【十七・あなたが殺した】
【十七・あなたが殺した】
ロビーは、時間が止まっているかのように、静けさに包まれていた。
日は沈み、暖炉の火と戦いの余韻のように残っている光の精霊たちだけがロ
ビーの人達を照らし出している。
月が雲から顔を出した。月光が舞台照明のようにベルダネウスとヴァンクの
背に立ったファディールを照らし出す。
「聞き捨てならないですね。僕がエリナを殺したって言うんですか」
エクドールもマスカドルも、何を言うのかとベルダネウスに目を向けてい
た。
二階の床に倒れたままのルーラは、懸命に指先に力を入れ微かに動かす。ベ
ルダネウスに自分はまだ生きていることを知らせなければならない。必死に腕
を持ち上げ、階下の彼が見えるようにする。
ファディール越しにそれを見たベルダネウスは
「そう、あなたが殺したんだ。……あなたが殺したんだ」
頷きながら、言い聞かせるように繰り返す。それにルーラは無言で頷いた。
同じ言葉を繰り返す。それはベルダネウスとルーラの間で決められた「時間
を稼ぐ。下手に動くな」という合図だ。それは、彼女が動けるようになるまで
時間を稼ぐということである。
精霊の槍は階下に落ちている。拾おうにも体が動かない。動いても拾う余裕
はない。素手で飛びかかるには、もう少し動けるようになっておきたかった。
ルーラは腕を下ろすと、呼吸を整え、体を楽にする。幸いにもファディールは
攻撃魔導はあまり得意ではない。電撃魔導による体のしびれも、そう長い間は
持たないはずだ。
ベルダネウスは慎重に言葉を選びながら話を続ける。彼女を回復させるため
にも、今は少しでも時間を稼がなければならない。
「それだけじゃない。クレイソンの遺体に施されたバールドの紋様を消し、彼
を未死者とする要因を作ったのもあなただ。もっとも、彼が未死者になるかど
うかは不確実だったがな」
なるべくファディールが興味を引きそうな言葉を、聞いて思わず言い返した
くなるような言葉を選ぶ。
言いながらベルダネウスは壁際へと少しずつ移動する。攻撃魔導が得意でな
いファディールは目標を目で定めるはず。少しでも遠くに、少しでも素早く動
けば避けられるという判断だ。
もっとも、そんなことはファディール自身もよくわかっており、彼から目を
離さない。だが、彼はルーラの動きには気がついていない。
「もっとも、あなただって、いきなり殺人犯にされてはたまらないだろう。だ
が、私も根拠がなくて言っているんじゃない」
「どんな根拠ですか。いいかげんなものだったら、ただじゃ置きませんよ。生
き残っているので一番それっぽいからとか。僕が犯人だったら何かと都合が良
いからそうしたいとか」
「そうですね。私もその根拠というものを聞きたいです」
マスカドルの言葉にベルダネウスは頷き、
「エクドール、あんたも聞きたいか?」
問われてエクドールは迷いを見せた。彼にしてみれば、残った邪魔者のベル
ダネウスはさっさと片付けてしまいたかったが、エリナとフィリスを殺したの
は誰かというのも興味があった。
「……まぁいい。最後のあがきと思って聞いてやろう」
結局、好奇心が勝った。それにベルダネウスは満足そうに頷くと
「それでは、ひとつずつ説明するとしよう」
第一関門突破というように大きく息をついた。彼は改めてファディールの方
を向き
「私が最初に疑問を持ったのは、エリナさんが殺されたときだ。彼女を殺し、
心臓を抉り出すのに、なぜあんな、いつ、誰が来てもおかしくない場所を選ん
だのか。
時間が無かったのか? いやいや、彼女を物陰に引っ張り込むぐらいはでき
そうだし、そのまま彼女の死体を雪にでも埋めてしまえば、事件は発覚しな
い。エリナが行方不明というだけだ。翌朝、吹雪が止めば抉りだした力玉を
持ってここを出て行ける。まさか一人が行方不明だからと言って、マスカドル
さんが全員出ていくことを許さないなんてことはしないだろう。
いや、それ以前の問題がある。犯人はまずエリナさんを殴って気絶させた。
人間ならばそれでいい。しかし、魔導人に対して『殴って気絶させる』という
手段が有効なのか? 事実、フィリスに対してはいきなり心臓付近を刺し、力
玉を抉り出そうとしている。
犯人は、エリナさんが魔導人でないことを知っていたんだ」
「馬鹿馬鹿しい」
ファディールが鼻で笑う。
「だから僕がエリナを殺したと言うんですか。確かに頭を殴るという方法が魔
導人に有効かどうかは解りませんよ。
けれど、魔導人に有効な方法がわからないから、とりあえず人間と同じ方法
を使ったというのは十分あり得るでしょう」
「その通り。ではこれは撤回しよう」
あまりにもあっさり撤回されて、ファディールは肩すかしを食らったよう
だ。
「まあ、わかれば良いですよ」
と言うだけで言葉が続かなかった。
「では、話を現場の疑問に戻そう。誰が来るかも解らない時に、どうしてあん
な目につく場所で彼女を殺し、心臓を抉りだしたのか。
ここで当時の状況を思い浮かべてみよう。エリナが魔導人だと目星をつけた
犯人は、ちょうど彼女がトイレに行く時を見計らって……。
さあ、また疑問だ。魔導人はトイレに行くのか? 人の目がある時ならば誤
魔化すためにトイレに行くぐらいはするだろう。しかし、夜中、誰も見ていな
いのに行く必要があるのか?」
「待ってください。どうしてトイレに行くのを待ち伏せたと決めつけるんで
す。僕たちの部屋を見張ってて、エリナが一人出てたのを良い機会と追って外
