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【十三・精霊獣ヴァンク】

    【十三・精霊獣ヴァンク】


 フィリスは剣を取り上げられると、手枷、足枷をはめられて地下牢におかれた。

 マスカドルはすぐに事情聴取をはじめたかったが、そうもいかなくなった。馬小屋での戦いでクレイソンに振り飛ばされたセシルが、頭の打ち所が悪かったのか、意識が戻らないのだ。

「頭の傷を魔導で治すのは難しいのよ。へたに魔導で干渉すると、かえっておかしくなるの」

 これは彼女に治癒魔導を施したアーシュラの談である。

「ったく。文句言われるぐらいだったらファディールの手が空くまで放っておけば良かったわ。たまに人助けするとろくなことにならないわ」

 ソファでむくれる彼女の横では当のセシルが横たわっている。

「すみません。次から僕がやりましょうか」

「良いわよ。なりゆきだしあたしが最後まで面倒見るわ」

 むくれながらも断る彼女に、ベルダネウスが笑みを漏らした。

 詰所のロビーで、フィリスを除く全員が集まって一息ついている。みんないろいろ知りたいことはあったが、とにかく一休みしたいのだ。

 昼食も取っていないが、セシルがいないし、さすがに手の込んだ料理を求める者はいなかった。紫茶とちょっとした菓子、あり合わせの具材を挟んだだけのパンでやっとみんなが落ち着いた頃、ルーラが口を開いた。

「ザン、フィリスがエグスを殺した犯人だって、知ってたの?」

「そういえばあなたは彼女は魔導人ではないと言いましたね」

 皆の興味津々の視線を受け、ベルダネウスはまいったというように頭を掻いた。

「知っていたわけじゃありませんが、彼女がクレイソンを殺した犯人ならば納得がいくんです。

 まず路上でクレイソンを襲った時、使った得物は剣かそれに類するもの。ということは、犯人は普段からそういうものを持ち、扱いに長けている人物です。そうなるとボーンの作った魔導人である可能性は低い」

「どうしてそこまで言い切れるの?」

「それぐらい自分で考えろ」

 どうやら、簡単なことらしい。だが、ルーラはその理由を思いつかなかった。唸る彼女にかまわず、ベルダネウスは話を続けた。

「魔導人でなければ、クレイソンを襲ったのは何者なのか?

 私は先述の理由から、ボーンヘッド、フィリス、ソーギレンスの三名に絞りました。

 その中でやはり気になったのはフィリスです。借金取りから逃げていると言ったにしては彼女の着ているものは上物すぎました。その上、ルーラに貸したコートもそうですが、剣士らしくない。剣士としてプライドを持っているように見えただけに気になりました。それに逃げ出すほど借金をしているというのに、バールドの清めを受けた剣を持ち続けていた。

 とすると、借金云々の話はちょうどこの話が出たために、これ幸いと乗っただけで町を逃げる理由は別と考えるべきでしょう。とすると、フィリスが素泊まりだったのは、他の人たちと出来るだけ顔を合わせたくなかったからでしょう。

 となると、私の護衛になろうとしていたのはなぜか。私を隠れ蓑にしたかったんです。そう考えると、フィリスがどんな立場の人間かが見えてきます」

「……逃亡者か」

 ボーンヘッドの言葉にベルダネウスは頷いた。

「それも、罪を犯したばかりの。そうでなければ着ている服などもっと自然なものにしたでしょう。罪を犯して、着の身着のまま状態で逃げ出したんですよ。

 では、フィリスはどんな罪を犯してきたのか。真っ先に思い浮かんだのはワコブで聞いた金貸しのエグスが殺されたという事件です。他の事件である可能性もありますが、ボーン殺しとエグス殺し、さらにもうひとつの大きな事件が重なったとは思えません」

 ベルダネウスは、息を切って自分でポットの紫茶を注ぐ。そののんびりとして姿にマスカドルは顔をしかめた。

「私にそれを教えてくれなかったのは何故ですか? すぐに彼女を拘束できれば、クレイソンが未死者になるような事態は避けられたかも知れなかった」

 衛視としての悔しさもあるのか、その口調からは厳しさが感じられた。

「すべては私の想像でしかありませんから。もしかしたら私の単なる考えすぎで、犯人は雪道で行き倒れになっているのかも知れない。

 もしも当たっていたとしても、へたに刺激してこちらに剣を向けられてはたまらない。口封じに殺されるなんてごめんです。

 つまり、私は気をつけるようにはしましたが自分からどうこうする気はなかった。クレイソンを殺したのが彼女だとすると、すぐにそれが無意味なことだとわかったはずです。ましてやクレイソンが死んだ以上、こちらから追い詰めないかぎり危険はありません。それどころか、格安であれだけの護衛を雇えるんです」

