【十五・ベルダネウスの思惑】
【十五・ベルダネウスの思惑】
冷たい空気と共に、ヴァンクの入ったアークド銀の檻が詰所のロビーに運び
込まれてきた。
「思ったほど重くねえな。弱ってんじゃねえか」
檻を中央まで運び入れ、ボーンヘッドが息をついた。彼がそう言うのも解る
かのように、檻の中のヴァンクの幼獣はじっとして動かない。
「アークド銀のために力を削がれているだけです。死にはしませんよ。死んだ
ら大損です」
解ってませんねと言いたげにエクドールが鼻をならす。
「餌は人間と同じで良いんですか?」
「ヴァンクはものを食べません」
エクドールが得意げに指を振り
「周囲に存在する命の息吹。それがヴァンクの食料です。ここで言えば、この
詰所にいる私たちや周囲の木々、小動物の命の気をそれらが疲労しない程度に
吸収するんです。つまり、周囲に生き物が大勢いれば、ヴァンクはそれだけで
生きられる。もちろん排泄もしません。
餌はいらない、排泄もしない。それでいて体の羽根は精霊の力を宿し、高値
で売れる。こんな理想的なペットはいません。
そうでしょう。ベルダネウスさん」
皆がロビーの隅に移動させたソファを見た。そこにベルダネウスが座らされ
ている。鞭はもちろん、服もはぎ取られ下着姿。顔にもむき出しの腕にも青あ
ざがあり、口を切ったのか、口の端は血で汚れていた。そして、彼の右腕右足
には添え木で固定させられていた。
ボーンヘッドによって右腕を折られた彼は、さらに痛めつけられ上、右足も
折られたのだ。さすがにその後治療はしてもらったが、ろくに動ける状態では
ない。
「私は原則として生き物は扱わないもので。生き物を扱うのはとにかく面倒
で」
それでも口はまだまだ達者である。
「立派なご意見ですな。拍手拍手」
エクドールが大きく両手を打ち鳴らす。今の彼はご機嫌である。
「でも、その姿では意見と言うより敗者の言い訳ですな」
「まだ勝負はついていません」
目つきは弱いが、そう言うベルダネウスの目にはまだ力が残っていた。
それが気に入らなかったのか、エクドールは思いっきりベルダネウスの右足
の添え木を蹴りつけた。
さすがのベルダネウスもたまらず苦痛の声を上げてソファから転げ落ちた。
「止めてください!」
マスカドルがエクドールを掴むと、ベルダネウスから引きずるように話して
いく。
「約束したはずでよね。あなた側につく代わり、ベルダネウスさんたちの命は
取らない。怪我をさせたらしっかりと治療すると」
実際、ベルダネウスは右手右足の骨を折られたその場で手当を受けた。治癒
魔導も受けているし、数日もすれば完治とは行かなくてもそこそこ動けるよう
になるだろう。
「出来れば、手足も自由にさせて欲しかったですね」
ソファに戻ろうとするが左腕左足だけではうまくいかず、ボーンヘッドの助
けを得てようやくベルダネウスはソファに戻った。
「悪いな。おまえさんが並の商人だったら地下牢に入れるだけで済ませたんだ
が、あの鞭さばきを見せられた後じゃな。そうでなくても、お前さんは油断で
きなさそうだ」
皆がその言葉に小さく頷いた。服を着ている時には解らなかったが、ベルダ
ネウスの体は商人とは思えないほど引き締まり、全身には無数の傷跡がある。
どう見ても拷問の跡もある。焼きごてで焼かれたような跡もある。
「どんな商売してりゃ、こんな傷だらけになるんだ」
「世の中には自由商人を人間扱いしてくれない人が多くて」
「人間扱いされないのを何度も乗り越えてきたんだろう。こっちも警戒する
さ。ま、両方の手足をつぶされなかっただけありがたいと思うんだな」
「そうです。よけいなことは言わずに、素直に治癒魔導に身を任せて眠ってく
ださい」
彼にもう一度治癒魔導をかけようと、ファディールが杖を右手足に向けた。
「まさかあなたもエクドール側につくとは。金ですか?」
改めて間近で見ると、ファディールがかなり金銭的に苦労しているだろうと
誰でも想像がつく。服も靴もかなりくたびれているし、魔玉の杖でさえ新旧い
くつも傷がついている。
「……金が欲しくないと言えば嘘になります」
それ以上は言いたくないと彼は治癒魔導に専念し始めた。しかしベルダネウ
スは執拗にそれに抵抗するかのように眠ろうとしない。
「気になることがありましてね」
「ルーラさんのことですか?」
「フィリスのことです。エリナさんと同じく心臓が抉られていたとか」
その場の空気が気まずくなった。あえて触れないようにしていたことを言わ
れたように。
「誰が殺したかは解ってないんですね」
「解っていたら、僕が黙っていません」
「現場を見せてくれませんか」
皆がどうしようかと顔を見合わせる。
「何にも役に立たないまま死んだ護衛の死体に何の用が……!」
エクドールがたまらず後ずさった。彼を貫くベルダネウスの目にたじろい
で。
