【八・殺す人、殺される人】
【八・殺す人、殺される人】
気絶したファディールはそのまま地下牢へと入れられた。もちろん魔玉の杖
は取りあげてある。被害者の婚約者に対してあんまりだともルーラは思った
が、興奮して魔導を使われたら、大事になると自分を納得させた。
エリナの遺体は、現場を調べ、記録を取った上で地下牢に移された。
詰所の地下牢はごく簡単なものだ。
地下へ続く階段を下りると扉がある。開けると、薄暗い中に、左右に合わせ
て六つの牢がある。造られた当時は必要だったのかも知れないが。現在では、
無駄に大きいように思える。入ったところに、各牢の鍵を納めた棚があるが、
錠前が錆びており、ちょっと力を込めれば壊れそうだ。こんなので良いのか
と、ルーラは他人事ながら気になった。
牢のひとつにエリナの遺体はクレイソンと並んで寝かされた。ファディール
は文句を言うかも知れないが、他に適当な場所はなかった。
その後マスカドルは現場を調べ直すためにセシルが倒れていた馬小屋前に
戻った。クレイソンの時同様、意見を聞くためボーンヘッドとフィリス、ルー
ラも同行していた。
特に呼ばれたわけではないのだが、ベルダネウスとソーギレンスも現場に来
ていた。他の客たちは食堂でセシルの入れたお茶で暖まっている。
「調べたところ、後頭部に殴られた跡がありました。他に外傷は見当たりませ
ん。頭の傷か心臓をえぐり出すために刺した傷か、どちらが致命傷だかはわか
りません。治癒術に詳しいファディールさんならわかると思いますが」
「今回は奴さんの意見は期待できねえだろう。調べさせても、果たして正確な
判断が出来るかどうか」
ボーンヘッドの意見にマスカドルもフィリスも同意した。
「遺体の具合から見て、死んでから一時間も経ってねえだろう」
「傷口はどうです。手慣れた人の仕事ですか?」
「心臓を抉りとるのに慣れたやつなんていねえだろう。実際、結構手間取って
いるみたいだしな。血がやたら流れたのもそのせいじゃねえか」
遺体を運ぶ時にルーラも胸の傷跡を見たが、確かにひどいものだった。それ
だけに、彼女の死に顔が妙に安らかだったのが気になったが、
「死んでから心臓を抉ったんだ。関係ねえよ」
「少なくとも彼女は苦痛を感じる間もなく殺されたのでしょう。それが唯一の
慰めですね」
改めてマスカドルたちは周囲を見た。詰め所から馬小屋、トイレまでの通路
はルーラが吹き飛ばしたために雪があまり残っていなかったが、現場付近は雪
が風で流れ込んでいるせいか、足跡もかなり残っている。しかしほとんどは乱
れ、暴れ回ったファディールと彼を取り押さえた面子のものだった。ボーン
ヘッドの靴は魔導師連盟の支給品なので、踵に連盟のマークがありわかりやす
いが、あとは大きさぐらいしか判別出来そうな材料はない。
「足跡から何かたどるのは無理そうだな」
「グラッシェ、何か見なかった?」
ルーラが馬小屋で白い鼻息を出している愛馬に聞いたが、もちろん答えが
返ってくるはずもない。
「手をついた跡とかも見あたりませんね」
柱や壁にも血は飛び散っているが、何かの跡は見当たらない。
「犯人だって、血を避けるぐらいするだろう。ただ、血の広がりから見て、心
臓を抉るのにかなり手間取ったみたいだな」
「じゃあ、部屋を調べれば、血の付いた服が見つかるかも」
「犯人だって、それが証拠になるぐらいわかりますよ。この遺体が見つかる前
に処分したでしょうね」
「だな。暖炉で燃やすか。そうでなくてもこの雪だ。重りをつけて遠くに投げ
れば、雪が隠してくれる。少なくとも、数日中は見つからねえさ。見つかった
ときは、トンズラこいてる」
「なんて事だ」
頭をかきむしるマスカドル。
念のため屋根に上がって周囲を見回したが、どこにもそれらしい跡は見えな
い。ロビーの暖炉にも燃えかすらしき物はなかった。
食堂で、皆が朝食を取っている。ただし、ファディールは、まだ地下牢の中
である。
焼きたてパンにベーコン入りいり卵、キノコのサラダにコンソメスープとい
