【一・魔導師の死】
ミステリーで「吹雪の山荘」ものと呼ばれるものがあります。吹雪、台風などで周囲から孤立してしまった空間で起こる事件ものの通称です。
あまりにも芝居染みた舞台なので小馬鹿にする人もいますが、科学捜査などがあまりにも発展しすぎたために、それらを排除し、探偵の推理力だけで事件を解決させるものとして見直されています。
ここで舞台を孤立させる吹雪や台風、地震などは基本的に自然災害であり、人間の意思でどうこうできるものではありません。
私はこれらの自然災害を「何者かが意図的に起こしたもの」として吹雪の山荘ものを書いてみようと思いました。
結果、本作は自然の力に影響を与えるものが存在するファンタジーとなり、せっかくだからと魔導師(魔法使い)や未死者なども登場させてしまいました。
何度も書き直した結果、四百字詰め原稿用紙概算で七百枚を超える現在での私の最長作品となってしまいました。
正直、最後まで読んでいただける人がいるのか不安ですが、お楽しみいただけると幸いです。
なお、本作の舞台は私が昔、テーブルトークRPGにハマっていた頃作った世界が基になっています。
そのため、かなり設定がゲームっぽくなっています。
【一・魔導師の死】
秋も終わり、冬になろうという日だった。
「お邪魔します……」
女の小さな声と共に、古い木の扉がゆっくりと開き始めた。それはまるで侵入者の盾になるかのように半分ほど開いたところで止まり、
「誰もいませんよね……」
真っ暗な部屋の中からは返事はない。
扉の隙間から白い光沢のある石を穂先にした槍が差し込まれた。穂先を細い紐で固く結んだ粗末なものだ。
すると、部屋の中が少しずつ明るくなり始めた。しかし、その源はどこにも見あたらない。何かが光っているのではなく、光そのものが部屋に集まってくるようだった。
室内が昼間のように明るくなると、石槍を手にルーラ・レミィ・エルティースが入ってきた。
短い黒髪と日に焼けた肌は、元気だがどこか野暮ったく、元気な田舎娘というのが彼女に一番ぴったりくる言葉だろう。麻のシャツの上に付けた革製の鎧は、肘や膝のパッド同様、手入れは良くされているが明らかに中古品。着ているものはどれも男物だが、胸は豊かに膨らみ、中身はれっきとした十八才の女であることを主張していた。
油断無く石槍を構え、ルーラは室内の気配を探る。人はもちろん、生き物と呼べるものの気配は全く感じられない。
彼女はゆっくりと部屋を見回した。壁に埋め込まれたいくつもの白い球は、明かり用の光を発する魔導品だ。大きな国の中心部ではよく見るが、個人の家に使われているのは珍しい。それだけでこの部屋の主が裕福な魔導師であることがわかる。しかし、今、部屋を満たしているのは魔導の光ではない。いざというときのためか、研究で使うのか、隅には大型のランプといくつかの油瓶も置いてある。部屋自体はよく掃除されており、主はかなりのきれい好きと思われた。
「魔導の研究室……かな?」
中央の床や周囲の壁には、魔導陣と呼ばれる極彩色の紋様が描かれている。だが、魔導の知識が乏しい彼女には何を表すものなのかわからない。
部屋の中心には、彼女も楽に入れるほどの透明のケースが無造作に置かれていた。
ケースの中をじっと見る。八分目まで入っている水の中に木製の駕籠のようなものがある。それは引き上げられるようになっており、中にあった何かを出すためのものらしい。
その横にある小さな階段を上り、蓋を開ける。中の水からは、微かに草の匂いがした。彼女は水に触ってみようとして止めた。
隅には無数の本に囲まれた机があった。囲まれたと言うより、埋もれたと表現した方がピッタリくる。量は多いが、どれも適当に積み重ねられただけである。部屋が綺麗に掃除してあるだけに、この本のほったらかし具合は傍目にも目立った。壁際には本棚があるが、半分以上は空の棚だった。慌てて調べ物をして、そのまま片づけもせずにほったらかしたような感じだ。本のタイトルを見ると、どれも魔導書の類だ。
何冊か取ってみる。手垢で汚れたところが何カ所かあるので見てみたが、魔導の専門用語ばかりで、彼女にはさっぱり分からなかった。分かるのは著者の名前ぐらいだ。大半は、この研究所の主であるミストリアン・ボーンの著書だった。見回すが、研究ノートのような記録用紙の類はない。すべて主の頭の中か、別の場所にしまってあるのだろう。
