疚しい女子高生の不満な慕情
こんにちは。
桜雫あもる です。
今作は、以前こちらに投稿した『優しい殺し屋の不貞な事情』の続編です。
再三言っているように膨らみすぎた設定を消化するため、新しい物語を書き上げました。
途中ハプニングもありましたが、それでもなんとか書き上げました!
逆境に抗った自分に敬礼!
それでは、目眩く図書の世界をご堪能あれ。
えっと、はじめまして。
パソコンとか使うのに慣れていないのでよくわからないのですが、文章は書けているのでこれで合っていると思います。
では、書き始めます。
この文書は、私の叔父、曽木篤に向けた私のお返事と独白です。
というのも、おととい私が文化祭で使うクラスメイトの紹介動画のために、慣れないパソコンで写真のデータを整理していたときのことです。
「最近使ったファイル」というところに「Dear 昋詩」と私の名前の入った枠があり、私は気になってそれをクリックしたのです。「Dear」なんて書いてあるし、私あての電子メールか何かだと思ったんです。
ポン、と音がして画面にパスワードを求める窓が出てきましたが、おじさんがよくパスワードに使っている「kazashi102」(昋詩は私の名前です。十月二日は私の誕生日です。正直、とてもはずかしいです)を入力すると、簡単にそのファイルは開いちゃいました。
そして私は、叔父さんの秘密を見てしまったのです。
私があれを見つけたのが、叔父さんが隣にいないときで本当によかったとほっとしています。叔父さんは、恩師に会いに行くとかで少し前からアメリカへ行っています。帰る予定は今日の午後です。
ですからそれまでに、私はこの文書を書き上げてしまおうと思います。文化祭の準備も少しだけ抜け出してきました。
がんばります。
私がお返事としてここに書きたいのは、四つです。
まず始めに、叔父さんへ。
叔父さんの独白の最後は、私に自分が殺し屋だと知られたくない、とありました。私との生活が大切だと言ってくれていました。
たしかに私はあの文書の内容にとても驚きましたし、いつも隣にいた叔父さんが人を殺していた、いや殺していることに、たいへんショックを受けました。
それに、怖くも思いました。
でも、私は叔父さんが殺し屋だからって、叔父さんを嫌いになったりしませんよ。安心してください。
叔父さんがやさしくっていい人だっていうのは、ずっと一緒に暮らしてきた私が一番よく知っています。あの文書を読んではじめ、本当にどっきりとしましたけど、やっぱり叔父さんは叔父さんです。
いろんな国のおいしいご飯を作ってくれて、いつもお風呂上がりにいろいろなチーズフリットを用意してくれて、家事も家計も全部きっちりこなしてくれる自慢の叔父さんです。いまさら嫌いになんてなりません。
もし私が叔父さんを嫌いになるとしたら、それは叔父さんが血も涙もない人殺しだったときです。
叔父さんを安心させたかったので、はじめにこれを書きました。文章にすると、やっぱりはずかしいですね。
では次に、叔父さんをびっくりさせようと思います。
私が、叔父さんは殺し屋なんだと知ったときよりも驚くかもしれません。覚悟して読んでくださいね。
覚悟はできましたか?
言いますよ?