う簡単なものだ。セシルも動揺しているのか、パンの焼き加減がいまいちだっ
た。
あんなことのあった直後なだけに、みんな食が細いかと思いきや、ベルダネ
ウスはいつも通りの、フィリスとボーンヘッドは昨日の夕食にもまけない食欲
を見せていた。
「よく食べられますね」
ルーラはフォークで炒り卵を転がしている。腹は空いているのだが、どうし
ても食べる気が起こらない。
「こんな時だから、食べなければいけないんです」
フィリスが新しいパンを、籠から取る。
「俺も同感だ。それに、話がややこしくなってきたしな。体力だけでもつけて
おかねえと」
怪訝な顔のルーラを横目に、ベルダネウスは食後の紫茶を飲み終え天を仰い
だ。
「ルーラ、エリナさんはなぜ殺されたのだと思う?」
「なぜって?」
「たぶん、彼女は魔導人と勘違いされたんです」
「……だろうな」
フィリスの答えに、ボーンヘッドがうなずいた。彼の他にも、同意見の者は
多いようだ。
「目的は魔導人に埋め込まれている力玉よ。犯人はそれを奪おうとしたんだ
わ。欲しいのは中の魔力か、それを売って手にするお金なのかは知らないけど
ね」
アーシュラが断言した。
「魔導人をぶち殺しても罪にはならねえからな。一足先に魔導人を見つけ出
し、ぶち殺して力玉を奪っちまえばそれで終わりさ」
ルーラは、ボーンヘッドの言葉に昨夜のことを思い出した。魔導人が誰かは
目星をつけている。そいつを殺して力玉を手に入れるという。
「じゃあ、犯人はエリナさんが魔導人だと狙いをつけて……」
「見事に外したわけね。心臓を抉り出して、犯人は慌てたでしょうね。魔導人
だと思っていた彼女が人間だったんだから。それと同時に、犯人は殺人者に
なったのよ」
「じょ、冗談じゃありませんよ」
エクドールが立ち上がった。
「生みの親と衛視を殺したっていう魔導人が、この中に紛れ込んでいるってい
うだけでも頭が痛いのに、その上、それらしい人を殺す殺人鬼ですか。あんた
たちはどこまで無能なんです!」
最後の言葉はマスカドルとセシルに向けられたものだ。
さすがに、二人とも返す言葉がないのか、ただうつむくだけだ。
「私はこんな所にいるのはまっぴらです。すぐに出発させてもらいます!」
「この雪の中をですか。とても馬車が通れる状態じゃないですよ」
ベルダネウスの指摘に、エクドールが黙る。
先ほどからのルーラの視線に気がついたのか、ボーンヘッドが視線を逸らし
た。
「どうしました?」
二人の様子に気がついたマスカドルが聞く。
「昨夜のことがちょっと気になっただけ」
「関係ねえよ」
言い切るボーンヘッドの態度に、マスカドルが不審の目を向ける。
「どういう事ですか。話してみてください」
「関係ねえって言っているだろう」
「それは私たちが判断します」
ルーラはベルダネウスを見た。彼は背もたれに身を預け、息をついた。仕方
がないということだ。
彼の許可が出たので、ルーラは昨夜、ボーンヘッドがベルダネウスに力玉を
手に入れた後の売却を依頼してきたことを話した。
「なんて人なの、あんたは!」
アーシュラが憤怒して立ち上がった。その手には魔玉の杖がしっかと握られ
ている。
「俺じゃねえ。俺は殺してねえ!」
さすがにボーンヘッドも腰を浮かして逃げようとする。
「しゃあねえから話すが、確かに俺はファディールの女が魔導人だと睨んでい
た。それは認める。奴は魔導師だから魔導人の扱いも知っているだろうし、奴
の女がワコブじゃ大家の娘だってのは、所詮、奴の話だけだ。この場を切り抜
けるとっさの出任せだと思った」
「危険が大きすぎませんか? 知っている人がいたら」
「エリナってオルグ家の娘が滅多に表に出ないってのは俺もちらっと聞いたこ
とがある。だったら知っている奴なんてそんなにいねえだろう。へたに疑って
オルグ家に睨まれでもしたら却って厄介だ。変だなと思っても黙っている可能
性の方が高いって考えた。ましてやここにいるのはワコブの上流階級とは縁の
なさそうな奴らばっかりだしな」
なるほどと何人かが頷いた。