で追いつき、殺したと見る方が自然でしょう。何をしに出たのか疑問に思うぐ
らいはしたかも知れませんが、この機会を逃す気はなかったんです」
「そう。しかし、それだと先ほどからずっと疑問とされている。なぜあの場所
で殺し、心臓を抉ったかという謎がよけい残るんだ。
なぜなら、いつ、彼女を追ってあなたが出てくるか解らないんだ。事実、第
一発見者はあなただった。犯人は尚更、物陰とかに連れ込んで仕事をしようと
するはずだ」
今度はファディールの口から反論は出なかった。
「だから私は考えた。犯人は最初からあの場所にエリナの死体を放置するつも
りだったと」
「何のために?!」
「全員を容疑者にするためだ。
詰所にいる全員、誰が犯人でもおかしくない状況での殺人ならば、いくらマ
スカドルさんでもどうぞと皆を出て行かせるわけには行かない。つまり、吹雪
が止んでも誰もここから逃げられないようにするのが犯人の目的だった。
あなたにとって誤算だったのは、心臓を抉り出そうとした時に大量の返り血
を浴びてしまったことだった。だからこそ、あなたは第一発見者になるしかな
かった。出来れば誰か別の人に発見して欲しかっただろうけどね。
まぁ無理もない。治癒魔導は相手に魔力を注ぎ込み、治癒力を活性化させる
のが基本、相手を傷つけての血の吹き出し方なんてろくに知らなかっただろう
からな」
「どうしてそんなことを?」
これはマスカドルの疑問だった。
「誰が魔導人なのかを探る時間が欲しかったんだ。誰が魔導人なのかが解って
いれば、急いで殺す必要は無い。ボーンヘッドさんが翌日、詰所を出た後にエ
リナさんを殺そうと画策したように、翌日になればもっと安全なタイミングで
仕掛けられるんだからな」
「彼は自分の婚約者を殺してまでもその時間が欲しかったと言うんですか。誰
が魔導人かを調べ、その心臓として埋め込まれた力玉を手に入れるために」
まさかそこまでと言う気持ちがマスカドルの言葉からは感じられた。
その思いに同意するようにファディールは
「そりゃあ、僕だって力玉を手に入れたいという欲求がないと言えば嘘になり
ます。しかし、エリナを犠牲にしてまで欲しいとは思わない。彼女を助けるこ
とを諦めるなんて出来ない! ベルダネウスさんの言うことは僕に対する侮辱
だ」
その叫びにマスカドルが大きく頷いた。
「そうです。どんな時だろうと、自分が愛する人を見捨てるなんてできっこあ
りません。しかも目先の欲のためになんて」
悲痛に目を未だ昏睡状態で隅に押しやったソファに横たわっているセシルに
向ける。マスカドルにとって、ベルダネウスの説はたとえ仮説であっても受け
入れたくない物なのだろう。
「そうかな?」
しかしベルダネウスはそんなマスカドルの叫びを冷たく突き放した。
「彼は治癒魔導の研究をしていた。エリナさんを助けるために、そうですね」
「そうですよ」
ファディールが怒りの混じった声と共に、魔玉の杖をベルダネウスに向け
た。
「ここで確認したいことがある。答えてくれますか、アーシュラさん」
ベルダネウスが奥に通じる通路に顔を向けた。そこには、壁にもたれたかろ
うじて立っているアーシュラがいた。
「いつ来たんですか?」
「少し前よ。けど、魔玉がない以上、どうしようもなくてただ見てただけ。私
の杖、返してくれない」
手を伸ばすアーシュラに対し、ファディールは嫌だとばかりに首を横に振っ
た。
「ファディールにとって、今、魔玉を手放すのは怖いんですよ。仕方が無い。
それよりアーシュラさん。あなたに聞きたいことがある。治癒魔導の実験方法
についてだ」
ファディールが明らかに動揺を見せた。
「私は以前魔導師に聞いたことがある。新たな魔導の実験は、魔導師連盟から
複数の立会人の下で行われると。特に治癒魔導はひとつ間違うと実験対象者の
命に関わるので、うるさいほど厳密に適用される。間違いありませんか」
「間違いないわ。私がボーンに弟子入りしたいと思った理由の一つに、ちょっ
と大きな実験となると、いちいち連盟の許可が必要になるからよ。中には実験
がうまくいったと喜んだら、立会人の魔導師に自分との共同実験という形にし
ないかなんて持ちかけられた人もいるそうよ。馬鹿馬鹿しい。
けど、治癒魔導に関しては私も仕方が無いと思っているわ。治癒魔導の実験
を、失敗した時の用意をしない状態でするのはさすがに危険すぎるわ」
「そう、危険すぎる」
ここでベルダネウスは改めてファディールを見据えた。
「ファディール、あんたは独断でエリナさんを自分の治癒魔導の実験材料にし
たんだ。そして失敗した」
「勝手なことを言うな!」
「勝手かどうかは魔導師連盟の記録を調べればわかる。治癒魔導は多くの実験
結果を下敷きに、少しずつ進めていく魔導だ。当然、あなたの実験記録もある
はずだ。正式に魔導師連盟の許可の下、実験されているとしたらだが」
「している!」
「そうかな。エリナさんはオルグ家の一人娘だ。一人娘が病に倒れた時、親が
半人前の治癒魔導師に治療を委ねるか? 魔導師連盟の、もっと実績を上げた
治癒魔導師に治癒を頼むだろう。ワコブにそれといった人がいなくても、別の
治癒魔導師の紹介を受けられるだろう」
「魔導師連盟はエリナを見捨てたんだ。だから僕がやるしかなかった!」
「効果的な治癒魔導がなくて無力感に打ちひしがれることはあっても、ほおっ
ておくことは有り得ない。むしろ野心溢れる治癒魔導師たちがこぞってエリナ
