第2章 天空食料争奪戦
「はぁ~。まさか、北馬が女だったとはなぁ」
北馬と屋上で別れた俺は、衝撃の事実を引きずりながら、よく整備の行き届いた校舎の中庭を歩いていた。
「あー、ダメだダメだ。今は闘いに集中しねぇと」
俺は軽く頭を振り、混乱する思考を切り替え、体の具合を確かめる。
北馬のクイナのおかげで制服は所々破れ、腕や足に裂傷が多々あるが、まぁ戦闘に支障をきたすほどでもない。
総合的に言って、全然問題はないんだけど……
グキュルルルル
「いい音したな~」
時刻は一時二十一分
昼食抜きの身としては、とてつもなく腹が減る時間帯だ。
ぐきゅるる、きゅるるるる
「……切ない」
切なすぎる腹を擦る俺の耳に、突如としてけたたましいプロペラ音が聞こえてきた。
「な、なんだ?」
意味も分からないまま音の方に顔を向けると、校舎と校舎の間から覗く空に、一機のヘリコプターが飛んでいた。
「豪華だなぁ、おい」
今更ながらこの学園の財力に感嘆を洩らす俺の耳に、先ほども聞こえてきた女子生徒の声が響いてきた。
『はいはーい。卒業生のみなさ~ん。調子はどうですか~? バトルに勝つ人負ける人。思いを伝え春が来る人、玉砕する人。さまざまだと思いますが、そろそろお腹が空いてきた頃ではないでしょうか?』
俺の心を見透かしたようなナレーションに、またまた俺の腹が激しく自己主張を始めた。
『そんな卒業生の皆さんに、とっても素敵なプレゼント。“腹が減っては戦ができぬ”がコンセプトの我が桜花学園各売店及び食堂のご厚意により、只今から卒業生の皆様に、食料の配給を開始しま~す』
配給? 食料の?
ナレーションの言葉と上空のヘリ。
嫌な予感がした。
「ま、まさか……」
ちなみに、この学園で起こる“嫌な予感”は、ほぼ100%現実となる。
もう七不思議と言っていいほど、それは確定事項だった
『それでは皆さん、頑張って食料をキャッチしてくださいね~』
底抜けに楽しそうな声と共に、上空で飛翔するヘリコプターの扉が開き、そこから売店のおばさんたちの手によって大量の食糧が学園に撒き散らされる。
「マジでやりやがった!」
理性では驚く俺だったが、悲しいかな、本能の方はその落下を待ちきれないと盛大な声を鳴らした。
「……っま、いっか」
俺はもはや限界まで切羽詰まった腹の虫を無理やり黙らせ、空より降り注ぐ昼飯目指し駆け出した。
聳え立つ校舎の壁に向かって疾走した俺は、その速度のまま跳ね上がり、ベランダの手すりを踏み台に、一気に屋上まで舞い上がる。
そして、スタッと屋上に着地した俺の鼓膜を、盛大な叫び声が叩いた。
「「メシーッ」」
「げっ!!」
バタンと勢い良く開かれる屋上の扉。
その向こうから、腹を空かせた魑魅魍魎が現れた。
そして辺りは戦場と化す。
屋上に降り注ぐさまざまな種類のパンを獲得せんと、生徒たちの目が血走った。
「俺の」
「私の」
「「ものだ―っ」」
屋上になだれ込む人、人、人。
瞬く間に人気のパンの争奪戦が始まった。
俺も遅れを取るわけにはいかない。
「飯抜きだけは勘弁だっ」
心からの叫びを吐き出し、俺は視線の標準を降り注ぐ食料に合わせた。
そして、食料を奪い合う生徒たちの中へ疾走する。
一番手前で落ちたパンを拾っていた男子の背を踏み台にし、狙いをつけていた焼きそばパンをキャッチ、そのまま体を無理やり捻り、ちょうど良く近くに落ちてきたツナマヨと焼き鮭のおにぎりをつかみ取りポケットの中へ、そして袋がちぎれんばかりにベーコンエッグパンを奪い合う男子の肩に着地、崩れる足場をものともせず、俺は再び上空に跳び上がる。
高度が上がる中、俺は先ほど掴み取った焼きそばパンの袋を開け、口の中に押し込む。そして、ついでとばかりに落ちてきたお茶のペットボトルをつかみ取り、親指で弾いてキャップを開け、口の中の焼きそばパン共々胃の中に流し込んだ。
「ぷはっ」
うまい!