「けどよ、こんな時に殺すなんて馬鹿なことはしないぜ。考えてみろ。力玉を
手に入れたからって、この雪じゃあ逃げられねえ。それどころか、今度は力玉
を狙う奴にこっちが狙われる。だから、殺すのはすぐに逃げられる状況になる
まで待つつもりだったんだ」
「具体的には」
「雪が止んで、出発するときに奴らと同行するか、後をつけるつもりだった。
そして人気のないところで襲うつもりだったんだ。本当だ。こんなところで事
を起こしても、今度は逃げるのに苦労するだけじゃねえか!」
「今となってはいくらでも言えるわ」
アーシュラが冷たく言い放つ。
「だったら、俺がやったっていう証拠でも見せてみろよ。力玉を狙っていたの
は俺だけじゃねえだろ! てめえら全員、機会があれば魔導人をぶち壊して、
力玉を手に入れたいと思っていたんじゃねえのか。
それによ、俺よりもファディールの方が怪しいじゃねえか」
「どうして?」
「夫婦や恋人の一方が死んだら、残ったのが犯人てのが常識だろう」
皆が呆れたように息をつき、ここにファディールがいなくてよかったと誰も
が思った。
「ザン、どう思う?」
「何とも言えませんね。ここはマスカドルさんの判断に任せます」
みんなの視線がマスカドルに集中した。
「確かに、ボーンヘッドさんが犯人だということを示す証拠はありません。夫
婦や恋人のどちらかが殺されたら、残ったのが犯人に決まっているという説は
短絡過ぎて支持できません。ですから、今のところはあなたを拘束したりは出
来ません。ファディールさんも気持ちが落ち着いたら自由にします。
みなさんも、言動にはくれぐれも気をつけてください」
睨み付けられ、ボーンヘッドはしゃあねえとばかりに肩をすくめて腰を下ろ
した。
「マスカドルさん、ファディールさんが落ち着いたら、当然、話を聞くので
しょう」
「もちろんです。衛視として、犯人を捕まえなければ」
「でしたら、私達にも話を聞かせてください。こんな時に何も知らないままだ
と却って不安になります」
ベルダネウスの提案に皆が同意の目を向けた。
「そうね。このままじゃ、自分以外はみんな敵になって気をつけなきゃならな
いわ。吹雪が止んで出て行けるようになるまで、びくびくして過ごすなんて、
私は嫌よ」
アーシュラの言葉に、ボーンヘッドが鼻で笑う。
「お前さんは魔導で空を飛べるんじゃなかったのかい? その気になりゃ、一
人だけ逃げられるだろう」
「逃げる必要はない。が、飛べるというのは実行すべきだと思うが」
そう言ったのはソーギレンスである。
「ワコブの魔導師連盟までいけばボーン殺しについてわかるのではないか。少
なくともここで起こったことを説明し、魔導人がどのような姿をしているのか
聞いてくるだけでも事態は変わる。飛行魔導に精通した魔導師に来てもらうこ
とも出来よう。
そうでなくても、雪が収まれば魔導師連盟や衛視たちが大勢やってくるとい
うだけで、犯人に対し、これ以上の殺戮をためらわせる効果がある。
夜、雪の中を飛ぶというのは危険だろうが、もう夜は明けた。私には無理だ
が、少なくともここには空を飛べるものが三人いる」
ソーギレンスの視線がアーシュラと、ルーラに、そして床……地下牢のある
方向に向いた。
「それがいい!」
エクドールの喜びの声が響いた。
「これでいくらかは安心できる」
「私はお断り」
アーシュラが口にしたのは拒絶の言葉だった。
「この騒ぎが、ただの人殺しでいくらか報酬も出るって言うのなら飛んでも良
いけどね。でも、魔導人がらみとなれば話は別よ。ましてや、魔導人を狙って
いる人がいるとなれば尚更よ」
「あなたはまだ魔導人を守る気なんですか」
エクドールが呆れたように言う。
「当たり前よ。人間とほとんど区別がつかないほどの完成度を誇る魔導人よ。
それを黙って殺されたり、連盟の馬鹿たちに引き渡されるのを黙ってみてい
ろって言うの。そんなもったいないこと出来るもんですか」
「奴はすでに二人殺しているんだぜ」
「魔導人を狙う奴もすでに一人殺しているわ」
