【三・足止めされた者たち】
【三・足止めされた者たち】
雪を風の精霊に吹き飛ばしてもらいながら、ベルダネウスたちの馬車は詰所
へと向かう。
詰所は大きな煉瓦造りの二階建てだ。国境の町と町との間が離れている場
合、旅人達の簡易宿泊所も兼ねるため、宿泊施設を充実させているのだろう。
もちろん、この管理は詰めている衛視たちが行っている。
建物の前では防寒具に身を包んだ男が雪かきをしている。彼のおかげで、建
物の前には馬車を十分止められるだけの空間が出来ていた。
精霊の光が散るように消え、ベルダネウスの馬車が建物の前に滑り込む。
「失礼します。ここの衛視ですか?!」
「そうです。ウッディ・マスカドルといいます。大変でしたね、この雪で」
スコップを手に近づいた衛視がフードを取ると、銀の混じった短い黒髪の若
者の顔が現れた。顔には細かな刀傷がいくつもあり、何度も実戦を経験してき
たらしい。こう描くと迫力のある戦士のようだが、顔の作りがどこか幼さを感
じさせるため、妙なちぐはぐさを感じさせる。
「それよりも怪我人がいます。薬師か治癒術の心得のある魔導師はいません
か?」
途端、彼の目から幼さが消え、責任ある衛視のものとなった。
「宿泊客の中に魔導師が二人います。すぐに怪我人を中に」
馬車の後ろに回ると幌を上げる。ルーラは運びやすいよう、クレイソンを
シーツに乗せていた。
「早く、そちらの端を持ってください」
ルーラに言われてマスカドルはシーツの端を持とうとする。その手が止まっ
た。
「キリオン!」
荷車に乗り込み、クレイソンの顔をのぞき込む。
「知り合いですか?」
ルーラの声が、彼に現状を思い出させたらしい。
「とにかく、早く中へ!」
とシーツを持つ。
「ウッディ、どうしたの? 何かあったの」
中からも見えていたのだろう。衛視の制服を着た女が出てきた。年の頃は
ルーラより少し年上……二十才ほどに見える。色白の肌に少しクセのある金髪
は緑がかっており、二人を見る瞳の青さが印象的だ。とびきりとはいえない
が、美人の部類に入るだろう。
「セシル! すぐに薬箱を。そしてファディールさんとアーシュラさんを呼ん
でくれ」
事態を呑み込んだのか、セシルと呼ばれた女衛視は頷き中に戻る。彼女と入
れ替わるように、腰に大剣を差した大男が顔を出した。安酒の瓶を手に、黒熊
の毛皮を着ている。髪はぼさぼさで角張った顔。これで顎髭でも蓄えていれ
ば、毛皮を男の地毛と勘違いしそうだ。
「どうした。何かあったのか?」
「ボーンヘッドさん、手伝ってください。怪我人なんです」
「あぁん、吹雪だけでもまいってるのに、今度は怪我人かよ」
ボーンヘッドと呼ばれた毛皮の男は、持っていた酒を飲み干すと、しようが
ねえなぁとでも言いたげに馬車の方に歩いてきた。
「怪我人だろう。何、のんびり運んでるんだよ」
マスカドルを押しのけると、毛皮が血で汚れるのもかまわず、クレイソンの
体を抱きかかえるとそのまま詰所へと運んでいく。相当な力持ちだ。
彼に続いてマスカドルたちが詰所へと入る。
入り口の扉をくぐるとそこは吹き抜けのロビーだった。入ってすぐ右側には
大きな鐘のぶら下がった受付のカウンター、左側には二階に上がる階段があ
る。ロビーは中央にテーブルやソファ、右の壁際には暖炉がある。暖炉の中の
火が室内を暖めており、既に数人の男女が集まって暖を取っていた。衛視の制
服を着ているのは一人もいない。
「すみません。怪我人なんです。場所を空けてください」
マスカドルが彼らを遠ざけ、ボーンヘッドを暖炉の前にある長椅子に導く。
そこにクレイソンは寝かされた。すでに顔に血の気はない。
クレイソンの服が脱がされると今まで隠れていた傷が露わになり、周囲の人
の何人かが目を背けた。
「こいつは助からねえな」
「勝手に決めつけないでください」
マスカドルはボーンヘッドの言葉に言い返すと、彼の持つ酒瓶をひったくっ
て傷口を洗い始める。クレイソンがうめき声を上げた。
ベルダネウスがタオルでその口を封じる。
周りの人たちも、興味ありげに顔を向けてくる。
薬箱から極細の針と糸を取り出すと、マスカドルはボーンヘッドが暖炉から
持ってきた薪の炎で針を炙った。真っ赤に焼けた針をカップの水で冷やすと、
素早く糸を通しクレイソンの傷口を縫い始めた。慣れているのか手際が良い。
セシルが、魔玉の杖を手にした二人の男女を連れて階段を下りてきた。
「怪我人というのはその人ですか?」
男の魔導師が人混みをかき分ける。やせ気味の彼は、あまり裕福でないのか
服もズボンもよれよれである。靴も魔導師連盟の支給品らしく、連盟の印が
入っている。茶色の髪もあまり手入れが良いとはいえない。手にしている魔玉
の杖も、魔玉の固定しているだけのよく言えばシンプル、悪く言えばなんの飾
りもないただの棒に魔玉を固定しただけのものだ。
女の魔導師は彼と対照的だった。デザインは地味だが上物の白いセーターに
身を包み、腰まである金髪もきれいにカールがかけられている。肌もきめ細か
く、大きな町のお嬢様と紹介されても信じるだろう。あえて文句をつければ、
動きやすいようにか、スカートが少し短めということぐらいだ。その代わり、
薄紅のストッキングと足首まである革の靴を履いて寒さ対策をしている。彼女
の持つ真っ赤な魔玉の杖には派手な装飾が施されていた。
「お願いします。早く治癒魔導を」
傷口を縫い終え、軟膏を塗りながらマスカドルは懇願した。しかし、
「駄目ね、助からないわ」
「確かにこの傷では……」
二人の魔導師も、ボーンヘッドと同じ事を言った。
「そんな、何とかしてください」
セシルが懇願する。そんな彼女を女魔導師は鼻で笑い、
「あのね。治癒魔導っていうのは、その生き物が本来持つ治癒能力の後押しを
する力なのよ。小さな傷や軽い病気ならみんな自力で治してしまうでしょう。
それを一時的に強化するだけ。だから、すでに自身の治癒能力の限界を超える
怪我や病気は治せないの。わかる?」
「そんな理屈じゃないでしょう。魔導師連盟が掲げているのはただの宣伝文句
なんですか」
詰め寄るルーラ。魔導に限界はないというのが魔導師連盟の謳い文句のひと
つだ。
「どう言われようと、無理なものは無理よ」
「僕も治癒術を重点的に研究してますけど、さすがにこの傷では……」
男魔導師が申し訳なさそうに頭を下げる。
その姿を周囲の人たちは様々な目で見ていた。小馬鹿にした目、哀れみの
目、関心もなく、ただ向けているだけの目。
軟膏を塗り終えて包帯を巻こうとするマスカドル。その腕をいきなりクレイ
