体験入部
「あの生徒を見てみなよ」
四時間目が終了し、昼休みになった。僕らは屋上でこっそりと弁当を食べる。
屋上へと続く階段を上り、扉を開けて右を向くと、そこにはハシゴがある。そのハシゴを登ると給水塔のある場所に行くことができ、そこが僕たちがお昼を食べる秘密の場所だった。
給水塔に隠れるようにして僕らは屋上を見下ろす。
「彼はいつもパシリにされている」
真希は紅茶のペットボトルに口をつけて、楽しそうに話す。「学校でのヒエラルキーで彼は最下層にいる」
僕は彼女が指差した方向に目をやった。三人ぐらいの不良っぽい学生と、購買部で食料品を買ってきた身長の小さい小太りの男がいた。
「せっかくの青春をパシリで終わらせるなんてとても勿体ない話だと思わない?」
「そうだね」
僕が同意すると、彼女は目を輝かせる。「彼には輝ける居場所が必要なのよ」
「輝ける居場所って……彼には何か特技でもあるの?」
「残念なことに、ない。臆病な彼はいつも誰かに命令されているだけ。勉強もできなければ運動もできない。音楽の素養もなければ不良になりきる根性もない。まさにないない尽くしの負け犬よね」
――ほんと、クズよね。真希は口で悪態をついてるが、目元は笑っていた。
「彼をプロデュースしましょう。今回の部活内容はそれに決まりね」
「プロデュースって、具体的に何をするんだ?」
「見てればわかるよ」
彼女はほくそ笑む。「負け犬に相応しいやり方でやるわ」
放課後になった。僕と彼女は一年生用の廊下を歩いている。彼女は強盗がしていそうなマスクを持っている。
「これ、頭から被って」
「なんで、こんなものを……」
「必要だからよ」
そういう彼女も同じようなマスクを持っていて、彼女はそれを頭からかぶった。すると、首から下は女子高生の制服なのに、頭は強盗のようなよくわからない格好の人間が完成した。
周囲に誰もいなくて良かった。
「あらかじめ調査したから」
と彼女は言い、続ける。「この時間帯になると大概の一年生は帰宅する。さっきのパシリの学生を除いて」
「彼はこんな時間まで何をしているの?」
「見ればわかる」
彼女は教室の扉の前に立ち止まるとガラリと扉を開いた。急いで僕もマスクを装着した。
マスクには両目のところにだけ穴が空いている。そこを通して教室を見たが、誰もいなかった。
「チッ。あいつ、トイレにいるな」
真希は舌打ちをつき、そのまま教室を出た。「どこに?」
「男子トイレ。あの野郎、絶対一人で閉じこもっているわ」
彼女は一年生用の男子トイレに行くと、躊躇なく入っていった。強い奴だ。
「安藤涼介!!」
真希はでかい声で吠えた。男子トイレにその絶叫は響き、一番奥の閉まっているトイレからガタリと音がした。
「見つけたわよ」
まるで犯罪者のような声だった。実際、女子が男子トイレに入るのは犯罪的な気もしたのだけれど。
真希は部屋を一回ノックしたが無反応だった。「開けろッ!!」
再びノックしたけれどドアは開かず、業を煮やした真希は扉を蹴破った。
バキリと扉が破壊される音がした。トイレからは「ひぃい」と嗚咽とも悲鳴ともとれる声がする。
「おやおやおやおや。何をそんなに慌てているの、この負け犬の童貞野郎。人が親切にもノックしてんだからさっさと出てこい、このパシリ野郎が」
こんなことをするつもりだったのか。だからマスクを被って顔をばれないようにしたのか。
僕は彼女の暴行を見守る。といっても、彼女は暴言こそはけ、実際には一切の暴力は加えていないのだけれど。
真希はトイレから男子学生を引きずり出した。その顔は先ほど屋上でパシられていた学生だ。彼をトイレの上で組み伏せた真希は、「やあ、安藤涼介くん。あれ、お前、安藤であってるよね?」
「や、やめてください。お願いします」
「おいおいおいおい、何を聞いてるんだ?耳が悪いのか?私はあんたに、お前の名前は安藤涼介であってますかって訊いてるんだよ!!」
「あってます、あってますから……」
いつの間にか半べそをかいている。当然か。