 マスカドルが頭を抱えた。さらに周囲の冷えた視線に、ベルダネウスは改めて

「すみませんでした」

 と頭を下げた。しかし、あまり反省の心は感じられなかった。

「でもフィリスは、クレイソンさんとボーン殺しとを結びつけなかったのかしら」

 ルーラにとってそれが残念だった。クレイソンを自分を探す衛試と勘違いしたからこそ、フィリスは彼を襲ったのだ。

「エグス殺しの時間を考えろ。フィリスがエグスを殺し、逃げ出した時はまだボーンの遺体は発見されていない。彼女にとって、衛視が急いで追ってくるような事件は、エグス殺しを伝えるとしか考えられなかったんだ」

 ベルダネウスは注いだ紫茶を一気に飲み干すと、これからどうするかを考えるかのように仰いだ。そのせいか、彼はアーシュラが自分を見る目を変えたのに気がつかなかった。


 クレイソンの遺体は、ソーギレンスの指導の下、庭で火葬にされた。未死者殺しにより死者に戻った以上、再び動き出す心配はないが、先の戦いで傷だらけになったのと、やはり再び動き出すのではという恐怖が皆にあった。

 バールドの経文の響く中、灰になったクレイソンは、庭の片隅に埋められた。

 それらが終わり、ようやくマスカドルによるフィリスの事情聴取が行われた。特別にベルダネウスとルーラが同席を許された。

「私は……剣士として日々の仕事をして、糧を得ていました……」

 フィリスの告白は、ワコブの雇われ剣士として生きていたことから始まった。所々詰まるのは、言葉を選んでいるのだろう。

「剣士といっても、商隊の護衛とか商店の一時の用心棒とか、そんなのばかりだった。それ自体に大きな不満はありません。修行している時にも、実際の仕事はそんなものだと見聞きしていましたから。

 でも、ほとんどの雇い主は、私に剣士ではなく女を求めました。私は剣士ではなく、剣を使える愛人としてあちこちの男に雇われたんです。

 知っている女剣士の中には『色気も女の武器』とそれを受け入れる人もいたけれど、私には出来なかった。それが口惜しくて、私は剣の腕を徹底的に磨いた。どんな男にも負けないぐらい。体よりも剣の腕が輝くぐらい。

 でも、結果的に私は……そうでなければ誰も私を雇ってくれなかった。剣は、ある程度の腕があれば、それ以上を求める雇い主はいなかった」

「だろうな。私達が剣士を雇うとき、自分が求めるだけの腕を持つ剣士を雇うのであって、この世で一番の剣士を雇うのではない」

 それはベルダネウスの正直な意見だった。自由商人である彼が護衛に求めるのは、襲ってくる賊を倒すのではなく、それらから逃げるまで自分と荷物を守ってくれることだ。

「それでも私は耐えました。ワコブを出たかったから。剣一本で生きていきたかった。でも、それにはやっぱりお金が必要だった。

 そんなときに、私を雇いたいと言ってきたのがエグスでした。彼の評判は私も知っていた。私に声をかけてきた目的も。彼は、今までの雇い主同様、私を護衛兼愛人にしたかったんです。でも、私はそれを承知で彼に雇われた。お金ほしさ

に。案の定、彼はすぐに私を夜の護衛と称して寝室に呼び、体を求めてきた……」

「それを、受け入れたの?」

「……最後にするつもりだった。護衛料はよかったし……愛人としての手当も入っていたのかもしれないけど。ある程度貯まったら、さっさとやめて別の街に行くつもりだった。

 でも、それはできなかった。護衛料はよかったけど、その他の費用がかかった。エグスは、ワコブの上流層と交友があって、パーティとかにもよく呼ばれたわ。護衛である私もそれに出席するよう命じた。それだけならともかく、エグスは自分に恥をかかせないようにと、着てくる服や装飾品も特別な注文をした。全部、私持ちでよ」