ただの焼きそばパンだけど、やっぱりこの学校のクオリティーは高かった。
「さてと次は……。って、どわぁっ」
次の獲物を探し着地する俺の背後から、俺の不意を突く槍の先端が突き出され、その一撃で破けたポケットからおにぎりが零れ落ちる。
だが俺を襲ったのは、槍だけじゃない。
既に食料の調達を切り上げた面々が、その鋭く研ぎ澄まされた闘志と各々の武器の矛先を俺に向けていた。
「「うおぉぉぉ―っ」」
「お前らなぁ、飯ぐらいゆっくり食わせろよ」
雄叫びを上げ、地面に落ち残念な姿になった食べ物を踏み荒らし向かってくるそいつらに、俺はため息交じりに呟きながら疾走した。
手に持ったお茶のペットボトルを残りのポケットに仕舞いつつ、先ほど俺の背に槍の先端を突き刺してきた槍術師の男子の懐に一瞬で潜り込み、真下からそいつの下あご目掛けて掌根を掬い上げる。意識を飛ばされ空中に吹き飛ばされる男子。その姿を最後まで確認せずに、俺は振り返り、抜刀した《神楽》を踊らせる。大気を貫く銃声と共に、俺に吐き出された銃弾を全て叩き落とし、俺はちょうど近くに落ちてきたおにぎりを《神楽》を握る右手で器用に掴み取りつつ、横手から女子が振り降ろしてきた短剣を奪い去り、前方でリロードを完了した男子へ投げつけた。
銃を構える男子は慌てて飛んでくる短剣を持ち前の銃で撃ち落としたが、その時すでに俺はそいつの背後だ。
「がはっ」
首筋に手刀を浴びせ銃を手にするその男子の意識を遮断しつつ、俺はおにぎりを口の中にねじ込み、咀嚼する。
そして、ポケットに入れておいたお茶で口の中のモノを無理やり流し込んだとき、ようやく最初に顎を打ち抜いた男子が、屋上の地面に倒れ込んだ。
俺の背筋を撫ぜる悪寒。
鼓膜を引き裂くような雷鳴。
慌てて飛び退く俺が今まで立っていた場所の床が爆音と共に吹き飛び、下の階の教室が露わになった。
「惜しぃ」
「『惜しぃ』、じゃねぇだろが、このドアホ」
背後で悔しがる杖を構える女子の集団に激昂を吐き出しつつ、俺が反撃の体勢を整えた途端、辺りがいきなり騒がしくなった。
「あっ、おい。あれを見ろ」
一人の男子が叫び、上空を指差す。
その場にいた全員が、自分に向って武器を構える相手を警戒しつつ上空に目を向けると、カッと目を見開いた。
「あ、ありゃ!」
遥かな上空。
俺たちに向けて食料を撒き散らすヘリコプターのドアで手を振るおばさんが手に持っていたのは、月に一度、しかも限定百個しかない桜花学園の超超超人気スイーツ、『天響の焼きプリン』だった。
「いくよー。ほらぁ」
おばちゃんの声と共に、『天響の焼きプリン』が青い空に投げ出される。
その瞬間、俺を含めその場にいた全ての生徒が、バトルを放棄し、『天響の焼きプリン』目掛けて駆けだした。
「「渡すか―っ」」
男女入り乱れての『天響の焼きプリン』争奪戦。
風に流されるプリンを追い、生徒たちが次々と今いる校舎の屋上の端から、隣の校舎の屋上へ飛び移る。
目指すは『天響の焼きプリン』ただ一つ。
「どけぇ―っ」
前を走る人ごみの間を縫い、それでも遅いと感じた俺は、目の前の男子の背中を踏み台に高く跳躍し、一気に集団の先頭へ踊り出た。
「コラ―! 何しやがる、一騎」
「非常事態だ。気にするな」
「何だとっ! てめぇ、調子に乗ってんじゃねぇぞっ」