さんの治療に当たるさ。治すことが出来れば大きな栄誉が手に入るからな」
野心溢れると言うところで、ベルダネウスはファディールを見据える。
「 エリナさんが本当に手の施しようのない病人で、半人前のあなたにまかせ
されるとしたら、考えられるのは一つ。最初から魔導師連盟に見せなかった」
「僕がエリナを治すよりも自分の研究を優先したとでも言うのか?」
ファディールが杖をベルダネウスに向ける。その手は震えていた。
「そうは言わない。私は一つの仮説を立てた。仮説と言うより私の妄想に近
い。何しろ、裏付けを取ることが出来ないんだからな。
あなたとエリナさんは本当に愛し合っていた。そんなとき、エリナさんはあ
る病気にかかった。それは本当に軽いものだったろう。だからあなたは自分の
治癒魔導で治そうとした。
ところが、あなたはそれに失敗した」
聞いた途端、ファディールの表情が固まった。
「そこですぐに本職の治癒魔導師なりに見せればよかった。しかしあなたはそ
れを恐れた。未熟な魔導で病気を悪化させたなんてことばバレたらどうなる
か。少なくとも治癒魔導師としての未来に暗雲が立ちこめることになる。
あなたは何とか自分の力でエリナさんを治そうとした。彼女も、愛する君の
ため自分の身体の異常を周囲に隠した。しかし、二人の行為は最悪の展開を見
せた。
エリナさんの病気は本当に重くなった。もはや隠しきれないほどに。そこで
あなたたちは相談して、魔導師連盟も匙を投げた重い病気にしてしまった。と
りあえずは何とかした。
重い病にかかった女性と、それを治そうと研究を続ける治癒魔導師という図
式は彼女の両親をも動かし、あなたたちは婚約した。
彼女の病気の真相は、あなたたちにとって絶対に隠し通さなければならない
秘密となった」
皆が黙ってベルダネウスの話を聞いていた。確かの彼の話は、魔導師連盟に
問い合わせることが出来ない今は、裏付けのほとんど無い、妄想とも言える物
語だ。だが、その物語には不思議と説得力があった。
「その過程で、あなたの愛に変化が起こった。彼女の存在があなたにとって非
常に危険な存在になったんだ。これが発覚すれば間違いなく破滅する。最悪で
も魔導師連盟からは追放されるだろう。
だが、発覚する前にあなたの治癒魔導が彼女を完治させられれば問題ない。
しかし、あなたの力では無理だった。度々かけられた未熟な治癒魔導のせい
で病気が複雑化したのか、単に悪化しただけなのかは知らないが。
あなたは怖くなった。自分に無償の愛を捧げ、自分の未熟な治癒魔導の実験
体になり続けているエリナという女性を。彼女は、あなたを破滅させる力を
持った存在なのだから。
だが、恐怖の対象と同時に彼女はあなたに富をもたらす存在でもあった。オ
ルグ家は、娘を治すために努力を続ける君に対して資金面の援助をした。魔導
の研究はいろいろと金がかかる。しかもあなたは立場上、表だって魔導師連盟
の援助を受けづらかった。しかしそれも限界が近づいた。さしものオルグ家の
財産も底が見え始めた。あるいは、あなたではなく魔導師連盟の優れた治癒魔
導師につながりをつけようとしたのかも知れない。
どちらにしろ、あなたの命運も尽きようとしていた。自分のしたことを隠す
ためには、エリナに死んでもらうしかない。それも、あなたには全く責任のな
い死に方でね。彼女に対する愛は、それを止める力を既に失っていた。ハッキ
リ言えば、あなたの愛は既に枯れていたんだ。
そして、ここでの出来事は彼女を殺すための絶好の舞台を作り上げた。エリ
ナは魔導人と間違えられて殺される。さらにそう思わせることによって、自分
を完全に嫌疑の外に置ける。皆をここに足止めさせ、誰が本当の魔導人なのか
を探る時間が出来る。少しぐらいしつこく調べても、愛するエリナを殺した奴
を見つけるためという名目を手に入れられる」
「勝手なことを言うな。本当に僕がエリナを殺したという証拠があるのか!」
「ない」
あっさりとベルダネウスは答えた。
「あいにく、エリナは誰でも殺せる形で死んだため、あなたを除外することは
出来ない代わりに、犯人だと特定することも出来ない。状況を考えればあなた
が犯人だと言うだけでね」
途端、ファディールが笑い出した。安堵と言うより、勝利を確信する笑い
だった。
「笑うのはまだ早いんじゃないか。私の説明は終わっていない」
「往生際が悪いですよ」
「私は悪あがきが好きなんだ」
ファディールは鼻を鳴らしてベルダネウスを見つめ直した。
「さらに、あなたは誰が魔導人かを探る手段として、クレイソンさんを利用し
た。あの時点では、誰もが彼は魔導人に殺されたのだと思っていた。あなたも
だ。だから、あなたは彼が未死者となれば、自分を殺した魔導人を狙うに違い
ないと考え、ソーギレンスが記した未死者封じの紋様を消した」
「消したところで、確実に未死者になるとは限らないでしょう」
「もちろんそうだ。だが、魔導人が誰かを判別する材料が少しでも欲しいあな
たは、駄目元の気持ちで紋様を消した。そして運命はあなたに味方した。彼は
未死者となった。
しかし、彼を未死者とすることに成功こそしたものの、あなたの望む方向に
事は進まなかった。なぜならば、実際にクレイソンを殺したのは魔導人ではな
く、自分を追ってきたと勘違いしたフィリスだったからだ。
それだけではない。クレイソンがフィリスを襲おうとして、間違えてルーラ
