part12
Mont~光の国の魔法使い~
アルヴァーとリフィアは息を切らして水辺に腰を下ろした。泉の中で走り回ったせいで、二人とも殆ど濡れていないところはなかった。
「…あーあ、ビショビショ」
アルヴァーが張り付いた前髪を掻き上げる。リフィアはそれを見てクスクス笑った。
「これではレアにつかせた嘘がお母様にばれてしまうわ」
そう言いながらも彼女は楽しそうだった。
「お風呂はいってましたって言えば?」
アルヴァーは思いつきの嘘を口に出す。
「…湯あみは良い考えかもしれないわ。見つからぬように浴場まで行き、さもそのように振る舞えば…」
リフィアはそう言って空を眺めた。
「…貴族の娘は、普通ひとりで湯浴みしないわ。レアをこっそり呼び出す必要もありそうね」
「じゃあ、そろそろ戻って、実行するか」
アルヴァーは立ち上がって、リフィアに手を差し出す。リフィアはその手を取って立ち上がり、一歩彼に近づいた。
(…伝えるべきかしら…)
リフィアはアルヴァーの瞳を見てふと思う。
--自分に縁談が来ていると、もし彼に伝えたなら、彼はどんな顔をするだろうか。進むべき道を示してくれるだろうか。
--いや、やめておこう。もし、彼がその事を気にして私の元に来なくなってしまったら…私はそれが怖い。
結局彼女は意味ありげな笑みを浮かべただけで、何も言わなかった。
夕暮れの光が、海も街も赤紫に染めた。オーリエの街の家々の壁は小さな石英を含んでいて、それがチラチラと揺れている。
城のバルコニーにたどり着いた二人は、そっと内部を覗き込んだ。
中には、誰もいない。
「…今のうちに、浴場の近くまで移動しよう」
アルヴァーはそう言ってリフィアを抱き上げ、壁の蔦を握ってするすると壁を移動していく。
「見かけによらず力もあるのね」
リフィアは感心しながらも恐怖を感じ、彼の首に回した腕に思わず力を込めた。
「浴場は…あっちのほう?」
「そうよ。ちょうどあの屋根の下あたりよ。浴場には天窓があるから、そこから入りましょう。木の板で、開閉可能よ」
やがてたどり着いたその屋根の上で、アルヴァーは魔導装備トニトルスを取り出した。黒っぽい木の扉の隙間にそれを差し込み、ぐっと持ち上げる。
「よし、これで入れる!」
アルヴァーは再びリフィアを抱えて天窓から音もなく浴場へと飛び降りた。
「あとはレアだけね」
「…オレが探してくるよ」
アルヴァーがリフィアをそっと降ろして言う。
「お願いするわ。ここから近くの、金の板で船を象った飾りのついた扉の部屋よ」
アルヴァーは頷いて早足にその部屋に向かった。
リフィアはひとり、そっと服を脱ぎ、湯船の側の籠に入れた。こうすると湯浴みにお供する者が浴場の奥で洗ってくれるのだ。とはいえまだその者、すなわちレアは来ていない。
縛っていた亜麻色の髪を解き、そっと湯に指先を付ける。そのままするりと肩まで浸かった。僅かに黄色を含んだ艶やかな大理石の湯船はすでに温まっている。湯船と同じ色合いのタイルをあしらった床は濡れて輝き、白い壁は湯けむりに溶けていた。黒っぽい木を組んだ天井から開かれた天窓へ湯気は流れ、天窓の向こうの夕焼け空を霞ませた。
今まで、何の感慨もなく眺めていた景色が、突然鮮やかな色を持った。
それは、彼と出逢ったからだと思ったが、心のどこかがそれを認めようとはしなかった。
(…でも、二人で一緒なら、もっと綺麗な景色が見えるわ)
--そうだ、今度は私が、彼に美しい景色を見せる番だ。
「…お嬢様、レアでございます」
厚い木の扉の向こうから聞きなれた声がした。
「お入りなさい。ところで、彼はまだいるかしら?」
「ええ、いらっしゃいます」
ゆっくり扉を開けて、レアはリフィアに歩み寄る。
「では、このようにお伝えして。次の新月にオーリエにて新春の祭典が催されますゆえ、ぜひ再びこちらにお越しください、と」
レアは了解し、静かに再び欲情を出る。リフィアが扉を見つめていると、間も無くレアは戻ってきた。
「ぜひ、お伺いしたいとお答えでした。また、もしお嬢様がモーントの森へお越しなる際には、こちらをお持ちくださいと」
レアが差し出した手のひらには、小さな赤い宝石が麻ひもに通された首飾りのようなものがあった。
「これは?」
リフィアの問いかけにレアは首を振る。
「…アルヴァー様はただ、お持ちになっておくようにとだけ」
赤い宝石は、湯気の中で揺れている。
炎のように、あるいは、血のように。
その頃、モーントの中央集落で、アルヴァーの友人カルガントは溜息をついていた。またしても、彼はどこかに行ってしまった。いや、どこかではない。あの美しい北方民族の娘、リフィアの元へ、だ。
もう周りの仲間たちも何も言わなくなっている。まあ、もともと彼が何をしていようが気にしない人のほうが多いのだが。
カルガントはもう一度大きく溜息をつくと、クリスタルと蔦が絡み合った仕事場を後にした。
(…あれ?)
斜め前方、暗がりへと続く道は族長ダヤルクの居城へと連なる道だ。そこを誰かが歩いている。それだけなら何の不思議もないのだが、その人物は何やら顔を隠すような服を着ている。連れの者もなく、急ぎ足で道を通って行った。
(…だれだろう?)
族長に害をなすような危険な空気はなかった。でも、何か良くないような、そんな感じが消えなかった。
≪次回は6月12日更新予定≫