背後から聞こえる罵声も何のその。
俺は脇目も振らず『天響の焼きプリン』目指して駆け抜ける。
だが、そう易々と辿り着けるはずもなかった。
轟く銃声。
大気を焦がす爆炎。
投擲される幾多の刃。
「げぇっ!」
一瞬振り向いた俺の背後は、戦意よりも殺意を身に纏った生徒たちの攻撃に覆い尽くされていた。
「洒落になんねぇぞ」
俺はチラッと『天響の焼きプリン』を視界に収め、さらに屋上の端から次の屋上の飛び退きつつ、《神楽》を鞘に収め有らん限りの力で垂直に飛びあがった。
俺のすぐ足もとを掠め、生徒たちの殺気が通り過ぎて行く。
そして、俺はすぐそこまで迫った『天響の焼きプリン』目掛けて手を伸ばした。
「貰ったっ!」
俺の叫びが空中に木霊する。
だが、その後を追ったのは、『天響の焼きプリン』を掴み取った歓喜の声ではなく、不意に吹き荒れた突風に体勢を崩される、俺の情けないテンパった声だった。
「どわぁぁぁ!」
『天響の焼きプリン』はあとちょっとのところで俺の指先を掠め、意志を持つかのように吹く風に攫われる。
一方、突風により完全に体勢を崩された俺は、それでもなんとか身を捩り、真下の屋上の床に着地した。
「っと、どこ行った? 俺のプリン」
俺は急いで『天響の焼きプリン』を探す。
そして、『天響の焼きプリン』はすぐに見つかった。
俺の手から風に奪われた『天響の焼きプリン』は、そのまま空中を遊泳し、一人の男の手の中に納まった。
「残念だったね。一騎」
「薫っ」
髪を軽く伸ばし、優しげな顔つきで微笑む長身の眼鏡を掛けた知的な男。
Sランク『千仙の風士』椎名薫が、手の上で『天響の焼きプリン』を弄びながら、俺に「悪いね」と笑いかけてきた。
「ずるいぞ、薫。今の、完全に俺のもんだっただろ」
「ずるくないさ。それに、これだけは渡さないからね」
『天響の焼きプリン』を掲げて見せる薫に、俺は小さなため息をついた。
「まーた、妹の頼みかよ。いい加減、兄き離れさせた方がいいぞ」
「大きなお世話だ。それに、あいつが兄き離れできないって言うより、僕が妹離れ出来てないだけだからね」
「笑顔で言うな、笑顔で」
俺は呆れながら、ゆっくりと《神楽》を抜刀し……
悪役顔負けの不敵な笑みと共に、『天響の焼きプリン』に保護用の風を纏わせる薫を睨みつけた。
「とにかく、プリンは返してもらうぞ」
「出来るものならね」
《神楽》の刀身に反射した太陽の光を受け止め、『天響の焼きプリン』を上空に放った薫は、笑顔のまま俺に負けないぐらいの闘志の風を身に纏った。
風 対 刀
先手は……
薫だった。
薫が無造作に腕を振るう。
その腕の軌道に従い、強烈な暴風が吹き荒れた。
俺は暴風に身を剥がされまいと《神楽》を屋上に突き刺し、耐える。
「っ!」
そんな俺の二の腕が、何の前触れもなくスパッと切れ、鮮血が制服に真っ赤な緒を引きながら流れ出した。
それは、一度だけじゃない。
絶え間なく吹き荒れる暴数の中、次々と俺に向かって放たれる真空をもって敵を切り裂く不可視の刃。
《カマイタチ》が容赦なく俺の肌を切り裂き、瞬く間に俺の制服を真っ赤に染め上げた。
「っち」
堪らず俺は、《神楽》をコンクリートの床から引き抜いた。
その途端、俺の身体が強靭な風の腕に掴まれ、翻弄される。
