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【九・冷たい襲撃】

   【九・冷たい襲撃】


 出来るだけみんな集まるという考えは、みんな同じだったらしい。ベルダネ

ウス達がロビーに下りると、そこには全員が集まっていた。

 だが、人が集まっていても和気あいあいというわけにはいかない。そこに

は、堅苦しい空気が流れていた。特にファディールは、紫茶のカップを手にし

たまま何事か考え込み、重苦しさを倍増させている。

 無理もなかった。犯人に魔導人だと思われたら、次は自分が心臓をえぐられ

る番だ。

 魔導人に犯人だと思われてもやはり殺されるだろう。心臓をえぐられないだ

けだ。

 誰かが席を外すたびに、皆が視線をその人に向ける。みんなお互いを監視し

合っているようだった。

「この建物、大丈夫でしょうね。雪の重みで潰れたなんて洒落にもならないわ

よ」

 アーシュラが外を見る。雪は、既に窓枠のすぐ下まで積もっていた。

「雪かきでもしましょうか。屋根と建物周りだけでも」

 マスカドルの言葉に、何人かが賛成する。雪が心配というより、何かしてい

たい、このままじっとしているのは嫌だという思いが皆にあった。

 ルーラをのぞく女性達を残して、皆は外に出た。ファディールも付いてきた

のはやはり彼もじっとしているのが嫌だったのか。それとも少しでも男性陣か

ら目を離したくなかったからかはわからない。

「いつまで続くんですか。この雪は」

 エクドールがルーラにぼやく。もっとも、答えが返ってこないのは彼自身に

もわかっている。

「皆さん、少し下がってください。屋根は私がやります」

 ルーラが精霊の槍を構える。風の精霊が彼女の体を飛ばすと、周囲で積もっ

た雪が舞い上がる。

 屋根に下りた彼女は、風の精霊に、屋根に積もった雪を吹き飛ばしてもら

う。赤煉瓦の屋根が姿を現すと、思わずほっとした。

「俺たちがやらなくても、あの姉ちゃんに任せればいいんじゃねえのか」

 とはボーンヘッドが言うものの、皆が出た目的は、とにかく何かをしていた

いからだ。男性陣は、スコップを手に黙々と雪かきを進める。

 雪の量は予想以上で、何とか正門まで空間を作ったところで、みんなへた

ばった。ある程度元気なのはボーンヘッドぐらいだ。

「こんなもので、いいでしょう……」

「そうですね。……明日になれば、また元に戻りそうな気がしますが」

「魔導師が二人もいるってのに、雪を消す魔導ぐらい使えないのかよ」

「そんな魔導、聞いたことありません」

 スコップで体を支えたファディールが、肩で息をしながら言う。

 雪かきのおかげか、みんな昼食を終えるとロビーでウトウトし始めた。

 外の雪は小降りになったが、代わりに風が強くなった。風と雪とが交代で、

中の人を逃がさないように見張っているようだった。

 お茶の時間が過ぎてもそれは変わらなかった。

「あの、今夜のお食事ですけど、何か食べたいものはありますか?」

 少しでも空気を和らげようというのか、セシルが聞いた。

 その言葉に反応したのはソーギレンスだった。

「食事は、全ての生き物を生につなぎ止めるもの。豊かな食事は死への不安を

取り除く効果がある。だが、この雪ではここにある食材を使うしかあるまい。

自然と限られてくるが」

「限られた材料で美味しい物を作るのがいいんですよ」

 ルーラが立ち上がる。

「セシルさん、食事作り、手伝います」

「私も」

 フィリスが後に続く。

「でも、お二人はお客様で」

「このまま何もしないよりはずっといいですから」

 それにルーラとしては何かせずには落ち着かなかった。精霊が自分を信用し

てくれないということを一時でも忘れたかったのだ。

「そりゃそうだ。てめえで作るなら、毒を盛られる心配もねえしな」