を襲ってしまったことも、あなたを間違った方向に向かわせた。
クレイソンを未死者にしようとしていたあなたは、当然、彼の様子に注意し
ている。だから彼が動き出したときも、驚くことなく彼の後をつけることが出
来たんだ。心の中でバンザイをしてね。
そしてあなたは彼がルーラを襲うのを見て、彼女が魔導人だと思い込んだ。
魔導人が精霊使いになれるわけは無いとは思うが、魔導人自体の記録がほとん
どない以上、なれないとも言い切れない。確実なことは、クレイソンはルーラ
を襲ったと言うことだ。
途中、クレイソンがルーラを殺すのを中止したのも、自分の存在に気がつい
たからだと思いこんだ。実際はクレイソン自身、人違いだと気がついただけな
んだがな」
「勝手な推測です」
「では、どうしてあなたはルーラを襲ったんだ。説明できるか?」
「僕が襲ったって、いつですか?」
「ルーラとセシルさんが、エクドールさんの馬車を調べようとしたときだ」
「馬鹿な。逆ですよ。僕は二人に襲いかかろうとしたクレイソンに飛びかかっ
て、阻止したんだ。それとも襲いかかろうとしたのは僕の錯覚で、実際は襲い
かかるつもりはなかったと言うんですか」
「それより違う。実際にクレイソンを殺したのはフィリスだったのを忘れちゃ
いけない。彼には、ルーラを襲う理由はない。ましてやセシルはどちらかと言
えば守る対象だろう」
「そうですよ、セシルさんは守る対象だった。だから犯人と思ったルーラさん
に襲いかかろうとしたんです」
「その通り。正解です」
両手が鞭と手綱で塞がっていなければ、拍手しそうな声でベルダネウスは答
えた。
「クレイソンが未死者になったのは、親友であるウッディさんとセシルさんを
守るためなんだ。彼にとって、殺人者であるフィリスが何食わぬ顔で二人のそ
ばにいる。それはとても危険なことだと判断したからなんだ。
つまり、彼にとって二人を襲う人物は、誰であろうと攻撃の対象になる。
だから彼女を守るためにクレイソンはあなたに襲いかかったんだ。つまりあ
なたの説明は、自分とクレイソンを逆にしたもの。二人を襲おうとしたのはあ
なたの方だったんだ。
ルーラ達が振り返ったとき、あなた達はもみ合っていたから、どちらが自分
たちを狙っていたのかわからなかった。クレイソンが襲いかかろうとしていた
という、あなたの証言を信じるしかなかった」
「あなたの言うとおり、僕がルーラさんを襲うとしたら、どうしてセシルさん
と一緒の所を襲ったんです。一人になるまで待てばいいじゃないですか」
「時間がなかったからだ。あの騒ぎが起こったとき、まだクレイソンが未死者
として甦ったことは知られていなかった。
彼が未死者となり、ルーラを襲ったことがみんなに知られたらどうなるか。
皆がルーラを魔導人と思い、力玉を求める者達は、皆、彼女を狙うようにな
る。あなたとしては、そうなっては都合が悪い。
だからこそ、皆に知られる前にルーラを仕留めたかった。本当は魔導以外の
方法を使いたかったろうが、別の武器を用意する時間は無いし、あっても返り
討ちに遭う可能性が高い。攻撃魔導で一気に決めるしかなかった。
もちろんセシルさんも一緒に始末するつもりだったんでしょう。今度は死体
をちゃんと隠してね」
二階の床で横になりながらそれを聞いていたルーラは、激しくなる動悸を必
死で押さえようと深呼吸した。
最初はファディールが犯人だというのが信じられなかった。フィリスはまだ
しも、エリナを殺すとは思えなかったからだ。しかし、ベルダネウスの話を聞
いているうちに、それが真実のように思えてきた。
特に今まで引っかかっていた、なぜフィリスのいないあの時にクレイソンが
襲ってきたのかということの説明がついたのは大きかった。
彼女はすぐにでもファディールに飛びかかりたかったが、まだ体のしびれは
完全に取れてはいない。倒れたまま、ゆっくりと手を動かす。足を動かす。
(よし、もうちょい)
かろうじて動けるが、それでは駄目だ。ファディールに襲いかかれるぐらい
にはならないと。
彼女はしびれの残る手を腰の後ろに回した。そこには力玉の入った袋で挟む
ようにして精霊の槍がある。柄が折れ、小剣程度の長さしかないそれは彼女の
ではない。ヴァンクに刺さっていた、名も知らない精霊使いのものだ。エク
ドールとの駆け引きでヴァンクを裏切ることになった精霊使い。彼女はこれを
エクドールに突き立てるつもりで持ってきたのだ。
折れた槍を引き抜き意識を込めると精霊たちの声が聞こえた。精霊たちも苛
立ってはいるが、エクドールやファディールがアークド銀の棒を何本も体に巻
き付けているため、思うように手を出せないのでいるのだ。
精霊たちに混じって、ルーラは大きな意識を感じた。
ヴァンクの意識だ。まだ生きているのだ。しかし、ルーラ同様ほとんど動け
ないでいた。
(待ってて。必ずザンがチャンスを作る。その時が勝負よ。だから、その時の
ためにじっとしてて。体力を回復して)
ルーラは再び体の力を抜くと、呼吸を整え始めた。
階下ではベルダネウスとファディールの対峙が続いている。
「何か言いたいことはあるか。今、言った事への反論とか」
相手を見下すようにベルダネウスは口元を緩める。ファディールが何を言お
うと、逆に言い負かしてみせるという自信を感じさせる笑みだ。もっとも、こ
れが本当に自信の表れなのか、ファディールの注意を自分に向けさせ、反論さ