机の前には一枚の肖像画が飾られていた。ボーンと赤ん坊を抱いた女性が並んでいる。描かれているボーンの顔から見て、二十年ぐらい前のものらしい。
ルーラは隣に描かれている女性を見た。山吹色のドレスが少し緑がかった金髪とよく似合っている。優しげな青い瞳をこちらに向け、愛嬌のあるえくぼを浮かべて微笑んでいる姿はとても幸せそうだ。
「家族の肖像画か」
つい、顔をほころばせる。慌てて首を振り、研究室を改めて見回す。
「駄目だわ……全然わかんない。ザンならわかるかも知れないけど……」
彼女は改めて誰もいないことを確かめると、入ってきた扉から出て行った。途端、部屋を満たしていた光が消える。
人が一人通るのがやっとという細い階段を登り切ると、一階の居間に出た。
彼女のくぐった扉はちゃんとしたものではなく、壁が横に動いて出来た扉、いわゆる隠し扉というものだ。
居間には男が一人立っていた。黒を基調とした服装で胸元の白いクラバットがまぶしく見える。手には畳んだマント。彼はルーラと違って理知的な雰囲気を持っている。初対面で学者と紹介されれば、ほとんどの人はそう信じるだろう。
「どうだ?」
男が聞く。
「下は研究室みたい。魔導陣とかでっかいガラスの器だかがあって、いかにも魔導師の部屋って感じ」
「人は?」
「誰もいなかった」
「……まいったな」
息をついて髪をかき上げるこの男の名はザン・ベルダネウス。まだ二十九才だが、仕事上の苦労からか三十代後半から四十前後に見える。とはいえ、艶のある銀髪と整った顔立ちはそれを欠点としていない。左のこめかみにある刀傷さえ、修羅場をくぐり抜けた強者というイメージを感じさせ、対峙する相手に安心感を与えていた。
彼は困ったように頭をかき、目の前に倒れている男を見た。厚手の絹の服を着込んだその男は後頭部から血を流し、心臓に短剣を突き立てられ、大きく目を見開いたまま死んでいた。歳は七十近いだろうか。身長はルーラと同じぐらい。彫りの深い顔、艶はないが伸びた髪を簡単に後ろで束ねている。今にも叫びそうな死顔からは、生前はかなり激しい性格だったろうと思わせた。
ベルダネウスはかがんで死体の手を取った。すでに体は硬直し、手に触れる事は出来ても、持ち上げる事は出来ない。死んでから半日近い時間が経っているのは間違いなさそうだ。
この死体こそがこの屋敷の主であり、かつてはこのスターカイン国で宮廷魔導師の職に就き、魔導師連盟の幹部をも勤め上げた男、ミストリアン・ボーンである。
ボーンは十年ほど前に家族と静かに暮らしたいと魔導師としての引退を表明。このワコブの町で新たな生活を始めた。
ところが、引退してすぐに彼は最愛の妻と娘を病気で失ってしまう。以後、めっきり人付き合いが悪くなり、自分の屋敷に閉じこもるようになった。家族を失ったことで再び魔導の研究を始めたとも言われているが、その中身は一度も発表されなかった。
ベルダネウスは改めて周囲を見回した。こういう居間には付き物の絵画や彫刻の類はひとつもない。質素な調度品が申し訳程度にあるだけだった。もともとこういう趣味だったのか、生活費に困って売ったのかはわからない。なまじ広々としているだけに、却って寂しさを感じさせる。
変わったものといえば、先ほどルーラが出てきた、ぱっくりと開いている隠し扉だけだった。その横には灰の積もった暖炉がある。部屋は冷え切っているため、消えてかなりの時間が経っているらしい。
「研究室か……」
ベルダネウスはソファに置いた鞄を手にすると隠し扉の方へ行き
「今度は私が見てくる。ルーラはここで待っていろ」
彼女は露骨に嫌な顔をし、
「調べるよりも、早いところ逃げた方がいいんじゃない」
「わかっている。だがもう少し待て。情報が欲しい」
「でも」
ベルダネウスは鼻で息をつく。
「お前は私の何だ?」
「……使用人兼護衛……」
肩をすくめるルーラ。
「だったら主人の言うことを聞くんだな。護衛はいいから、外の動きをよく見ていろ」
「あの……」
「何だ?」
ルーラが引きつった笑いを浮かべ、ボーンの遺体を指さす。