ソンがつかんだ。彼にそんな力が残っているとは思わなかった一同が息を呑ん
だ。
「マスカドル……逃げ…………が来る前に……」
クレイソンが必死で何か言おうとしているが、ところどころが言葉になって
おらず、よくわからない。当然だ。話しているだけでも奇跡に近い。
「クレイソン、大丈夫なのか!? どうした。何が来るんだ?」
「……殺した……セシルさんを連れて……逃げろ……」
「殺したって? 誰をだ? 聞こえない」
「ボーン……」
その名前を聞いたルーラが息を呑む。だが、その名前に顔色を変えたのは彼
女だけではなかった。女魔導師がいきなりクレイソンに駆け寄ると、耳元でが
なり立てる。
「ボーンって、ミストリアン・ボーンのこと? 彼がどうかしたの? 殺した
の?! 殺されたの?!」
最後の力を振り絞るように、衛視は女魔導師の腕に手をかけ、口を開く。
「……魔導人……」
女魔導師が強張った。
「殺される……逃げ……ろ……」
力つきたのか、それを最後にクレイソンの首が垂れ、何も言わなくなった。
一同に奇妙な沈黙が流れた。
それを破ったのは、女魔導師だった。
「あんた、何をしているのよ。手伝いなさい。治癒するわよ!」
言われた男魔導師は、きょとんとして反応に詰まる。
「お腹の傷が重いみたいだから、あんたはそこを。私はそれ以外の傷をやる
わ」
「で、でも、助かるかどうか」
「やってみないとわからないわ。魔導に限界はないわ。あるとすれば諦めの心
よ。詠唱を合わせて、うまく共鳴させれば効果を高くできるわ」
「共鳴って、僕はあなたとは今日初めて会ったのに」
「やるのよ! あんた治癒術を研究しているんでしょう。研究を試す良い機会
だと思いなさい」
女魔導師の剣幕に男魔導師がたじろいだ。先ほどは正反対の態度である。と
ても今し方まで治癒に消極的だった人物とは思えない。
クレイソンの横に立つと、女魔導師が何かつぶやきながら目を閉じる。小さ
すぎてその言葉を聞き取ることはできない。
彼女の魔玉が青色に光り始める。魔力を受けて魔導現象が発動しはじめた証
拠である。
男の魔導師も同じように魔玉の杖を掲げる。こちらの魔玉は黄色に光りはじ
める。色は違っても、発動する魔導は同じである。魔玉は発動時に光るが、そ
の時発する色は魔導師ごとに違う。なぜ魔導師ごとに違うのかは今も不明であ
る。
男の魔導師の魔玉が、腹の傷の上で動かないのに対し、女魔導師の方は、魔
玉をゆっくりと体全体に流すように動かす。
周りの人たちは黙って二人の魔導治療を見守っている。
「ザン……」
ルーラが心配そうにベルダネウスを見た。
「クレイソンとかいうあの衛視がどれだけ強く生きたいと願っているかだな。
さっき彼女も言っていたが、治癒魔導というのは本人の治癒能力を後押しする
力だ。本人に生きたいという強い意志があれば、その効力は何倍にもなると聞
く。逆に、生きる気力を持たない相手には、高度な治癒魔導もほとんど効力が
ないそうだ」
一同の沈黙の中、二人の魔玉の光はクレイソンを覆い続ける。女魔導師の額
に汗が滲みはじめた。男の魔導師の方は汗一つかいていない。
ボーンヘッドが、ベルダネウスの肩を軽く叩き、
「どうだ。助かるかどうか賭ねえか」
「遠慮します。こんな時ですから」
魔導師達に目を向けたままベルダネウスは答えた。さらにルーラに睨みつけ
られて、ボーンヘッドは肩をすくめた。
暖炉の炎と魔導師二人の詠唱だけが、音のすべてだった。二人の詠唱は時に
絡み合おうとするがすぐに離れてしまう。やはり、出会ったばかりで共鳴を起
こすのは無理なのかとルーラが諦めかけた時、魔玉の輝きが消え、二人の魔導
師は同時にその場にへたり込んだ。
「……何とかなりそうです……」
男の魔導師が満足そうに言った。その言葉通り、クレイソンの顔にはうっす
らと血の気が差していた。
セシルが初めて笑顔を見せた。えくぼのかわいいその顔は、本当に嬉しそう
だ。
「ありがとうございます」
マスカドルが深々と頭を下げた。その安堵の表情に向けて
「まだ安心は出来ないわ」
女魔導師が言った。
「とにかく、ベッドに寝かせて様子を見ましょう。具合によっては、もう一度
かけ直すわ……誰か水ちょうだい、いや、お湯が良いわ。人肌のね」
壁際の椅子に座り込んで息を整える。二人ともタオルで噴き出した汗をぬ
ぐっている。やはりかなりの魔力を消費したようだ。
「かけ直すって……僕たちが、持ちませんよ……」
男魔導師も床に倒れたまま肩で息をしている。魔力は精神力の一種なので、
いくら使っても死ぬことはないが、精神がひどく疲れる。激しく消耗すれば思
考能力の低下を招き、場合によってはその場で意識を失うこともある。
女魔導師はセシルが持ってきたお湯を一気に飲み干すと
「男でしょ、根性を見せなさいよ……」
と叱咤する。精神力を源とする魔導においては「根性」は割と有効なのだ。
「さっきまで、治癒魔導を無駄だと言った人の言葉とは思えませんね……」
「……こっちにも事情があるのよ……」
そこへ小柄な女性が階段の上に現れた。へばっている男魔導師の姿を見る
と、慌てて階段を駆け下りてくる。
「セヴァイス!」
軽く息を切らしながら、体を起こした男魔導師を抱きしめた。
「大丈夫?!」
「ええ。それよりも、君も寝ていなくちゃ駄目ですよ」
確かに彼女も具合が悪そうだった。華やかさはないが、思わず微笑んでしま
いそうな素朴な美しさがある。しかし、張りのない肌と疲れた顔色がそれを台
無しにしていた。
「私は大丈夫です、それよりもあなたの方が」
ソファに寝かされたままのクレイソンの姿を見て、事情を察したようだ。
「とにかく、みなさん休んだ方が」
セシルの言葉に反対する者はいなかった。
クレイソンはすぐに衛視達の部屋に運ばれ、奥の寝室に寝かされた。
「この騒ぎでご挨拶が送れて申しわけありません。私はザン・ベルダネウスと
申します。自由商人です」
続いてルーラも挨拶する。この騒ぎもあって、今まで名乗っていなかったの
だ。
簡単な挨拶を済ませると、ベルダネウスとルーラは、マスカドルの案内で馬
車を詰所の裏にある馬小屋まで移動させた。
馬小屋と詰所は屋根のある通路で通じており、自由に行き来できる。通路の
馬小屋側にはトイレがあり、詰所側には薪が山と積まれていた。通路と並ぶよ
うに畑があり、雪の隙間から野菜が顔を出している。
馬小屋の脇には、先客の馬車が一台止めてあった。ベルダネウスの馬車より
一回り大きい二頭引きだ。ルーラは隣の雪を吹き飛ばし、そこへ自分たちの馬
