part4
Mont~光の国の魔法使い~
本に熱中する内にすっかり日はくれ、銀色の月明かりが辺りを支配していた。
(…久しぶりに読めて楽しいけれど、いい加減止めねばね)
リフィアはそう思って本を閉じ、机の上に置いた。それからおもむろに立ち上がり、思い切り伸びをした。長らく座り続けたせいですっかり体が固まってしまっている。
明日のためにももう休もうとリフィアは仕度を始めた。
(オーリエに戻ったら…)
--彼に会えるだろうか。会ったら話がしたい。研究書には載っていないこと、またはその記述と異なること…きっとたくさんあるはずだ。
翌朝リフィアは馬車に乗り王都の中心部、王家の城へと向かっていた。
--幅が広く、しっかりとした石畳の中央通りを抜け、やがて厳しい城門の前にたどり着いた。
「お待ちしておりました、リフィア・オーリエ様」
使用人と思われる初老の男性がリフィアを城内へと通した。
城の中は大理石が光っていた。所々に金の装飾や絵画、宝石が散りばめられ、まさに荘厳だ。
(さすがは王家ね…)
リフィアは心の中だけで感嘆した。
「こちらのお部屋でお待ちください」
使用人の男性は控えの間にリフィアを通すと一礼して去っていった。
--控えの間は廊下とは打って変わって落ち着いた装飾の部屋だった。ゆっくりと中に足を踏み入れ、柔らかなソファに腰掛ける。
(お目通りはやはり緊張するわね)
リフィアは肩の力を抜いた。それから天井をしばらく眺めていた。
--どれほどの時が経っただろうか、突然控えの間の扉が開いた。リフィアは慌てて背筋を伸ばし扉を見つめる。
「…あら?お部屋を間違えたかしら」
そこに立っていたのは一人の女性だった。年頃は十四〜五歳。淡い茶色の髪が美しい。
(この方、もしかして…)
リフィアが彼女を見つめていると、不意に彼女は口を開いた。
「大変失礼しました。お恥ずかしいところを…」
リフィアは優雅に微笑み立ち上がる。
「どうぞ恐縮なさらずに…」
それからそっと尋ねる。
「失礼ながら、メーシア・カルズ様でしょうか?」
女性、メーシア・カルズは目を見開いた。
「貴女は、リフィア様ですね!」
メーシアはニッコリ微笑む。
「お会いできて光栄です」
リフィアは静かに礼をした。
--メーシア・カルズ。北方王家に代々仕える名門家、カルズ家の長女。大変な読書家であるという噂も聞く。
「…失礼ながら…メーシア様、おつきの方は…」
リフィアが恐る恐る問いかけるとメーシアは朗らかに笑った。
「それがね、撒いてしまったわ!」
あまりのことにリフィアは固まった。
「…ま、撒いた…とは?」
メーシアは自慢げに言う。
「一緒にいるとうるさくて仕方ないの。たまには一人になりたいわ」
その言葉に少し共感を覚えて、リフィアは苦笑した。
「…お気持ち、お察しします」
メーシアもまた笑った。
「ところで一つ、お聞きしたいことがあったの」
メーシアは不意にリフィアをまっすぐに見た。
それからまたにこりと笑う。
「モーント族の事を調べていると聞いて。私も少し興味があるの。お父様達はそんなもの迷信だというけれど、どうなのかしら」
リフィアはメーシアを見て、よく笑う方だと思いながら慎重に答える。
「…彼らが実在するかについては明言できません。しかしながら、迷信とするにはいささかよく出来すぎております」
そう言ってからリフィアは少し悪戯っぽく言う。
「…おそれながら、メーシア様。"モーント"は古ユフェルナ語において"夜の民"の意ですので、モーント"族"と呼ぶのは正式でないとされています」
メーシアは驚いた後、明るく言う。
「面白いわ‼︎本当に!」
メーシアがなおも言葉を継ごうとした時、廊下の向こうからメーシアを呼ぶ声が聞こえてきた。
「…まぁ、もう来てしまったのね。残念だわ。
ねぇ、またお話ししましょう」
メーシアはリフィアの手を取る。リフィアもゆったり微笑んだ。
「はい。喜んで」
メーシアは名残惜しそうにリフィアの手を離すと
静かに部屋を去っていった。
海の香りを含んだ風が吹いてくる。アルヴァーとカルガントはオーリエから少し離れた湖のほとりにいた。
「リフィアは王都かぁ…ま、帰ってくるまで待つか」
アルヴァーはそう呟いて、近くにあった小石を拾い上げ水面に向かって投げた。小石は水面でぴょんとはねながら少しだけ進んで沈んだ。
「…興味あるな…」
隣のカルガントも小石を拾い上げて投げたが、まっすぐ水面下に吸い込まれていった。
「…お前、下手だな」
アルヴァーは呆れたように言って、それからカルガントを見た。
「で、興味あるって何に?」
答えは一瞬で帰ってきた。
「王都に」
「…行きたいの?」
アルヴァーは恐る恐る聞いた。