 皆に睨み返され、ボーンヘッドがまいったように歪んだ笑みを見せる。

「冗談だよ。魔導人に毒はきかねえだろうし、魔導人が都合良く毒を持ってい

るとも思えねえしな」

 硬貨を投げ、受け止める。手を開くと――裏だった。

「俺は遠慮する。料理はするなと出た」

「私は手伝わせてもらう。料理は不得手だが、野菜の皮を剥くぐらいはでき

る」

 ソーギレンスが立ち上がる。

「ザンは手伝わないの?」

「私はいい」

「そんなこと言わないの。ザン、結構、料理得意じゃない」

 結局ベルダネウスも参加させられた。さすがに厨房に全員入ると窮屈なの

で、マスカドル夫妻の他に食事作りに参加するのは、ベルダネウスとルーラ、

フィリス、ソーギレンスとなった。

 他のメンバーは、ロビーでカード遊びをはじめる。

「さてと、何を作るの?」

「そうですね。やはり暖まるものがいいですね」

 セシルの言葉に、マスカドルがうなずく。

「薫製肉がありますから、シチューを作りましょう。ニンニクをたっぷりきか

せて」

「パンも新しく焼かないと。何がいいですか?」

「ぶどうの入ったパン作りたい。干しぶどうある?」

 ルーラが手を挙げた。

「あると思うけど」

 セシルが辺りを見回す。

「その戸棚の下にあります。ベルダネウスさんのちょうど後ろ」

 マスカドルに言われて、ベルダネウスが扉を開けると、葡萄の他に、様々な

ドライフルーツや干し椎茸が入っている。干しぶどうの入った瓶を取り出す

と、さっそくルーラが味見をする。

「うん、これならいいのが作れそうだわ」

「よく作るんですか。ぶどうパン」

「お婆ちゃんがよく作るのを手伝っていたの」

「ルーラのパンは、へたな職人のよりもずっとうまいですよ」

 ベルダネウスが素直に認め、ルーラはうれしそうに微笑む。精霊に関して恨

み言を聞かされ通しだったので、笑うのは久しぶりだった。

「さてと、それじゃはじめますか」

 マスカドルが棚を開け、驚いた。

「どうしたの?」

「肉が減っている。昨夜はもっとあったのに」

 それだけではない。野菜も、空っぽではないが減っていた。

「誰かが夜食に持ち出したとか」

「確かに、鍵はないですから、持ち出すことは可能ですが」

 マスカドルが顔をしかめる。

「それについての詮索は後にしよう。今は料理を作る方が先だ」

 減ったといっても、数日は飢えをしのげるに十分な量が残っており、ルーラ

はパン生地をこねているうちに、食料持ち出しのことなどすっかり忘れてし

まった。

「あとはしばらく寝かせてと。その間にすることありませんか?」

「裏の畑に一緒に来てもらえませんか。収穫できるものは今のうちにとってお

きたいので、さきほどのように雪払いをお願いします」

 マスカドルに連れられて、ルーラは裏口から詰所を出た。フィリスのコート

を借りたままだが何も言われなかった。

 風はほとんどなくなっているが、相変わらず雪の量は多い。エリナが殺され

た時の騒ぎで一度払ったのに、また結構な量が積もっている。

「雪の重みで作物が駄目になっていなければいいけど」

 心配そうにマスカドルが言う。

「町も大変だろうな。雪の対策なんてまだしていないでしょうし。これでは、

こことの連絡なんて後回しにされるでしょうね」

 すでに畑は雪で埋まっている。来たときにはまだ菜の頭がのぞいていたが、

今は一面真っ白で、事前に知らなければここに畑があるとは思えない。

「ルーラさん、お願いします」

 マスカドルが指さす方角に向かって、ルーラが精霊の槍を構えた。

 穂先の精霊石に意識を集中させる。

「!」

 また、奇妙な感じを受けた。昨日、宙に浮いている時に感じたあれだ。誰か

が自分を見ていながら決して声をかけない。そんな感じだ。しかも、昨日より

も強い。

(間違いないわ。何かいる……精霊石越しに、あたしを見ている……)