車をつけた。
「グラッシェ、疲れたでしょう。すぐ飼葉と水をもらってくるからね」
馬小屋には三頭の馬が繋がれていた。いずれも馬は軍で使われることの多い
スプランナーと呼ばれる種で、スマートな体と短い体毛、グラッシェと違い足
の速さが売りだ。一頭は元々ここにいる馬だろう。
ルーラは空いている場所にグラッシェを繋ぎながら小首を傾げた。持ち主に
は悪いが、この馬は急ぎの伝令には適しているが、馬車馬としては不向きだ。
別の場所につないでいるかと思ったが、見回しても馬がいるのはここだけだ。
「急ぎの荷物など需要はあるが、伝達魔導の普及に伴って値が下がっているか
らな。安さに惹かれたのかも知れない。伝令用と言ってもそこそこ力はある
し、二頭いれば非力さも補える」
ベルダネウスがルーラの心中を読むように言った。
雪はその勢いをどんどん増している。
「あの衛視とはお知り合いで?」
詰所に向かいながらベルダネウスがマスカドルに聞いた。
「失礼ながら、先ほどの衛視の叫び。あなたたちに逃げろと言いました。衛視
が危機を知らせるならば『逃がすな』とか『民間人を守れ』というものだと思
います。しかし彼は逃げろと言った。衛視としては屈辱的なことだと思います
が」
言われてマスカドルは、逃げるように目を背けた。
「……私は出来の悪い衛視です。衛視になって五年、賊を捕まえたことは一度
しかありません。その一度を向こうが勝手にこけたようなものです。ここを任
されているのも、ここなら私でもつとまるだろうと……。
クレイソンは衛視になった頃からの友達……親友です。私たちのために、
ずっと力を貸してくれていたんです。私がここに勤務してからは、連絡役をし
てくれていました。それが、こんな事になるなんて」
「衛視という役目柄、危険は常にありますよ。こんな詰所でも」
「わかってはいますが」
マスカドルは、改めてベルダネウス達に向き直ると、深々と一礼した。
「とにかく、あなた方がいなければ、キリオンはあのまま死んでいたでしょ
う。ありがとうございます」
「礼を言うのは早いと思いますがね」
「え?」
「本当に大変なことになるのは、これからだと思いますよ。出来が悪いなんて
言って逃げないでください……ここにいる衛視はあなたと、セシルと言いまし
たか、あの女性だけですか?」
「ええ。彼女は私の妻です。最近、結婚したばかりで」
照れながらマスカドルは頭を掻いた。
「夫婦でここを守っているんですか?」
マスカドルは「ええ」と笑い
「もっとも、セシルは形式上だけの衛視ですけど。アクティブとは友好で、そ
れほど危険はありません。衛視としての仕事よりも、この詰所に泊まる旅人達
をもてなす方が忙しいぐらいです」
これは珍しいことではない。首都から離れた危険の少ない勤務地では、生活
の都合などから、本来、衛視ではない家族を形式上衛視とすることがある。そ
うすれば国にとっても頭数が増えるので体裁が整うし、勤める衛視達にとって
も家族で暮らせる上に給金まで増える。衛視の中には、財政上の都合からこの
ような場所の勤務を望む人もいるほどだ。
見上げる二人の顔に雪が降り注ぐ。
「当分、止みそうにないですね」
「はい。こんな時期に雪で足止めなんて珍しいです。幸いにも食料は十分あり
ますけど」
ルーラがグラッシェに飼葉と水をやり終えると、三人は詰所へと戻ってい
く。
何か聞こえたような気がしてルーラが振り返った。
そこには、二台の馬車が並んでいるだけだ。
風の音が大きくなる。
(気のせいかな)
それ以上は彼女も気にせず、ベルダネウス達の後を追って詰所に入った。
中に入ると、真っ直ぐ南北に通路が延びており西側には食堂と厨房が、東側
には談話室と衛視達の部屋がある。そして、通路の先にはロビーが見えた。要
するに、正面入り口と馬小屋に通じるドアは建物の中央を走る通路の両端なの
だ。
馬小屋に通じる扉の手前、西側には扉と二階に通じる階段がある。ルーラが
マスカドルに聞くと、扉は地下牢に通じていると答えた。
マスカドルはベルダネウスとルーラを宿泊施設になっている二階に案内し
た。二人にあてがわれたのは一番北西の部屋。今し方上がった階段の隣の部屋
だった。
「申し訳ありません。客室が一杯で、ここしか空いてないんです」
恐縮する理由はすぐにわかった。ここは一人部屋なのだ。
部屋は質素なもので、古い木のベッドが北側の壁際に置かれている。南側の
壁には固定された小さなテーブルと古い椅子が一つ。南西の隅には細長い石造
りの箱があり、中には灰が敷き詰められている。この地方における暖房の主
流、炭火ストーブだ。窓には厚い木の扉がつけられ、外には盗難・逃亡防止と
思われる鉄格子がはまっている。
「別にかまいません。馬車で寝るのは慣れています」
主人と使用人の関係上、こういう場合は、ルーラは馬車か床で寝ることに
なっている。あいにく、女性を床に寝かせるなんてとんでもないと言うほどベ
ルダネウスはフェミニストではなかった。
「いえ、何とか別の部屋を用意します。仮にもクレイソンを助けてくれた恩人
を馬車で寝かせるなんて出来ません」
顔色を変えるマスカドルにルーラは、
「それならば、ロビーで寝ても良いですか。毛布を貸していただければ」
「そんな、私どもの部屋がありますから、そこで」
「しかしそれでは」
ベルダネウスが二人の会話に割ってはいる。
「すでに先ほどの衛視にベッドを一つ提供しているはずです。その上、ルーラ
に一つ提供するのでは、あなたたちの眠る場所がなくなります。この詰所を守
るあなた方が寝不足ではこちらが困ります。どうしてもと言うのでしたら、暖
炉の火を絶やさずにして、夜食でもサービスして頂きましょう」
ここまで言われたら無理も出来ないと判断したのか、マスカドルは恐縮しな
がら頭を下げた。
「本当に申し訳ありません。こんなに泊まり客が多いのは私が来て初めてで。
これが鍵です」
ベルダネウスに部屋の鍵を渡す。
「お食事はこちらで用意しますので。できあがりましたら入り口にあった鐘を
ならします。食事と炭は別料金になっていますが、お二人から頂こうとは思い
ません。宿泊費も含めてサービスさせて頂きます」
「それよりも、ここにはワコブとの連絡手段はないのですか? 魔導による通
信とか。伝書鳥とか」
ベルダネウスの問いに、マスカドルは申し訳ないように肩をすくめる。
「お恥ずかしながら。友好国との国境の詰所にわざわざ高価な魔導通信や世話
が面倒な伝書鳥を備える必要はないと。もしそれがあれば、キリオンもこんな
