【十四・抉られた二つ目の心臓】
【十四・抉られた二つ目の心臓】
詰所の地下牢。フィリスが入れられているのは、一番奥、左側の牢屋だ。
ルーラが光の精霊に頼むと、薄暗い地下がたちまち昼間の明るさになる。
彼女の牢の前に置かれた炭火ストーブは消えかけていた。
「炭を持ってきます」
マスカドルが持ってきた新しい炭で火を強くする。その間に、フィリスは足枷を引きずって、格子のそばにまでやってきた。鉄格子越しにマスカドルが湯気の立つ紫茶のカップを手渡す。彼女はお礼を言って一口すすった。
「寒くない?」
「大丈夫。けど、私の所にいていいんですか? みんなが変な目で見ますよ」
「かまわない。聞きたいことがある。タマリアン家についてだ」
それはルーラがワコブに連絡をつけようとした時、エクドールから託された手紙の宛先だ。
「タマリアン家は、ワコブの衛視隊にどれぐらいの影響力がある?」
「私も直接は知りません。財産はある家なので、エグスと直接のつながりはありませんでしたし。けれど、コレクションに禁制品を加えても問題にならないよう、お偉いさんに鼻薬を効かせているとは聞いています」
「そうか。いざというときに備え、下っ端衛視を黙らせるぐらいの力はあるわけだ」
ベルダネウスはちらと視線をマスカドルに向けた。困ったように目を背ける彼の姿に、ルーラもその意味を知った。
「タマリアン家がどうかしましたか?」
「やっかいな状況になった。ところでエクドールは来たか?」
「いえ。彼がどうかしましたか?」
三人の態度に何かを感じたのだろう。フィリスは片膝をつき、真剣な目を向けてきた。
ベルダネウスがヴァンクを巡る状況を説明すると、フィリスはしばし目を閉じ考えこんだ。おそらく頭の中で状況を整理しているのだろう。
「エクドールさんが私に協力を求めに来るかも知れないと言うことですね。それで私にどうしろと? 申し出を断れと言うのですか」
「いや。受けてもらう。牢に入ったままではヴァンクと戦えないからな」
「まずは牢から出ること……というわけですね。でも良いんですか、そのまま本当に私はエクドールにつくかも知れませんよ」
「私はまだ君との契約を切った覚えはない」
話を聞きながら、ルーラはマスカドルの様子をうかがった。まさか彼の前でフィリスに脱走の話をするわけにはいかないと思ったからだが。
フィリスもマスカドルに視線を向けたが、その意味はルーラとは違った。
「だから私も自由になったらあなたの味方に付くと思っているんですか? いくら何でも人の良すぎる考えですね」
「そうでもない」
ベルダネウスはマスカドルに向き直ると
「さて、マスカドルさん。あなたはヴァンクの成獣に対し、どう接するつもりですか?」
「どうと言いますと?」
「あなたは衛視としてここにいる人達の命を守る義務がある。だとすれば、ヴァンクの幼獣を渡すのが一番だと思うのですが」
「エクドールさんから言われました。ここにいる人達の財産を守るのも衛視の役目だろうと」
「財産と命を天板にかけても結論はわかりきっているでしょう。あなたはむしろエクドールさんを拘束し、ヴァンクの幼獣を解放するべきだ」
ルーラは納得した。ベルダネウスはまずはマスカドルを味方につける気なのだ。ここには来たのはフィリスと話をするためではなく、邪魔が入らないところで彼と話すためだ。
曲がりなりにもマスカドルは衛視である。ルーラは彼がすぐに頷くと思っていた。しかし、彼はなかなか首を縦に振らなかった。
「何を迷っているんですか? ボーンヘッドさんやアーシュラさんがエクドールさん側についたら、それだけ難しくなるんですよ。そして、それをするために、フィリスを自由にしていただきたい」
ハッとしてフィリスが顔をあげた。
「それは……出来ません」
「緊急事態です。もうフィリスに逃げる意思がないのはわかっているでしょう。いざというときに彼女が牢の中では困るんですよ」