殺意と誇り、威厳を持ち合わせたその視線はさらに強く、大きく、まっすぐ
エクドールを貫く。
「ひいっ!」
たまらずエクドールはその場にへたり込んだ。
皆が生唾を飲み込んだ。ベルダネウスの奥底の何かを見せられたようだっ
た。
「わかりました。それであなたが満足するなら」
マスカドルがベルダネウスに肩を貸し、彼を立たせると地下牢へと向かう。
「あれが商人の眼かよ……」
ボーンヘッドが冷や汗をぬぐい
「あいつ、間違いなく自分の手で人を殺してるな。それも一人や二人じゃね
え。……よかったな、睨まれる程度で済んで」
へたり込んだままのエクドールに冷笑を向けた。彼は腰を抜かしたのか、立
ち上がる様子はなかった。
ベルダネウスたちが地下牢に降りると、そこには先客がいた。ソーギレンス
が開いている牢に、ベルダネウスの鞭や荷物と共に入れられていたのだ。
「あなたはエクドールの味方はしないのですか?」
「金のための殺し合いに興味はない」
マスカドルに支えられ、フィリスの牢の前に立つ。
かつてルーラが見たのとほぼ同じ光景がそこにあった。奥の方に横たわる
フィリスの遺体。切り裂かれた胸かんらほとばしった血が床の大半を赤く染
め、その中にはえぐり出された心臓がそのまま残っている。
心臓の横には切り裂かれた服の切れ端がいくつも点々と置かれている。そし
てぐるっと回るように端の方に二人分の往復の足跡があった。
鉄格子の向こうに見えるフィリスの遺体を前に、ベルダネウスはしばし言葉
を失った。
「誰だかは解りませんが、犯人は彼女がエグスさんを殺して逃げてきたという
言い分を信じなかったようですね」
「確かに、それを裏付けるのは彼女自身の証言だけですからね」
「彼女こそが魔導人で、それを誤魔化すために、あなたが言いだしたエグス殺
しに乗ってきたとしても、おかしくはない。なにしろ、自分が魔導人だとわ
かったら、殺されて心臓の力玉をえぐり出されるわけですから」
「魔導人じゃなくてもえぐり出されましたよ」
ベルダネウスは唇を噛んだ。何よりもフィリスに抵抗の跡らしきものがない
ことが腹立たしかった。
「ソーギレンスさん、フィリスが未死者化する可能性はありませんか?」
「悲しみを感じるが、憎しみも強い思念も感じられない。どうしてもやり遂げ
ねばという思いがない以上、彼女が未死者化することはあるまい。それでも心
配というならば、未死者封じの紋を記しておくが」
「その心配はありません」
改めてベルダネウスはフィリスの遺体を見回す。何か手がかりはないかと。
「ここはルーラが見つけた時のままですか?」
「遺体を確認するために、私とボーンヘッドさんが入りました。その端につい
ている足跡はその時のものです」
入り口からフィリスの遺体まで壁際を歩くようについた二人分の足跡を指さ
した。血の中はもちろん、血の途切れた場所にも真っ赤な靴跡を残している。
「じゃあ、あなたたちがここに来た時には足跡は」
「ありませんでした」
「フィリスはどのようにして殺されたと思います?」
「私とボーンヘッドさんの見解ですが」
マスカドルは二人で調べた時のことを思い出し、なぞるように
「フィリスさんの服も髪も乱れていません。服は、殺した後に切り裂いたもの
です。つまり、彼女はほとんど抵抗することなく殺されたんです。
血が正面部分に飛び散っている所を見ると、犯人は返り血は浴びていない。
これは、後ろから刃物で胸を突き刺され、そのまま切り裂かれたせいでしょ
う。フィリスさんほどの剣士が、抵抗することなく、そうされるとは眠ってい
た時を狙われたか……」
「フィリスは自分の身に危険を感じていただろうから、誰かがやってきたらそ
の気配で目を覚ますだろう。たとえそれが誰であろうとな。そうでありなが
ら、彼女は抵抗らしいことが出来ずに殺されている」
「ボーンヘッドさんも同じようなことを言ってました。護衛を仕事にしている
と、嫌でも人の気配に敏感になると。だからフィリスさんが信用していた人が
犯人だろうと」
「信用していたかは別として、フィリスが自分に危害を加えるとは思っていな
かった相手なのは確かだろうな。あるいは」
最初から抵抗する気が無かったと言いかけ、ベルダネウスは首を横に振っ
た。
(そんなはずはない。フィリスは最後のあがきをしたはずだ。何らかの形で抵
抗したはずだ)
改めて現場を見回して
「マスカドルさん、この切れ端をどう思います?」
ベルダネウスが、血の中に置かれた服の切れ端を指さす。
「足跡とか靴に血がつくのを恐れた犯人が、服を切って足場にしたんでしょ
う。これだけ血が広がっているんだから、足跡を残さず、靴に血をつけずに出
るには足場を作るしかありません」
改めて牢を見る。血は床のほとんどに広がっており、確かに血を踏まずに格
子まで行くのは不可能に見える。実際、調べに入ったマスカドルとボーンヘッ