「縛りだな。よくある話だ」

 ベルダネウスがうんうんと頷いた。

「縛りって?」

「あくどい娼館などがよく使う手だ。給料こそ高いが、生活に必要な服や食費は自分持ち。しかも、それらは館側が用意したものを使わなければならず、値段は高い。そのために給料以上の出費がかかることになり、働けば働くほど店への借金ばかりが増えていく。その借金を返すために、さらに働き、生活水準の維持費がかかり、借金が増える。

 初めのうちは、みんなどんどん働けばなんとか返せると思う。どうやっても返せない仕組みになっていると気づいたときはもう遅い。どうしようもない借金を背負っているという具合だ。この手で女を縛りつけ、娼婦として、あるいは自分の愛人として飼い殺しにする。エグスもそんな男の一人だったわけだ」

 その通りとばかりにフィリスは首を縦に振った。

「気がついたときは、私はほとんどエグスのアクセサリーのひとつになってました。でも、私は剣があった。時間を見つけては訓練を続けた。それがエグスにとってはよかったのかも。私は、他の女とは違うところがあると、お気に入りの一人になっていました。

 どこへ行くにも、私をつれていくようになった。オルグ家をはじめとするワコブの上流層や衛視隊の幹部が、彼の前で頭を下げているのを何度も見ました。今にして思えば、自分はこれだけの力がある。逃げても無駄だって思わせたかったんでしょうね。事実、私も最近は諦めかけてました。このまま、彼の護衛とも使える愛人として終わるのかもって……。

 でも、エグスはとんでもないことを始めたんです」

「何を?」

「あいつは、私の体を、幹部への褒美にしたんです! 手柄を立てた部下に、私を抱かせたんです。言われて相手の部屋に行かされ、私の大っ嫌いな男に抱かれた日、私は逃げ出すことを決めました。

 エグスの情報網から、近々、ボーンという魔導師の家に魔導師連盟の捜査が入ることを知って逃げるのはその日に決めました。その日なら、衛視たちも連盟の協力で数が割かれる。逃げ出すチャンスだと思いました。

 エグスの影響の強いワコブから出来るだけ早く離れたい。出来るだけワコブから遠くに行きたい。

 捜査の入る前夜、私は手荷物をまとめると、屋敷を逃げ出そうとしました。着るものも、いずれ売るために上物ばかりを選びました。その時です、エグスが私の部屋を訪れたのは。私の様子を見て、逃げようとしているのを知ったんですね。無駄なことだとせせら笑いました。

 でも、彼は知らなかったんです。私に、それを素直に聞いている余裕はなかったことに。今まで言うことを聞いていたから今度もそうだと思っていたのかも知れません。

 私は、悲鳴を上げる暇も与えずエグスを斬り殺した。もう余裕はないから、私は剣とポケットに入れるだけのものを持って窓から出て、そのまま屋敷を逃げ出しました。部屋の外には用心棒達がいたけど、エグスが私を抱くんだと思っていただろうからしばらくは入ってこない。その間に少しでも遠くに行きたかった」

「逃げるルートに、ここを選んだ理由は?」

「ここの詰所には、衛視が二人しかいないことを知っていたから。それに、魔導による連絡手段もないことを。でも、いきなりの吹雪。おまけに山道を行く途中、持ってきたお金も落としたことに気がつきました。手持ちのお金がないことが、逃亡にどれだけ大変なことか。必死で探しました。

 やっとの思いで見つけ出した時、衛視が一人、こちらにやってくるのに気がつきました」

「それがクレイソン」

「はい。もちろん、その時は名前なんか知りませんでしたけど……私は、追っ手だと思いました。私はエグスの愛人として、いろいろとやばいことも知っていましたから。エグス殺しは、私の仕業だとすぐにわかる。私を口封じに来たんだと

思ったんです」

「衛視がですか?」

 マスカドルが言った。

「あなたは、こんなへんぴな国境にいるせいで、ワコブの衛視隊がどれだけ腐った組織か知らないんです。幹部のほとんどはエグスに買収され、彼に都合の悪い事件のほとんどはもみ消されました。殺人犯である私の口封じとして、衛視ほど適任はいない。だから私は……殺られる前に殺った!」