何か言おうと口をもごもごさせるマスカドルの様子がルーラにはいらついた。どちらにつくのか迷っているのはわかるが、何を基に判断しようとしているのかがつかめないからだ。
たまらずルーラが口を開こうとしたとき
「もういいです」
フィリスが言った。
「無理して私を助ける必要はありません。なんだかんだ言って、私自身、エグスの悪事に荷担もしたし、こうなったのも自業自得ですよ」
「悪事だったら、あたし達も似たようなものよ。ザンも盗品や禁制品を扱ったり。痛っ」
いきなりベルダネウスがルーラの頭を叩いた。
「お前は口が軽すぎる」
さすがにルーラも衛視の目の前であることを思いだしたのか、引きつった笑みを浮かべた。それを見たマスカドルが
「今のは聞かなかったことにします」
ありがとうございますと小声で謝るルーラの姿に、
「ルーラ……ひとつ、教えてあげます」
薄笑いを浮かべながら、フィリスが顔を向ける。今までルーラが見たことのないような、相手を軽蔑する笑いだった。
「私はね、あなた達を殺すつもりだったんです」
「え?」
「私があなたたちに自分を売り込んだのは、隙を見て、馬車とお金を手に入れるつもりだったからです。アクティブに行く途中で二人を殺して、向こうに着いたら荷物や馬車を売ってお金にする」
薄笑いを浮かべながらフィリスは言葉を続ける。
「隙を突いて、あなたの槍を奪って殺せば、あとは金勘定が取り柄の優男だけってね。もっとも、彼が凄腕の鞭使いだというのは誤算でしたけど」
「……嘘でしょ……」
「本当よ。あなた、そんなに私を信用しない方が良いですよ」
鼻を鳴らし、空になったカップを放って返す。
「黙っていた方が自由になれるかもと思ったけど、ここまでお人好しだと呆れちゃって。わかったでしょう。私を助けようなんて思ったら、よけいな面倒を背負い込むだけですよ」
ルーラは唇を噛んだが、負けるものかとフィリスを正面から見据え
「よけいな面倒を背負い込むのには、あたしもザンも慣れてるわ。気持ちはうれしいけど、そんな簡単にあなたを切り捨てられるなら、ザンは交渉なんてしてないわ」
「私があなた達のことを考えて、こんな事を言っていると?」
「そうよ」
断言するルーラ。
「そんなことを言わずにいれば、少なくともあたしとザンはあなたの味方だった。なのに、わざわざそれを言って、あたし達に愛想を尽かさせようっていうのは、自分のことでこれ以上迷惑はかけられないって思ったからでしょう」
「勝手なことを言わないで。私は」
「あたしたちの仕事仲間よ。仲間は大切にしないといけないわ。仕事を成功させるためにも」
鉄格子を挟んで睨み合うルーラとフィリス。その様子に頃合いと見たのか、
「ルーラ、戻るぞ」
「でも」
「伝えたいことは伝えた」
素っ気ないが力強い言葉だった。
「フィリス、私は諦めの悪い人が好きだ。諦めの悪さが人を前に進ませるものと信じている」
光の精霊にお礼を込めて、照らすのを止めるよう願う前に、ルーラは地下牢の方を見た。格子越しに出たフィリスの手が、小さく振られていた。
「今後の予定だが、少しばかり強硬手段に出る」
部屋に戻るなりベルダネウスが言った。
「明日の朝、フィリスを解放した上でエクドールを拘束する。場合によっては殺すこともあり得る。覚悟しておけ」
ルーラは息をのみ、頷いた。それは一つの手段として彼女の頭にあることだった。
「彼から檻の鍵を奪ってヴァンクの幼獣を解放する。一度アークド銀の檻から出せば、幼獣は精霊の力を借りられる」
「それだったら、今すぐ動いた方が」
「彼は私たちを警戒している。こちらも動くタイミングを見極めないと。ヴァンクの成獣がここに来るのは明日の夕刻前。成獣と戦う体力を温存するためにも今夜は休みを取るはずだ。明け方に私たちとフィリスの三人で一気に勝負をかける」
「でも、フィリスは」