ドの足跡はついているし靴についた血のせいで、血だまりを出た後もしばらく
足跡を残している。
「犯人が足場にするために、フィリスの衣服を切り刻んだとするならば、ここ
まで牢内に血が広がるのは、犯人にとって予想外の出来事だったはずだ。でな
ければ、事前に足場を用意するだろう……」
跪くと、ベルダネウスの右手と右足に痛みが走る。
それに耐えながら牢に入ると、足場に使ったらしい服の切れ端をよく見る。
大きさはベルダネウスの足より少し大きく、つま先立ちで歩けば足場としては
十分な大きさだ。
遺体のそばから鉄格子の扉まで八枚。うち二枚は中途半端に折れているの
は、置くのではなく投げたせいだろう。それを裏付けるように、折れた切れ端
のすぐ横には別の切れ端が置かれてあった。
「切れ端自体に足跡が残っていれば……」
しかし、あいにく切れ端には血以外の汚れは見当たらなかった。
ベルダネウスは改めてフィリスの遺体を見直した。服は血に染まっている
が、足場に使った切れ端は背中のを使ったのだろう。中央付近に血が微かにし
み出ている程度だ。切れ端を一枚押すと、染みこみが微かに大きくなった。
「見ましたか」
マスカドルに確認させた。
「ええ。それがどうかしましたか」
それには答えず、ベルダネウスは無言で笑みを浮かべた。
今度は牢の扉をじっと見る。扉付近は、さすがに血はあまり飛び散っていな
い。この程度なら、血を避けて足をおろすのは難しくないだろう。
扉の鉄格子をなめるように見る。鉄格子には、飛び散ったフィリスの血がい
くつかついている。
「あってもわからないな……」
今度は床を調べ始めた。
「それにしても、犯人もこんな殺し方をすれば血が噴き出すのは解っていたは
ずだ。エリナさんを殺したことから学ばなかったのか?」
「彼女を魔導人だと思ったからでしょう。血は元々人間だと思わせるための誤
魔化しだからそれほど吹き出さないはずと判断したのか。それとも別の角度で
切り裂くチャンスをつかめなかったのかもしれないとボーンヘッドさんは言っ
てました」
ベルダネウスは何か残っていないか現場を隅々まで見回す。
(エリナさんとフィリスを殺した犯人は綿密な計画を立てて殺したとは思えな
い。二人殺して両方完璧なんて事は有り得ない。犯人は必ずミスをしているは
ずだ。
動揺してすべきことをしていない。あるいは考えすぎてしなくても良いこと
をしている)
もう一度フィリスを見た。殺されたにもかかわらず笑みを浮かべている。エ
リナも笑みを感じさせてはいたが、これは彼女とは違う。フィリスのは自分が
出来ることをした満足の笑みだと彼は思った。彼女は犯人を苦しめる何かをし
たのだ。それを何とかするため、犯人は何かをしたはず。その痕跡は必ずあ
る。
それを見つけるべくベルダネウスは目を凝らす。治癒魔導の影響で、体が眠
れ、眠って治癒に専念しろと誘っているのに抵抗して。
「これは何です?」
左手で壁の隅、鉄格子際の血だまりを指さす。そこには小さな破片が落ちて
いる。
「木片ですね?」
血に濡れたそれを拾い上げたマスカドルがベルダネウスに見せる。
「炭火ストーブをぶつけて欠けたんでしょうか?」
「見てください」
牢の外側に設置してある炭火ストーブの入れ物を調べるが
「どこも欠けた場所はありません」
その答えに、ベルダネウスはよしよしとつぶやいた。
「ここの鍵は?」
「鍵を入れるケースがこじ開けられていました」
「音はどうです。例えばフィリスが殺される際に悲鳴を上げたとすれば、外に
聞こえたとは思えませんか?」
「ここの入り口の扉は厚いですから。ピッタリ閉めればほとんど外には漏れま
せん。それに、たとえ漏れたとしても。風が激しかったですから聞こえたかど
うか」
「ですね」
牢と外をつなぐ扉はどこの国でも分厚いのが普通だ。牢内で囚人を痛めつけ
ても外にバレないようにである。
「それともう一つ、二人目の犠牲者が出たというのに、みんな妙に落ち着いて
いるように見えますが」
「それは、犯人はこれ以上の殺しはしないという考えにみんな同意したからで
しょう。フィリスさんが魔導人でないとすれば、本当にここに魔導人がいる根
拠がなくなります。前にもアーシュラさんが言ったように、みんなで勝手に魔
導人がいる。魔導人がクレイソンを殺したんだと思い込んだだけです。
犯人の狙いが魔導人の心臓である力玉だとしたら。魔導人がいない以上、次
の犯行は行わないというのがみんなの一致した意見です」
「うむ。その時は私もいた」
ソーギレンスが会話に加わった。
「となれば今は犯人捜しよりもヴァンク対策に集中すべきだと皆の意見が一致
した」
「ファディールさんも?」
「不服そうな顔ではあったがな」
「婚約者殺しの犯人捜しを棚上げにするんです。当然でしょうね。で、マスカ
ドルさんも同意したんですか」