「…だめ…だよね…」
カルガントは上目遣いに彼を見る。
「おい、愛想振りまいてもかわいくねぇぞ」
顔を顰めてアルヴァーは答える。
「そもそも、王都なんて人が溢れかえってるんだぜ?どんなに気をつけたところでオレらは目立つ。もしモーントだなんてバレでもしたら、良くて逮捕監禁だっての」
カルガントはそれを聞いて唇を尖らせた。
「だってさ、王都って言ったらきっと見たこともないような道具や機械がいっぱいあるんだよ!アルヴァーも興味ないの?」
「あーりーまーせーんー!この機械大好き野郎!」
「えー、じゃあ、ひとりでもいくー」
「お前みたいに、のほほんとした奴がひとりで行って帰ってこられるか!」
「あー!言ったな!」
「事実じゃねぇか!」
一通り言い合ったのち、アルヴァーは溜息をついた。
「…あーもー!わかったわかった!行ってやるよこの際!」
「やったー!」
カルガントは勢い良くアルヴァーに飛びついた。
アルヴァーは面倒くさそうにそれを受け止めながら自分の黒い髪を人差し指にくるくる巻きつけた。すると、巻き付いたその部分から黒髪は金髪に変わっていく。魔法で一時的に色を変えたのだ。あっという間に金髪に変わってしまった彼を見て、カルガントは笑った。
「なんかすごいよ、アルヴァー!チンピラみたい!」
「ほっとけ!」
カルガントは目を輝かせてアルヴァーを見つめる。
「ねーね、顔変えたりもできるの?」
アルヴァーはカルガントの額を小突く。
「ムリでーす。ってかそんぐらい知っとけって」
それからアルヴァーは少し考える。
「待てよ、ヴェラトゥーラはできるとかできないとか…」
「え?ほんと?」
アルヴァーは至極真面目に言う。
「だってそうでもないと、あの年齢不詳な見た目は説明がつかない…」
二人は真剣に見つめ合い、それから笑い転げた。
王家との謁見は思いの外疲れるものだった。
(ああ、二度とやりたくないわ)
リフィアは心の中で大袈裟にため息をつき、城を後にする。馬車を呼び止め宿へ向かって欲しいと告げて乗り込んだ。
(…そういえば…)
--先程の謁見の途中で、ユフェルナ王国建国記念祭の話を持ち出された。ユフェルナは今から約百六十年前にこの地にやってきた二つの民によって作られた。最初の約十七年間はこの地に古くより住んでいた先住民との争いが続いたという。しかし間も無く彼らは滅ぼされ、ユフェルナ王国が建国された。そしてやがて二つの民は分裂し、対立するようになったのだった。
(それにしたって、他人を滅ぼした記念日なんて)
リフィアはひとり顔をしかめた。
--なぜ、争う必要があったのだろうか。そして、そうまでして作り上げた国をなぜ、今自らの手で壊そうとするのだろうか。
馬車の微かな揺れに身を任せ、リフィアはずっと考えていた。
--日が暮れはじめた王都、アルヴァーとカルガントは二人並んで歩いていた。昼の熱を吸った石畳は未だにもわりとした空気を吐き出している。
「ようやくリフィアの宿も探し当てた事だしこれで今回の遠征の目的は果たせそうだ」
隣で王都の略地図が記された紙切れを握って笑う友人の、あまりの気合のいれようにカルガントは苦笑するしかなかった。
「…なんかこの人あぶない…」
「…言うな、それに言い出しっぺはお前だ」
アルヴァーはそれからふと橙色の空を見て、呟く。
「…でも、存外ハズレじゃないかも」
カルガントはアルヴァーを見た。アルヴァーは続ける。
「…オレさ、リフィアには昔会ったことがあるんだよね」
「…え?」
カルガントの驚きをよそにアルヴァーは淡々と続けた。
「ちょうど三年前かな?会ったっても、すれ違っただけかな」
「そうなんだ…。じゃ、ちょうど僕が来た頃だね」
カルガントの言葉にアルヴァーは何かを思い出したのか、視線をカルガントに戻した。
「三年前って言えば、アレだよな、ヒトガタが大量発生した例の…」
「うわ、やめてよ。あの化け物の事なんて思い出したくも無いんだし」
カルガントは顔を顰めた。
ヒトガタはモーントの森に棲む化け物のことだ。真っ黒で首や腕はひょろりと長く、足は短く、鋭く長い爪に小さい頭にはびっしりと牙を持った随分と気味の悪いものである。
「でも、こっちに来てから見かけないよな?アレはオレたちの住処にしかいないってこと?」
首をかしげるアルヴァー。考え込むように視線を落とした彼の瞳には何故か哀しげな光が宿っていた。
「…アルヴァー?どうしたの?」
心配そうにカルガントが尋ねると、アルヴァーはふと顔を上げ、それから慌てて笑う。
「あー…いや、なんでもない。それより、早く行こうぜ」
カルガントの後ろに回り込むとその背を押した。
いつの間にか日はすっかり落ちて空には星が瞬いていた。
