part7
Mont~光の国の魔法使い~
日もとっぷりと暮れた闇の中、リフィアはオーリエに帰ってきた。眼下に広がる断崖に沿って淡い色の光が並んでいる。こんな時間でもまだオーリエの街は起きているのだった。
従者は恭しくリフィアをエスコートして、彼女は数日ぶりに自分の城の門をくぐった。
門では既にリフィアの従者であるレアが待っていた 。
「おかえりなさいませ。リフィア様」
「…ああ、レア。貴女の顔を見てようやく帰ってきた気分になれたわ」
リフィアはホッとしたように微笑む。レアも微笑み、それからリフィアに耳打ちした。
「…オルファン様がお嬢様とお会いしたいとしきりにおっしゃっています。今もまだお眠りにならず…」
リフィアは目を丸くする。
「…本当?それは早くお会いしないと」
リフィアはレアに荷物を渡すと小走りに父の私室へと向かった。
私室の重い木の扉を恐る恐る開ける。ベッドで半身を起こした父はリフィアを見るなり優しく笑った。
「…ああ、リフィア。待っていたよ。心配をかけてすまない」
リフィアはそっとベッド傍の椅子に腰掛ける。
「…いいえ、お父様。まずは自分の体を気遣って」
手を伸ばして父の手と重ねる。しばらくぶりに心が温かくなった。
「…リフィア、王都はどうだった?」
「…確かに素晴らしいところだけど、オーリエの方が気に入ってるわ」
父の問いに素直に答える。当たり前のやり取りが嬉しい。
「…そういえば、私に縁談が来ていると聞いて…。やはりもう、そういったことも考えねばならない歳なのかしら?」
リフィアは不安げに父をみる。父は自分苦笑した。
「…それは…おまえにとっては災難だな。しかし、貴族の娘である以上、避けては通れぬ道でもある」
言葉を切り、父はリフィアの目を見つめた。
「…リフィア、心に決めた人はいるか?もしいるならば、私は最大限おまえの考えを受け入れるよ?」
--心に決めた人…。
その言葉で再びリフィアの脳裏をアルヴァーの姿がよぎる。そしてその一瞬を父は見逃さなかった。
いたずらっぽく笑い、問いかけてくる。
「…いるのか?」
「い、いないわ」
リフィアは頬を染めた。はぐらかすように亜麻色の髪を肩から払う。それでも父はリフィアから視線をそらさない。それに耐えかねて彼女は小さな声で言った。
「…き…気になっている方ならいるわ…」
「…ほう?」
リフィアは目を逸らしたまま続ける。
「…でもその方は…二回しかお会いしたことないのよ?」
父は目を細める。
「…なに、何度出逢ったかなど恋に落ちる理由にはなるまい」
リフィアは頷きながらもまだ抵抗する。
「…そ、それは確かにそうかもしれないわ…。でも、その方…モーントなのよ?」
父は目を丸くした。目の中にランプの光が映る。
「リフィア、それは本当か?」
「ええ、魔法を見せてくださったわ」
リフィアは窓の外を見る。ほの白い月明かりが差し込む窓辺に、彼が腰掛けていた姿が目に浮かんだ。
「…素晴らしい…」
父はつぶやき、天井を見上げた。
「…もし、この国に、北方民族でも南方民族でもない第三の民があったとしたなら、この国は大きな変化を迎える。それが良い方向に向くか否かはわからないが。だからこそ、その存在を知り、より良い方向へ導く必要があるのだ」
父の言葉に耳を傾けながら、リフィアは考える。
--晴天に雷を起こすほどの力を持つ者の存在が明るみになったら、この国の上流貴族や王族はどうするだろうか?