せて少しでもルーラの回復の時間を稼ごうとしているのかはわからない。
ファディールの口から出たのは、反論ではなく含み笑いだった。しかも、魔
玉の杖を脇に挟んで拍手をしたのだ。
「……お見事、その通りですよ」
その顔は今までとは全く違ったものになっていた。気弱そうな、実直そうな
研究者の顔ではない。全てを自分にとって損か得か。値踏みをして生きるもの
の顔だ。
「僕がクレイソンの紋様を消し、その動きに注意していたんです。彼は見事に
未死者になってくれました。そしてルーラさんを襲った。正直、意外でした
よ。何しろお二人は彼をここに運んできたんですからね。
それが人違いとは……馬鹿な未死者だ。
ただ、ひとつだけ補足させてください。あなたは駄目元で紋様を消したと言
われたが、それは違います」
嬉しそうに指を振る。真実の中で、ベルダネウスの知らないことがある。あ
る事実に彼は気がついていない。それが嬉しくてたまらないようだ。
「僕は治癒魔導を研究する最中、死人を未死者にする。いや、未死者になる可
能性を高める方法を見つけたんですよ。クレイソンには秘かにそれを施してお
きました。
だから、絶対とは言い切れませんが、かなり高い確率で彼は未死者化すると
いう自信がありました。あなたも、ソーギレンスさんも気がつかなかったよう
ですがね。
でも、僕がしたのはそこまでです。エリナやフィリスさんを殺したのが僕な
んて、言いがかりです」
「そうかな。私の話を、もう少し聞いてもらおう。次はフィリス殺しだ。今度
は私の想像だけじゃない。証拠がある」
二階にはいつくばっているルーラが、拳を固める。彼女だけではない。他の
みんなも彼の次の言葉に注目した。
「と、できればその前に水が欲しいな。しゃべり疲れて喉が痛い。お湯か紫茶
ならなお良い」
「あなた、自分がどんな状況がわかっているんですか?」
「いいじゃない。私もベルダネウスの話は興味があるわ。特に証拠ってやつに
ね」
アーシュラが食堂に行って水をくんで戻ってきた。
「こんな時だから水で我慢しなさい」
「死に水にならなければいいな」
グラッシェに乗ったままベルダネウスは水を受け取り、一気に飲んで一息つ
いた。
「それでは、フィリス殺しに移ろうか」
戦闘再開とでもいうようにファディールを見上げる。
「あなたはフィリスの告白を信じず、魔導人が我が身かわいさに嘘をついたと
判断、今のうちに殺して力玉を奪おうとした。
昨夜のうちに殺した理由は二つ。
ヴァンクとの戦いにおいて、彼女は私の側につくだろうと考えたこと。かな
りの傷を負っていると予想されるとはいえ、ヴァンクは強敵だ。その味方は出
来るだけ削いでおくに越したことはない。
二つ目は、今なら彼女は拘束されている。エリナが殺されたこともあって自
分は疑われていない。腕の立つ剣士である彼女を仕留められるとしたらこの機
会を置いて他にない」
「ちょっと待ってください」
ファディールが制した。
「あなたは僕が殺したことを前提に話していますが、その前に、どうして僕が
フィリスさんを殺したと考えたのか、その根拠を知りたいですね」
「いいだろう。問題はどうして犯人は昨夜彼女を殺したかだ。
それはやはり、ヴァンクの襲撃が大きく関わっているだろうことはあなたも
否定しないだろう。彼女はヴァンクと戦う側につくか。私について戦いを阻止
する側につくか。どちらと考えるかで犯人の立場は正反対になる。
いや、実はどちらも関係ないんだ。問題は、どちらになっても彼女は拘束を
解かれ武器を返されると言うことだ。そうなったら彼女を殺すのは大変だ。
それ以前に、ヴァンクとの戦いになった場合、自分が生き延びられるかとい
う問題がある。
それらを考えると、ヴァンクとの戦いがどちらに転んでもかまわない。殺す
チャンスがいくらでもあるマスカドルさんが犯人候補からまず消える。
彼女が殺されてからしばらく経ってから動いた私とルーラも消える。私たち
が犯人なら、フィリスを殺したその足で逃げ出すからな。
ここから自力で逃げられる手段がないという点でボーンヘッドとエクドール
が消える。
ヴァンクと戦うならフィリスの力は欲しいだろう。最初は拒否しても、私を
人質に取ったり、いざ襲撃を受け、自分の命が危なくなったら彼女だって戦う
だろうから殺しはすまい。
ソーギレンスさんが犯人だった場合、ヴァンクと戦うことになったらどう
やって生き残るつもりだったのかという問題がある。実際、彼は状況が確定し
ても中立を守っている。彼が犯人なら、どうあってもヴァンクを撃退したいで
しょう。生き延びるためにも」
「戦いの最中に逃げ出せば良いんですよ」
「どうやって? 周りは雪に覆われているんですよ。とてもじゃないが歩いて
はいけない。実際、フィリスはそれをやろうとして無様な姿をさらした。
つまり、犯人はエクドール側についた人間で、フィリスとまともに勝負する
のは分が悪く、いざとなったらここから逃げられる力を持った人間ということ
になる。
つまり空を飛べる魔導師だ。
これで犯人はあなたとアーシュラさんの二人に絞られる。
しかし、アーシュラさんはどちらかと言えば魔導人を守る側に立つだろう。
彼女はボーンの魔導人の研究を継ぐつもりだった。研究成果である魔導人を殺
すはずがない」
「研究を継ぐなんて言うのは大嘘という可能性があるでしょう」
「ない。忘れたのか。彼女がそう言ったのは、ここに魔導人がいるかも知れな
いということがわかる前なんだ」