「毛布かなんか被せていい?」
「死体なんて見慣れているだろう」
「そうじゃなくて。いくら何でも、むき出しのままっていうのは」
ベルダネウスはすまなそうに頷き、
「わかった。ただし、カーテンは駄目だ。外から丸見えになる」
隠し扉から階段を下りていく彼を見送ると、ルーラはソファのカバーをはがしにかかる。
「……使用人兼護衛か……。あたしだって、年頃の女だぞ」
寂しげに息をつき、膨らんだ胸を軽く持ち上げる。もともと彼とはそういう契約であるが、雇われてそろそろ一年。あくまでもそういう立場でしか自分を見ようとしない彼に、不満を感じているのも事実だ。彼と自分は男と女。町から町へと移動する間はほとんど二人っきりなのにだ。
カバーを被せる時に、ボーンの遺体と目があった。
「はは……」
彼女はぎこちなく微笑むと、そっとボーンの目を閉じさせようとしたが、硬直した目は閉じられなかった。目をそらしながら顔にカバーを被せ、それから体を覆っていく。
ベルダネウスは、旅をしながら物を売り歩く行商人である。特定の店舗を持たないことから、自由商人とも呼ばれている。
彼は大きな市場のある大都市ではなく、大きな店がなく、商隊も寄らないような小さな町や村の有力者たちを相手に商いをしている。もちろん、そういうところは自給自足が主であり、わざわざ外からの商人に頼まなければ手に入らない品を必要とすることは少ない。
だが、彼曰く
「閉鎖的な土地の有力者というのは、自分の威信を高めるために村では手に入らないものを欲しがるものだ。身内の結婚式などの贈り物なども懲りたがるしな。つまり、住んでいる場所では手に入らない物を持っているという事実が、彼らの優越感をくすぐるんだ」
とかで、品物にもよるが十分需要はあるそうだ。事実、彼はそうして商売をしてきた。
また、訪れる村の方も彼のような商人を必要とした。諸国を回りながらの商売ということもあり、異国の話を聞きたがる子供達。「今度来る時にはこれを」と商品を指名する人。家族に内緒で家の物を金に換えたいという人。そして、中には違法な物を欲しがる人もいる。ベルダネウスもそうした場合には「麻薬と生き物以外なら」という条件の下、出来るだけ希望に応えてきた。彼は各地の盗賊や娼館、金貸しに知り合いが多く、禁制品でもある程度は手に入れる事が出来た。
ボーンもそういう客の一人だった。彼はベルダネウスに「力玉」を求めた。
力玉というのは、簡単に言えば「魔力を封じ込めた魔玉」である。魔玉というのは、魔導師が魔導を使うときに用いる道具で、魔力と一般で呼ばれる力ある精神を様々な形に転化する力を持っている。魔導師はこの魔玉がなければ魔導を使うことが出来ない。
握り拳よりも一回り大きいそれを先端に固定した杖は、一般に魔玉の杖と呼ばれている。杖にしているのは、杖の方が魔玉に精神集中しやすいという声が多い上、周囲に自分が魔導師である事を示すためで、魔導師連盟の規則にも「魔導師は、やむを得ぬ場合を除いて愛用の魔玉を杖に固定して所有すべし」という項目がある。
だが、魔玉自身には魔力はひとかけらもない。そこで、魔力の乏しい者にも魔導が使えるよう、自身の魔力を使わずにすむよう、魔玉自身に魔力を封じ込める魔導師が出てきた。そうして作られたのが力玉である。
しかし、魔力を封じた魔導師は封じた分だけ魔力を半永久的に失ってしまうため、現役の魔導師が力玉を作ることはまずありえない。引退したり、死期を悟った魔導師が後世のために自分の魔力を研究用として残すという形で作るのがほとんどである。
ちなみに、魔導師達で作る魔導師連盟の幹部達は、引退と同時に魔力のほとんどを力玉として残すことが義務づけられている。もちろんタダでではない。代償として、引退後は死ぬまで報労年金を受け取ることが出来る。この報労年金は魔導師として研究生活をするには少ないが、隠居して普通の生活をするには十分過ぎる額だ。また、非常事態により、年金以上の金銭が必要な時は、連盟に届ければ必要な援助を受けることが出来る。
このようにして作られた力玉。当然ながら数は少なく、値段も高い。そもそも市場での取引が禁じられているのだ。魔導師たちが力玉を手に入れたければ、連盟に多額の寄付金を納めるか、用いる研究の重要性を説明して連盟に認められるしかない。その二つが出来ないならば、ベルダネウスのような裏市場に通じている人物に頼む事になる。