「どうしました?」

「いえ、何でもないです」

 気を取り直して、雪と風の精霊に語りかける。

 風が舞い、雪が踊る。舞い上がる雪がカーテンのように左右に広がっていく

と、畑が姿を現した。さらに、重みでつぶれては困ると、馬小屋と詰所をつな

ぐ通路の屋根の雪を払い飛ばしておく。

「すごい」

「褒めるにはあたしじゃなくて精霊たちにしてください」

「精霊のみなさん、ありがとうございます」

 素直にマスカドルは空に向かって礼を言い、思わずルーラが吹き出した。本

当に精霊にお礼を述べた人は初めてだった。

 幸いにも、野菜はまだ痛んでいなかった。もってきた駕籠に、多めに野菜を

詰めると、厨房へと戻った。帰り際、ルーラはこの通路にはあまり積もらない

よう雪の精霊に頼んでおいた。

 厨房に戻ると、セシル達がスープの灰汁取りに悪戦苦闘していた。

「これで菜の挽肉詰めでも作りましょう」

 マスカドルが、取ってきた野菜を見せる。

「それでは、私が中身を」

 ベルダネウスが、もどした乾し肉とキノコ、葱などを使って詰めものを作り

上げる。

「器用ですね」

「昔、下働きをしていた頃に、調理場の手伝いもさせられましてね」

「それ、初耳よ」

 ルーラが言った。

「私が自由商人になる前の、資金を稼いでいた頃だ」

「酒場でですか。いいですねえ。噂も聞けるし」

「違いますよ……娼館です」

「娼館って、売春宿のことですか?」

 フィリスが眉をひそめた。

「昔、宿無し無一文でボロボロだった頃、そこの一番の売れっ子に拾われたん

だ。そこの下働きとして口を利いてくれた」

「ザンが娼館で働いていたなんて、初めて聞いたわ」

「言わなかったからな。そこで接客の仕方や、男と女の駆け引きなどを目の当

たりにし、身につけた。金や女が絡んでの人間関係の善し悪しも嫌と言うほど

見られた。私自身当事者だったこともある。

 各地から人が集まってきたので、いろいろな情報も仕入れられた。代金を物

で払う奴もいて、宝石などの鑑定方法も憶えたし、暴れる奴に対抗するための

鞭もそこで習った。いい気になって周りを見下し、自業自得の手痛い目にあっ

たことも一度や二度じゃない」

 言いながらベルダネウスの口から笑みがこぼれた。彼にとっては、本当にい

ろいろな意味で思い出なのだろう。

「いろいろあったみたいですね。私なんか、ここに来るまでは、ずっと家にい

ました」

 セシルが言った。

「へえ、それがどうして衛視に?」

「彼と一緒にいたかったからです」

 マスカドルに微笑みかける。

「ごちそうさまです。でも、ファディールさんの前では、それは言わない方が

いいですよ」

 その言葉が、忘れかけたことを思い出させ、雰囲気が重くなる。

 ただ一人、ソーギレンスだけが周囲の雰囲気に惑わされることなく、黙々と

スープの灰汁取りに専念していた。

「セシル、キリオンの所にもっていったスープを戻したかい?」

「あ、忘れていたわ。下げてきます」

 セシルが気まずそうに出て行く。

「どうしてスープを?」

「もう、キリオンが口にしないのはわかっています。でも、やっぱり……おか

しいですかね。彼にも出さずにはいられないんです」

「そうですね。次からは二人分出した方が良いでしょう」

 このベルダネウスの意見には、その場の皆が同意した。

 じっくり寝かせたパン生地に、ルーラが干しぶどうを混ぜて拳大に丸めてい

く。フィリスが、チーズ入りのが欲しいと言って、同じように作りだした。

 そこへ、セシルがスープ皿を持って入ってきた。なにやら浮かぬ顔だ。

「どうしたんだ?」

「これ」

 そういってセシルが見せたスープ皿は、きれいに空になっていた。

「誰か飲んだのかい?」

「かもしれない。けど……」

 彼女の言いたいことはみんなわかった。

 一体、誰が死者に備えられたスープを飲むというのか?