「空を飛べたら逃げられるとは限らない。実際、アーシュラさんが飛行魔導で
ワコブに行こうとした時、精霊たちが邪魔したそうじゃないですか」
「逃げられるわ」
答えたのはアーシュラだった。
「あの時とは状況が違うじゃない。ルーラが最後通告としたヴァンクの意思を
伝えた時、幼獣を返せば見逃すって言ったのを忘れたの。やばくなったら飛行
魔導で逃げれば良い。今度は精霊たちも邪魔はしないでしょう。あなただって
飛行魔導は出来るんでしょう。放り投げるレベルだけどって、あなた自分で
言ったじゃない」
「そう。つまり、消去法から言ってあなたが犯人と言うことになる」
「そんなのを証拠と言うんですか」
二人のやりとりを聞きながら、二階の床でルーラはゆっくり両手を開いたり
閉じたりした。若干しびれはあるが普通に近い状態で動ける。彼女は物音を立
てないようにゆっくりと体を起こした。
二階の床越しにヴァンクの背に立つファディールの背中が見えた。その向こ
うにはグラッシェに乗ったベルダネウス。偶然ではない。彼女が身を起こして
もファディールが背を向けているよう、わざとベルダネウスはその位置に移動
したのだ。
ベルダネウスはルーラの姿を認めたはずだが、表情は変わらない。
ルーラは自分とファディールの位置を目測した。飛びかかれない距離ではな
いが、失敗は許されない一発勝負だ。幸いにも彼はルーラが電撃魔導で死んだ
か動けないでいると思っているはず、物音や気配を悟られないかぎり、二階に
注意を向けることはない。
「ったく。往生際の悪い人だ」
苛立つのか、ベルダネウスは鞭を持ったまま頭をかきむしり、それから髪を
撫でつける。これは苛立ちからの行動ではない。これはルーラに対し「自分の
判断で動け」という合図だ。
ルーラはゆっくりと起き上がると、自分の体力の回復具合を感じながらファ
ディールに飛びかかれるタイミングを伺い始めた。
「それでは証拠の出す前に、どうしてそれが証拠となるか説明しよう。ところ
で、あんたはフィリスが殺された現場を見たか?」
「鉄格子越しになら見ましたよ。ひどいものだ」
「だったら話は早い。フィリスの血は地下牢の中いっぱいに広がっていた。そ
して彼女は奥で殺されている。心臓を抉った時、犯人は彼女と一緒に牢の奥に
いたはずだ。では、犯人は一体どうやって牢の外に出たのか?」
ファディールは呆れたような声を出し
「馬鹿なことを。足跡が付かないように、フィリスさんの服を切り裂き、足場
にしていたじゃないですか。血だまりの中に置かれていたのを見なかったんで
すか」
その言葉にベルダネウスは首を横に振った。
「違う。犯人はあれを足場になんて使っていない。足場にしたと見せかけただ
けだ」
「どうしてそんなことが言えるんです?」
「あの切れ端は、血以外の汚れが見当たらなかった。足場にしたならば、どう
しても靴の汚れもつくはずだ」
「それは……靴を脱いで逃げたんです。足に血がつくのを恐れた犯人は、足場
を作り、さらに靴を脱いで牢から逃げたんです」
「それは今思いついたことだ。しかし理屈にはあっている。けれどもやはりそ
れは違う。犯人はあの足場を使っていない」
「どうしてそんなことが言えるんです」
「それはマスカドルさんも見ましたね」
いきなり話を振られて、マスカドルが戸惑った。
「私と一緒に現場を見た時、私が足場の布を押すと、血の跡がにじみ広がっ
た。そうですね」
その時の様子を思い出したのか、マスカドルは頷いた。
「確かに、血の跡が広がるのを見ました」
「あの時点でもまだ布に染みこむほど血は固まりきっていなかった。それでい
て、布は中心付近に少し染みている程度だった。足場にしたのならあれっぽっ
ちの染みで済むはずがない。犯人としては当然少しでも足が地に着かないよ
う、つま先立ちで踏んだだろう。だったら尚更体重がかかるはずだ。なのにあ
れだけしか染みこんでいないということは、あれは置かれただけで実際には足
場に使われていなかったんだ」
ファディールの表情が固まった。
「つまり、あの切れ端は、この上を渡っていったと思わせるために撒いたに過
ぎない。しかし、犯人はどうしてそんなことをしたのか。あれを足場に脱出し
たと思わせるためだ。犯人が床の血だまりを飛び越せる力を持っていることを
悟らせないために」
「魔導の力で飛び越したとでもいうのですか」
「そうだ」
「馬鹿なことを。前にも言いましたが、私は飛行魔導は得意じゃない。まして
や牢の中という短い距離なんか飛んでみなさい。壁に激突しますよ」
「そんなことはわかっている。血が染みなければあなたも切れ端を足場に使っ
ただろう。だが、血が染みて靴に血が付くとなれば話は別だ。
あなたは、どうしてもあそこに足跡を残すわけにはいかなかった。あなたの
靴は魔導師連盟からの支給品。靴跡を残せばあなたが犯人だとすぐバレる。足
跡がつくこすって消すのも危険だ。あんたはどうあってもフィリスを殺した奴
の靴には血がついているという証拠を残したくなかった」
「靴に血がついているのは僕だけじゃない。エリナが殺された時、血だまりに
足を入れたのは僕以外にもいる。ボーンヘッドさんもそうだし、ルーラさん
や、ベルダネウス、あんただってそうだ」
「その時の血はもう乾いている。歩いても足跡はつかない。しかし、フィリス
の血だまりを踏んだら話は別だ。みんなと歩いている時、あんただけ足跡がつ
いたらどうなる?