実は私、叔父さんは殺し屋なんじゃないかって思ってました。
どうです、驚いたでしょう。
これを書いている今の私の顔は「してやったり」という表情でいっぱいです。
どうして私がそう思っていたか、知りたいでしょう。というか、ここまで聞いたら叔父さんには心当たりがあると思います。それはたぶん、合っています。
去年の八月の夜。
変質者に襲われた私を、叔父さんが助けてくれましたよね。
十時くらいに友達の、アミちゃんの家から帰る途中、いきなり後ろから知らない男の人が走ってきて、道のつきあたりに追い込まれてしまったあの事件です。
逃げる途中に人はいなかったし、街灯もほとんどないさみしい路地でした。見たこともない道を右に左に曲がったので、私はどこにどう行けばいいのかわからないまま逃げ場を失って、壁を背に座り込んでしまいました。
あのとき、じりじりと私に迫ってくる男の人が、ほんとうに怖かったです。もう、死んじゃうんじゃないかって。もっとひどいことをされるんじゃないかって、涙が止まりませんでした。
でも、変質者の後ろに真夏なのにコートを着て、フードを深く被った男の人が現れました。
私も変質者も、その人が変質者の肩を叩くまで気がつきませんでした。私と変質者は、音もなくいつの間にかそこにいた男の人にとても驚きました。
次の瞬間、その人は手に持っていた何十センチもの長さの黒いナイフで、変質者の首筋を切り裂きました。高くて細い黒い影が、暗い街中でゆらりと動いて太い首筋からすこしの血を跳ねさせました。
切られた変質者はうめいて、首を抑えながらよたよたと逃げていき、その人も変質者を追いかけて行ってしまいました。私は夜にぽつんと取り残されてしまい、自分がどうなったのかよくわかりませんでした。
とりあえず私はネオンの照明をたよりに大通りに出て、ふわふわしたまま帰路につきました。脇を通りすぎる車のライトと走行音が、いつもと違ったふうに思えたのはあの時だけです。
そのあと、家に帰ると一番に叔父さんは私に駆け寄ってきて「警察から電話があった、大丈夫だったか」って心配してくれましたよね。
でも、私は警察に届けを出していなかったんです。
帰り道はぼんやりとしてしまって、それどころじゃありませんでした。変質者が捕まったのも、叔父さんの口から初めて聞いたくらいです。
そのときはとっさに口裏を合わせてうなずいていた私ですが、そのときからずっと、叔父さんが実は「ナイフの君」なんじゃないかと、疑うようになりました。背格好も似ていましたし。
おととい読んでしまったあの文書のなかで、叔父さんが黒くて大きなナイフを使っている、とありましたね。
あれで私は確信を持ちました。
「ナイフの君」は、実はどこかの国の殺し屋なんじゃないか、もしかすると日本に密入国した極秘任務中のエージェントだったかもしれない、といろいろ想像を膨らませたりもしたんです。でも、もしあの人が本当に殺し屋や秘密組織のエージェントだったとしても、その正体が叔父さんであることは、私にとって疑いようのないことでした。
根拠なんてなかったけれど、暗い夜道で私を助けてくれた影は、私のなかではなぜか叔父さん以外に考えられませんでした。
ですから叔父さん、私は少しまえから叔父さんが、ナイフを持った危険人物だとわかっていたんです。
いまさら叔父さんを避けたりなんてしませんよ。
なんだか、また叔父さんを安心させる内容になってしまいました。今回はそういうつもりじゃなかんったんですけどね。
* * * * *
流行のJ-POPの一節が、白い室内に短く響いた。
青空から日光が適当に差し込む清楚なリビングには、欧米で人気のある図形的な家具が白く飾られている。
不動産雑誌の一面を充てられそうなほど整理整頓の行き届いた一室だが、目を向ければ薄型のテレビやくずかご、予定の書き込まれたカレンダーが掛かっており、たしかな生活感も感じられる。
「あ。アミちゃんからだ」
白いリビングの奥には、対面式のキッチンスペースがあった。キッチンとリビングとを仕切る壁には、同じく白いカウンターが水平に伸びている。
そこにノートパソコンを乗せてキーボードを鳴らしていたのは、小豆色の短い髪をヘアピンで留めた少女だった。
「なんだろ」
手を止めて、カウンターの上の小型スマートデバイスを覗いた少女は白地の学校制服を着ていた。
片側の襟が台形を成しており、内を囲むように紅色のラインが走っているセーラー服の胸元に、同じ色のスカーフを垂らしている。ひだが左右対称になった紺のプリーツスカートを敷くようにして腰を下ろし、軋みのない動きでスタンドチェアをくりくりと左右に振る。