 暖炉とランプの光の中、食事を終えると、

「私は部屋に戻ります」

「みんなで集まっていた方が安全では」

「犯人かも知れない人と一緒にいるより、一人で部屋に鍵をかけていた方が落

ち着きます。合い鍵の管理はしっかりお願いしますよ。盗まれでもしたら目も

当てられない」

 エクドールがマスカドルたちに念を押して食堂を出て行った。

 エリナの遺体はファディールの部屋に移されていた。

「地下牢の冷たい床にエリナをやらないでください」

 というファディールの言葉に従ったのだ。

「死体と並んでベッドに寝るなんて俺には真似できねえな」

 とボーンヘッドが言ったが、ルーラは彼の言葉を素直に受け取った。

 ベルダネウスたちも部屋に戻る。

「一人ずつ中と扉の前で見張りますか? それとも二人で順番に部屋の前に立

ちますか?」

 フィリスが守り方について簡単に聞くと

「私はどちらでもかまわない。二人のやりやすいようにしてくれ。ルーラはど

ちらが良い?」

「ちょっと、一人で動いていい? 調べてみたいことがあるの」

 ルーラが申し訳なさそうに言った。

「調べるって、何をだ?」

「わからない。けど、気になるの。精霊に混じって感じたあれ」

 先ほど感じた違和感を簡単に説明する。

「気のせいかも知れないけど」

「精霊使いが精霊に関して何かを感じたんだ。気のせいとは言い切れないだろ

う。それに今の状況では精霊の動きは気にすべき事だ」

「ありがとう」

 一礼すると、ルーラは階段を降りて行った。

「ベルダネウスさん。やはりこの雪は魔導人と関係があると思いますか?」

「わからん。魔導人とは別口の可能性もあるな」

 小さく窓を開けると、白い粉が舞っていた。風はなく、音もしない分黙々と

舞い続ける雪は怖かった。このまま詰所を埋め尽くし、全てをなかったものに

されてしまうのではないかという思いがする。

「精霊達が魔導人を逃がさないために意図的に雪を降らせていると仮定する

と、どうなる。ここで足止めすれば、何か事態は変わるのか?