「せざるを得ない状況です。……一通りは聞いてみました。昨夜に限ってはみ
なさん起きている人が多かったですから。エクドールさんはみなさんを味方に
引き入れるため、順番に説得して回ったそうです。
ボーンヘッドさんは味方になることを早々に受け入れて、以後はあなたの部
屋をエクドールさんと交代で見張っていたそうです。ルーラさんがあなたの部
屋に入っていったのを見て、一部屋の見張りで済んだと言ってましたよ。もっ
とも、それはあなたの作戦だったようですけど。
ファディールさんは明け方まで保留と言うことにしていたそうですが。ボー
ンヘッドさんやアーシュラさんがエクドールさんについたことを知って、彼も
それに習ったそうです。明け方までは眠っていたと言うことです。
アーシュラさんも早々にエクドールさん側につくことを決めたそうです。た
だし、夜は魔力を回復したいからと寝ていました。セシルへの治癒魔導で結構
魔力を使ったとかで」
「私は邪魔はしないが味方もしないと最初から決めていた」
ソーギレンスは自分から言った。
「ヴァンクが襲撃する頃になったら、避難するつもりだった。夜は眠ってい
た。朝の祈りをしている最中に今朝の騒ぎが起こったのだ」
「それで、邪魔しないならどうして牢に?」
「エクドール殿が安心できないと言ってな。私も巻き添えを受けるのは避けた
かったので、暖と食事さえきちんとしてくれればと同意した」
「あなたは?」
ベルダネウスはマスカドルに聞いた。
「迷っていました。アーシュラさんから状況を聞きましたが、どうすべきかわ
からなくて。そうしているうちにあの騒ぎが起きました。みんなエクドールさ
ん側についたので私もそうするしかなくなりました。しかし、あなたを殺さな
いと約束はさせました」
「昨夜の内に決めて欲しかったですね。前にも言いましたが、エクドールさん
さえ早々に拘束すればこんなことにはならなかった。もっとも、それは私も同
じだ。無理にでもフィリスを自由にして、即、エクドールを拘束すればこんな
ことにはならなかった」
それが自分の無能さを責めているように聞こえたのか、マスカドルが口をつ
ぐむ。
「話は戻りますが、ソーギレンスさん。あなた自身は現状をどう思っているん
です? あなたは私とエクドールのどちらの味方もしていない。程度の差はあ
れ、皆が私とエクドールさん、どちらにつくかを決めているのにあなただけ中
立という名目の下、決断から逃げている。
バールドの聖本に、『死とは、懸命に生きた者にこそ満足に与えられるべき
もの』と記されています。あなたもバールドの戦士ならば、懸命に生きる者の
味方をすべきでしょう。立ち位置こそ違え、私もエクドールも懸命に生きてい
る。なのにあなたはどちらの味方もしない。あなたにとって懸命に生きるとは
どんな生き方を言うんです?
それとも、私たちの誰一人として懸命に生きているようには見えないという
ことですか?」
それを聞いたソーギレンスのほぉと感心したように息をついた。
「貴殿がバールドの聖本を読んでいるとは知らなかった」
「八大神の聖本は一通り読んでいますよ。教えを受け入れるかは別ですがね」
「そうだな。先ほどの答えだが……私が未熟者だから……が答えだろうな。ベ
ルダネウス殿が納得するかは別だが」
「行動に勝る思案はありませんよ」
「何もせぬのも一つの行動ではないか」
「そうですね」
ベルダネウスは牢を這い出ると、マスカドルの手を借りて立ち上がる。
「上がりましょう。この格好ではここの寒さはこたえます」
最後にベルダネウスはソーギレンスに、フィリスのために祈ってくださいと
お願いした。
ロビーに戻ると、エクドールの指示の元、ヴァンクの檻の鉄柵を作る棒が数
本抜き取られていた。とはいえ、ヴァンクが通り抜けられるほどの隙間は出来
ていない。
そうした手に入れた棒は先端を尖らせ、即席の槍に加工されていた。対ヴァ
ンク用のアークド銀の槍である。他にも短く切られ、アーシュラやファディー
ル、ボーンヘッドの体に巻き付けられていた。こうして精霊たちの攻撃を少し
でも和らげようというのだ。和らげるのは少しであっても、それが戦いにおい
ては勝敗を決める大きな要素になる。
「良いわね。戦いに勝ったら、報酬はヴァンクの羽根よりこっちの方が良い
わ」
アークド銀を撫でながらアーシュラが言った。
その様子をベルダネウスはソファに横たわったまま見ていた。先ほど動いた
せいか、治癒魔導が招く眠気がさらに強くなっている。
それと戦いながら、ベルダネウスは頭の中で考えをまとめていた。もちろ
ん、誰がエリナを、フィリスを殺したかである。
(二人を殺したのは同一人物と考えて良いだろう。力玉欲しさにこんな状況で
人を殺す奴が二人もいるとは考えにくい。
動機は皆にあると考えるべきだ。ある水準を超えた金銭は問答無用で動機に