「しかし、しかしクレイソンはそんな奴じゃない。決してそんなもみ消しになんか協力しない。僕たちを……衛視を、もう少し信じて欲しかった」

「どう信じろって言うんですか……さっき言った、私の体を報酬として受け取った幹部っていうのはね。衛視隊の副隊長なのよ!」

 睨み付けられ、マスカドルがたじろいだ。

「マスカドルさん、とにかく、この証言を皆に伝えましょう」

「え?」

 ベルダネウスは説得と言うより命令するような口調で

「副隊長が買収されていたことじゃありません。そこを省いてです。クレイソンを殺したのが魔導人だと思いこんでいる以上、彼女を魔導人だと思う奴がでてくる。フィリスをエリナさんと同じ運命にするわけにはいかないでしょう」

 マスカドルは返事に困っているようだった。

「あなたが言わなければ、私が言うだけです」

 そして、ルーラに皆をロビーに集めるように言った。


 ロビーで、皆がベルダネウスからフィリスの証言を聞かされた。マスカドルが説明役でないのは、冷静に証言を伝えられるかどうか心配したベルダネウスが、自ら説明役を買って出たためだ。

「呆れた。するとなに、最初から私達の中に魔導人はいなかったってわけ」

 ソファに背を預けながらアーシュラがわめいた。

「そうでしょ。私達が、この中に魔導人がいたって結論づけたのは、どうしてよ。クレイソンが殺されて、それは、魔導人が彼の口から自分の正体がばれることを恐れたって考えたからでしょう。

 それが、とんだ見当外れだったわけよ!」

 怒りをぶつけるように薪を一本取って、暖炉の中に叩き込んだ。

「それにしても、すごいのはクレイソンさんですね。未死者になってまで、犯人を捕まえようとしたんですから、ある意味、衛視の鏡ですよ」

「私は、そうは思わない」

 ソーギレンスが傷に巻いた包帯をなでながら言った。治癒魔導を嫌う彼は、クレイソンにやられた傷も、所持している軟膏などを塗っただけだ。

「ここには、二人の衛視がいた。もしもそれが理由で未死者となったならば、クレイソン殿は二人の力を信用していなかったのだろう」

「俺も同感だ。あいつを親友だなんて思っていたのは、あんただけじゃねえのか。けっこう多いぜ。友情の思いこみってやつは」

 その言葉に、マスカドルは何も言い返さなかった。

「違うと思う……うまく言えないけど……」

 ルーラの言葉は皆に無視された。だが、彼女はクレイソンがフィリスを追って二階に上がる寸前、マスカドルと対峙した時のことが忘れられなかった。

(あれは、なんて言うのか……友達を制して「俺に任せろ」って様子だった。彼は、フィリスの腕前を知っていた。マスカドルさんでは、彼女が抵抗したときに押さえられない。むしら逆にやられてしまうと思った。だから自分がやろうとし

た。つまり、彼はマスカドルさん達を守るために……。

 ……待って……でも、だとしたら、あたしを狙った二回目は?)

 背中越しに肩を叩かれ、振り向くとベルダネウスがいた。無言のまま頷く姿に、彼もまた、自分と同じことを考えていたのだとルーラは思った。

(……まだ、すべてがわかっていない……あたしたちは、何か大切なことを忘れている……)

 しかし、その何かがわからない。それがルーラを苛立たせた。

「だが、クレイソン殺しの犯人がわかったところで、私達を取り巻く状況が変わったわけではありませんよ。とにかく、この吹雪が止まないことには」

 エクドールのぼやきに、ルーラは、それ以上に優先すべき事があるのを思い出した。

「あなたがヴァンクを開放すれば収まると思います」

 棘のあるルーラの言い方にエクドールはむっとして

「なんですか、それは?」

 事情を知らない人たちが彼女を見た。

「この吹雪は、たまたま起こったものではないって事。今ならわかるわ。精霊達がエクドールさんを閉じこめるために起こしているのよ。あなたがヴァンクを開放しない限り、天候が回復することはないわ」

「ちょっと、まずは私達にもわかるように説明してよ。ヴァンクって何よ?」

 苛立つアーシュラの言葉に、皆が同意を示した。

 そこで、ルーラはヴァンクについて説明した。生まれながらにして、精霊と意思を通わせる精霊獣。精霊使いにとっては犯さざるべき聖獣。欲に目がくらんだ人間にとっては、富につながる羽根を無数に生やした動物。人間によって、絶滅しかかっていることなど。