あんたは絶対に血だまりを踏みたくなかったのさ。あの生地の足場を用意し
た後、血が染みこみ、踏んでも血が靴につくと知った時、あんたは動揺した。
いわばフィリスの血に閉じ込められたようなものだからな。
苦し紛れにあんたが選んだ方法は飛行魔導で血だまりを跳び越えることだっ
た。そして、犯人が魔導を使わずに出たと思わせるために、切れ端を残してお
かなければならなかった。
結果的に、それがあんたの犯行を間接的に証明することになった」
「間接的?」
ファディールが笑みを浮かべた。
「あなたは証拠を出すって言いませんでしたか。そんな間接的なことが証拠に
なると思ったんですか?」
「思わない。だからこれから直接の証拠を出そう」
「どこにそれがあるんだ?」
「あんたは飛行魔導で牢の端から端まで飛んだ。しかし、あんたの飛行魔導は
自分を魔導で放り投げるものだ。さぞかし牢の鉄格子にぶつかった時は痛かっ
たろう。音だってした。あんたはその音で誰かが来る前に慌てて逃げ出した。
鉄格子にぶつかった時、自分の魔玉の杖の一部が欠けたことにも気がつかず
にな。マスカドルさん!」
皆の視線が集まる中、マスカドルはポケットから木片を取り出した。
「あなたの言っているのはこれのことですか。私たちが牢の中で見つけた」
「そう。なんだかんだ言われるのは嫌ですから、あなたが確認してください」
ベルダネウスはロビーの隅に落ちているファディールの魔玉の杖を指さし
た。魔玉は壊れているが、柄の部分は無事だ。
「あの杖に、拾った木片がピッタリ合う傷があるかどうかをね」
「……わかりました」
杖に向かって歩き、拾うマスカドルの背中をファディールは睨み付けた。
皆が息を呑む中、マスカドルはゆっくりと振り返り、ファディールに杖と血
に染まった破片を見せ、ゆっくりと二つを重ね合わせた。
杖の傷の一つに、破片はぴったりとはまる。破片の血がなければ割れている
ことに気がつかないのではと思うぐらい綺麗につながった。
ファディールの口元に笑みが浮かぶ。ベルダネウスの鞭が届かないことを
知っての笑みだ。持つ杖の魔玉に電撃が帯びる。
その時だ。二階からルーラが跳び、ファディールへと躍りかかる!
「うわっ」
彼女に飛びかかられ、姿勢を崩したため魔玉からの電撃は見当外れに壁を舐
める。
そのまま二人はもつれて倒れかけた時、魔玉が光り、ファディールの体が飛
んだ。苦し紛れの飛行魔導だがうまく上空へと飛ぶ。
逃がすものかとルーラは彼を放さない。
詰所を出た途端、ファディールを突風が襲った。二人の体は詰所へと逆戻り
し、二階の床にたたきつけられた。
運悪くルーラが下だった。それでも立ち上がるルーラだが、すでにファ
ディールは立って魔玉の杖を構えていた。
「無駄よ。精霊たちが取り囲んでいる以上、ここからは逃げられない」
ルーラの背中越しにヴァンクの尾が蠢いているのを見、ファディールはよう
やくまだヴァンクが生きているのに気がついた。
「今度は念入りにとどめをさすだけです。ヴァンクが死ねば精霊たちもおとな
しくなるでしょう」
「やっぱり、あなたがエリナさんやフィリスを殺したの? ザンの言ったこと
が正しかったの」
「そうですよ。大まかにはね」
「大まか?」
「ええ。僕がエリナの病を治すために研究したのは最初だけですよ。途中から
ね、研究中の治癒魔導を片っ端からかけてみましたよ。彼女は良い実験体に
なってくれました」
「実験体って……」
「当然でしょう。治る見込みのない病気の治療は時間の無駄です。それより
も、研究中の他の治癒魔導の実験をした方がずっと良い。
断っておきますが、これはエリナも望んだことですよ。彼女は喜んで僕の実
験体になってくれました」
「うそ!」
「本当ですよ。殺される時もね。彼女は全てを承知の上で僕に殺されたんで
す。無抵抗のまま頭を殴られてね。
あの時の僕の号泣は本物ですよ。そこまでしたくれた彼女の愛と、それに応
えられなかった自分が情けなくてね。まぁ、その辺の愛は金銭勘定ばかりの自
由商人には理解できなかったようですけどね」
声を殺して笑った。ベルダネウスの説明に間違ったところがある、不足して
いるところを指摘するのが楽しくてたまらないように。
「じゃあ、フィリスはどうなの。まさか彼女も無抵抗で殺されたっていう
の!?」
フィリスの名を出された途端、彼の顔が険しくなった。
「あの女にはむかつきましたね。察しの通り、僕は彼女の説明なんか嘘だと
思った。
魔導人だとバレたら、魔導師連盟によっていろいろと調べられた上で廃棄さ
れるでしょう。だからどうしても認めるわけにはいかなかった。
仮に彼女の本当に普通の人間だったとしても、やはり命はなかったでしょ
う。それはあなた達もわかっていたんじゃないんですか。彼女は口封じに殺さ
れるって。
どっちにしろ、彼女は死ぬ運命だったんですよ。
だから僕はそれを利用して、昨夜彼女にこっそり会いにいって持ちかけたん
です。助けてあげるから、僕たちに協力しろとね。彼女はヴァンクと戦うにお
いて大きな戦力になりますから。一緒に戦えばその後、逃げられるように飛行
魔導で町まで連れて行くってね。このままでは死ぬのは確実だから、必ず受け
入れるはずだ。そう思っていたんですけどね」
「断ったんでしょう」
根拠はないが、ルーラはそれを確信していた。ファディールは頷き
「ハッキリとね。馬鹿ですよ。まだベルダネウスさんとの契約は切れていな
いって。雇い主を裏切るような真似は出来ないとね。あんな生き方をしている
から、エグスのような男に食い物にされるし、早死にするんですよ。
ま、いいですけどね。僕の目的は怪しまれずに彼女の心臓を抉り出すこと
だったんですから。
強く説得するふりをして彼女に近づき、心臓を一突き。そのまま背中に回っ
て返り血を浴びないようにして心臓を抉り出す。二度目ですから注意はしたん
ですけど……」
その時の様子を思い出したのか、ファディールは顔を怒りに歪め