なる。
ボーンヘッドは見かけによらず頭が働く。エリナさん殺しでも言い訳したよ
うに、今の状況が殺しに適していないことはよくわかっているはずだ。それに
フィリス殺しの足場にしたという切れ端。彼が犯人ならば八枚は多すぎる。彼
の歩幅ならもっと少なくて済む。もっとも、それを見越して枚数を増やした可
能性はある。それに、彼自身に殺す気が無くても、フィリスが私の側につくこ
とを恐れたエクドールが彼に命じて殺した可能性がある。しかし、エクドール
もボーンヘットもフィリスは用心するのではないか。よほどうまい言い訳を
使ったか。
ファディールは、フィリス殺しはともかく、エリナ殺しはボーンヘッド以上
に殺す理由がない。エリナが魔導人でないことは彼自身よく知っているはず
だ。しかし、それはフィリスを殺す場合には彼女を油断させることになる。
しかし、彼がフィリスを殺したとすればエリナさんを殺したのは誰だ。下手
をすれば、フィリス殺しのアリバイをエリナ殺しの犯人に与えることになる。
それは彼の望むことではないだろう。
あるとすれば、既に彼がエリナ殺しの犯人を知っていて、自分の手で仇を討
つためにあえて犯人をマスカドルさんたちに捕まえられないようにするためだ
が……。
アーシュラはボーンの研究を継ぎたいなどむしろ魔導人を守る側に立ちそう
だ。しかし、力玉を手に入れるため、魔導人に自分は味方と思わせる罠という
可能性はある。
しかし、彼女がそれを口にしたのはクレイソンを助ける時だ。罠とするには
不自然なタイミングだ。ヴァンクの件が出てきて、魔導人を手に入れるよりも
力玉など自分が研究する費用を手にすることを優先したとすれば……いや、魔
導人そのものに勝る研究材料があるとは思えない。
エクドールは何よりも先ずヴァンクを無事タマリアン家に運ぶことを優先す
るだろう。だが、タマリアン家とのつながりを武器にマスカドルを黙らせるこ
とが出来ると考えていれば、ついでに魔導人の力玉を手に入れようと考えても
不思議
じゃない。むしろ、ここが衛視の詰所と言うことを一番気にしないで良い立場
だ。
しかし、エリナさんはともかく、フィリスを彼が殺せるか? いや、協力す
る代わりに放免させると条件を出せばフィリスも油断するかも知れない。ヴァ
ンクとの戦いに備えて、私の側につきそうな彼女を始末しようと考えても不思
議じゃない。その場合、フィリスは魔導人か関係なく殺されたことになる。実
行犯が彼自身か、あるいはボーンヘッドとかにやらせたかはわからない。
ソーギレンスさんはどうだ。クレイソンとの戦いを見ても、彼がバールドの
修行をしていたのは事実だろう。金銭欲は薄いだろうから、力玉をそれほど欲
しがるとは思えない。
しかし、彼自身別の人生を歩みたがっているとしたら? バールド協会を抜
け、自立するには金が必要だ。それには力玉の値は魅力だろう。だが、それな
らばエクドールの味方をしてヴァンク退治の報酬を得る道を選んでも良いはず
だ。それとも共倒れを狙っているのか? 戦いの後、勝ち残った方を強襲して
馬車からアークド銀、ヴァンクの羽根までみんな手に入れるつもりなら……。
可能性だけを言うなら、マスカドル夫妻も外せない。衛視と言うことでエリ
ナさんもフィリスを油断するはずだ。力玉を手に入れた後、二人でここを逃げ
出す計画かも知れない。
だとすると、フィリスをこのタイミングで殺す理由がない。そもそもセシル
さんが倒れたままでは逃げてもしようがない。セシルさんは動けない振りをし
ているとするには、どうやってアーシュラの目を誤魔化しているかが問題だ。
何度か治癒魔導をかけていれば、彼女が本当の重傷か、重傷のふりをしている
かは解るはずだ。
もしかしてマスカドルさんはセシルさんを見捨てて逃げるつもりなのかも知
れない。それでも何故フィリスをこのタイミングで殺すのかという疑問は残
る)
ベルダネウスは、これらの考えに前々から思っていたことを加えて考え直し
た。そしてここに来てから彼の見聞きしたことをもう一度思い返した。
そして目の前で作業している一同の姿をじっくりと観察し、ある一つの答え
を出した。
その答えが正しいかどうか、もう一度これまで解ったことと照らし合わせて
みる。
(よし)
その答えに満足し、心の中で頷く。
問題は、この答えをどのタイミングで誰に言うかだ。
他人が知らない、気づいていないことを自分は知っている。これは武器だ。
明らかにするタイミングによってはかなり強力な武器になる。しかし、一度し
か使えない武器でもある。
少なくとも、これを使う時は今ではない。
そう腹を腹をくくったベルダネウスは、治癒魔導がもたらす眠りに対する抵
抗を止めた。
彼の身体はあっという間に眠りに落ち、右手右足の治癒に専念し始めた。
目覚めたベルダネウスは、まず左腕と左足に違和感を覚えた。