指で画面を撫で、ロックを解除。それから、
「………あう」
テキストチャット専用のアプリケーションを起動し、表示された文章を見て少女は顔を曇らせて頭を抱えた。
「うあー、アミちゃん怒ってる……。今日抜け出したのはやっぱしまずかったかな」
吐露して、画面にテキストボックスを出して文字を入力、適時変換していく。
「ご、め、ん、ね。お、じ、さん、が、帰ったら、すぐい、く、か、ら」
口に出しながら、手に持ったデバイスの空欄に文字を産む。するとそこで、
「……お」
デバイスから気楽な電子音が鳴って、画面に受信メッセージが追加された。目を通す。
「…………! ……おおー……。……アミちゃん、ありがと」
少女は新しく来た、長めのメッセージを端から端まで読んで目を丸くしてから微笑み、先に書いたメッセージを送信した。次いで、呟いた言葉をテキストボックスに入力し、また送り出す。
一分近く待って、それに対しての返信を確認し、もう一度礼の言葉を述べてから少女はデバイスの電源を切った。
「さて、アミちゃんの厚意をむだにしないよう、ぱっぱと書いちゃおう」
再び、ノートパソコンに向かう。
* * * * *
少し本題とずれますが、いま私は文化祭の準備をちょっと抜け出してきてこれを書いています。そのあいだ、私の仕事はアミちゃんとほかの子が代わってくれているそうです。
高校に入って、小学校のときにアミちゃんに会えて本当によかったと強く感じています。
叔父さんも知ってのとおり、アミちゃんはリーダーシップがあって責任感もある、元気でちょっと騒がしい私の親友です。
ふと、いま気づいたのですが、いま私が叔父さんに引き取ってもらっていなかったら、私はアミちゃんと中学校に入るまでにお別れしていることになります。
そんな私は想像がつきません。
ちょうど話が繋がったので、今度は叔父さんにお礼を言おうと思います。
五年前のことについてです。これだけで、叔父さんにはすぐにわかりますよね。
そう、私の両親が列車事故で亡くなったときのことです。
お葬式に向かう途中、親戚のおばさんの車から見た黄色いイチョウ並木を覚えていますから、秋のことだったと思います。
二人の命日が十一月三十日なので、やっぱりそうですね。
今だから理由がわかりますが、当時両親の亡きがらを見ることもできなかった小学生の私は、精神的にたいへん参っていました。
両親が死んだ時間、学校から帰ったものの家に誰もおらず、鍵っ子じゃなかった私は、どうしようもなく庭先で座り込んでいました。すると突然家に警察や親戚の人たちが大勢あわてて飛び込んできて、家の中を漁られて、わけもわからないまま制服を着せられて車に乗せられて。
お通夜には出ませんでした。生まれて初めて参列するお葬式が両親を送るものになった私はどうしていいかわからず、ただ笑顔を浮かべた二人のモノクロ写真を、変な心地で見ていました。二人ともそこにはいないのに、いつものように色のついた写真でもないのに、その色あせたような写真はなにより存在感があって、とても奇妙でした。
はっと我に帰ったとき、それまで気にも留めなかったお坊さんの抑揚のあるお経が耳に入ってきました。
私は、どうしてかお坊さんがそのお経を読み終わってしまうと本当にお父さんとお母さんが帰ってこなくなる気がして──涙が止まりませんでした。
叔父さんはきっとそのときも、私の震える小さな背中をあの寂しい目で見ていてくれたんですよね。
お葬式が終わってから、控え室で親戚の人たちが集まって、誰が私を引き取るかを話し始めました。
当然のことなのですが、親戚のおじさんたちの真剣な顔を見てはじめて、私はもうあの家では暮らせないことに気づいたんです。
仲のいい友達や先生がたくさんの学校も、きれいで住み慣れた街も、お父さんとお母さんがいてくれるお家も。全部が、私の手の届かないところにいってしまったように感じました。
私はすっかり気落ちしてしまって、おじさんたちが言い合っている輪から抜けてひとりで壁際に佇んでいました。親戚のおじさん、おばさんたちはほとんど見たこともないような人ばかりで、そんな人たちとこれから、いつまでかはわからないけど長い間一緒に暮らさなければならないなんて、ひどく気が重かったんです。
壁にもたれて何を見るでもなく、私は窓の外に広がる夜景を見つめていました。風に吹かれた林の木々が、音は聞こえませんでしたがざわざわと揺れるのが私の目を少しだけ癒していました。しばらくそうしていました。すると、