足が浮き、上も下も分からなくなるままに俺の身体は上空へと誘われた。
高い、そして早い。
あっという間に、俺の体は薄い雲を突き抜けた。
「な??」
突然、俺の身体を支配していた風が止んだ。
「うわぁ、すげぇな」
俺の眼下に、かなりの高度があるにもかかわらず端っこが全く見えない広い学園が映し出される。
そして、その広さに圧倒された次の瞬間。
「うわっ」
俺の身体は、風の腕から重力の腕にパスされた。
改めて確認すると、今俺のいるのは洒落にならない高度だった。
「おいおい、どうしたもんか」
俺は重力に引き寄せられるままに落ちる中、割と冷静に考えていた。
基本的に、俺は魔術のスキルはない。
このまま落ちれば、ただただコンクリートに叩きつけられるだけだ。
「さすが~。落ち着いてるね、一騎」
呑気な声が俺の耳を撫ぜる。
ふと目線を横に向けると、持ち前の風で自由自在に空を飛ぶ薫が、俺に悪意たっぷりの笑みを向けていた。
「てめぇ……」
「そんな怖い顔して、僕のこと気にしてる暇あるの?」
「うるせぇ。誰のせいだと思ってやがんだ?」
「僕」
「このっ」
笑顔で即答する薫に、俺のこめかみがピクっと痙攣した。
すると薫は、クスクスと俺を聞き分けのない子供を見るように笑った。
そして……
「そんなに意地張んないでさぁ……」
次に続く薫の言葉に……
「素直に、助けてって言えばいいのに」
こめかみの血管がブチ切れた。
「誰が言うかっ」
俺は無理やり腕だけの力で薫目掛けて《神楽》を振るう。
だが、薫はその斬撃を易々と避け、そして、小さく肩を竦めながら、
「じゃあ先に待ってるね」
と手を振って一気に地上まで降りていた。
その姿を眼で追いながら、俺は地上、正確に校舎の屋上との距離を測る。
今の俺の落下速度からして、着地までの時間はおよそ26秒。
「さて……。ホントに、どうしたもんか?」
呟きながら、俺の頬に滲んだ汗が垂れずに額に昇る。
薫にはああ言ったものの、正直手がない。
と、その時。
「そう言えば、この建物って……。それにこの位置」
俺の中で、何かが閃いた。
後はタイミングだけだ。
残り、10秒
俺は背中から落ちていた身体を捩り、頭が下になるように体勢を整えた。
残り、7秒
春の暖かな陽気の中を、もはや凄まじい速度になった俺の身体が落下する。
残り3秒。
チラッと薫に目を向けると、流石はSランクの実力に相応しく、まったく油断なく俺の動きを観察していた。
残り、1秒
俺は《神楽》を握る右腕の筋肉を限界まで緊張・引き絞る。
残り、0.57秒
「砕けろっ!」
俺は《神楽》の強度だけを信じ、無我無心でその刀身を屋上のコンクリートの脆い所に突き刺した。
盛大な音と共に、俺たちが闘っていた建物、学園業務員用宿屋の屋上の床に大きな穴が空いき、俺の視界が崩壊するコンクリートの瓦礫に埋め尽くされる。
「ふぅ。……思った通りだな」
そして俺の身体は、崩れた屋上の真下にあった就寝具を収納する倉庫に収められた、毛布に受け止められていた。
「よかったー、前にここでバイトしたことがあって」
心から安堵のため息をつき、俺は布団の中から身を起して、倉庫の天井に空いた太陽の光が降り注ぐ穴から再び屋上へ跳び上がる。