考えた途端、リフィアの胸に冷たい風が吹き込んだ。
--彼等はモーントを自分たちの利益のためだけに利用しようとするだろう。モーント自身の思いなど無視して。
(…それなら…)
リフィアは父の顔を見た。
「その方、アルヴァーというのだけれど、モーントは自分たちの三つの集落とそれを包む森の中以外に行くことは許されないと教えられていると語っていたわ」
リフィアはそう言って父の顔を見た。父は先を促すように頷く。
「…きっと、モーントもわかっているんだわ。私たちと関われば、やがて自由を奪われるであろうことを」
リフィアは目を伏せた。
「…だとすれば、私たちが彼らを調べ、公表することは…彼らにとって害でしかないのかもしれないわ」
父は驚いたようにリフィアを見る。リフィアは目を逸らさず、真っ直ぐにその顔を見つめ返した。
ユフェルナ王国中央部、南北境界線の森の奥。
そこでカルガントは欠伸をしながら、扉の前に立っていた。集落の真ん中の広場をぐるりと囲む崖をくりぬいて扉を付けた一種の集合住宅に彼らは住んでいる。彼は昨日の晩、族長に呼ばれて行ったが、カルガントが起きている間に帰ってはこなかった。さすがにもう帰ってきているだろうと思い、カルガントは彼の部屋の扉の前に立ったのだ。
「…おっかしいなぁ」
カルガントは首をかしげる。ノックしているのに返事がない。
「まさか、帰ってきてないのかな?」
眉をひそめるも、確かめるすべがない。誰かに聞いたところで知らないと言われるだろう。たとえ兵士の仲間だろうと、彼と親しくしようという者はいないからだ。
腕を組んで考える。
そのとき、ふと、後ろに人の気配を感じた。ようやく帰ってきたかと思い、カルガントは振り返る。
「ん?お前さんがここにいるってことは、アルヴァーの奴、外へ行ったわけじゃないのか?」
後ろに立っていたのは、アルヴァーではなかった。この中央集落の兵士のリーダー、ルキフェルだ。そしてアルヴァーと進んで会話する数少ない存在の一人だ。
「…あ、ルキフェルさん。アルヴァー、いないみたいなんです」
ざらりとした黄土色の壁面と、深い緑の木の扉を交互に見つめながらカルガントは答えた。
「なに?じゃあどこ行ったんだあいつ?お前、なんか知らないか?」
ルキフェルは目を丸くして、顎の無精髭をさすった。
「…知らないです…。多分、誰に聞いてもそう言いますよね。みんなアルヴァーのこと避けてるし」
カルガントの言葉にルキフェルはとまどった。
「…そうか、アルヴァーの昔のこと、知らないんだったな」
ルキフェルは枯れ枝の向こうの白く曇った空を見上げた。
「お前がこの集落ではいちばん年下だしな」
そう言ってカルガントの肩に手を置き、言う。
「オレの部屋に行くぞ。お前もそろそろ知っていていい頃だ」
促されるままに岩の廊下を進み、突き当たりの扉を開けて中に入った。
中に入るとルキフェルは中央の木のテーブルの上に置かれた植物の実を三度指先でつついた。すると茶色い硬い皮に覆われたそれは内側からぼうっと光り、部屋の中を明るくする。それは彼らが『エルバ』と呼んでいる植物の実で、魔導具に加工し、ほとんどの住人がランプとして使っている。
照らし出された室内は、アルヴァーやカルガントのそれとあまり違わなかった。窓はなく、ドーム状の天井の形、部屋中央のテーブル、一番奥のベッド、壁際の棚…。壁の岩の土色と、棚やテーブルの木の茶色だけの部屋を、ランプの淡い黄色の光が包んでいる。
「そこの椅子にでも座ってくれ。話は割と長くなる」
ルキフェルは丸椅子をカルガントの目の前に引っ張ってきた。カルガントが腰掛けると、ルキフェルはベッドの脇に座った。
「さてと、どこから話したものか…」
ルキフェルは考えこむ。そして、天井を仰いだ。
「あいつがここにやってきたのは今から六年前。お前が来る三年前の夏だ」
部屋の中に声が静かに響いた。
アルヴァーはふと目を覚ました。相変わらずあたりは金色の光と静寂に包まれていた。体を起こし、ため息をつく。
「…いつの間にか寝てたのか…」
そう呟いて立ち上がった。
--不意にアルヴァーは固まった。
森の奥、モーントが『やってくる』その暗がりに、何かがいる。
(…あんなところにいるのは…)
モーントか、そうでなければ、『ヒトガタ』。
そして、十中八九後者だろう。
異形のその化け物は放っておけば集落を襲い、大きな犠牲が出ることになる。
「…兵士を集めないと…」
アルヴァーは集落へ走り出した。
≪次回は4月24日更新予定≫