吹雪の中、ここまで来る必要はなかったのに……」
マスカドルの表情が曇るが、すぐもとに戻り
「寒いですね、すぐに炭を持ってきます」
と一礼する。
「いえ、そんなに急がなくても結構。他の人たちとも話したいですし、ロビー
の暖炉で暖まります」
軽く震えるベルダネウス。ルーラも今は部屋より暖が欲しかった。
ベルダネウス達がロビーに下りると、セシルが魔導師二人に温かい紫茶を渡
している。他の客達も火を求めてか、暖炉のある此処に集まっていた。
「キリオンの様態は?」
「眠っています。重傷なのが嘘みたいに」
「あの傷では最低でも丸一日は目覚めないでしょう。目覚めても誰にやられた
か言える状態なのか。そこまで保証は出来ません。容体が急変する可能性もあ
りますし。連絡が取れるようになり次第、ワコブに連絡をつけて誰か来ても
らったほうがいいですよ」
椅子にもたれたまま男の魔導師が言った。治癒魔導の効果が聞いている間
は、体が治癒に専念するのか、眠り続けるのが普通だ。
セシルがベルダネウス達にも紫茶を持ってきた。受け取り、一口すする。冷
えた体には、熱い酸味の利いた紫茶が心地よい。
一息つくと、改めてベルダネウスたちは自己紹介した。
自然に、そこにいる人たちも順番に自己紹介する形になった。
最初に握手を求めて手を差し出しのは、三十代半ばぐらいの、タレ目の男
だった。
「はじめまして。バンカス・エクドールと言います」
彼もまた、ベルダネウスと同じ自由商人だった。ただ、服も目も妙にハリが
なく、着ているものもあまり上等なものではない。あまり商売がうまくいって
いないのかもしれないとルーラは思った。
「小屋にあった、もう一台の馬車はあなたのでしたか。ずいぶんと立派な馬車
をお持ちでうらやましい」
ベルダネウスが握手を受ける。
「はい。ワコブへ行く途中だったんですが、ご覧の通り、雪にたたられまして
ね」
「私達と逆ですね。私たちはワコブを出てアクティブに向かうところです」
「ほう、よろしければ、あちこちの流行について話しませんか。ちょうど仕入
れの境目で、馬車の中はほとんど空なんですよ。次に何を仕入れようか思案し
ているところでして」
「結構ですよ。けれどお一人ですか? いくら荷車がほとんどからでも護衛の
一人ぐらいは連れていた方が良いですよ。馬車も大事な財産です」
「確かに。しかしこの辺は治安も良いですし、護衛を頼むのはもったいないで
すからね」
言いながらベルダネウスとルーラを交互に見る。ルーラはそのエクドールの
目が不愉快だった。愛想はよいが、自分が相手にするだけの商人なのか値踏み
しているように見える。今まで何度かこういう目をした商人と会ったことがあ
るが、みんな不愉快な人たちばかりだった。
続いて男の魔導師が名乗る。
「セヴァイス・ファディールと言います。結婚を認めてもらおうと、彼女の実
家に寄った帰りなんです。彼女がワコブの生まれなもので」
「彼女というのは、先ほどの」
治癒魔導の使いすぎで倒れたとき、彼を案じた女性のことだ。
「はい、エリナと言います。いろいろありましたが、結婚の方は認めてもらい
ました。準備が整ったら、式を挙げようと思っています」
「エリナって、もしかして……オルグ家の一人娘?」
言ったのは、体にぴったりとした革の服に身を包み、燃えるような長い赤毛
を無造作に束ねた女性だった。同性であるルーラも目を留めるほどの美人で、
無駄な肉など全くなさそうなその腰には、細身の長剣をぶら下げている。見た
限り、服も剣もかなりの上物である。ただ、服には装飾が多く、戦いの服とい
うよりも舞台劇の剣士の衣装のようだ。
「ご存じですか?」
「オルグ家と言えば、ワコブでも名うての名士ですから。もっとも、最近は借
金まみれで内情は苦しいという噂ですけど」
同情するような目でファディールを見る。
「そんなことは関係ありません。彼女の家の財産と彼女とは別物ですから」
「無理すんな。財産はないよりあった方が良いぜ。魔導の研究なんか金がかか
るんだろう」
笑うボーンヘッドをファディールが睨み付けた。
「あ、私はフィリス・バンガードと言います」
女剣士が改めて自己紹介する
「ワコブで剣の修行をしていましたけど、仕事が見つからなくて。アクティブ
に行く途中、足止めを受けました」
「確かに、女の剣士というのは男よりも低く見られることが多いですね。魔導
師や精霊使いのような、特殊な力を持つのならともかく」
ファディールが同情の目を返した。
「あんたほどの美貌なら、剣士にこだわらなくても良いんじゃないか」
ボーンヘッドが言った。彼は改めてカブス・ボーンヘッドと名乗った。先ほ
どクレイソンに治癒魔導を施しているとき、ベルダネウスに賭けを言いだした
男だ。見るからに礼儀を知らない酒好きの戦士っぽく、事実その通りらしい。
しかし、何気ない仕草にも隙はなく、戦士としての腕前は相当のようだ。
「あんたがその気になれば、嫁や妾にしたいという金持ちは多いんじゃねえ
か」
「何人かそういう人はいましたけど。私は剣で身を立てたいんです」
さらに彼女は不愉快そうに
「それに、結婚を申し込んできた男は、私の愛というより、体が目当てとしか
思えない人たちばかりでしたから」
確かに、服越しでも彼女の体型の良さはよくわかる。ルーラも自分の体型で
は女性としてまんざらでもないと思っているが、それでも彼女を前にしてはか
すんでしまいそうだ。彼女の体は、女性剣士として一つの美を作っているよう
だった。
もうこの話題には触れたくないとばかりに、彼女はこの話題をうち切った。
次に名乗ったのは女魔導師だった。
「アーシュラ・アルトハウゼン。見ての通り魔導師よ」
言いながら杖を構えて胸を張る。まるでフィリスに負けるものかと言うよう
に。彼女もフィリスも滅多に見られないような美人なだけに、ルーラは何とな
く負い目を感じた。そんな必要はないのだが、何となく女として二人に負けて
いるような気がしたのだ。
「先ほどは、ありがとうございました」
セシルがアーシュラに頭を下げた。
「別に良いわよ。彼が目を覚ましたらちょっと話をさせてもらうわ」
「それはかまいません。あなたとファディールさんの力がなければ、彼は助か
りませんでしたから」
「生きる力を失った者を生かすのは、良いことなのか……」
つぶやきは、暖炉の方から聞こえた。
すべて黒の服に身を包んだ細身の男が、暖炉に手をかざしている。黒ずくめ
のスタイルが、肌の色白さを際だたせていた。