「手伝うさ。私と彼女でボーンヘッドとソーギレンスの相手をする。ボーンヘッドはともかく、ソーギレンスさんは傍観するとは思うが」
「大丈夫?」
「勝つのは無理だろうが、エクドールを抑えるまでの時間稼ぎぐらいなら何とかなるだろう」
わかりきっているというベルダネウスの笑みに、ルーラも笑みを返した。
「明日の朝までに私たちがやるべき事は、誰がエクドール側についているかを見極めることだ。みんなもヴァンクの幼獣を解放するのと成獣と戦うのと、どちらを取るべきか迷うはずだ。迷っている内に一方に流れを決めればそれに乗る」
「マスカドルさんはどちらにつくかね」
「エクドールの後ろにはタマリアン家がついているからな。……やはりエクドールさんは殺して馬車もろともここにいた痕跡を消した方が良いか」
さらっと言うベルダネウスに慌ててルーラは首を横に振った。
「それは最後の手段にして」
「わかっている。とりあえず基本的な対策は決めておこう。魔導師二人を優先する。隙を見て魔玉の杖を奪え」
「奪った後はどうするの」
「風の精霊に頼んで遠くまで放るか、雪の精霊に頼んでその辺の雪原に埋めさせてもいい。要は二人を無力化すれば良いんだ。ただし壊すな。そこまでする必要はない。二人の魔導を封じたら、すぐにエクドールを押さえる。私達のここでの目的は、あくまで幼獣を解放することにより、戦いを終わらせることだ」
「出来るだけ犠牲者を出さずにね」
「そういうことだ」
「でも、エクドールさんを押さえても戦いをやめなかったら? ヴァンクの売った代金や羽根が欲しくて、彼とは関係なくヴァンクを手に入れようとする人がいるかも知れないわ」
「その場合は仕方ない。少々手荒なことになるだろう。覚悟はしておけ」
「マスカドルさん達は?」
「油断は禁物だが、剣に長けているわけでもなさそうだし、それほど脅威にはならないだろう」
そうは言っても、ベルダネウスの表情がわずかに曇るのをルーラは見逃さなかった。
「話はわかったけど、本当にそれがあたし達二人で出来るの?」
「やるんだ」
雇い主の目と声でベルダネウスが命令した。
この後、二人はさらに自分たちのすることについて確認、手順を話し合った。話し合うと言っても、ベルダネウスが説明するのにルーラが頷くというのがほとんどだったが。
ベルダネウスの部屋を出ると同時に、ルーラは扉の閉まる音を聞いた。
廊下に並ぶ部屋の扉を見回しても、どの扉が閉まったのかは解らない。しかし、間違いなく自分たちは見張られているとルーラは感じた。エクドールか、彼の側につくことを決めた誰かか?
その日の夕食はどことなくギクシャクした空気が漂っていた。ルーラには、どこへ行けば良いのかみんなが決めかねているように感じた。ベルダネウスに言われたようにみんなを観察してみたが、みんながこちらにつきそうにも、エクドールにつきそうにも思える。考えすぎて食事の味もわからなかった。
(やっぱり、あたしは考えるより動く方が良いわ)
部屋に戻ると、ルーラはすぐに荷物をまとめた。もっとも、大きな荷物は馬車に積んであるので、身につけられるものだけだ。暖かいがこっそり逃げるには少々派手なフィリスのコートを羽織ろうとして
(フィリス、ごめんね)
コートを脱ぎ、袖を使って丸く縛り上げる。窓を開け、思いっきり屋根に放り投げた。
廊下に出て、ベルダネウスの部屋をノックする。扉が開き、ベルダネウスが顔を出すと周囲を伺うふりをして彼女の腰に手を回し部屋に連れ込む。
端から見ると、好色な主人が女の従者を夜、部屋に呼び込んだかのように見える。
「どう?」
「エクドールの部屋の扉が小さく開いていた。今のを見ていたかどうかはわからないがな」
ルーラがそっと窓を開けると周囲を伺う。自分の所以外に開いている窓はない。
「気をつけろ」
「わかってる」
ルーラは壁のわずかな出っ張りに手足をかけて外に出ると、風の精霊に頼んで自分の体を一気に屋根まで飛ばしてもらった。良い具合にもともと風が強いので、自分の体を飛ばしてもらう際の風の音はほとんど気にならない。