まさか左もへし折られたのかと思ったがそうではない。囚人を拘束するため
の鉄球とつながった枷が、左腕と左足につけられているのだ。
「おいおい。念が入りすぎているぞ」
右腕に力を入れてみる。指が動いた。
(なるほど、ファディールさんの治癒魔導はたいしたものだ。これなら軽くも
のを持つぐらい出来そうだ。鞭を握って振るうのはちょっと無理かも知れない
が)
「目覚めたみたいね」
アーシュラが近寄ってきた。
「何とか、今、何時ですか?」
「三時を過ぎたところ。ルーラの言うことが本当なら、あと小一時間ほどで
ヴァンクが来るわ。今のうちに何か食べる? 最後の食事になるかも知れない
けど」
「その前に用を足したいですね。枷を外してもらえませんか?」
仕方が無いとアーシュラがそばのテーブルに置いてあった鍵で彼の左手足の
枷を外した。
軽くなった手首足首を回しながらロビーを見直すと、暖炉のそばのソファに
はセシルか寝かされていた。
「まだ意識が戻らないんですか?」
「その方が良いかもね。苦しまずに死ねるかも知れないわ」
ヴァンクの檻の横では、アークド銀の槍を持ったエクドールが落ち着かない
様子で椅子に座っていた。さすがの彼も、今回は自分は高みの見物というわけ
には行かないらしい。
「他の人達は?」
「見張りよ。奇襲だけは受けたくないからね」
アーシュラに支えられながらトイレに向かう。
「運ぶだけだからね。ちんちんは自分で出しなさい」
「それぐらいは自分で出来ます」
行きながらベルダネウスは馬小屋の方を見た。彼の馬車の屋根に小枝が乗っ
ていた。馬小屋の屋根があるから他から落ちてきたものではない。これはルー
ラが戻ってきた合図だ。彼には解らないが、彼女は間違いなくこの近くに潜ん
でいる。
「ところで、あんたに一つ聞きたいことがあるんだけど」
用を済ませ、手を洗っているベルダネウスの背中にアーシュラが声をかけ
た。
「何ですか?」
「ボーンに売るはずだった力玉はどこにあるの?」
「何のことです?」
ベルダネウスの表情に変化はなかった。これぐらいのことで表情を変えては
自由商人は出来ない。
「とぼけても無駄よ。ボーンがベルダネウスという自由商人から新しい力玉を
買う予定だって言ってたんだから。あんたが寝ている間に馬車や部屋を調べた
けど、見つからなかった。馬車のどこかに隠し棚でもあるの? それとも、
ルーラが持っているのかしら」
「私みたいなしがない自由商人が、力玉なんてご禁制の品を扱えるはず無いで
しょう」
「ご禁制の品を見せびらかす奴はいないわね」
警戒してか、アーシュラはベルダネウスの右側からそっと顔を近づけ
「取引しない?」
「取引?」
「力玉をくれれば、あんたの味方になってあげる。ヴァンクの戦いの時、隙を
突いてファディールとボーンヘッドを私が攻撃するわ」
「確かに、マスカドルさんは無理をしてまで戦おうとはしないでしょうし、エ
クドールさんは戦いは素人のようですからね。あなたが味方になって、あの二
人を押さえてくれればそれで勝敗は決まる」
「そう、悪くないでしょ」
「しかしあなたの取引には一つ欠点があります。私は力玉を持ってない」
「ルーラが持っているって事ね」
ベルダネウスの心中を見透かすように
「いいわ。特別にもう一つおまけをつけてあげる。戦いの後、一晩、私の体を
自由にして良いわ。いろいろ仕込まれたから、結構自信があるのよ」
言いながらベルダネウスの右腕に豊かな胸を押しつけてきた。彼の二の腕に
柔らかな感触が広がるが、彼はそれに興味を示すことなく
「私はその手の支払は受けないことにしています。ボーンは私から力玉を買う
と言ったそうですね。ならば代金を用意していたはずです」
「用意していたでしょうけど、逃げ出すのに精一杯で見つける余裕なんて無
かったわよ」
ベルダネウスはアーシュラの真意を測りかねた。
「時間が無いのよ。残された魔力は残り少ない。せいぜいもってあと三日。あ
んたの持ってきた力玉の魔力が必要なのよ」
自分の胸を押さえながらの言葉は切羽詰まっていた。
「ヴァンクを倒して報酬をもらえば、それで力玉を買えるかとも思ったけど、
思ったより消耗が早い。悠長に構えている時間は無いの」
彼女の魔玉の杖を持つ手が震えていた。
その時、詰所からエクドールが出てきた。
「アーシュラ、何をしている。中に入れ。ベルダネウスに逃げられたらどうす
る。そいつは精霊使いに対する人質なんだぞ」
「わかってるわよ。偉そうに言うんじゃないわ」
「忘れるな。今のお前は私に雇われたも同じなんだぞ」
「ったく。立場が上になった途端にああなんだから」
つぶやくと、ベルダネウスを引っ張っていく。
「力玉を渡す気になったら叫びなさい。それを合図にあんたにつくわ」
小さく告げるその口調は真剣そのものだった。
(どういうつもりだ?)