男はゆっくり立ち上がると振り返った。ルーラよりも僅かに小さい体。眼球
が半分飛び出したかのような目、頬のこけた顔からは年齢を読みとることが出
来ない。まだ十代にも見えるし、五十代にも見える。髪も眉も綺麗にそり上げ
られており、どことなく不気味な印象を与えた。
屋内というのに着たままのマントの裾からは、長剣の鞘が見える。首から下
げている聖印はバールドのものだ。
「私はディスト・ソーギレンス……バールドの教えを守るものだ……」
「バールドの神官ってのはどうも辛気くさくていけねえ」
ボーンヘッドが酒瓶を傾けた。
彼の信仰するバールドは死の神とも呼ばれている。死の神というと忌まわし
いイメージがあるが、簡単に言えば葬儀関係を一手に引き受けている神であ
る。その性質上、除霊をさせたら超一流。その代わりに治癒関係の力は乏し
い。先ほどのクレイソンの時も彼は力を貸すことはなかった。貸したくても貸
す力がないのだ。
「ソーギレンスさん。生きる者が死より逃れようとする行為は自然なもので
す。バールドの教えは、死を肯定するものであって、死を奨励するものではな
いはずですが」
ベルダネウスの言葉に、ソーギレンスは目を伏せる。
「死より逃れるための行為が、さらなる死を呼ぶのも事実……あの衛視の生
が、別なる死を呼ばねばよいが……」
「やめてください」
ファディールが言った。
「エリナは体が弱いんです。今だって、体調を崩して部屋で寝ているんです
よ。なのに死がどうの、生きる力を失ったのがどうのって。それに、これでも
僕は治癒魔導の研究をしています。失礼ですが、バールドの教えは僕には受け
入れがたいものがあります」
睨み付ける眼には明らかに敵意と嫌悪が混ざっていた。
「失礼した。バールドとしても癒し自体を否定はしない。誤解されたとすれ
ば、それは私の言葉が足りぬせいだ」
頭を軽く下げるソーギレンス。
皆を一通り見回し、ルーラは頭の中で人物を整理する。ルーラも自由商人の
護衛としてベルダネウスの近くにいる人達には注意するぐらいの心構えがあ
る。
(マスカドルさんとセシルさんは衛視の若い夫婦。セシルさんは名目上の衛視
みたいなので、実質マスカドルさん一人と言えるかも。あまり問題がないのを
良いことに二人だけでこの詰所を守っている。マスカドルさんには悪いけど、
あまり優秀ではなさそう。
あたしたちがここに来る途中で見つけた瀕死の衛視はキリオン・クレイソ
ン。マスカドルさんとは友達。あたしとベルダネウスがボーンの屋敷から逃げ
出す途中、下水道で一戦交えた。ただ、クレイソンさんの方であたしたちをあ
の時の相手だとわかったかは不明。意識を取り戻して、その事をマスカドルさ
んに教えたら面倒かも。
魔導師は男女二人。男はファディールさん。エリナさんという女性と婚約中
だけど、彼女は体が弱いとかで今も部屋で休んでここにはいない。セヴァイス
さんは治癒術を勉強中らしいけど、もしかしたら彼女の体をいたわってのこと
かもしれない。あまり裕福ではないみたいで、そのせいでエリナさんとは財産
がらみでからかわれている。
女性の方はアーシュラさん。なんか派手。ファディールさんのせいでよけい
目立つ。そうとう気が強そう。さっきクレイソンさんを治療する時、ボーンの
名前に反応した。彼を知っているのかも知れない。
戦士らしき人も男女一人ずつ。男がボーンヘッドさんで女性がフィリスさ
ん。ボーンヘッドさんは絵に描いたような酒好きの戦士って感じ。実際、かな
り強そうな感じ。フィリスさんは戦士と言うより、動くのが好きな凜々しいお
嬢様って感じ。服も動きやすさよりも見た目の華麗さで選んでいるみたい。
二人とも剣の腕前はどれぐらいかは見てないからわからない。
エクドールさんはザンと同じ自由商人。あたしたちよりも大きな馬車だけ
ど、一人って言うのがちょっと。ザンの言うとおり、一人ぐらい腕の立つ人を
連れていてもいいのに。荷物はないけど、仕入の境目ってことは荷物を売った
代金を持っているはずなんだし。
どうも好きになれないなぁ。
最後がソーギレンスさん。死の神バールドの神官。剣を持っているところを
見ると、宣教師じゃなくて教会の名を受けて働く神官戦士ってやつかな。で
も、だとしたら一人で何をしているのかな。ただの伝令だったら伝達魔導があ
るだろうし。ま、何か極秘の任務だったらしゃべるわけないか。それに、ただ
のお休み中って可能性もあるし)
もう一度頭の中で目の前の人達を確認し、小さく頷いた。
一通り自己紹介が終わったところで、アーシュラがベルダネウスに向き直
る。
「ベルダネウスだっけ。さっきの衛視が息も絶え絶えで言っていたわよね。
ボーン様を殺した。魔導人だって。あなたワコブから来たって言ったけど。何
か知らない?」
「私も詳しいことは知りません」
ベルダネウスは、こう断ってから話し始めた。どこまで話すべきなのか考え
ながら。
「ただ、町を出る時に、ボーンという魔導師が何者かに殺されたと聞きまし
た。その犯人はまだ捕まっていないそうです」
「その犯人が魔導人なんですか?」
「魔導人ねぇ」
ボーンヘッドが含み笑う。
「どうして魔導師ってのは、名前の付け方が下手なのかね。魔導人だの魔導品
だの。何でも頭に魔導と付けりゃ良いってもんじゃねえだろう」
「名前なんかどうでも良いです。その魔導人というのは人なのですか?」
エクドールが聞いた。
「魔導人は人じゃないわ」
アーシュラが魔導人について簡単に説明した。それは先ほどベルダネウスが
言ったこととほとんど一緒だった。また、彼女もボーンが魔導人の研究に手を
染めていることを知っていた。
「私も魔導人には興味があるのよ。それでボーン様の所へ行くところだった
の。正確に言えば、弟子入りするつもりだったの」
「弟子入り?! 禁断の魔導に手を染めた人にですか」
マスカドルが驚く。
「そうよ、悪い? 禁断の魔導に手を染めても、ボーン様が優れた魔導師なの
は事実よ」
「だったら、町には行かない方が良いですよ。この事件では、魔導師連盟が動
いているみたいだし」
ルーラの忠告に、アーシュラが呆れたように首を振る。
「連盟の連中も、頭が固いんだから」
「恐れているのだ。彼らはその力を手にするには人の心は弱すぎることを知っ
ている。未熟な心は力を手にすることにより浮かれ、恐れ、やがては腐る」
暖炉に手をかざしたまま言うソーギレンスをアーシュラは睨み付けた。
「人の成長は力を求めることによって促されるものよ」
「腐るのがその者一人ならばそれも良い。しかし、力を手にした弱き心は周り