 そして、そのヴァンクの幼獣がエクドールの馬車に閉じこめられていること。

「だから、ヴァンクを自由にしてあげない限り、あたし達はずっとここに閉じこめられたままなんです」

「……妙な話だ」

 口を挟んだのはベルダネウスだった。

「ルーラの言うとおりだとすると、精霊達はヴァンクをエクドールさんの手から助け出したいわけだ」

「そうよ。ここに足止めしたのは、きっと街に行かせないためよ。街に行けば、たくさんの人間がいる、魔導師だって衛視達だっている。エクドールさんを孤立させることが難しいからよ」

「だから妙なんだ」

「どこが妙なのよ」

「精霊達は、どうしてルーラに協力を求めない?」

「え?」

「精霊使いは、精霊から依頼があれば、全てに優先してそれを実行する。私は何度もお前から聞かされた。精霊達が、ヴァンクを自由にしたいのならば、どうしてお前にそれを依頼しない?」

「そ、それは……」

 言葉に詰まる。確かにベルダネウスの言うとおりだ。どうして精霊達はルーラに協力を求めないのだろう。

「精霊達に嫌われてんじゃねえか」

 ボーンヘッドが笑いながら言った。

「そんなことはないわ。さっき、フィリスを止めるときだって、精霊達は力を貸してくれた。あたしに協力を求めないのは、何か理由があるからよ」

「どんな理由だい?」

「それは……」

 反論したいのに言葉が出てこない。

「そんなことはどうでも良いです」

 ベルダネウスが窓に歩み寄り外を見た。まだ雪は降り続いている。風もさらに強くなったようだ。

「ルーラが精霊に好かれようと嫌われようと、今日で三日目、季節外れの吹雪が続き、私たちがここに足止めされているのは紛れもない事実ですよ」

「それは、私にヴァンクの幼獣を開放しろって事ですか。とんでもないことです。私はあいつを捕まえるために全てを失い、追ってくる親から逃げてきたんですよ」

「親?」

「ええ、アークド銀の矢で弱らせところを生捕りにしようと思ったんですよ。何しろ、成獣はすでに無数の羽根を生やしていますからね。ところが、傷を負ってから一層凶暴になって、雇った戦士や魔導師は全員殺されるし、たまらずに逃げ出したんですよ」

「その親はどうしました?」

「勢いあまって崖下に落ちましたよ。傷ついて飛ぶ力を無くしていましたからね」

「死んだことを確認しましたか?」

「そんな余裕ありませんでしたよ。何しろ、こっちは全ての武器を失ったんですからね」

 ベルダネウスが、合点がいったように何度も頷いた。

「どうやら、精霊達はルーラを嫌っているわけではないようだ」

「どういうこと?」

「簡単なことです。その親が生きていると仮定します。その親はどうする? 間違いなく、幼獣を取り戻すためにエクドールさんを追いかける。だが、傷ついて本来の力は出せない。追いつけるかどうかも怪しい。そこで精霊達は、追いつけるようにエクドールさんの足止めを計った」

「それがこの吹雪か」

「だとすると、精霊は成獣に幼獣を取り返させたいはずだ。ルーラ達の助けはいらない。いや、成獣の方から断ってきたのかもしれない。精霊使いといえども、人間だ。我が子を奪ったのと同種の存在に助けられるというのは我慢ならないのかもしれない。

 いや、可能性だけで言わせてもらえればエクドールさん、あなた、ヴァンクを誘い出すのに精霊使いを利用しませんでしたか。高額な報酬を提示したり、弱みにつけ込んだりして。精霊使いに誘われ、裏切られて罠にかかり、傷つき幼獣を奪われたヴァンクは精霊使いといえども人間を信用しなくなった。少なくとも、幼獣を助けるのに人間の力を借りる気はしなくなった」

「だからあたしにも助けを求めてこなかった……」

「勝手なことを言うな。すべてあんたの決めつけだ。私を悪意の目で見た妄想だ!」

「そうですよ。私の妄想です。しかし、手に入る情報を元に何が起こっている、起こっていたんだろうと考えることまで否定されたくはないですね」

 憤怒するエクドールの視線をルーラが睨み返す。その彼女の手をベルダネウスが上から握りしめた。

「とにかく、精霊達に話を聞いてみろ。人間だけで話していても、埒があかない。ヴァンクのことを持ち出せば無視はしないだろう」

「……わかったわ」

 槍を手に外へと出る。気のせいか、雪と風がさらに強まったように思える。

(応えて……)

 精霊石に向けて意思を放つときルーラの頭に浮かんだのは傷つき、アークド銀の檻に閉じ込められたヴァンクの幼獣だった。

(助けて……)