屋根に降りると、身を小さく乗り出し下の様子をうかがう。ベルダネウスが窓をそっと閉めるのが見えた。
他の部屋の窓が開いたり、騒いだりする様子は感じられない。
「バレてないみたいね……」
うまくいけば、ベルダネウスとルーラは二人でひとつの部屋にずっといると思わせられる。
先ほど投げたコートを羽織る。雪は弱くなっているが相変わらず風が強い。先ほどもそうだが、まるで風がルーラの動く気配を消してくれているかのようだった。
ベルダネウスのことが気になるが、彼なら何とかすると自分に言い聞かせる。とにかく、本格的に動くのはもっと暗くなってからだ。
ルーラは風と雪の精霊に頼んで、屋上に上がる出入り口の上に雪山を作った。これで中から上がってくることは出来ない。不審に思っても雪が積もっているぐらいに思うだろう。アーシュラやファディールが魔導で飛び上がって空から見ようとしても、風の精霊たちが邪魔をしてくれるはずだ。
馬小屋では、グラッシェが白い息を不安そうに吐いていた。無理もない。ここに来てからずっとそこに閉じ込められたままなのだ。出来れば馬車の中で過ごしたいが、エクドールもそれぐらいは注目しているだろう。
「待っててグラッシェ。明日になれば決着がつくから」
ルーラは出入り口の上の雪山に穴を空けてそこに潜り込んだ。雪の多い村で時々見られる簡易住居と同じようなものだ。腰に巻き付けた袋から木箱を出す。蓋を開けると中には灰が詰まっており、棒で中を探ると火のついた炭が出てくる。
それで暖を取りながら、ルーラは皆が寝静まるのを待った。
雪が激しくなってくる。絶対逃がしてなるものかというヴァンクの意思でもあるように。
明日になれば決着がつく。ただ、どんな形になるかはまだわからない。
もうすぐ夜が明ける。東の空はまだ暗いがルーラにはわかる。
頃は良しと見たルーラは雪山から出た。冷たい空気が少々寝足りない頭と体をハッキリさせる。持ち物をもう一度確かめる。力玉とフィリスに渡す小剣。頭の中でもう一度手順を繰り返す。
風の精霊に頼んで裏口に下ろしてもらうと、詰所の中をうかがう。気をつけるのは、扉を開けた時に入り込む冷気だ。そっと素早く中に潜り込むと、目の前にある地下牢に続く階段を降りる。
扉を開けた時だった。
(血?)
地下牢には血の匂いが充満していた。どういう事かと困惑した。光の精霊に通路を照らしてもらうが、通路には血は見えない。
嫌な予感がしたルーラは、鍵のある棚を見て愕然となった。
扉が壊されているのだ。無理矢理こじ開けたらしく、扉の蝶番の部分が歪み、蓋の部分ごと外されていた。
急いで鍵をとり、フィリスの牢へと向かう。
「フィリス起きてる? 力を貸して」
牢をのぞき込んだルーラが
「!?」
顔面蒼白となって後ずさり、背後の牢に背をついた。
「あ……ああ……」
目の前にあるものから目を逸らそうとしたが、出来なかった。
フィリスは牢の奥で横になっていた。
眠っているのではない。
大きく開かれた目。枷がはめられたままの手足。服は切り裂かれ、上半身はほとんど裸にされている。だが、そこには、かつて見とれたほど美しい形の乳房はない。
彼女の胸は大きく切り裂かれ、彼女の体と牢内の半分近くを血で赤く染めていた。そして、その血の中には、切り刻まれた服の切れ端、切り取られた乳房と共に、抉り出された心臓が転がっていた……。
その姿がかつて同じように殺されたエリナと重なった。殺されたにもかかわらずうっすらと笑みを浮かべていたところまで同じだった。
(どうして……)
ルーラは混乱した。誰がどうして、魔導人でもないフィリスを殺したのか。どうしてこんなときに殺したのか。訳がわからなかった。
(落ち着け、落ち着け……まずはマスカドルさんに。いや、ザンに教えるのが先か。しっかりしなさいあたし!)