ベルダネウスにとってボーンは初めての取引相手であり、いきなり高額な力玉を扱うのには抵抗を感じたが、紹介者のメンツもあり、前金を多めにもらう事にして引き受けた。
そして、魔導品の専門店をしている知り合いの魔導師を通じて何とか力玉を手に入れた彼は、今日、ボーンの屋敷を訪れた。
ところが、事前に連絡してあったにもかかわらず、訪問した彼を誰も出迎えなかった。扉には鍵もかかっていない。不審に思った彼はルーラとともに屋敷を見回り、殺されている彼を発見したのである。
「……早く戻ってこないかなぁ」
隠し扉を何度も見る。自由商人の護衛という仕事上、何度も死体を見てきたし、時には彼女自ら死体を作ることもあったが、やはり二人っきりというのは気味が悪い。それに、ここに来たのは禁制の品を取引するためである。あまり長居したくはなかった。
「面倒な事態にならないうちに退散したいけど」
カーテンの隙間から外を見る。
門の外を、治安を守る衛視が通りすぎていった。
「ただの見回りよね……」
彼女の視線が向かいの建物のひとつで止まる。
小さく開かれた窓のひとつに向かってルーラが目をこらす。彼女の目はかなり良い。小さな湖ならば、反対側の湖畔にいる水鳥の種類も見分けられるほどだ。その目が、細く開いた窓の向こうから、こちらをじっと伺っている人物を確認する。
別の建物を見た。数人の衛視が隠れるようにして立っており、そのうちの一人は魔玉の杖を持っている。
ルーラは居間を出ると、向かいの部屋に入った。窓のカーテンをそっと開けて裏通りの方をうかがう。
表通りより多くの衛視の姿があった。
二階に駆け上がり、外をうかがう。
近くの屋根の上に、身を伏せている魔導師の姿があった。
「魔導師連盟の衛視隊?」
居間に戻ると、ルーラは隠し扉に飛び込み研究室へと駆け下りる。
ランプの明かりの中、ベルダネウスが机の上の書物を調べていた。
「どうした?」
「ちょっと来て」
手招きされ、彼は眉をひそめながらも居間に戻った。
ルーラの言うままにベルダネウスがカーテンの隙間から外を見ると、門の向こうに衛視らしき姿が見えた。先ほどより人数が増えている。
「見回りではないらしいな」
さらに彼女が裏や近くの屋根にも魔導師らしき人が複数いることを告げると、
「取り囲まれているということか」
「だからさっさと逃げようって言ったのよ。ボーンさんが殺されている事が衛視隊の耳に入っているんだったら」
「入っていないさ」
抱えていたマントを身につける。
「ボーンの死をつかんでいたなら、迷うことなく屋敷に入ってくる。こんなに人数も揃えない。連中は、まだボーンは生きていると思っているんだ。何にしろ、これ以上ここにいるのはまずい。連中が突入する前に逃げ出すぞ」
「逃げ出すって、どこからよ。表も裏も衛視隊がいるのよ」
カーテンの隙間から外を伺うと、衛視たちが門を開けて敷地内に入ってくるのが見えた。
彼らは扉の前に立つと、先頭の魔導師が声を上げる。
「ミストリアン・ボーン殿はおられますか。魔導師連盟衛視隊であります。我々を中に入れていただけませんか?」
言葉遣いこそ柔らかいが、その言い方には有無を言わさぬものがあった。後ろの衛視達も、杖や剣に手を掛けている。
中から何の反応もないと知るや、彼らは扉を開け放ち、一斉に飛び込んできた。
「油断するな、ボーンは名うての魔導師だ!」
さらに裏口から同じように衛視達が飛び込んできた。
衛視達が居間に飛び込むと、床に転がっているものに気がついた。それがボーンの遺体だと気がついて、思わず
「これは」
と顔を見合わせた。
【次章予告】
取引相手は死んでいた。
自分たちの手にはご禁制の品。
逃げるベルダネウスとルーラの前に魔導師連盟が立ちふさがる。
ベルダネウスを守るためにルーラが槍を振るう時、
光が、風が、水が友となって敵を討つ。
これが彼女の力。そう、彼女は精霊使い。
二人は逃げる。その先にあるのは逃れられない舞台とも知らずに。
次章【二・逃げる二人】
最悪の事態は、常に自らの手で選択される。