「人間と魔導人を一緒にするな」
「そうね。男と女がすることすればいくらでも作れる人間と、大勢の魔導師が
時間と金をかけてやっと一人作り出せる魔導人とでは価値が違うわね」
「いい加減にしてくださいよ」
今にも泣きそうな顔でエクドールが割って入った。
「いいです。アーシュラさんには頼みません。ルーラさんに行ってもらいま
す、精霊使いだって飛べますよね。前にそう言ってましたから」
ルーラは返事に詰まった。まさか自分たちもボーン殺しの件で逃げていると
は言えない。
「……そうですけど、私にはザンを守り、世話をする仕事がありますし」
「護衛ならフィリスさんがいるでしょう。ここにいる限り、食事も掃除もする
必要はないし」
そう言われては断る理由はみつからない。ルーラは助けを求めるようにザン
を見たが
「仕方ない。ちょっとワコブの魔導師連盟まで行ってこい」
こう言われてルーラは覚悟を決めた。
「マスカドルさん。お手数ですが事情を手紙にしてルーラに持たせてくれませ
んか。いきなり魔導師連盟やワコブの衛視隊を訪れても相手にしてもらえない
かも知れません」
「わかりました。時間をください」
「すみません。私もちょっと」
エクドールも席を立った。
その間、ベルダネウスはルーラを持たせたいものがあるからと馬車へと誘っ
た。
「ザン、魔導師連盟に行って、下水道で戦った魔導師と顔を合わせたどうする
のよ。あたしその場で捕まっちゃうわよ」
馬車のそばで他に人がいないのを確かめると、困ったようにルーラは訴え
る。
「わかっている。だからルーラ、魔導師連盟には行くな。ここを離れたら、適
当に時間をつぶして戻ってこい。連盟に行ったが、ボーンの研究資料はまだ調
べている最中で魔導人について具体的なことはまだわからない。飛行魔導の使
えるものの手が空き次第そちらに向かわせるから、魔導人や殺人者を刺激する
ようなことは避けろ。民間人の身の安全が第一だ。ということにすればいい」
「それでみんな納得するかな」
「するしかないだろう。私としても、衛視たちが大挙して来られるのは困る。
最悪の場合、今夜にでもここを逃げるぞ」
「グラッシェを置いていくの?」
「馬鹿を言うな。馬車で逃げる。ここに来たとき同様、風の精霊に道の雪を
払ってもらう。私たちが通った後、また雪を戻してもらえば、アーシュラと
ファディール以外は追ってこられない」
「追ってきたら?」
「返り討ちにする。飛んでいる間は他の魔導は使えまい。地面に降りれば雪で
思うように身動きは取れないだろうから、精霊使いであるお前の方がずっと有
利だ」
出来ればそんな展開は避けたいルーラだった。
マスカドルが手紙を書き終えると、ルーラはみんなに見送られる形で外に出
た。昨夜の内に積もった雪を風の精霊で軽く払い、広々とした空間を作ると一
同から感嘆の声が漏れた。
「まったく、ここいら辺りは毎年こんなんなのか?」
「いえ、今の時期にこんなに雪が降るなんて私も初めてです」
皆の吐く息も真っ白だった。
「それじゃあ行ってきます」
ルーラはもう一度服越しに懐の手紙を確かめた。手紙は二通あった。マスカ
ドルの書いたのとエクドールが託したものだ。
「ワコブに行ったら、これをケロクン通りのタマリアン家に届けてください。
バンカス・エクドールからの使いと言えばわかるはずです。一応返事があれば
聞いておいてください」
そうエクドールは言った。タマリアン家というのは、ワコブでも珍しい物好
きで有名な富豪で、エクドールのお得意様ということだ。金持ちのコレクター
というのは、自由商人にとってなかなか美味しい相手なのでベルダネウスも軽
くうらやましいとつぶやいた。
「紹介はしませんよ。上得意様をよそに紹介するほどお人好しじゃありません
から」
けちな人と心の中で呟きながらルーラは精霊の槍をかざし、精霊石に意識を
向けた。
風の精霊に語りかけると、ルーラの体をつむじ風が包み、その体を浮かせ
る。そのまま空高く舞い上がり、ワコブに運んでもらおうとする。