を巻き込む。その力を振るうことで他者より優位に立つ優越感と快楽を手にす
るために」
「はいはいそうですか。神官さんはと~ってもありがたいことを知ってます
ねぇ」
耳をほじりながら聞き流すアーシュラの姿に、ボーンヘッドが声を殺して
笑っていた。
「あの、ベルダネウスさん。キリオンさんを見つけた時のことを話していただ
けませんか?」
流れ始めた殺伐とした雰囲気を払おうとするように、セシルが言った。ベル
ダネウスも同じ思いだったのか、話し出した。自分たちがボーンの屋敷にい
て、遺体を発見したことなどは省き、単に何件か知り合いを回っただけとし
た。
ワコブを出て、クレイソンを見つけたところへさしかかると、マスカドルが
口を挟んでいろいろと聞いてきた。周囲の様子、怪しい人影はなかったかな
ど。
ベルダネウスの話が終わると、一同に沈黙が流れる。
「ボーンを殺した魔導人がワコブから逃げ出したと判断した衛視隊が、連絡の
ためにそのクレイソンっていう衛視をここに向かわせたってことか」
推測するボーンヘッドの顔は、なにやら嬉しそうに見える。
「ここにというより、ワコブと通じている全ての道でしょうね。こちらに向
かったという確信があれば、一人だけよこす真似はしないでしょう」
「そうだな。となるとクレイソンはアタリを引いたことになるな。結果を見れ
ばアタリじゃなくてハズレだったのかも知れねえけどよ」
言いながらボーンヘッドは十ディル硬貨を弾いて両手で挟むように受け止め
る。手の中で硬貨が裏になっているのを見て彼は苦笑いした。
「そして、此処に向かう途中で、クレイソンさんは……」
「魔導人と出会った?」
エクドールが真っ青になった。
「逃げる魔導人にとっちゃ、連絡が入ってここの警備が厳しくなったら厄介
だ。そこで衛視をぶっ殺して自分がここを抜けるまでの時間稼ぎをしたってわ
けか。できれば衛視の乗っていた馬を奪いたかっただろうけど、そこまでの余
裕は無かったか、奪おうとしたが失敗したか。それに、衛視隊の馬は特別の馬
具をつけているから奪うのは危険と判断したのかも知れねえな。馬具を外すに
しても、馬具なしではやはり目立つしよ」
「そういえばマスカドルさん。裏につないであった馬はここの詰所に最初から
いるものですか?」
「一頭はそうです。しかし二頭はエクドールさんの馬車につないであったもの
です」
それにベルダネウスたちのグラッシェを入れて現在、四頭の馬がここにいる
ことになる。
「馬がどうかしましたか?」
「いえ、魔導人が馬で逃げてきたのではないかと思っただけです。しかし違う
ようです」
「馬が手に入らなかったか。あるいは馬に乗れないのかもしれない。あるいは
ボーンヘッドさんが言ったように馬自体を危険と見たのかもしれません」
フィリスが簡単に補足した。
それらの会話を聞きながらルーラは感服していた。クレイソンが倒れていた
状況だけでもいろいろなことがわかるし推測できるのだ。考えなしの無骨な戦
士に見えたボーンヘッドが冷静に物事を見ているのも意外だった。
「クレイソンは魔導人と戦って、やられたってわけか。じゃあ、その魔導人は
どこに行った?」
ボーンヘッドが一同を見回した。
「ここに来る途中で会ったって事は、魔導人も国境を越えようとしたってこと
だろう。クレイソンをぶちのめした後、国境越えを狙う」
「けれど、この吹雪では」
「国境越えは難しい。すると、どこかに身を隠すことになる。例えば……」
続きは誰も言わなかった。みんなわかったのだ。魔導人が天候の回復のた
め、どこかに身を隠すとしたら、それはこの詰所しかないことを。
「それって……この中に魔導人がいるって事……」
フィリスが腰の剣に手をかけた。
「へへ、こいつは面白くなってきた」
ボーンヘッドがもう一度硬貨を弾いて両手で受け止めた。今度は表が上に
なっている。
「俺たちの中にいると出たぜ」
面白そうに、声を出さずに笑う。
「待ってください。決めつけるのは早計です。他の可能性も考えないと」
場に流れた空気を察したマスカドルが慌てて言った。
「あの衛視が目覚めて誰にやられたか言ってくれれば一番手っ取り早いんだが
な。さっさと目覚めさせることは出来ねえのか」
「それが出来たらやってるわ」
苦々しい眼でアーシュラが返す。
「さっきも言ったとおり、そんな状態じゃありません。最低でも丸一日は時間
をおかないと。それでも」
「証言できる状態かわからねえってか。役に立たねえ衛視だ」
それに対しマスカドルが明らかな不愉快な顔を見せた。が、それについては
言葉にせず、代わりにベルダネウスに質問してきた。
「ベルダネウスさん。本当にそれらしい足跡とかは残っていなかったんです
か?」
「気がつきませんでしたね。馬車を急がせるために道の雪を吹き飛ばしたか
ら、あったとして一緒に吹き飛んでいたでしょう」
「枝道とかは?」
落ち着かない様子でエクドールが二人に口を挟んでくる。
「ここまでは一本道です」
とマスカドルが答える。だが、エクドールは諦めずに質問を続ける。
「人目を避けて山越えした可能性は?」
「この吹雪の中を?」
「町へ戻ったとか?」
「何のために? それに、道を戻ったのなら私の馬車とすれ違ったでしょう。
この天候の中、人が歩いていたら目立ちますよ」
「ここに来る途中、先にベルダネウスさんの馬車を見つけて隠れたとか?」
「私達が魔導人を追い抜いたという可能性ですか。それならあるかも知れませ
んが……クレイソンさんがやられてから私達に発見されるまでの時間がどれぐ
らいかが問題ですね。ルーラ、どう思う?」
ルーラは傷や凍傷具合を思い出し
「やられてから二、三時間位だと思うわ」
「ならば私達がクレイソンさんを発見したとき、魔導人はすでにここで火にあ
たっていた可能性が高いですね」
「じゃあ、やっぱり、魔導人はここにいる人の誰か……」
エクドールががっくりする。
「あなた、魔導人がいて欲しくないみたいね」
アーシュラが不満そうに言うと
「当たり前です。今の私には護衛もいないんですよ。一ディルにもならないよ
うなもめ事はごめんです」
大きく息をつくエクドールの姿に、ベルダネウスはやれやれと肩をすくめ
「だから言ったでしょう。荷物はなくても一人ぐらいは雇っておくべきなんで
すよ」
「私はあなたのように専属の護衛を抱えるような贅沢はしないんです」
ルーラをちらと見て黙り込む。
「そんなに心配しなくても良いでしょう。魔導人は逃亡者です。少しぐらい無
理をしてでも先を急ぐでしょう。何しろ衛視も含めると二人殺しているんです