詰所に戻り、マスカドルの用意した食事を食べながら考えた。食事は片手で
も問題ないようにパンにハムや野菜を挟んで一口大に切ったものとカップに入
れたスープの簡単なものだったが、体力を治癒に多く回し披露した体にはあり
がたかった。
目の前では、同じくアーシュラが黙々とパンを口に運んでいる。
(あの言い方はアーシュラ自身が魔導人であるかのようだ。せっかくフィリス
のことで皆がここには魔導人はいないという結論に達したというのに、わざわ
ざ自分からばらすようなことを言うだろうか。やはり彼女自身が言ったように
命となる魔力が尽きようとしてそんなことを言っていられなくなったのか?
彼女が魔導人だとすると、セシルさんに治癒魔導をかけたり、ヴァンクとの
戦いで攻撃魔導を使うのは自分の命を縮める行為だ。
しかし、無理に拒んで魔導人ではと怪しまれたら元も子もない。私に取引を
持ちかけたのは正に苦肉の決断と言うことになるが……)
ベルダネウスは、改めて考え直した。そして、前に出した結論に矛盾してい
ないことを確認すると心の中で頷いた。
「飯は済んだか」
やってきたボーンヘッドはベルダネウスの前の皿とカップが空になっている
のを見ると
「お前さんにやって欲しいことがある。ルーラの説得だ」
「ルーラが戻ってきているんですか?」
「わからねえ。けれど俺はそう思っている。どこかに潜んで俺達の動きをヴァ
ンクに伝え、お前さんを助けるチャンスを窺っているんだ」
「だったら、さっき私がアーシュラさんと二人で外に出た時を狙うでしょう」
「お前さんを助けてハイ終わり。ならそれも良いさ。しかし、あいつはそれと
一緒にヴァンクも助けたいはずだ。ならばお前さんをギリギリまでここに残す
というのも手だ。俺達は誰か一人、お前さんの見張りに残さなきゃならねえか
らな。ただでさえ人数が少ないのに、お前さんの見張りに一人割くのは厳しい
からな」
「私を地下牢にでも放り込めばいい」
「お前はここにはいない。精霊たちは頼んでもヴァンクを傷つけることはしな
い。となれば、ルーラは遠慮無く精霊の力を借りて暴れられる。わざわざ敵が
戦いやすくすることはねえ」
「既に私があなたたちに殺されていると思っているかも知れない」
「それもねえな。ルーラが生きて俺達に挑もうとしているかぎり、俺達はお前
さんを殺す訳にはいかねえ。人質としてせいぜい手足の一本も追って動きを封
じるぐらいだ。
それがわかっているからルーラは逃げた。あいつはお前さんを見捨てて逃げ
たんじゃねえ。お前さんを守るために逃げたんだ。いや、お前さんが逃げるよ
う指示したんだ。と、俺は見ている。それに」
ボーンヘッドはいつものように硬貨を投げて両手で挟んで受け止めた。開い
てみると表。
「こいつもルーラは戻っていると言ってるぜ」
ベルダネウスとボーンヘッドの目が合い、二人は軽い笑みを交わした。
「本当にあなたは見かけと違って頭が働きますね」
「人を見かけで判断するもんじゃねえぜ。俺はこう見えてもちゃんと教育を受
けた結構いいとこのお坊ちゃんだったんだぜ」
『それは嘘』
その場の皆が一斉に答えた。
「お前らまとめてしばくぞ!」
ボーンヘッドの叫びに、皆は笑いを堪えながら目を逸らすのだった。
ベルダネウスはボーンヘッドに支えられる形で詰所の玄関から出てきた。気
のせいか、風が少し止んだようだった。
「どう言えば良いんです?」
「へたに言葉足らずだったりするとわざとらしくなるからな。それっぽいこと
を言えばいい。ただし、妙な言い回しをしたら」
手の内に隠したナイフをベルダネウスに見せる。この刃にはエクドールが
持っていたアークド銀の毒素が塗られている。精霊はもちろん、人間にとって
もかすり傷だけで命を奪う猛毒だ。
それだけではない。詰所の窓際にはアーシュラとファディールが隠れて、い
つでも攻撃魔導を放てるようにしている。
「ルーラ!」
ベルダネウスが叫んだ。
「ルーラ、聞こえたら返事をしろ!」
しかし、ルーラの声はどこからも聞こえてこない。
「いないんじゃないですか」
「いいから続けろ」
「ルーラ、聞こえるか。話はついた。少々手こずったが、エクドールを捕まえ
た。ヴァンクの幼獣を解放するから出てこい。私たちでは警戒して幼獣が言う
ことを聞いてくれないんだ」
「うまいじゃねえか」
ボーンヘッドが感心した。ベルダネウスの説得は大嘘だがきちんと筋が通っ
ている。
しかし、ルーラは姿を見せないどころか返事もしない。