途端、
「え!?」
ルーラの体が詰所横の雪山に突っ込んだ。新雪に体がめり込み、思うように
動けない。
「どうした?」
ベルダネウスが駆け寄り、ルーラを雪山から引っ張り出した。彼女は精霊た
ちのしたことが信じられなかった。
もう一度どうしたと問うベルダネウスに、ルーラは戸惑いの表情を向け
「……駄目だって」
「駄目?」
「風の精霊たち、あたしを飛ばすのは駄目だって……。昨日は飛ばしてくれた
のに」
それはルーラにとって予想外のことだった。精霊たちは時に精霊使いの希望
を叶えてくれないときがある。それは確かだし、これまでも拒絶されたことは
ある。しかし、少し前まで聞いてくれたことが突然嫌だと拒絶される。なんで
かもわからないまま。
「この前と今日とで何が違うの……何が変わったの?」
「精霊にだって気分の悪いときはあるさ」
ベルダネウスはそう言ったが、違うとルーラは思った。この雪が精霊たちの
明確な意思で降らされている以上、今の拒絶も何か理由があるのだ。
「もう一度お願いしてみます」
「待って、コートを」
フィリスが自分のコートを脱いだ。それまで気がつかなかったが、ルーラの
コートが大きく裂けていた。新雪に突っ込んだとき、何かに引っかけたらし
い。
コートを取り替え、もう一度ルーラは精霊石を通じて精霊たちに語りかけ
る。
今度は返事もなかった。
(どういうこと?)
訳がわからなかった。
「見ての通りです。理由はわかりませんが、今のルーラは飛べません。アー
シュラさんかファディールさんにお願いできませんか?」
皆の視線が一斉にアーシュラに向けられる。
「精霊に言うことを聞かせられない精霊使いなんてね。仕方ないわ。私が行っ
てあげる」
「さっきとは違うじゃねえか」
ボーンヘッドに小馬鹿にしたような笑いを向け、アーシュラはルーラから二
通の手紙を受け取った。
「それじゃあ行って来るけど、魔導人を見つけても手荒なことはしないでよ
ね」
一度部屋に戻ってコートを着てきたアーシュラが魔玉の杖を構えて意識を集
中させる。
魔玉が魔力を受けて淡い光を放つと、アーシュラの体が飛び上がった。
その瞬間、ルーラは精霊たちの声を聞いた。
「な?」
飛ぶアーシュラの軌道が突然変わり、先ほどルーラが突っ込んだ新雪のすぐ
横に同じように突っ込み雪を舞い上げた。
急いでマスカドルとボーンヘッドが雪面から突き出たアーシュラの両足を
持って引き抜く。
「へたくそ!」
「違うわよ。いきなり横殴りの突風が吹いて」
服についた雪を払い、ぞくっと震えると、アーシュラの服の隙間から新雪が
粉のようにこぼれ落ちる。
「みてなさいよ。今度こそ」
肩を怒らせたアーシュラが、もう一度魔力で自分を上空に放り投げるが、ま
た突然、まるで見えない手で払い飛ばされるように彼女は真横に吹っ飛ばされ
雪の中に、先ほどの穴の隣に突っ込んだ。
「何度やっても同じです」
ルーラが精霊席に意識を向けると、アーシュラのいる場所の雪が払いのけら
れるように吹き飛んだ。
「風の精霊が邪魔してます」
詰所のロビー。暖炉を囲む一同を前にルーラは言った。
「どういうことよ」
震えながら火に当たっているアーシュラがむくれっ面を向けてくる。
「つまり、精霊はあたし達をここから出したくないんです」
先ほどルーラはアーシュラが突っ込んだ付近の雪を精霊たちに払いのけても
らった。つまりここから出ようとしなければ精霊たちは望みを聞いてくれるの
である。
ルーラの言葉にベルダネウスが付け加える。
「ただワコブ周辺に大雪を降らせたいだけなら、そこにいる人達がどんな行動
を取ろうが好きにさせるはずだ。なのに精霊たちはルーラの問いかけに答え
ず、アーシュラさんの飛行を阻止した。おそらくファディールさんが飛行を試
みても同じ結果になるでしょう」
「でしょうね。口ぶりからあの男、飛行魔導は放り投げの最低レベルみたいだ
し」
「とすると、精霊たちの目当てはこの詰所にあると見るべきでしょう」
「それって、精霊たちがその気になるまで私たちはずっとここに閉じ込められ