「昋詩ちゃん」
隣から声がしました。さっきまで誰もいなかったのですが、私がぼんやりしている間に誰かが近寄ってきたようでした。
私はゆっくりと、顔をそっちへ向けました。思ったよりも高い位置に顔があったので、更に首を持ち上げました。
そこにいたのは、集まった親戚の人たちのなかで唯一何度も会ったことのある男の人でした。背が高く、細身で優しくて格好いいな、と私が思っていた人でした。
本当ですよ。
「……叔父さん」
その人は、私のお父さんの弟でした。
とはいっても、あの頃の私は叔父さんとそんなに親密ではありませんでしたから、叔父さんのことは「近くに住んでいるお父さんの弟」としてしか見ていませんでした。
叔父さんが私を可愛がってくれているのはわかっていましたが、そうでない親戚の人たちと何が違うかといわれれば、答えようがない程度のものでした。
「大丈夫かい」
叔父さんは私の隣で同じように背中を壁に預けて、優しく私を見下ろしていました。安心と、いつもワイシャツばかりの叔父さんの見慣れないスーツに新鮮さを覚えながら、
「……だいじょうぶなわけ、ないよ」
私はくちびるを尖らせてうつむきました。白いソックスに引っかかる粗い畳が目に入りました。
「……そう。だよね」
叔父さんもうつむきました。私と叔父さんは親戚の人たちがああだこうだと話をしている外で、二人だけでした。
「……昋詩ちゃん」
やがて、叔父さんが口を開きました。私は畳を見ながら、
「なに?」
「昋詩ちゃんは……転校とか、したいかい?」
私は顔を曇らせました。唇を唇で噛んで、畳をにらみつけました。私は答えたくないのを押し殺して、
「……そんなわけ、ない」
「そうだよね」
叔父さんがわりとあっさり言いました。私はそんな叔父さんの言い草が気に入らず、また唇を唇で噛みました。
「じゃあ……お引っ越しとか、したいかい」
私は、いちいち確かめるような訊き方をする叔父さんにふつふつと沸くような苛立ちを感じました。それに、両親の死から一日を経て私はすっかり塞ぎこんでいましたから、
「……うるさい」
叔父さんに、そんな風に言いました。うつむいたままでした。いま思うと、とても失礼で恥ずかしいお返事でしたね。
叔父さんは私の機嫌を損ねたのをまずいと思ったらしく、
「ごめんよ、昋詩ちゃん」
すぐに謝りました。
でも私は意地を張って、叔父さんの顔を一切見ようとはしませんでした。
「……ごめんよ。……最後に……もう一つだけ、訊いて……いいかい?」
叔父さんが、とても申し訳なさそうに私に尋ねました。
その声色は本当に私を気遣っているようで、私は少しほっとしました。とはいえ小学五年生はまだまだ子供でしたから、叔父さんの言葉にたっぷり数分は答えませんでした。
ですが、どうも叔父さんが私の返事を聞くまで何も言おうとしなかったので、
「…………なに」
ぼそりと、畳のうえに目線を滑らせながら呟きました。私の声を聞いた叔父さんは、ややためらってから、
「あのお家にはもう住めなくなっちゃうけど──昋詩ちゃんは、それでもいいかい」
ばっと、私は叔父さんを見上げて、その顔を見つめました。
そのときの私の目は、いちばん言われたくないことを言った叔父さんを睨みつけるようでしたし、親戚のなかでただ一人、そんなふうに私に話してくれた叔父さんに訴えるようでもあったように思います。私は高いところにある叔父さんの顔へ、勢いよく振り向きました。
そして、複雑に入り混じった私の顔は叔父さんを見て。情けなく、ぽかんと口をあけました。
私を見つめる叔父さんの表情には見覚えがありました。それは、生前お父さんとお母さんが、寝るまえにベッドのうえで私の頭を撫でてくれていたときのものと同じでした。優しくて、なにより安心するその懐かしい──たった一日向けられなかっただけで、それを既に懐かしいと感じるようになっていた──表情に、私は見とれてしまいました。
叔父さんがその慈しむような目で私を見たのは、きっとそれが初めてではなかったでしょう。
「おうい、昋詩ちゃん」
そのとき、向こうで話をしていたうちの一人のおじさんが私を呼びました。
「こっちにおいで」
私は名残惜しそうに叔父さんの方をちらちらと気にしながら、大人の輪に入っていきました。叔父さんは壁にもたれたまま、あの表情でずっと私を見ていました。
「昋詩ちゃんは、これからうちで暮らすことになったからね」