王都の中央通りを二人はどんどん進んでいく。王都はユフェルナの不安定な情勢を象徴するかのように静まり返り、夜となっては通りに出ているものはひとりも無かった。
不意にアルヴァーが立ち止まる。カルガントもつられて立ち止まった。
「…どうかした?」
なんとなく声を潜めて問いかける。
「…誰かに見られてる」
アルヴァーも声を落として答えた。
「おやぁ?ガキが二人でウロついてんぞ〜」
そんな声と同時に現れたのは明らかにチンピラといった風体の男が三人。しかも確実に酒が入っている。
「アルヴァー、チンピラだ。君よりチンピラだね!」
「…オレは別にチンピラじゃねぇぞ」
アルヴァーとカルガントはヒソヒソと会話する。チンピラ三人衆はその間に二人に近づいていた。
「なぁにヒソヒソやってぇんだよ!」
突然飛びかかってくるリーダー格の男。アルヴァーはカルガントを抱えてひょいとかわし、足をかけて男を転ばせた。
「いてぇ!テメなにしやがる!」
「はぁ?それはこっちの台詞だっての」
残りの二人も含めて飛びかかってくる。アルヴァーは軽々と全て避け、パチンと指を弾いた。
すると一瞬周りが白く光り、三人の男は倒れて悶えていた。
「…なにしたの?」
カルガントの問いにアルヴァーはしれっと答える。
「軽く感電させた」
唖然とするカルガント。
「…この…クソガキ」
悶えながらもリーダー格の男が言葉を絞り出す。
「なんだまだ用があるのか?それとももう一回やられたい?あんた変態だな」
にやりと笑いながら男を見下ろすアルヴァーを見て、カルガントは以前兵士のリーダー、ルキフェルが言っていたことを思い出した。
--今じゃすっかり丸くなったが、昔は手のつけようのない野郎だったんだぜ。おう、性格最悪って奴だ--
その言葉の意味をようやく理解できた気がした。
チンピラを倒して、二人はとうとうリフィアの宿にたどり着いた。
「王都にあんなチンピラがいるとか、まさに世も末って感じ」
アルヴァーはブツブツと呟くと宿の塀をひょいと登る。塀の上からカルガントを掴んで引き上げ、それからとある部屋のバルコニーに飛び移り、そっと中を伺った。
中ではリフィアが一人で本に没頭していた。
アルヴァーは髪をひと撫でして元の黒髪に戻すと遠慮がちに窓ガラスを叩いた。
「…!アルヴァー…?」
リフィアが不意に立ち上がり、窓を開ける。
「王都にまで…?またお会いできて嬉しいですわ」
リフィアは恭しく礼をする。
「こちらこそ、お会いできて嬉しいです」
アルヴァーも優雅に礼をした。
(この人がリフィアさんか…)
灰色の大きな目と豊かな亜麻色の髪、そしてオーリエの夕暮れの海のような柔らかい紫のドレス。
(…綺麗だなぁ…)
カルガントはぼんやり立ったまま2人を見つめていた。そんな彼をアルヴァーが肘で小突く。
「ほら、お前も挨拶しろよ」
ハッとしてカルガントは姿勢をただした。
「あ、あの!初めまして!アルヴァーの友だちのカルガントです!職は魔導具師です!」
「初めまして、カルガントさん」
リフィアは微笑み、それから続ける。
「…ところで、クラフトと言うのは?」
「我々が使用する魔導具を製作したり整備する仕事です。彼は器用ですから」
アルヴァーが全く詰まることなく答える。
「…アルヴァー、別人みたい」
カルガントが堪えきれず呟くとアルヴァーが即座に反応した。
「…オレのことはどうでもいいだろ」
「でも可笑しくって…」
ふと見ると、リフィアが驚いたようにこちらを見ていた。
「…アルヴァー、あなた、普段はそんな感じなの?」
「え?」
何を言われたのかよく分からず、アルヴァーはきょとんとする。
「ねぇ、堅苦しいのはやめて普段どおりでしゃべりましょう?」
突然に砕けた口調で微笑むリフィアにカルガントもアルヴァーも戸惑った。それからアルヴァーは照れ臭そうに顔を伏せて言う。
「…じ、じゃあそんな感じで…よろしく…リフィア」
「ええ、よろしく、アルヴァー、カルガント」
そう言ってからリフィアも俯いてしまった。
「…ね、ねぇ!このまま立ち話もなんだし…ね?」
カルガントはあたふたと二人に声をかける。
「そ、そうね!入って入って!」
リフィアはアルヴァーの手を掴んだ。
--その時…
(…冷たい…)
彼の手先のひんやりとした感覚にリフィアは驚いた。
(もうそんなに冷える季節でもないのに…)
しかも、その冷たさは表面だけではないようにさえ感じた。
「…リフィア?」
アルヴァーが不思議そうに問いかける。リフィアはハッとして、苦笑する。
「なんでもないわ、ほら、入って」
二人を招き入れ、窓を閉めた。さっきの疑問はもう頭の中から消えて、リフィアは今夜の会話に心を躍らせていた。
次回≪4月3日(日)更新予定≫