るって事ですか」
エクドールが青ざめた。彼の言葉は、ここにいる全員の不安でもあった。
「なんでですか、私たちは精霊から恨みを買う覚えはありませんよ」
「わかりません」
「わからないって何よ。あんた精霊使いなんでしょ、聞いてみなさいよ」
「聞いてみました……答えてくれませんでした」
「それって、あなたは精霊たちに信用されていないって事ですか」
エクドールの言葉に、ルーラは涙がこぼれそうになるのを堪えた。
「本当に信用されていないならば、先ほどのように雪を払うことも出来ません
よ。ですからこれはルーラとは関係のないことです」
ベルダネウスがカーテンを開けて外を見た。
外は真っ白だった。先ほどから急に猛烈な雪が降り出し、自分の背丈ほどの
先すら見えなくなっていた。
「私たちに恨みがあるとも思えません。さきほどアーシュラさんの飛行を邪魔
するとき、親切なことに新雪の中に放り込みました。精霊たちがその気になれ
ばこの詰所の壁にぶつけることも出来たはずなのに」
そうなったらアーシュラは大怪我を負い、下手をすれば死んでいただろう。
「ならば何故精霊はルーラ殿に事情を説明しない。精霊使いにとって精霊は友
だと言われた。友に隠し事をされるのはつらいことだ」
ソーギレンスの言葉に、セシルが頷いた。
「考えられるとすれば、やっぱり魔導人だろうな。魔導人は魔導の産物、つま
り精霊たちが司る自然界にとっては異質の存在だ」
ボーンヘッドが硬貨を弾く。しかし、それを彼は受け止め損なった。床を転
がった硬貨は暖炉に飛び込み、薪のちょうど縦に挟まれる形で止まった。
「人間が作り出したものである以上、人間がどうにかすべきだ。それまでここ
から出さない。ということでしょうか? ルーラさんにも内緒にする理由がわ
かりませんけど」
首を傾げるフィリスの呟きが一同を小さく唸らせる。
「ちょっと。本当に精霊たちは何も説明してないの?」
「精霊たちにとっては説明するまでもないことなのかも知れません」
「精霊の常識は人間の非常識ってか」
皆がルーラを見るが、その目には期待よりも不信が現れている。みんな彼女
が何か隠しているのではないかと思っているのだ。しかし、ルーラは本当に何
も知らないのだ。
「ルーラを擁護させていただきますが、彼女は私と共に旅をしています」
ベルダネウスが言った。
「ご存じの方もおられるでしょうが、精霊使いはほとんど旅をしません。ずっ
と決まった土地で一生を過ごします。それはその土地の精霊たちと信頼関係を
築くためです。人間通しのつきあいを考えればわかります。ずっと同じ土地に
住む人は信用できても、ふらっとやってきただけの人はなかなか信用しないで
しょう。それと同じです。
しかしルーラは自由商人である私と共にいる関係上、短期間で場所を移動し
ます。その土地の精霊たちと信頼関係を築く間もありません。ですから、彼女
が精霊使いとして未熟である原因のひとつは私にあります。
精霊たちはルーラをどこまで信用して良いか決めかねているのだと思いま
す。だからこそ、ここにいて欲しいと願う反面、詳しい事情はまだ話せない」
エクドールが静かに息をつき、椅子に座り直した。納得するかはともかく、
ルーラを責めても事態は好転しないことはわかったらしい。
「何にもわからねえで閉じ込められるってのは気に入らねえな。動きようがね
え」
ボーンヘッドはやっとこさ暖炉から硬貨をほじくり出したものの、真っ赤に
焼けているので触れないでいる。
「落ち着くことだ。恐怖は理性を奪い、不満足な死を呼ぶ」
ソーギレンスの言葉にベルダネウスが頷き、
「私としては、自分を狙う者がおり、その者が人の命を奪うことも辞さない。
そして逃げ出すことも出来ないと知った魔導人がどう動くかの方が気になりま
すね」
「どういうことです?」
「魔導人が、やられる前にやれとでも考え出したら」
一同が言葉を失った。
「魔導人だけじゃない。エリナさんを殺した犯人も、一度しくじって焦りだ