「あの女、心臓を抉り出そうとした途端、激しくもがいて血を出口に向かって
吹き出させたんです。抉り出た心臓が力玉ではなく本物だった時、牢の出入り
口への床が血まみれで足の踏み場もなくなっていた時の僕の絶望がわかります
か。しかも、あの女は笑ったんだ。まるで、ざまあみろと言うように」
ルーラはロビー側の崩れた床まで後ずさった。いかにも彼の勢いに気圧され
たといった感じで。下がりながら背中に回した掌を開いたり閉じたりした。
一階からそれを見たベルダネウスはその意味を理解した。グラッシェを走ら
せると鞭を使って床に転がっている彼女の精霊の槍を拾い上げる。
「ルーラ!」
槍を彼女の後ろ手に構えた手をめがけて投げた。
その叫びにファディールはしゃべりすぎたのに気がついた。魔玉を構え、魔
力を集中する。
ベルダネウスの投げた槍は正確に彼女の掌に収まった。
槍をしっかり構えたルーラがファディールに突撃する。
魔導の発動が早いか、ルーラの槍が早いか。
その時、ファディールの後ろ小刀が飛んできて彼の杖を持つ手に突き刺さっ
た。
たまらず彼の集中が途切れ、一気に間合いを詰めたルーラが槍を彼の腹に突
き刺した。それを引き抜くと流れるように彼の足を切り払う。
たまらずファディールは倒れ、その手から魔玉の杖がこぼれ落ちた。彼を中
心に、床が血で染まっていく。
「己が罪を呪い、クレイソン殿と不穏なる死を与えた二人に謝罪するがよい」
小刀を構えたソーギレンスがアーシュラと共に歩いてきた。
「ありがとうございます。助かりました」
頭を下げるルーラにソーギレンスは
「ルーラ殿の死をバールドは望まなかった。それだけだ」
とだけ言った。
「ソーギレンスさん、あなたは中立だったんじゃないんですか!」
息も絶え絶えのファディールが顔を向ける。
「ヴァンクとの戦いではそうであった。だが、貴殿はクレイソン殿を未死者化
させた。安らかな死を乱す者をバールドは許さない」
乏しい表情が却ってソーギレンスの怒りを感じさせた。
階下から聞こえたエクドールの悲鳴にルーラは
「後はお願いします」
精霊の槍を手に走り、ロビーへと飛び降りた。フィリスを殺したファディー
ルは憎いが、やはり彼女にとって倒すべき本命はエクドールだ。
ルーラがいなくなったのを見て、ファディールは血まみれの手を魔玉の杖に
伸ばす。
「汚れた手で私の杖を触らないで」
アーシュラが彼より先に杖を拾い上げた。
「治癒魔導をかけて欲しいの?」
彼女がファディールに杖を向けると、先端の魔玉が光り出す。
ありがたいと一瞬思った彼だが、すぐに自分に向けられているのが治癒魔導
でないことに気がついた。それは彼の中で絶望という思いを作り上げていく。
「私はね、人から褒められるような人格者じゃないし。人に説教できるほど立
派な生き方なんてしてないわ。けどね、そんな私でもあんたに対しては一言言
わせてもらうわ」
魔玉の電撃がより大きく、強くなっていく。
「あんた、最低」
彼女の電撃がファディールの体を貫いた。
「おっと、そうはさせない」
幼獣に駆け寄ろうとしたエクドールの前に、グラッシェに乗ったベルダネウ
スが割り込むと、鞭を振るって彼の腕を打つ。服ごと彼の腕が避け、血しぶき
が上がった。
悲鳴を上げて腕を押さえるも、手にしたアークド銀の毒を塗った小剣は放さ
ない。
とはいえ、戦う術を全く知らない彼が持っていてもさほどの驚異ではない。
「エクドールさん、降参してください。もうあなたの味方はいません」
説得しようとするマスカドルだが
「うるさい、この裏切り者。私に協力するはずだろう」
「れが犠牲者を減らせると思ったからです」
それでも文句を言おうとするエクドールの顔が強張った。
ヴァンクの成獣がゆっくりと頭を持ち上げ、こちらを見たのだ。さらにその
足下からルーラが現れた。その手にあるのは、柄の折れた精霊の槍。
「……ラクセル……」
つぶやくその声は震えていた。
「エクドールさん、一つ忠告しておく」
冷めた目でベルダネウスが
「これしかないという状況での謝罪は謝罪とは言わない。命乞いと言うんだ」
途端、ヴァンクが鳴いた。
エクドールが悲鳴を上げて逃げ出し、ルーラが柄の折れた精霊の槍を投げつ
ける。
狙い違わず、それはエクドールの背中に突き刺さった。足がもつれて彼は転
倒、また悲鳴を上げた。
ルーラが自分の精霊の槍を構えてエクドールに駆け寄り、とどめを刺そうと
する。が、彼女は槍を突き立てようとしたまま動きを止めた。
「どうした?」
「……とどめはいらないみたい」
倒れたエクドールの体を槍で仰向けにした。倒れた時に自分で刺してしまっ
たのだろう。身体には彼自身が持っていた小剣が突き刺さっていた。
ルーラたちの目の前で、エクドールの肌が乾き、ボロボロになっていく。剣
に塗ってあったアークド銀の毒が彼の身体を壊しているのだ。
「ベルダネウスさん」
マスカドルが責めるような目を向けた。
「さっきの言葉は、わざとですか。彼に降伏させないための」
「考えすぎですよ」
ベルダネウスは肩をすくめ、ルーラに
「ヴァンクの檻の鍵をエクドールが持っているはずだ。探してくれ。毒に気を
つけろよ」
「わかったわ」
唇を震わせるマスカドルを横目に、ルーラがエクドールの遺体にかがみ込も
うとした時
「動かないで。これで終わりじゃないんだから」
いつの間に降りてきたのか、幼獣の檻の横にアーシュラが立っていた。軽く
肩で息をしながら、電撃を帯びた魔玉の杖を幼獣に向ける。
「ベルダネウス。わかってるわよね。あんたが持っている力玉を渡しなさい。
でないと幼獣に電撃をお見舞いするわよ。私もかなり魔力を消費したけど、ま
だこいつの息の根を止めるぐらいは残っているわ」
その目は本気だった。
【次章予告】
戦いは終わった。
しかし、事件は終わらない。
幼獣を人質に力玉を要求するアーシュラ。
ベルダネウスの商人としての誇りは、この要求にどう答える?
次章【十八・ベルダネウスの商売】
魔導人は、ここにいる。