「お前はいつもこんなところで一人でパソコンいじってんのか?」
真希はトイレからノートPCを引っ張り出した。安藤を床下に組み伏せた状態で、片手でパソコンの画面を見る。「ん~、なんだこれ?」
「掲示板の書き込みか。なになに、今日もあいつらに虐められた。もうこんなことしたくない、学校なんて行きたくない。あいつら全員、死ねばいい?チープな文章だな。こんなところに日頃の鬱憤を溜め込んでたんだな、安藤涼介」
安藤はタイルの上でいつの間にか耳を両手で塞いでいた。それが真希の機嫌を損ねさせたようだ。
「私が話してんだ!!耳の穴かっぽじってよく聞けよ!!」
「ご、ごめんなさい」
真希はさらに画面をスクロールして、もっと前の文章を探す。
「ほう。お前、あの三人以外にもいじめられてるんだな。クラスの女どもからは豚って呼ばれているのか。確かにデブだもんな、お前。しかもやられてやり返す意気地もない。クズ中のクズだ。同じ人間として恥ずかしいぐらいだ」
――私がお前を人間にしてやるよ。真希は楽しそうに嗤う。
「いいか、耳の穴をほじってよく聞け。お前の名前は、安藤涼介だ。親からもらった大事な名前だから、それを忘れるな。お前は豚でもないし負け犬でもない。それを明日から証明しろ。でないと、テメエの家に火をつけて八つ裂きにする」
――私はお前を監視するぞ。真希の脅しは止まない。
足蹴にされる安藤は体を震わせて何も言えない。見ていて辛くなる。
「お前に課題を出す。明日、屋上に手ぶらでいけ。そしてこう言え。もうお前らのパシリはやらない。そしてそのまま、あいつらの顔面を一発ぶん殴れ。それが課題だ」
真希は安藤の耳元で囁く。「おい、聞いているのか?」
「聞いているのかよ、安藤!!」
思わず僕も叫んでいた。それが効いたのかもしれない。安藤はコクコクと何度も頷いた。「やります、やるから、殴らないで」
「これは没収だ」
真希はノートパソコンを脇に抱える。
「お前が明日、ちゃんと言いつけ通りあのいじめっ子どもをぶん殴ったら返してやる。まあ、やり返されるかもしれないが、この中にあるエロ画像を学校にばら蒔かれるよりはましだろう」
真希はようやく足蹴にするのをやめて、彼の背中を押す。「走れ!」
背中を押された途端、安藤はよれよれと立ち上がってトイレを飛び出した。みっともない逃げ方だけれど、一生懸命何かに向かって行動しているように見えた。
「正樹」真希は僕を見て言う。「こういう部活をしているけれど、入部する?」
翌日。僕らはいつも通り屋上のさらにもう一つ上の給水塔付近で昼食を取っていた。
やがていつもの不良組三人が現れ、フェンスの近くで座り、談笑し始めた。
あの平和そうな笑い顔には、罪の意識と呼べるようなものは微塵もない。
きっと、今まで一度も本当の苦痛を感じたことがないのだろう。それがもうすぐ歪むのかもしれないと思うと少しだけ興奮した。
「おや、来たわ」
眼下の扉が開いた。おどおどとした歩き方で安藤は屋上を歩いている。
彼は一直線にノロノロと不良三人の所に向かって歩いている。やがて三人のうちの一人が彼に気づいた。
「おい、豚。テメエ、なんで手ぶらなんだよ」
「……豚じゃない」
安藤はぼそりと呟いた。
「豚じゃない!安藤涼介だ!」
安藤は突然不良たちに襲いかかった。右手を振り上げ、その顔面に一撃をいれた。
今までこんなアクションをとったことがないのかもしれない。不良が殴られたあとも他の二人はぽかんとしているだけだった。
ようやく何が起こっているのか理解したときには、安藤は不良のリーダー各らしい男に馬乗りになって顔面をボコボコにしていた。
「何してんだテメエ!」
二人が後ろから安藤を羽交い締めにするが、体重の重い安藤の勢いは止まらない。二人を振りほどき、さらに不良を殴り続けた。
「アハハハ!いいぞ、もっとやれやれ!!」
真希は腹を抱えて笑っていた。その無邪気そうな表情は、純粋に目の前の出来事を楽しんでいるように見えた。
「真希」僕は言う。「入部するよ」