 そもそも、足止めとは何のためにする? 基本的に時間稼ぎだ。時間を稼ぐ

ことによって、誰か助けが来るなり、相手をどうにか出来る力の回復なりを期

待するのが普通だ。

 だが、魔導人の足止めが精霊達にとって何の意味を持つ? 人間達に追いつ

かせようにも追っ手自身がこちらに来られないし、ここにいる人でどうにか出

来ることなら、ルーラに始末なり何なりを頼むだろう。精霊使いにとって、拒

むことの出来ない頼みだ」

 前にも記した通り、ルーラ達精霊使いは、精霊の力を借りて望みの現象を引

き起こすことが出来る。正しくは、精霊達に「こういう事をして欲しい」と頼

み、それを精霊達が叶えるのだ。それとは逆に、まれにではあるが精霊の方か

ら精霊使いに「こうして欲しい」と頼んでくることがある。その頼みを精霊使

いは絶対に叶えなければならない。それが出来ない、あるいは拒否したとき、

精霊使いは精霊と意思を通わせる能力の全てを失うのだ。

「にも関わらず精霊たちはルーラに何も教えない。なぜだ?」

「教えているけれどルーラさんが黙っているという可能性は」

「だったらすぐにわかる」

 即答に対し、フィリスはうらやましそうな笑みを見せた。

「でしたら、ベルダネウスさんは精霊たちが私たちを閉じ込める理由は何だと

考えていますか?」

 その問いに彼はおどけるように肩をすくめ

「わからん。やはり魔導人が原因かも知れないしな」

「仮に魔導人が原因だとして、ベルダネウスさんは誰が怪しいと思います

か?」

「怪しいだけならみんな怪しい。それにエリナさんのこともある。魔導人でな

ければ安心だなんて思えない」

「そうでしたね」

「魔導人に関しては情報がなさ過ぎる。せめてボーンを殺した理由だけでもわ

かれば」

「それが大事なことなんですか?」

「商人の性とでも言うのか。私は全ての生き物が何かをする動機は欲にあると

考えている。何が欲しいか。手に入れたいか。金、愛、力、自由、安定……切

羽詰まれば目先の食い物や安心もある」

「安心?」

「目先の敵を排除することさ。その先にもっと危険が生まれるとわかっていて

も、当面の安心を得るために邪魔なものを排除する。目の前の借金を返すため

に、別の所からより高い利息の借金をするようなものさ。クレイソン衛視を殺

したのもそれだと思う」

「ボーンを殺したのもそれだと言うのですか? とにかく、目の前の障害や不

安を取り除く。そのためだけに殺したと」

「と考えるのもな。魔導人にとってボーンのそばにいれば生きるのに不自由は

しない。人間とは違うんだ。魔力の補充、自分の体の診断……ボーンの死は自

分の死にもつながる」

「発作的なものという可能性は? あるいは単なる事故」

「だとしたらなぜ魔導人は逃げた? 呆然とボーンの死を理解できず、そばに

いても良いはずだ。しかし実際はその場にはおらず、魔導師連盟にも捕まって

いない。それに……」

 ベルダネウスは屋敷で見たボーンの死体を思い返した。頭を殴り、心臓を刃

物で突き刺した。殴っただけ、突き刺しただけなら発作的にと言うことも考え

られるが、二つが重なるとそうは考えづらい。何らかの殺意がそこにあったと

いうのがベルダネウスの考えだった。

「……どうした?」

 気がつくと、フィリスは何かを恐れるような眼でベルダネウスを見ていた。

「何だか、その場にいたような言い方をしますね」

「偶然さ。ただ推測したに過ぎない。魔導人は何が欲しいのか? そしてボー

ンを殺してまで手に入れようとしたそれを魔導人はどうやって知ったのか」

 じっと見つめられ、フィリスは体が震えた。

「どうした?」

 何でもないと首を振りながら、初めて彼女はベルダネウスを怖いと感じた。

まるで自分の全てを知った上で泳がせているように思えたのだ。


 ルーラの姿にグラッシェがうれしげに鳴いた。足をならし、体を震わせる。

「ごめんなさい。出発じゃないの」

 グラッシェの白い鼻息の元気がなくなった。隣にいるエクドールの馬たちが

元気なさそうに小さく泣いた。

「この時期にこの寒さはきついよね」

 震えてコートの襟元を合わせた。フィリスから借りたままのコートは、少し

厚めだが今まで自分が使っていたのよりもずっと暖かい。

 馬小屋とその周辺に人の姿は見えない。馬たちから離れると、馬車へと向

かった。

(やっぱり、何かいる)

 精霊の槍を握る手に力がこもる。

 口では言えない何かが、ルーラにこの場の空気の違いを知らせていた。

(あたし達の馬車に何かあるとは思えないし、とすると)

 エクドールの馬車の前に立つ。エクドールは荷物はほとんどないようなこと

を言っていたが、馬車の扉には見るからに頑丈な鍵がかけられていた。もっと

も、中にたいした荷物がなくても鍵をかけるのは自由商人にとって当たり前

で、それ自体は何の不思議もない。

 地面を見てルーラは眉をひそめた。自分たちの馬車に比べて、車輪が地面に

食い込んでいるのだ。馬車自体が重いのか、それとも。

「やっぱり、ザンにも来たもらった方がよかったかな」

 どこで覚えたのかは聞いていないが、ベルダネウスは簡単な鍵ならば開けて

しまう。さすがに魔導がらみの鍵は無理であるが。

「?」

 途端、ルーラの顔が険しくなった。慌てて数歩下がり、精霊の槍を構える。

(中に何かいる?)

 ルーラの耳は荷台の中から微かに、しかし確かな音を聞いていた。鎖の鳴る

ような音。

(何か閉じ込めている?)

 真っ先に魔導人を思い浮かべた。魔導人が中に鎖につながれ、閉じ込められ

ている姿を。

 改めてルーラは考える。魔導人なら水も食料も必要ない。とすればずっとこ

こに閉じ込めていても問題ない。

 精霊石を通じて精霊たちに聞いてみる。中に何かいるのか? ハッキリとわ

からなくてもいい。動くものがいるかどうかだけでも教えてくれれば助かる。

 だが、精霊たちの答えは

(わからない?)

 答えてくれないのではない。精霊たちにもわからないのだ。それは、精霊た

ちが荷台の中に入り込めないことを意味する。それはルーラには意外すぎる答

えだった。隙間があれば風が入る。木で出来ていればそれを通じてわかる。そ

れすらも出来ないというのだ。

(だとすると……何かで精霊たちの力を防いでいる?)