私を呼んだおじさんが、はじめにそんなことを言いました。
えっ、と声が出ました。
「転校の手続きに時間がかかるから、しばらく学校は変わらないけど、昋詩ちゃんにはうちにお引っ越ししてもらうことになる」
私は、おじさんが何を言っているのかわかりませんでした。周りを見ると、親戚の人たちが一様にうなずいたりしていました。
そんな大事なことを私になんの相談もなしに大人たちだけで決めてしまって、それどころかもう決定してしまったみたいに話すのが、そのときの私にはひどく理不尽に思えました。
「大丈夫だよ、なんにも心配することはない。環境は変わるだろうけど、おじさんたちの家は田舎だから、とてもいいところだよ。空気も食べ物もおいしいし、みんなとってもいい人だ」
私が心配していたのは、もちろんそんなことじゃありませんでした。そこが都会か田舎かなんてどうでもよかったし、どこでも嫌でした。
私は笑顔を浮かべるおじさんを見ながら、そっと目を曇らせました。
「そうだ、うちには息子が一人いるんだよ。昋詩ちゃんと同い年だ。きっと、すぐに仲良くなれるよ」
私はすぐにでも、嫌だって泣きじゃくりたかったんです。でも、じゃあどうしたいのって訊かれると──ちっぽけな私には、何も残っていませんでした。
お父さんとお母さんが大事に包んでくれていた私のあたたかい生活は、その熱を失って、もう溶けてしまっていたんです。私にはもう、知らないおじさんの一家で望まずに生きるしか残されていませんでした。
幼い頭でそこまで考えて、ぐっと涙を堪えました。親戚の人たちに悟られないよう、静かに覚悟を決めました。本当は覚悟が決まったふりをしていただけだったと思います。
腰を屈めてこちらへ微笑むおじさんの手を、嫌な顔を見せないようにして取ろうとした、そのときでしたね。
「この子は僕が引き取ります」
壁際で、叔父さんが言いました。
私は、驚いて伸ばしかけた手を引っ込めました。親戚の人たちもみんな、叔父さんの力強い言葉を聞いて叔父さんの方を見ました。
壁にもたれていた叔父さんは組んでいた腕を解いて、ゆっくりこっちに歩いてきました。
「………篤くん……」
後ろの方にいた私のおじいちゃん──お母さんのお父さんが、ぼそっと零しました。おじいちゃんの泣き腫らした目に、また涙が溜まりはじめていました。対して、叔父さんの目には涙などありませんでした。ただ、その表情は固く引き締まっていました。
叔父さんが私の前で止まりました。そしてその大きな手を、一瞬ためらってから私の頭に置きました。叔父さんの手は、私の小さな頭をすっぽりと包むようでした。
「………篤くん。気持ちは、……気持ちは、わかる」
私を引き取ろうとしたおじさんが、みんなの前に出てきた叔父さんを見て目を細めました。
「だがな、君はまだ……二十五かそこらだろう。その歳じゃあ、この子をきちんと学校に通わせて、ご飯を食べさせてあげて、そう、なんというか……。家族の温もりというやつを、十分に感じさせてあげられないんじゃあないか」
おじさんは、叔父さんを説得するように言葉を並べました。私は、弁明するおじさんの方へ向き直りました。
「そうですよ。たしか、篤さんは海外にもお仕事で行かれるんでしょう? そんなの、昋詩ちゃんがかわいそうですよ。そのぶん、うちには家族や親身になってくれる近所の人がたくさんいますし、犬だって飼ってますから、安心ですよ」
おじさんの奥さんが、擁護するように叔父さんを斜めに睨みました。
対して、叔父さんは一言も答えませんでした。
私はおろおろと、叔父さんと、対立するように立っている親戚の人たちとを交互に見回していました。
すると、叔父さんが不意に私の背後からすっと歩み出て、懐から手帳のようなものを取り出してそれを目の前にいるおじさんに差し出しました。
おじさんははじめ怪訝な顔でそれを見ていましたが、叔父さんに促されるままそれを受け取ってぱらぱらとページをめくりました。
めくるうちに、指を動かすおじさんの顔色がみるみる変わっていき、
「なっ………! あ、ああ篤くん? これは……、え、え? この金額は、いったい……どういう……え?」
遂にはこちらが驚くほどうろたえはじめました。あまりのうろたえようにびっくりしたのか、隣にいたおばさんが横からその手帳を覗き込んで、
「えっ………? ええっ……?」
口もとに手を当てて上品そうに、でも目玉を剥いてうろたえました。