混乱した頭を叱咤しながら、外に出る。もう足音もへったくれもない。階段を駆け上がる。
階段の上がり口にマスカドルが立っていた。
「大変、中でフィリスが」
「ルーラさん、落ち着いて精霊の槍を私に」
重なる二人の言葉に、さらにベルダネウスの叫びが
「逃げろーっ!」
途端、ルーラはマスカドルに体当たりした。戦う気のなかったマスカドルは、彼女の渾身の体当たりを受けて転倒した。
「マスカドル、離れて!」
ロビー側にアーシュラが魔玉の杖を構えて立っていた。魔玉が光り、魔導の発動を示す。
「止めてください。手荒な真似は」
マスカドルが立ち上がり、両手を広げてルーラの盾となる。それがアーシュラの魔導発動をわずかに止めた。
その隙にルーラは扉を開けて外に跳びだした。
窓が激しく叩かれるように開く音と、大きなものが雪に落ちる音がした。
「外に逃げたぞ!」
ボーンヘッドの叫びが聞こえた。
(ザンを助けないと)
しかし同時にルーラは彼との打合せを思い出す。逃げる時には一人で逃げろ。
ルーラは風の精霊の力で飛んだ。
詰所から飛び出したアーシュラが魔玉の杖をかざすと、彼女の体から舞い上がった小さな稲妻が魔玉に集結、一筋の大きな稲妻となって放たれた。
人の中で発生している小さな稲妻を魔導の力で増幅、ひとつに束ねて特定の方向に発射する攻撃魔導だ。使用時に、魔導師自身も軽い衝撃を受けるものの、その効果は絶大だ。それに貫かれたものは、いわば小さな雷の直撃を受けるに等し
い。以前ファディールが使った爆炎魔導や地下通路で衛視が使った火の玉と並んで使われる攻撃魔導の定番である。
風の精霊の力で上下左右に飛び回り、ルーラは稲妻を避けていく。アーシュラもあまり稲妻魔導に慣れていないのか狙いが甘い。
「ザン!」
雪の中でもがくベルダネウスの姿が見えた。窓から飛び出したものの、深い雪で身動きが取れないらしい。
行け! 彼女を見つめるベルダネウスの目はそう言っているようにルーラは思えた。
剣を手にしたボーンヘッドが二階の窓から飛び出した。
着地のタイミングに合わせてベルダネウスの鞭がボーンヘッドを打つ。が、彼の服を少し破り取っただけだ。
ベルダネウスの助けに向かおうとしたルーラを、彼は叱るように睨みつける。その横っ面にボーンヘッドの拳がめり込んだ。
雪に倒れるベルダネウスの体をボーンヘッドが掴みあげ、その腹に二度、三度と拳をたたき込む。
弱ったベルダネウスの右腕をボーンヘッドは詰所の壁に押さえると、剣の柄を思いっきり叩きつけた。
ベルダネウスが悲鳴を上げ、右腕を押さえて倒れる。
思わずルーラの動きが止まるのをアーシュラの稲妻が狙う。それを避けつつルーラが叫ぶ。
「フィリスが殺された!」
その叫びはアーシュラやボーンヘッドたちを驚かせた。その隙にルーラは飛んだ。とにかく詰所から離れた。今度はベルダネウスの言う通り風の精霊も邪魔はしなかった。
ルーラが離れるに合わせて、吹雪が詰所を覆った。
どれほど飛んだのか、ルーラの体がふと沈み、雪の中に突っ込んだ。
体を起こしてルーラが辺りを見回すと、そこは山道らしかった。平らな部分が前後に延び、左右は山肌に育った木々が雪をかぶり、白い壁となって彼女を挟んでいた。
人の気配はない。白い空間に、ルーラはただ一人へたり込んでいた。
「はは……」
声を出した。自分がここにいることを確認するように。腰に手をやると、大きく膨らんだ袋に触れた。取り出して広げると、ベルダネウスが託した力玉と幾ばくかの硬貨が出てくる。
「なんで……なんでこんなもの持ってるのよ……」
彼女は逃げ出したのだ。ベルダネウス、グラッシェ……大事なものをみんな置いて。
「これからどこに行けば良いのよ。ザン!」
叫び、泣いた。村を出て以来、忘れていた号泣が噴出した。言葉も何もない。誰もいない雪の中、ルーラは心の叫ぶままに声を上げ、泣いた。
どれぐらいそうしていただろう。
声も涙も涸れた彼女が顔をあげると、いつの間にか吹雪は止んでいた。