 信じがたいことだった。そもそも一介の自由商人であるエクドールの馬車に

どうしてそんな仕掛けが施されているのか。

 もう一度馬車を見直した。しゃがんで下をのぞき込んで息をのむ。

 床板には奇妙な紋様が描かれていた。それは、ボーンの研究室で見た魔導陣

の紋様を思い出させた。

「うそ……なんで魔導の仕掛けがしてあるの? エクドールさんは魔導師じゃ

ないのに」

 口にしてはたと気がついた。エクドールが自由商人というのは、彼がそう

言ったにすぎない。もっとも、それを言い出せばここにいる全員が当てはまる

のだが。少なくとも彼が何か隠していることは間違いないと思われた。

 動揺がルーラから注意を奪った。彼女は何者かが近づいてくるのに気がつか

なかった。

 立ち上がりかけた時、彼女はいきなり背後から何者かに手で口をふさがれ

た。氷のように冷たい手だった。その冷たさに意識がハッキリしたルーラは必

死でもがき始めた。力なら並の男より強い彼女だ。だが、彼女を捕まえている

者の力はさらに強く、びくともしない。

 体が絡み合った状態では精霊の力は借りづらい。ルーラはとっさに槍を下に

突いた。自分を捕まえているものの足を狙ったのだ。

 手応えはあった。しかし、自分を捕まえる力は一瞬たりとも緩まない。手首

を思いっきり握られた。冷たい力に絞られるように彼女の手から精霊の槍が落

ちる。

 とっさにルーラは口をもがいて、自分の口をふさいでいる手の親指に思いっ

きり噛みついた。だが、相手は声ひとつあげない。それどころか、左手を首に

回し、彼女を締め付けはじめた。腕の冷たさが、自分の体温をどんどん奪って

いくようだった。

 ルーラの意識は、たちどころに闇へと沈んでいった。


「大丈夫か?」

 ベルダネウスの心配そうな声が聞こえた。

 ルーラが目を開けると、自分をのぞき込む彼とフィリスの顔が見える。

 起き上がると、彼女は自分が詰所のロビー、暖炉の前のソファに厚手の毛布

が掛けられ寝かされていることに気がついた。

「あたし……」

 起きあがろうとして、激しく咳き込むルーラ。思わず喉に手を当て、やっと

自分が背後から襲われたことを思い出した。

 セシルが差しだした暖かい紫茶を飲んでやっと一息つくと

「ザン、あたし……」

「落ち着け、話すのはそれからで良い。しかしこれだけは聞いておきたい。お

前は私たちの荷台の前で倒れているのを、たまたま用足しに出たセシルさんが

見つけてくれたんだ。私とフィリスが知らせを受けたお前をここに運び込ん

だ。もちろん、運び込んだ後だが現場は一通り見た」

 頷きながらルーラは訝しかった。ベルダネウスにしては歯切れが悪いように

感じたのだ。

「そこで聞きたいんだが、ルーラ、お前は精霊の槍をどこかに置いたか?」

「え?」

「どこにもないんだ。お前の精霊の槍が」

 言われた途端、ルーラは飛び起き、自分が横になっていたソファをまさぐ

り、周囲を見回した。

「ない、あたしの槍がない!?」

「やはりか。お前を襲った奴が持っていったのか」

「そんな……」

 精霊使いにとって、精霊の槍は命の次に大切なものであり、精霊たちと心を

通わす大切な道具でもある。それを無くしたとなれば、精霊達が彼女をどんな

思いで見るか。

 ただでさえ精霊たちは今回のことで何か隠し続けている。ルーラを信用し

きっていない。そこへ精霊の槍をなくしたなんてことになれば……。

「あたしは……なんてことを……」

 ルーラの声が震え、涙がぼろぼろこぼれだした。

 エクドールの馬車に対する疑念も綺麗さっぱり消し飛んでいた。



【次章予告】

精霊の槍を失ったルーラに向けられる疑惑の目。

誰が、何のために彼女を襲ったのか。

魔導人が襲ったのか、魔導人と思って襲ったのか?

わずかな手がかりを求めて

エクドールの馬車を調べようとする彼女の前に立ちはだかったのは!

次章【十・甦る男】

ルーラ、お前は一人じゃない。


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