し、事を急ぐかもしれない。これと目をつけた相手を、片っ端から殺して力玉
を取りだそうとする恐れがあります」
何人かが身を震わせた。心臓を抉り出されて死んでいる自分の姿を想像した
のだろうか。
「いいかげんにしてください!」
さすがにマスカドルが怒鳴りつけた。
「ベルダネウスさん。言いたいことはわかりますが、状況を考えてください。
もしもこれでみんなが疑心暗鬼になり、平常心を失ったらどうするんです。最
悪、ここにいる人たち全員での殺し合いが始まりますよ」
睨み付けられ、ベルダネウスは頭を下げた。
「すみません。私の失言でした」
「とにかく、みなさんは自分の部屋に戻ってください。勝手に出歩かないよう
に。これからどうするかは僕たちが決めます」
「ファディールさんの話については? こんなときだからこそ少しでも情報を
知っておきたい。知らないことも不安を大きくする要因です」
「わかりました。彼の話はきちんと当人も交えて皆さんに説明するようにしま
す。ですから、勝手な行動はしないでください」
そういうマスカドルの口調からは不安と自信のなさが感じられた。
ファディールが落ち着きを取り戻したのは、昼過ぎだった。血で汚れた服は
新しいものに着替えられていたが、靴は換えがないらしく血で汚れたままだっ
た。髪は乱れ、目には力はない。落ち着いたというよりも、怒るのに疲れたよ
うにも見えた。
事情を聞くにあたって、他のお客達も同席するのにファディールは驚いたよ
うだったが、彼ら自身も不安になっているという説明に納得したようだった。
「エリナは、魔導人の存在を知っておびえていました。というのも、彼女は
ボーンを知っていたんです。子供の頃に何度か会ったことがあるそうです。そ
の頃のボーンは穏和で優しいおじさんだったと言っていました。しかし、妻と
娘を亡くしてから、彼は怖くなったそうです。まるで何かに取り憑かれたよう
だと。エリナが家を出た時も、ボーンと会わなくてすむというのでほっとした
そうです」
「そんなことはどうでもいいわ」
アーシュラが言った。ボーンの悪口に話が傾いたのが気に入らないようだ。
「そんなこともあって、エリナは彼が作った魔導人に対して、あまり良い印象
はありませんでした。ましてや、生みの親であるボーンを殺したというのです
から。
僕は、エリナを落ち着かせようと薬湯を飲ませました。よく彼女に飲ませて
いたもので眠くなるものです。体があまり強くなく、ここに来てからだるさを
訴えただけに、さらに精神に負担をかけたくなかったんです。
僕も飲みました。正直言って疲れていたんです。魔導人のことは気になりま
したが、これ以上騒ぎを大きくすることはないだろうと思ったんです。
今にして思えば軽率でした。エリナは普段飲み慣れているだけに、薬湯の効
果が薄いんです。それに対して僕はあまり飲まない上に疲れていた。
目が覚めるとエリナの姿はありませんでした。火が起こされていたので用を
足しに出たのだろうと思ったのですが、なかなか戻ってこないのでちょっと心
配になって様子を見に……」
続きの言葉は出なかった。だが、その後に何があったのかは見当がついた。
「エリナさんが死んでいるのを見つけたんですね」
マスカドルの言葉に、彼がうなずく。
「ファディールさん。あなたにとっては苦痛でしょうが、あなたの婚約者を殺
した犯人を捕まえるために必要なことです。その時の様子を詳しく思い出して
ください。何か気がついたことはありませんか。何か見たとか、匂ったとか。
なんとなく感じた違和感とかでもかまいません。ここで皆さんが聞いていま
す。いろいろな考え方、見方が出来るはずです。あなたがわからなかったこと
がわかるかも知れない」
言われて、ファディールは目を閉じ、しばらく黙って……力無く首を振る。
「すみません。何も気がつきませんでした」
仮に何か手がかりがあったとしても、発見時のドタバタで消えてしまってい
る。ルーラはそう考えたが口にはしなかった。
「いえ、気にすることはありません。時間はハッキリしませんが、遺体の様子