風もない。辺りに動くものの気配はない。
無音。
何の音もない、雪の空間にルーラはへたり込んでいた。怖くなって雪を握りしめる。その時の微かな音が彼女をほっとさせた。
そして彼女の内に何かが届いた。
それはゆっくり、確実に近づいてくる。
それは何か。ルーラには解っていた。
吹雪の向こうから、しみ出るようにそれは姿を現した。
七色の羽根に覆われ、五色に分けられた五本の尾を風に揺らしながら。
四つ足の体はルーラたちの馬車よりも二回りは大きい。
精霊たちを動かし、ルーラたちを今まで詰所に閉じ込めていた精霊獣。
「……ヴァンク……」
ゆっくりと、本当にゆっくりと歩を進めていたヴァンクは彼女の目の前で歩みを止めた。
ヴァンクの金色の瞳と目が合った途端、ルーラの中に何かが飛び込んできた。
全てが見られる。ルーラは自分の中でそれが駆け回り、頭を、心を、体を、過去を、そして今を引きずり出されていくのを感じた。全てがさらけ出される。全てが知られる。
心を抜かれたようにルーラはへたり込んだまま。
その目はヴァンクの全身に向けられた。ヴァンクは傷だらけだった。その体には矢をはじめ、剣や槍、深々と突き立てられいる斧があった。それだけではない。体のあちこちは醜く焼けただれ、特に右の後ろ足はひどくほとんど動かないようだ。ここまで来るのに時間がかかったのはこのためだ。
(アークド銀の毒素……)
実際に見るのは初めてだが、ルーラはそう確信した。アークド銀を生成する時に生じ、周囲を精霊のいない死の世界に変える毒液をエクドールは対ヴァンク用の武器として使ったのだ。
「ひどい……」
だが、それ以上のものをルーラは見つけた。
ヴァンクの脇腹に突き刺さっている柄の折れた槍。
「まさか……うそ……」
雪を掻き分け近づくと、それを引き抜いた。瞬間、ルーラの中に
(ごめん!)
知らない男の声が響いた。どうしようもない罪悪感に満ちた声。そして抜いた槍の先端にあるのは精霊石の穂。
「精霊の槍……」
ベルダネウスが言ったことを思いだした。ヴァンクを油断させるために精霊使いの弱みを握って戦わせたのではとの推測。それは正しかったのだ。エクドールがどんな弱みを握ったのかは解らない。しかし、この精霊の槍の持ち主は、どうしようもなく苦しみ、ヴァンクに槍を突き立てたのだ。
ルーラから、枯れたと思っていた涙が再び溢れてきた。どうして彼女に事情を教えなかったのか。精霊たちはハッキリしない姿勢をとり続けたのか。
精霊使いに裏切られ、自分を傷つけられ、我が子を奪われたヴァンクがどうしてすぐ別の精霊使いを信じられるだろうか。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
口から出たのは謝罪の言葉。ルーラにとって、この持ち主は知らない人間、自分とは関係の無い、ただ同じ精霊使いというだけの存在。それでも、彼女は謝らずにはいられなかった。
暖かい風が吹いた。
ヴァンクの顔が目の前にあった。その瞳には怒りも哀しみももうない。母が子を撫でるように鼻先でルーラの頬を撫でた。
ルーラの心から迷いが消えていった。彼女は大きく深呼吸すると、まっすぐ前を見た。
ヴァンクも並んで前を見た。
その先には詰所がある。
そこにはヴァンクの幼獣が捕らえられている。ベルダネウスもそこにいる。
ルーラは自分の精霊の槍を高々と掲げた。
「行こう!」
大切なものがそこにある。
【次章予告】
武器を奪われ、服を奪われ
右手右足を折られ横たわるベルダネウス。
彼の隣にルーラはいない。
横たわる彼は、唯一動かせる頭脳を動かす。
フィリスよ、お前はただ殺されただけなのか?
犯人を示す手がかりを残してはくれなかったのか?
わずかな手がかりを基に
フィリスを殺した犯人を見つけ出そうとするベルダネウスの耳元で
アーシュラがささやいたのは
次章【十五・ベルダネウスの思惑】
ベルダネウスは悪あがきを愛する。