 いきなりルーラの体が空へと飛んだ。彼女の意思ではない。精霊達が彼女を強制的に運んでいるのだ。こんなことは、初めてだった。

「どうしたの。落ち着いて」

 詰所の遥か上空で止まる。精霊達の声が、ルーラの頭に響いてくる。

「……やっぱり……。あたしは、ただ見ているだけしかできないの……」

 その時だった。ルーラは意思の力を感じた。そちらの方を見ると一面の吹雪。しかし彼女はその方角に何があるか解っていた。

 ヴァンクが住むというヴァーレ山。そしてゆっくりとだが確実にこちらに向かっている力。強い力と弱い息吹。

 吹雪の向こうにルーラは見えないヴァンクの姿を見た。我が子を助けようとする執念の獣。傷つき、命の大半を奪われながらこちらに近づいてくる精霊獣。

 精霊たちの声がまた届いた。

「……わかったわ」

 答える時、この時だけルーラはベルダネウスの護衛であることを忘れた。

 一人の精霊使いとして答えた。


「よう、精霊使い。どうだった?」

 戻ってきたルーラにボーンヘッドが声をかけた。

 みんなロビーでルーラの言葉を待っている。ここにいないのはフィリスだけだ。

「……精霊達からの最後通告よ。明日の夕刻前には成獣がここに来るわ。抵抗せずにヴァンクの幼獣を返しなさい。そうすれば危害は加えない。幼獣を連れてここを離れれば吹雪も止める。ただし、邪魔するならば容赦はしないって」

 それは、精霊達の慈悲かも知れない。人間達の犠牲を出さないまま事態を収拾するための提案。

「明日の夕刻前か……」

「そこまで待つ必要はない。あなたがヴァンクの幼獣を解放すればもっと早く吹雪は止む」

 ベルダネウスの提案をエクドールは鼻で笑った。

「商人はね、時には勝負に出ないと駄目なんですよ」

「勝ち目のある勝負ならね」

 二人の間に奇妙な緊張感を感じて、ルーラは二人を見比べた。

「何かあったの?」

「金と命の両方を手に入れる算段よ」

 アーシュラが苛立つように爪を噛んだ。

「少なくとも結論を出すのは明日まで猶予が出来たわけです」

 ベルダネウスは立ち上がると、ルーラに今後の打合せをすると称して部屋に戻った。

「厄介なことになった」

 部屋に入ると、ベルダネウスは隠しておいた力玉の入った袋を取り出すと、幾ばくかのお金と一緒にルーラに渡した

「これはお前が持っていろ。そして私が合図をしたら、いや、合図がなくてもまずいとお前が判断したらここから逃げろ」

「ちょっと、どういうことよ」

「お前がいない間に、エクドールが提案したんだ。ヴァンクを迎え撃とうと」

「え?」

「この雪がヴァンクによって起こされているならば、ヴァンクを倒せば良い。雪は止んでここから出られるし、倒した後で羽根などを皆で山分けすればそろって大金持ちだ。

 勝算はある。私たちはヴァンクの幼獣を人質に取っているようなものだ。アークド銀の檻のおかげでヴァンクは幼獣の正確な位置などがわからないから思い切った攻撃は出来ない。ヴァンク自体もかなり傷ついている。確かに難しいかも知れないが、決して勝てない相手じゃない。

 というのがエクドールの主張だ。一理ある。私たちが吹雪で足止めを受けてもう二日経つ。にも関わらずヴァンクはまだ追いついていない。

 ルーラ、ヴァーレ山のヴァンクは飛べるのか?」

 ヴァンクは個体の名前ではなく精霊獣の総称である。山、砂漠、海、空。生息場所によって外見も能力も違う。ヴァンクの幼獣と相対したときルーラがそれがヴァンクと瞬時に理解したのは、精霊使いは本能的にヴァンクについてある程度理解できるからだ。

「ある程度なら……空のヴァンクのように自由に飛ぶのは無理だろうけど」

「飛べるヴァンクが二日経ってもまだ追いつけない。ということは、ヴァンク自体かなりの傷を負っているということだ。

 エクドールは幼獣を捕まえるとき、親のヴァンクとある程度の戦いになっているから、それらを総合して勝てない相手じゃないと言ったんだろう」

「本気なの? みんなはどう言っているの?」

「保留だ。お前の情報待ちだな。お前の告げたヴァンクの最後通告が、これ以上犠牲者を出したくない慈悲と取るか、戦う力の残っていない親の虚勢と取るか。みんな腹の中で計算している最中だろう。判断を間違えたらほぼ確実に死ぬことになるからな」