から見て殺されたのは午前三~四時頃の事と思われます。他の方達は何をして
いましたか」
マスカドルの問いに、一同が順に答える。
「寝ていた」
「同じく」
「寝ていたわ」
答えは全員同じだった。
「その時間じゃ、それが普通でしょう」
「……嘘です。誰かが嘘をついています……」
つぶやいたのはファディールだ。
「マスカドルさん、雪が止んだら、みんなを解放なんてしないでしょうね」
「え、ええ。こんなことが起こったんですから。それに……悪いお知らせで
す」
この雪はどうやら精霊たちが自分たちを閉じ込めるために降らせているらし
い。そう聞かされたファディールは、驚くどころか、うれしそうに口元を歪め
て見せた。
「ちょうど良い……逃がしませんよ……。誰がエリナを殺したかわかるまで、
決して逃がすものですか。精霊が許しても僕が許さない……」
一人一人を流れるように睨める彼の目に、あるものは震え、あるものは一歩
下がった。そうさせるものが彼の目には宿っていた。
「吹雪が止めば、はい、さようならというわけにはいかなくなった」
フィリスとルーラを伴い自室に戻ったベルダネウスが胸元を緩めた。
「出来ることならさっさと次の仕入に行きたいところだったんだが。このまま
では、町から衛視達がやってきて調べがすむまで開放してはくれそうにない
な」
「開放しようとすれば、ファディールさんが抗議するわよ。あまり無茶苦茶な
ことはしないと思うけど……」
先ほどの皆を見る目を思い出すと、確信は出来なかった。
「ベルダネウスさん。方法はないんですか」
「大事になる前に犯人を捕まえるしかないな。クレイソン衛視を殺した犯人
と、エリナさんを殺した犯人」
「さすがに二つの事件の犯人が同じ人だとは思えません」
「同感だ。ワコブに戻れない以上、情報は限られてくるわけだが……町から衛
視達が来る前に決着をつけたいのは、エリナさんを殺した犯人や魔導人も同じ
だろう。焦りからどんな行動に出るかわからない。ファディールさんも同様
だ」
外を見ると、未だ雪は激しく降り続いている。
「考えれば考えるほど混乱します。魔導人に埋め込まれた力玉は全員の動機に
なるし、エリナさんの事件では誰が犯人でもおかしくない」
「そう、誰が犯人でもおかしくないんだ……」
最後にベルダネウスが「なぜだ?」と小さく付け加えるのをルーラは聞き逃
さなかった。
「どうしたの?」
ルーラがそのことを聞くと
「いや……誰が犯人でもおかしくないと言うこと、誰が目撃者になってもおか
しくないということだ。エリナさんの遺体は馬小屋の前、トイレに行くならば
嫌でも眼に入る場所だ。用を足しに誰が来るかもわからない」
「生理現象は誰にでも来ますからね」
「魔導人以外にはな。そんな場所で、心臓をえぐり出すなんて危険なことをす
るか? 誰かに見られたらそれで終わりだ。少なくとも殺した後、死体を人目
のつかない場所に移動させてから心臓をえぐり出すだろう」
「それは人間の場合でしょう。犯人はエリナさんを魔導人だと思っていた。な
らば死体というとらえ方はしないのでは。いつ動き出すかわからない。だから
少しでも早く心臓をえぐって動きを止め、力玉を手に入れようとしたのではな
いですか?」
フィリスの考えにベルダネウスも同意した。
「そうだったな。少なくとも犯人はエリナさんを魔導人として扱ったはずだ。
心臓をえぐるまでは」
ベルダネウスが窓を小さく開けた。馬小屋は見えるが、屋根に遮られて通路
もエリナの死体が放置されていた場所も見えない。かろうじて雪の一部が赤く
なっているのが確認できた。
「あんな殺され方はされたくないな」
それはルーラも同じだった。
【次章予告】
人を見る目が冷たくなる。
心が冷たくなっていく。
精霊に拒まれたルーラに向けられるのは冷たい心。
時と共に全てが冷たくなっていく。
それを溶かせるのも、暖められるのも人の心。
しかし、その心が一番冷たい。
次章【九・冷たい襲撃】
冷たい刃が、ルーラを襲う。