すると周りの人たち全員が、その様子に唖然としてわらわらと群がり、手帳のようなものをまじまじと見始めました。そしてみんな同じようにざわざわと騒ぎ、叔父さんの顔をじろじろと見ました。叔父さんは、その間何も言いませんでした。
ややあって叔父さんは呆然とする親戚の人たちから手帳を取り返すと、
「経済面で一切の苦労はかけません」
低く静かな強い声で、宣言しました。親戚の人たちの騒めきがぴたりと止まりました。
「仕事で家を空けることもあります。でも、毎日ちゃんと手作りのご飯を食べさせます。団欒の機会もできるだけ作ります。寂しい思いは、絶対にさせません」
そこまで一気に言うと、叔父さんはその手帳のようなものを懐にしまって、後ろを向いて私の隣まで戻ってきました。
「兄さんと義姉さんが遺した財産には、一切手を付けません。すべて、この子の将来のために残しておきます」
言葉を失った親戚の人たちのまえで、叔父さんはまたあの表情をして私の頭をちょっぴり撫でました。それからみんなの方を向いて、有無を言わせない強い表情で、
「この子は僕が育てます」
結局、叔父さんの預金通帳の残高に気圧された親戚の人たちは何も言い返せず、私は叔父さんに引き取られることになりました。
私はそのときやっと叔父さんの失礼な質問の意味がわかって、叔父さんの手のあたたかさを感じながらとてもほっとしたんです。
叔父さんはきちんと約束を守って、お金のことで私に一切の不足を感じさせないでいてくれます(もちろん、ぜいたくを言うつもりはありませんから安心してください)。
毎日三食、お仕事で帰らない日もおいしいご飯を作り置きしてくれますし、一日に一回は必ず電話を入れてくれます。叔父さんはなるべく家にいてくれるよう頑張ってくれていて、叔父さんと囲む食卓はいつもにぎやかで楽しいです。
改めて、叔父さん。
本当にありがとうございました。
叔父さんのおかげで、アミちゃんとは一生の友達になれたし、私はこの街で志望した私立高に進むこともできました。
あのお家だって、結局叔父さんが無理いって残しておいてくれました。叔父さんも知ってのとおり、私は毎週お父さんとお母さんとの思い出の詰まったあの家に通って、お花の手入れや掃除をしています。
私のいまの生活は、とっても満たされています。叔父さんには感謝してもしきれません。
叔父さん。本当に、ありがとうございます。
* * * * *
唸るように、キーの高い電子音が室内に響いた。
「ん、電話?」
休まずキーボードを叩いていた少女は、手を止めて顔を向けた。スタンドチェアをカウンター上の固定電話に近付ける。見ると、着信中を表す緑のランプが点滅している。
「この時間だと……セールス? ……はい、もしもし」
首を傾げつつ受話器を持ち上げる。
『あ、もしもし昋詩ちゃん。僕だよ』
「えっ、叔父さん!」
耳元から流れた声に、少女は飛び上がった。弾みで左手がキーボードに引っかかり、がっしゃんと大げさにカウンターが音を立てた。
「うわあ!」
慌てて、落ちかけたノートパソコンをカウンターの上に戻す。
『え? 昋詩ちゃん? どうしたの大丈夫?』
耳から話した受話器から、心配する声が流れてきた。少女ははっと気づいて、
「あ、うん。叔父さんごめんね、もう大丈夫。……で、なんの用?」
落ち着きを取り戻し、スタンドチェアに座り直した。カウンターに肘をついて、前髪をいじる。
昼を過ぎた太陽は強さを増し、白い部屋に暖かい光を存分に齎している。あまりの明るさに眩んだ少女は立ち上がって、窓際へ向かった。
『うん、いまこっちの空港に着いたところなんだけどね』
レース模様のウエディングドレスにも似た白いカーテンを端から引いて、光量を調節する。
『よくわかんないんだけど、荷物のトラブルがあったみたいでスーツケースが返ってこないんだよね』
電話は肩を竦めるような声色で愚痴を零した。
「へえ、そんなのあるんだ」
少女は左右のカーテンを閉めて、スタンドチェアに戻る。
『僕もこんなの初めてだよ。海外じゃよくあるのかも』
ふふっと少女は笑った。スタンドチェアをくるりと回し、手持ちぶさたの左手でノートパソコンのキーボードの一角をいじる。
『そういうわけだから、帰りが遅くなる。正確にはわかんないけど……たぶん、あと三十分くらいは空港に足止めされると思う』
「大変だねえ。帰りはいつごろ?」
『たぶん、二時を過ぎると思う。電車に乗るタイミングでまた連絡するよ』
「うん、わかったー」
カウンターに身体を預けて、少女はスタンドチェアを軽快にくりくりと右へ左へ振った。