「それとあたしが力玉を持つことに何か関係があるの?」

「ルーラ、お前は今、とても微妙な立場にいることがわからないのか。もしも連中が幼獣を帰すことを選べば、お前はそれを親に告げる連絡役になる。しかし、戦いを選んだら、精霊使いのお前は敵になる。

 みんなが一斉にお前に襲いかかるぞ」

「あ」

 言葉を失い、ルーラが青ざめた。

「あの、もしかして、ヴァンクのこと、まだ話さなかった方が良かった?」

「少なくとも時間稼ぎにはなったな。相手が知らないことを知っているというのは武器だ」

「……ごめんなさい」

「今更どうしようもない。それよりも忘れるな。危険を感じたら、私のことは無視して力玉を持ってここから離れろ。それからはお前の判断に任せる」

「ザンはどうなるの」

「何とかするさ。とりあえず、ボーンヘッドの硬貨が裏を出すことを祈ろう。ただ、荷物を漁られることは覚悟しなければならない。力玉が見つかるとまずい」

 頷き、ルーラは力玉を入れた袋を腰に巻いてある小さな鞄に入れた。何だか、自分が背負っているものが急に重たくなったように思えた。

「落ち着け。まだみんながヴァンクと戦うことを選択したわけじゃない。ただ、ヴァンクについて聞かれたときは」

「やる気満々、傷もあらかた治っている。遅れたのは傷が癒えるのを待っていたから。でしょ」

「そういうことだ。とにかく戦うことの危険さを大げさなぐらい言っておけ」

 ベルダネウスはベッドの毛布をルーラに渡し

「何かあったらすぐに逃げられるよう部屋の外にいろ。馬車で寝るのもいい。とにかくこれからは臨戦態勢だ」

 ルーラは黙って頷いた。

「私はフィリスと会ってくる。できれば彼女は味方につけたい。エクドールがヴァンクと戦うことを条件に、免罪を要求してくるかもしれない」

「あたしたちに何か出来るの?」

 ベルダネウスは声を潜め

「彼女を逃がす。このままではワコブの衛視隊に引き渡されるのは確実だが、問題は彼女が裏の関係もいろいろと知っていることだ。このまま衛視隊に渡したら、間違いなく口封じをされる」

「死罪になるっていうこと!?」

「それよりまずい。裁判どころか、ろくに取り調べも受けないまま殺される可能性は高い」

「そんな……。何とか助けられないの?」

「そのためにマスカドルと話してみる」

「でも、フィリスが殺したのはエグスさんだけじゃないわよ。クレイソンさんだって。マスカドルさん達が、自分の友達を殺した人を自由にするわけないわ。まして、彼らは衛視なのよ」

「ルーラ、私は見込みのない交渉はしない主義だ。それで駄目なら、全てが終わってここを出て行く時にこっそり彼女を逃がすさ」

 地下牢へ行くベルダネウスに、ルーラもついていった。

 鍵を借りるため控え室に行くと、マスカドルの前でセシルにアーシュラが治癒魔導をかけているところだった。

「すみません。フィリスと話をしたいのですが」

 許可はあっさり取れた。ただしマスカドルの立ち会いの下でだが。

 治癒魔導をかけ終えたアーシュラがベルダネウスたちをちらと見た。それが何だが自分たちを用心しているようにルーラは思えた。

(気のせい、気のせい)

 しかし、ルーラはみんながどこからか自分を見つめているような気がしてならなかった。

 ロビーから乾いた音がした。

 思わず顔を向けると、ロビーの床を右から左に硬貨が一枚横切っていき、その後に付いていくようにボーンヘッドとエクドールが通り過ぎた。

(裏!)

 思わずルーラは念じていた。

 吹雪は続いている。まだ感じられないが、確実にヴァンクの成獣はこちらに近づいてきている。


【次章予告】

金は人を元気にする。

金は心をうきうきさせる。

金は生きる張り合いとなり、前に進む力となる。

金は夢となり、希望となり、未来となる。

そして、金は大切なことを忘れさせる。

次章【十四・抉られた二つ目の心臓】

忘れるとは、なくなることではない。



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