眩しい。
俺はメグとのこの時間が好きだ。
メグと話せるこの場所、この時間が好きだ。
何気なく入ったゲーセンから、まさかこんなことになるとは。
向かいの筐体に歩いていくメグを見て、そんなことを考えながら、俺はギュッとスティックを握った。
もりやす たか と申します。
乱筆乱文ですが、ご覧いただければ幸いです。