『……あれ? そういえば、今日は文化祭の準備で学校じゃなかった?』
「えっ」
ぎし、と珍しく高価なスタンドチェアが関節を軋ませた。少女の手の動きがぴたりと止まって、口もとに半笑いが浮かぶ。
「ああ、うん、そうなんだけど、今日は大丈夫な日なんだよね。時間も大丈夫だし、問題ないよ!」
『………? よくわかんないけど……そうなんだ。次は一応、ケータイの方にかけるね』
「うん、うん。そうして」
『了解。そうだ、今日夜は駅前で外食にする?』
「あ、いいの? じゃあお願いします! あそこのラーメン屋また連れてって!」
少女が身を乗り出した。カウンターが僅かに軋む。
『はは、わかったわかった。じゃあまた後で』
「はーい」
少女は受話器を耳から下ろして、ボタンを押した。電話機からランプの灯りが消える。
「……叔父さんが帰ってくるまで小一時間、それまでに仕上げちゃわないと」
ぱん、と軽く両頬を平手で叩く。少女は笑みを崩さないままディスプレイに向き直って、
「……ん? ………あれ? え、え、え? うそ、なんで! 文章が消えて……あっ! さっきキーボードがちゃがちゃしたからだあー!」
叫んだ。
* * * * *
あー。とてもびっくりしました。
知らない間にバックスペースを押しまくってたみたいで、文章が少し消えちゃってました。書いてすぐだったので、たぶん完璧に復元できました。ひと安心です。
これからは、バックスペースに気をつけることにします。あと、こまめに変更を保存しようと思います。
これまでに、叔父さんを安心させる言葉、実は叔父さんの秘密についてちょっぴり知っていたこと、そして感謝の気持ちを書きました。
どれも私の本心で、とても大切な気持ちです。ですが、私がここでいちばんに伝えたかったことは他にあります。
叔父さんは、文書の最後にきちんと、赤裸々に、文書の本当の目的を書いてくれていましたよね。あんなにかわいいとか大好きとかたくさん書いて、反則ですよ。
だから私も、叔父さんを見習って勇気を出して、この文書の本当の目的を、最後に書こうと思います。
ああ、緊張する。
この文書は、私の大切な叔父さんに宛てた、絶対に読まれてはいけないラブレターです。
わかっています。
全部、わかっているんです。だから、こうして決して読まれてはいけないお手紙として、私のささやかな恋心を残しておきたかったんです。
叔父さんは、私のお父さんの弟です。私は、叔父さんの兄の娘です。
きちんと法律も調べたんです。いまの日本では、傍系の三親等にあたる私と叔父さんは、結婚することができません。
どうしてあと一つ分だけ、親等が遠くなかったんでしょうね。もしそうだったなら私は、今年で十六になる私は、面と向かって叔父さんにこの気持ちを伝えたって誰にも咎められないのに。
叔父さんのことが好きなんだって気づいたのは、中学三年生の頃、つまり去年でした。
放課後に教室で、同じクラスの女子たちと恋バナをしていたときのことです。順番が回ってきた私は、好きな男子なんていなかったので叔父さんの話をしたんです。一流企業の社員(だと当時は聞かされていました)をやっていて落ち着いた雰囲気で、なんでもできる素敵な叔父さんと一緒に暮らしているんだと自慢しました。
それを聞いた女子は全員、気まずそうに目を逸らしたり愛想笑いをしました。私にそれを言ってしまうのが悪いと思ったのか、みんなそのときは何も言いませんでしたが、その日の下校中、アミちゃんだけが言いにくそうに、私に教えてくれました。
「あんたは、その叔父さんのことが好きなんだよ」って。
私の意識が恋心に変わるのに、時間はかかりませんでした。初恋でした。私の気持ちが、周りの女子がかっこいいサッカー部の先輩に感じるどきどきよりずっと強いんだと思い始めたのも、最近ではありません。
私はその頃からずっと、この気持ちを叔父さんに伝えたかった。
だけど私がかちこちになりながら叔父さんに告白をしても、きっと叔父さんはこう言うでしょう。
「そっか。昋詩ちゃんの気持ちはわかった。とても嬉しい。でも、僕と昋詩ちゃんは叔父と姪の関係なんだ。だから、僕は昋詩ちゃんの気持ちに応えることはできない。ごめんね」。
どうですか。合っているでしょう。
さらに、叔父さんはこう続けるはずです。
「昋詩ちゃんには、これからきっといい人が見つかるよ。だって昋詩ちゃんは、とってもいい子だから。焦らないで、ゆっくり素敵な人を見つけなさい」って。
叔父さんの立場を考えれば、はなまるを貰えるような正しい言葉だと思います。
