part9
Mont~光の国の魔法使い~
医務室の中は満杯だ。幸い死者は出なかったものの、負傷者はかなりの数に登ったからだ。
巨木をくりぬいて造られた医療所はエルバのランプで淡い黄色に染まっている。
アルヴァーは黙々と医術師たちが行き交う板張りの廊下を進んだ。
(…もう話が広まってるのか)
--変異種のヒトガタをひとりで二匹倒した。そんな話がもう広まったようで、医術師たちもアルヴァーをちらちらと見ては急ぎ足で去っていく。彼は、寂しさや腹立たしさを超えてなんだか面倒くさくなってきた。
(…手当ての道具だけもらって帰ろう)
そう思って医術師たちの作業室の扉の前に立った。
「…聞いた?アルヴァー、変異種ヒトガタを瞬殺したんですって」
「…もう、強いなんて範囲じゃないわ。私、ちょっと怖いのよね」
「そうそう、あのカトリーナと同じになるんじゃないかってね」
扉の向こうからそんな話し声が聞こえる。アルヴァーはため息をついた。もういいやと背を向けかけたその時、
「何言ってるんですかみなさん!アルヴァーがそうやって倒してくれたおかげで私たちは無事だし、誰も死なずに済んだんじゃないんですか?むしろ感謝すべきです!」
その言葉に部屋の中がざわつく。
「…もういいです。私、患者さんのところ行ってきます」
その声と同時に扉が開かれる。突然のことにアルヴァーは扉から立ち去り損ねた。
「…あっ…」
扉を開けた声の主は固まった。部屋の中も気まずい沈黙が流れる。声の主は慌てて扉を閉めた。
「…聞き…ましたよね?」
金色の長い髪を揺らしながら、おずおずと彼女は尋ねてくる。アルヴァーは無言で頷いた。
「…みんな失礼です!わたしは本当にアルヴァーのこと、すごいと思ってます!みんなが無事なのは本当にあなたのおかげです!カトリーナなんかとは全然違うと思います!本当です!」
ぐんぐん彼に詰め寄りながら、彼女は熱弁した。
「…あ…ありがとう」
気圧されながら、アルヴァーは言った。
(…そんな風に…)
--そんな風に言ってくれたのは、カルガントを除けば初めてだ。誰もが怖れる強大な魔力を英雄視する者は。
「…それと、怪我してますよね?治療しますよ」
彼女はアルヴァーを見つめた。どことなくヴィエラに似ている。アルヴァーは微笑んだ。
「…ありがとう。でも、オレは大丈夫。他の人を治療してあげて」
「…そう…ですか。じゃあ、これ、包帯と薬です。ちゃんと手当してくださいね」
彼女も微笑み返し、小さな包みを手渡した。
一礼して立ち去る彼女の後ろ姿に、アルヴァーは呼びかける。
「…あの…よければ、名前を教えてもらえる?」
彼女はにこりと笑った。
「はい。医術師のヴィオナです」
--名前まで、ヴィエラに似ているな。
アルヴァーはそう思いながらヴィオナの後ろ姿を見送った。
--今朝のようにカルガントはアルヴァーの部屋の扉を叩いた。
「…カルガント?はいっていいよ」
扉を開けたアルヴァーは目を丸くしながらも彼を招き入れた。
「聞いたよ?大活躍だったらしいね!」
カルガントの言葉にアルヴァーは笑いながら答える。
「変異種ヒトガタ二匹!瞬殺だぜ」
そう言ってベッドにどさりと腰掛ける。カルガントは黙ってその様子を見つめている。
「…おい?なんか言えよ」
アルヴァーは戸惑ったように首を傾げた。
「みんなにまた何か言われたでしょ?」
カルガントはぐっと彼に近づいた。
「言われたけどさ。気にするわけないだろ」
はは、と笑いながらアルヴァーは言う。けれどカルガントは更に彼に詰め寄った。
「嘘だ。いつだって君はそうやって気にしてないって風に振る舞うけど、本当はすごく傷ついてるはずだ」
「なんだよ、らしくないぞお前」
アルヴァーは眉を顰めた。カルガントは一旦彼から離れ手近にあった丸椅子に座った。
「傷ついてるし、気にしてる。そうでなきゃどうして同じルキフェル隊のメンバーとボクとしか話さないの?異民族でさらには初対面のリフィアさんには全く臆さず話しかけた君が」
アルヴァーは目を丸くし、それから逸らした。
「君の力に関して変な怖れや妬みを持たない人としか話したくないんでしょ。それ以外の人と話しても傷つくだけだから」
カルガントは一息ついてから言う。
「…ボクはね、ちょっと前まで君は本当に周りのことなんかに興味なくて、モーントのことなんてどうでもいいと思ってるのかと思ってた」
アルヴァーをまっすぐ見る。
「…でもそれなら、どうして外の世界を知った時点で、ここを出て行かなかったの?」
アルヴァーは息をついた。もう、全て心を見透かされている気がした。
「…出て行こうと思ったよ。今も思ってる。…でも、できないんだよ…」
そう言ってベッドに仰向けに倒れこんだ。
「…オレはモーントの兵士で、戦ってみんなを守らなくちゃいけない。その為にこの魔力も、この人生もあるんだ。そのために生まれてきたんだ。…それを捨てることなんて…やっぱりできない…」
それは、全てのモーントの心根と同じに思えた。それに気づかずに、気付こうともせずに、遠巻きに怖れるのは周りのせいではないのか?
そのことを告げると、アルヴァーは苦笑した。
「…オレの昔のこと聞いただろ。そのせいでもあるさ」
そのどこか諦めたような口調にカルガントは悲しげな顔をする。
「聞いたよ。六年前ここに来たばかりの君は、自分の能力を過信していて、誰のアドバイスも聞き入れようとしなかったってこと。それでその結果、巨大ヒトガタにひとりで挑んで、仲間だったエルガって人が君を庇って亡くなったって話」
アルヴァーは天井を見つめた。凸凹したそこにゆらゆらと影が揺れ動く。
「…そうだよ。あの時オレは誰よりも強くて特別だと思ってた。その結果がそれだ。誰だってオレのこと、避けたくもなるさ。お前も思うだろ?」
カルガントは目を伏せた。アルヴァーはさらに続ける。
「…それに、あんなことがあった後も…オレは今もまだ、自分は他とは違う、特別なんだって思ってる。たった一人の命も救えなかったのに…」
カルガントは顔を上げた。
「君は三年前にボクを救ったよ。それに、君の過去は過去だ。今のボクとは関係ない」
そう言い切った。アルヴァーからの返事はなかった。カルガントはゆっくり続ける。
「…それに、君が特別なのは事実だ。そう思って間違いはない。君は特別で、ボクのヒーローで、一番の友だちで、みんなを守ってくれる人なんだ」
カルガントの顔には柔らかい笑みが浮かんでいた。その笑顔に思わず息を飲んだ。
アルヴァーはぐっと唇を噛んだ。いろいろな言葉が喉に詰まった。
「…ありがとう…」
掠れた声でそう告げるのが精一杯だった。
--泣くことだってできたかもしれない。
もし彼が、涙を流すことを知っていたなら。
<次回part10は5月8日更新予定>