「やっぱりいないんじゃないですか?」
「……念のため、もう一度だ」
もう一度、先ほどと同じ事を叫んだがやはり返事はなかった。
「時間を置いてからまたやるか」
仕方が無いと二人は詰所に戻った。
「ルーラは戻ってないんじゃないの。あるいは無理してまでこいつを助けるつ
もりはないか」
「精霊使いにとっては、雇い主よりヴァンクより自分の命の方が大事でしょう
からね」
二人の魔導師は魔玉の杖を下ろして安堵の息をつくと
「それじゃ、配置に戻ります」
ファディールが二階に上がり、アーシュラはロビーに降りる。
「それはないですよ。精霊使いだって人間ですからね。大事な人のためなら
ば、精霊だって裏切ります。実際そうでしたし」
エクドールの言葉にベルダネウスが眉をひそめた。
「実際そうだったというのは……ヴァンクを捕らえるのに精霊使いを使ったん
ですか」
ヴァンクの檻を横目で見ながら
「そんな精霊使いがいるんですか?」
「いますよ。妹が病気でして、必要な高価な薬を報酬としてね。のこのこ現れ
たヴァンクに、泣きながら精霊の槍を突き立てましたよ。そうでもしなければ
ヴァンクの幼獣なんて手に入らないですよ」
あんたとはここが違うと言いたげに、エクドールは自分のこめかみを指先で
叩いて見せた。
「その精霊使いはどうしたんです?」
「死にましたよ。ヴァンクにとっちゃ裏切り者ですからね」
「……でも、おかげで妹に薬をやれた」
「やるわけないでしょ」
エクドールの言葉にベルダネウスの眉間に皺が寄った。
「本人は死んだんだから、わざわざ高い薬を買ってやる必要は無い」
「そういう契約だったんでしょう」
「死んだら無効です」
言ってエクドールが飛び退いた。前にも浴びせられたあの視線が再び彼に向
けられていた。
「私はあなたを商人だと思ってましたよ。扱う品物が私には受け入れられない
だけでね。けれど間違いだったようだ。あなたは商人じゃない。詐欺師だ」
途端、エクドールの顔が憤怒に歪み、
「偉そうなことを言うな!」
ベルダネウスに襲いかかった。その手にはアークド銀の毒を塗ったナイフが
ある。
慌ててマスカドルがその腕に飛びついた。続いてボーンヘッドがエクドール
を押さえつけ、その手からナイフを取り上げる。
「むやみに殺さないと約束したはずです!」
「危ねえな。本当に殺しちまったらどうすんだ」
そして呆れたようにベルダネウスに向き直り
「お前もお前だ。あんな言い方したら、言われた方がどう思うかぐらい解るだ
ろう」
「波風が立つとわかっていても言わずにはいられないことがあるんですよ」
面白くなさげに鼻を鳴らすと、エクドールは食堂の方に行った。
その背中を見てボーンヘッドはしゃあねえなとでも言いたげに肩をすくめ、
「商人と詐欺師の境界線か」
「ええ。私が自由商人として独立する時に、ある人に言われたんですよ。
商人の相手は人間じゃない。人間の中にある欲だ。欲を見据え、欲とつきあ
い、欲と友となれ。そうすれば、相手もお前も幸せになれるとね。そして、そ
の欲を測る度合いが金だと」
「酒みたいなもんだな。酒は呑んでも呑まれるな」
「金は持っても持たれるな」
ボーンヘッドは硬貨を取り出し、弾こうとして止めた。そのままベルダネウ
スの耳元に口を寄せ
「……この戦い。俺とお前が仲良く生き残ることはねえだろう。俺が生き残っ
たら、お前の荷物のいくらかをもらってやる。お前が生き残ったら俺の荷物は
お前が取れ。といっても、せいぜい剣と手紙ぐらいだがな」
「良いんですか。私とあなたはここに来てからの知り合い、三日と経っていな
いんですよ」
「何十年一緒にいてもわからねえ奴もいる。三日足らずでも、わかる奴もいる
さ。フィリスとの勝負の立会料の酒、うまかったぞ」
その時だった。すさまじい轟音と共に外が光り、詰所が揺れた。
天井に亀裂が入り、破片が降り注ぐ。
「来やがった!」
亀裂から風が入り、巨大な手となって天井を引っぺがす。
暖炉の火が生き物のようになって飛びだしし、ロビーを駆け回る。
檻の中の幼獣が目を開き、頭を上げる。
「ザン!」
ルーラの叫びが寒気と共に詰所に流れ込んできた。
【次章予告】
もう、決して迷わない。
もう、決して諦めない。
精霊の槍を手にした精霊使いと傷だらけの精霊獣が
愛するものを取り戻すために戦いを挑む。
例え自分の命が消えようとも
例え人の命を奪おうとも
決して止まることはない。
次章【十六・死闘】
この世には、命よりも大切なものがある。