叔父さんは自分や私の気持ちよりも、将来の私が幸せになることをいちばんに考えて、そのための事を全部してくれるでしょう。
叔父さんが私をとっても大事に思ってくれていることは、あの文書からもいっぱいに伝わってきました。
でも私は、少なくともいまの私は、叔父さんと一緒にいることが何よりの幸せなんです。
叔父さんは、自分が私の明るい将来を妨げる人間なんだと一度思い始めたら、私のまえから本当に姿を消してしまうでしょう。叔父さんはたまにむごいくらい優しいときがありますから、もしかしたら二度と私に顔を見せないかもしれません。
それはいまの、そして未来の私にとって何よりの不幸です。
だから私は、叔父さんにこの気持ちは決して伝えません。
いつか誰かと付き合うことになって、結婚をすることになったとしても、この恋心だけは絶対に誰にも教えません。私の大事な気持ちは、誰にも渡しません。
私を守るために、親戚みんなのまえで啖呵を切ってくれた叔父さんが大好きです。私のために、苦しみながら人を殺してきてしまった叔父さんが大好きです。
今回叔父さんの独白文書を読んで、いつも強くてかっこいい叔父さんの抱える苦悩を知ることができました。弱音なんて吐かなくても、叔父さんがたいへんな悩みを抱えていることくらい私にはわかっていたんです。
叔父さんの秘密を知ってようやく、私は本当に叔父さんの隣に来られた気がしています。
まだ幼い私に何ができるかはわからないけど、叔父さんが一日でも早く殺し屋の苦しみから解放されるように、私は私にしかできない叔父さんの支えになります。
私はいつだって、叔父さんを想っています。
そしていつだって、叔父さんが人を殺さずにいられるよう祈っています。
独白というより告白になってしまいました。ぜんぶ、叔父さんのせいですからね。
これでおしまいにします。
篤叔父さんへ。
××××年××月××日 昋詩より
* * * * *
少女のお気に入りのバラードが部屋に響いた。悲恋をテーマに流れるしんみりとした音楽は、彼女のスマートデバイスからだった。
「……叔父さんだ」
少女はデバイスを手に取って、通話のため画面をスクロールする。
「あ、もしもし叔父さん?」
言いながら、少女は書き上げた文書を保存してウィンドウを閉じた。インターネットで調べた手順を片手に、フォルダにパスワードロックをかける。
「うん、うん。わかった。じゃあすぐにお迎えに行くね。はい、はーい」
デバイスを耳から離して、
「………私も、頑張るね」
少女はノートパソコンをシャットダウンすると、ピンクのスマートデバイスをポケットに入れ、戸締まりをして家を出た。
西に傾きはじめた太陽が、和らいだ熱を白いリビングに挿頭していた。
高級マンションの一室で、仄白い生活はまだ続いていく。
※自分の敬愛する作家さんの流儀に則って、この後書きには本作のネタバレは含まれません。
* * *
こんにちはこんばんは。
桜雫あもる です。
いかがだったでしょうか。
初めて女の子を主人公にした、一人称の物語を書きました。
気持ちを描写するのがとっても大変で、頭から火が出そうになりました……。
前書きにも書きましたが、今作は前作『優しい殺し屋の不貞な事情』の続編です。
前作の主人公、曽木篤の姪が語る物語になっています。
今回は、前作のように語るべき用語もないのですが……語らなくてもいい大事件があります。
なんと!
この小説を書いている途中、一万文字を超えていた文章の半分以上がごっそりなくなりました!
執筆中小説に保存しているときの悲劇でした。これを読んでくださった「小説家になろう」ユーザーのみなさん! このサイトの利用規約に「保存の義務はない」と明記されていること、そしてこういったバグも起こりうることを考慮して、バックスペースとこまめに保存に気をつけるだけでなく、きちんとバックアップを取っておいてくださいネ!
さらに驚くべきことに、本小説にも「文章が消えちゃった」シーンが存在するのです。もともと考えていた展開が、あろうことか現実にも起こってしまいました。
なにか宇宙的な作為を感じずにはいられませんね(嘘)。
前作の後書きでも宣言したとおり、更にこの続きとして連載小説を考えています。
しかし、これも前作の後書きで述べたのですが、私生活がなにぶん群雄割拠の戦国時代に突入していまして、とにかく大変なのです。
おそらく数ヶ月先までは目処が立ちそうにもありません。
気長に待っていただけると幸いです。