から」
「そ、そうですよね。魔導人は人間じゃないんだから寒さだってそんなに堪え
ないでしょうし」
ベルダネウスの説明にほっとするエクドールだが
「まあ、商人は最悪の事態を考えて対策を取るものですが」
「あなたは私をほっとさせたいんですか、不安にさせたいんですか?!」
ベルダネウスは安堵にもさげすみにも見える笑みを浮かべ
「あなたは何が欲しいですか? 安堵が欲しいか、不安が欲しいか。それに
よって何を信じるかが決まります」
「そんなことを言って。あなたは何が欲しいんですか」
「私は商人です。利益、すなわちお金が私の最終目標です。そうそう、お金と
言えばマスカドルさん。私たちはクレイソンさんを運ぶので気がつきませんで
したが、彼は財布を持っていましたか? 衛視は何かあったときのため、常に
ある程度の現金を持ち歩いているはずです」
その問いにマスカドルは首を横に振った。
「ならば犯人が持って行ったか、戦いの最中か私たちが運ぶ途中で落とした
か?」
「じゃあ犯人はお金目当てという可能性も」
「ねえよ。金欲しさにわざわざ衛視を襲う奴がいるか」
「せめて、みんなの持ち物検査をして」
「盗んだとしても、財布ごと持ち歩くほどまぬけじゃねえだろう。現金だけて
めえの財布に移して財布はポイだ。それとも、ここの衛視は手持ちの硬貨に衛
視隊の刻印でも入れているのか?」
手の中の硬貨をいじりながらボーンヘッドが小馬鹿にするように言った。
みんなが黙り込んだ。誰もが次の言葉を探っているようだった。
「ったく。俺はこういうのって苦手だ」
ボーンヘッドが頭をかきむしった。
「魔導人には一発でわかるような目印はねえのか。目が三つあるとか、背中に
角が生えているとか。手に水かきがあるとか」
アーシュラが鼻で笑い
「あなた、本気で言っているの? 魔導人は人型ということ以外の共通点はな
いわ」
「でも、人間じゃないんですから、どこか違うところがあるでしょう。例えば
……」
エクドールが言葉に詰まり、そして続ける。
「人間と違って、ものを食べないとか」
「それはちょっと……」
ファディールが異を挟んだ。
「僕は魔導人は専門外ですが、それでもある程度のことは聞いています。魔導
人は消費魔力を可能な限り押さえるために、通常の食物摂取などでもある程度
の力が得られるそうです。ボーンさんはかなりの力を持った魔導師と聞いてい
ますから、彼によって作られた魔導人も、相当高い完成度を持っていると見る
べきでしょう」
「そうね。見てくれは普通の人間とほぼ変わらないんじゃないかしら。この中
に混じっていても、それとわからないぐらいに……」
アーシュラの言葉に、一同が改めてお互いを見回した。
「誰が魔導人であれ、これほどの出来ならば堂々と発表すればいいのに。もっ
とも、例外にしたい外見もいるけど」
皆を見る彼女の目がソーギレンスの前で止まった。
エクドールがハッと目を見開いた。
「そうだ。魔導人は魔力で動くんですよね。でしたら、人と違って血が流れて
いないんじゃないですか」
ボーンヘッドがなるほどと頷く。
「だったら話は簡単だ。みんなでちょいと指先でも傷つけて、血が出るか確か
めりゃいい」
だが、アーシュラは首を横に振った。
「無理ね。試しても良いけど、おそらく全員、血を流すわよ。魔導人の目的の
ひとつに、どれだけ人間に近い物を作るかって要素があるのよ。実際、血の流
れる魔導人が作られた記録があるわ。ボーンの魔導人なら魔力を体全体に送る
ために血が全身に流れているでしょうね。当然、脈もあるわ」
ここまで言って、アーシュラはふと気がついた。
「……そうか、違いはあるわね」
「どんな違い?」
「全ての動物は、心臓が動いて血を流しているわ。でも、魔導は心臓の代わり
に力玉が埋め込まれている」
途端、ベルダネウスとルーラの眉が動いた。
「力玉って、あの、魔力を封じ込めた魔玉ですか?」
エクドールの瞳が生き生きしはじめた。
「他に力玉があったら聞きたいわね」
「魔導人に使われる力玉というのは、ずいぶんと魔力をため込んでいるものな
んでしょうね」
「僅かばかりの魔力で魔導人を生かせられると思って?」
小馬鹿にするような目で見下すアーシュラだが、エクドールは一向に気にせ
ず。指を折りながら満足そうな笑みを浮かべている。
ルーラが手をぽんと叩き
「わかった、みんなで胸に耳をあてっこして、心臓の音がするか確かめればい
いのね。力玉なら、心臓の鼓動は聞こえない」
その言葉に、数人の顔が明るくなった。
「試す価値はありそうね。期待は出来ないけど」
またもやアーシュラが水をさす。
「どうして?」
「魔導人の製作が禁じられているってことを忘れちゃいけないわ。当然、作る
にあたっては正体が見破られないように細工がなされている。心臓の鼓動につ
いてもね」
ボーンヘッドが呆れて
「そこまで考えるかよ。俺は生まれてから一度だって『あなたの心臓の音を聞
かせてください』って奴に出会ったことがねえぜ」
「そう、だから試す価値はありそうって言ったのよ。そこまで念入りな偽装は
していないかもしれない」
「どうだ。誰か俺の心臓の音、聞いてみっか?」
ボーンヘッドが、服の前をはだけて、筋肉と胸毛に覆われた胸をさらけ出し
た。
女性陣がためらう中、ベルダネウスが彼の胸に耳をつけた。
「……確かに、鼓動が聞こえますね」
こうなっては、ボーンヘッドだけというわけにはいかなくなる。男性陣が一
人、また一人と服を開いて胸を出した。
「なんだ、あんたたちは出さねえのか?」
ボーンヘッドが女性陣に声をかける。
「遠慮はいらねえぜ。ボーンと出せよ」
その態度に、フィリスが明らかに不機嫌な顔で
「女性陣は別の部屋でお互いに聞きましょう。食堂でいいでしょう」
と立ち上がる。
「ここでいいじゃねえか。減るどころか目の保養になる」
「そういう冗談はやめてください」
女性たちはそろって食堂に向かう。もちろん、ルーラも一緒だ。
「セシルさんは最後にしてください。他の人が終わるまで、不埒な男がのぞこ
うとしないとも限らないし」
「信用ないな」
「出会って一日と経っていない男を信用しろって言うの?」
笑うボーンヘッドにきっぱりとアーシュラは言い放った。
セシルが扉の外で見張っている間に、女性達はお互いに心臓の鼓動を確かめ
合う。一室で数人の女性がお互いの胸をさらけ出し、心臓の音を聞き合う姿と
いうのは、ちょっと異様なものがある。
「そんなにじっと見ないでください」
フィリスが頬を染めて、手で胸を隠す。彼女の乳房は、女性から見ても、思
わず言葉を失うほど美しかった。大きさといい形といい、申し分ない。彼女の
胸に耳を当てたのはルーラだが、返ってくる弾力や肌触りも素晴らしいもの
だった。
思わずその事を口に出すと、フィリスは露骨にいやな顔をした。
「何が素晴らしいものですか。これのおかげで、どれだけ変な男がやってき
て、どんな目にあってきたか」
「それについては同感ね」
アーシュラが言いながらセーターを着る。彼女の乳房もまたフィリスに負け
ないほど美しいものだった。二人の乳房を見ると、ルーラは何だか女性として
の自分に自信がなくなってくる。
確かに二人にとっては災難だろうが、ルーラには、男が彼女達の胸に引かれ
るのもわかるような気がした。
結局、女性は全員、心臓の鼓動が確認された。セシルもフィリスによって心
音が確認された。
ロビーに戻ると、男性陣のほうはすでに全員の心音を確認し終えていた。
「こちらも全員異常なし。結局、空振りだったわね」
「いや、まだ一人残っているだろう」
ボーンヘッドがファディールを見て
「あんたのかわいい許嫁だよ。まだ心音を誰も聞いていない」
「エリナを疑っているんですか?!」
「疑っているんじゃねえよ。けど、一人だけ心臓の音を聞かせねえって言うの
はまずいんじゃねえか」
「彼女は体が弱いんです。そこへ、見知らぬ人に裸の胸をさらすなんて」
「私たちはしたわよ」
アーシュラの言葉に、ファディールの言葉が止まる。
やがて、彼は諦めたように
「わかりました。それでは」
女性陣を見渡し
「セシルさん、お願いします。一応、僕も同席します」
ファディールはセシルを伴い、二階に上がっていった。
しばらくして戻って来たセシルが「心臓の音を確認しました」と報告する。
それを聞いたボーンヘッドが小さく鼻で笑った。
これで、詰所にいる全員の心音が確認されたわけである。しかし、アーシュ
ラが言うように、正体がばれないように細工が施されている可能性もあるの
で、これで全員が魔導人でないという証拠にはならない。
「神経質すぎるんじゃないですか。まだ、私達の中に魔導人がいると決まった
わけじゃありません」
フィリスが言うが、彼女の言葉をそのまま受け止める人は誰もいなかった。
「そうですけど……失礼ですが、ボーンヘッドさん、フィリスさん。剣を拝見
させていただけませんか」
「剣を?」
「やっとそれを言いやがったか」
ボーンヘッドが腰の剣を抜いた。普通の人間では逆に振り回されそうな大ぶ
りの剣で、刀身に暖炉の炎が映っていた。
「見てくれや。血糊なんてねえぜ」
それで一同が気がついた。剣にクレイソンや馬を斬ったときの血がついてい
ればそれが証拠になる。
「犯人が斬った剣をそのままにしておくとも思えませんけど」
フィリスも剣を抜く。ボーンヘッドのより細身だが、これも刀身に血の跡は
ない。
「一度でも人を斬った経験があれば、その後血糊を洗い、拭き取るぐらいはし
ますよ。雪もあるし山肌からのわき水もあります」
「だな。時間は充分にある。ここについてからだって洗う時間はあったぜ」
二人とも見せびらかすように剣を皆に見せつけてから鞘に納めた。
「ソーギレンスさん。あなたもお願いします」
言われてソーギレンスが無言で剣を抜いた。細身のありふれた剣で、可もな
く不可もなくと言った感じだ。その刀身にも血の跡はないことをマスカドルに
確かめさせると静かに刀を鞘に収めた。
「それに、剣で斬り殺されていたからって俺達ばかり疑うのは心外だね。見て
くれからは想像も出来ないぐらい剣を使うってやつはいくらでもいる。魔導師
だって、商人だってな」
「それに、逃げるならば追っ手の目を誤魔化すための変装ぐらいはするでしょ
う」
自分が疑われているのは面白くないのかフィリスの声は荒い。
「確かに疑いは濃厚ですけれど、まだここに魔導人がいると断言は出来ませ
ん。先ほども言われましたが人目を避けて山越えをしているのかも知れません
し、ここには寄らず、まっすぐアクティブに向かったのかも知れません。
何にせよ。ハッキリしないことでいつまでもうだうだ言い合うのは賛成でき
ませんね。ましてやそれで自分の身が拘束されるとなれば尚更です」
最後の言葉はマスカドルに向けられていた。
「そうですよ。ここにいたって一ディルにもならないのに、身に覚えのないこ
とで足止めなんてたまりません」
訴えるようにエクドールが叫んだ。皆の視線も同じようにマスカドルに向か
う。
ルーラにはマスカドルの顔から迷いが感じられた。どうしようか迷っている
のではない。何をしたら良いのかわからないように見えた。
視線が集中される中、マスカドルはちらとセシルを見た。彼女の顔に不安を
見た彼は、それで意を決したようだ。
「わかりました。雪が止み、出発できるようになったとき拘束に足りるような
証拠がある方をのぞいて自由にここを出発してもらって結構です」
場の空気がほっとした。その中でマスカドルだけが硬い顔をしていた。要は
クレイソン殺しの犯人を雪が止んで移動可能になるまでに見つけなければなら
ないと言うことなのだ。
「雪が止むまでが勝負か」
またボーンヘッドが硬貨を投げた。今度は表裏の結果はルーラには見えな
かった。
マスカドルは大きく息をつくと軽く頬を叩き
「お食事ですが、六時からでよろしいですか?」
気持ちを切り替えたのか、彼の表情からは緊張が消えていた。
暖炉の脇にある柱時計を見ると、四時を過ぎたところだった。
「別にかまわないぜ」
ボーンヘッドが、一同を代表するように答えた。
「でしたら、時間になりましたら鐘を鳴らしますので、食堂の方へお越しくだ
さい」
ロビーの隅にある鐘に近づき、鳴らしてみせる。高く良く通る音がロビーに
響いた。
「すみません。僕達の分は部屋まで届けてもらえませんか」
ファディールが言った。
「エリナが寝たままなので、一緒に食事をしたいんです」
「かしこまりました」
微笑み返すマスカドル。こういうところを見ると、彼は衛視よりも給仕の方
が向いているのではないかとルーラは思った。
【次章予告】
雪に覆われ、皆に生まれた疑惑の中
誰もが欲しいものを求めて動き出す。
それは自由か平和か、金か誇りか。
今日欲しいものが明日欲しいとは限らない。
明日欲しいものが今欲しいものとは限らない。
欲しいものを求めて、一人の女剣士がベルダネウスの扉を叩く。
「私を雇ってくれませんか?」
次章【四・女剣士の売り込み】
欲しいと口にしたものが、本当に欲しいものとは限らない。