そこでは、薫が「呆れた」と目を丸くして俺を見つめていた。
「ホント。どこまで悪運が強いんだ? 一騎は」
「へっ、悪いな。俺の身体は神や仏のマンションになってんだよ」
「意味分かんないって」
「大丈夫、俺自身も意味わかってねぇから。それより、今度はこっちから行くぞ」
小さく笑いながら首を横に振る薫に、俺はあれだけの衝撃を受け止めてなお、刃零れしない《神楽》を構え、真っ向から斬り込んだ。
俺は自身の身体を一陣の疾風に変え、薫との間合いを一気に詰めにかかる。薫は掌を突き出し、そこから生み出した暴風を操り俺の特攻を防ごうとするが、それでも俺は止まらない。俺は牙を剥く荒れ狂う突風を力の限りふり抜いた《神楽》の剣圧で切り裂き、バラバラに霧散する大気の中を更に薫に向けて突っ込んだ。
上空に振り上げ唐竹割りに振り下ろした《神楽》の刀身が、薫の右肩に食らいつく。
だが……
「甘いね、一騎」
「何っ!?」
俺の振り下ろした《神楽》の刀身は、薫がその身に纏った風の鎧によって、右肩の数センチ手前で止まっていた。
忘れていた。
薫はこの《風帝の鎧》でSランクの座に上り詰めた男だ。
そして《風帝の鎧》は卒業生の防御術の中で第二位の鉄壁を誇る技。
「これだから魔術師相手は嫌いなんだよ」
苛立ちを吐き出す俺の身体が、薫の《風帝の鎧》の風に捕らえられる。
停滞する俺の身体。
スッと薫の掌が俺の左脇腹にあてがわれた。
「これぐらいじゃ死なないよね」
腹黒い笑顔で笑いかける薫。
その掌から、極限まで凝縮された大気の塊が俺の左脇腹にねじ込まれた。
「ッガハ!」
腹部に受けた小型台風のような空気の塊に、口から吐血を吐き出しながら俺の身体が吹き飛ばされ、背中から屋上のフェンスに叩きつけられる。
俺の身体を受け止めたフェンスが大きく撓み、俺の口の端か真っ赤な筋が走った。
「ゲホ、ケッホ。ンン……っぺ」
痛みの駆け巡る身体をフェンスに預けながら、俺は口の中に残る血の残滓をその場に吐き捨てる。
そして気合いで痛みと言う警告を発する身体を気力で無理やり黙らせ、俺は身体をフェンスから引き離し、大きく息を吸う。
「スゥ―、ハ―。よしっ」
息が整ったところで、俺は手に握る《神楽》の刀身を、腰に下げた鞘の中に収めた。
「ん? どうした、一騎。まさか諦めたのかい?」
俺の行為に怪訝な顔をする薫。
俺はそんな薫の戸惑いを十分に理解しつつ、
「んな訳あるかっ」
右手で《神楽》の柄を握りながら、再び薫に向けて跳び出した。
薫の顔から余裕が消える。
身体を痛めつけながらも、その速度は先ほどの攻撃を完全に上回っていた。
戦慄に頬を引き攣らせながら、薫が急いで両腕を俺目掛けて持ち上げる。
その両腕から放たれた暴風は、いくら疾風と化した俺の身体でも、簡単に屋上の床から引き離していただろう。
その暴風が、薫の手から放たれていたならだ。
「んなっ!」
薫の口から、驚愕の声が吐き出される。
その掌に集められた風が解き放たれる前に、俺は既に薫との間合いの中に入っていた。
薫の眼が、鞘の鯉口から抜き放たれる《神楽》の刀身を僅かに捉えたとき、
俺の居合はすでに完了していた。
すれ違う俺の背後で、薫が片手で腹部を押さえながら片膝をつく。
「どんなもんだ」
俺が口の端に零れたままだった血を服の袖で拭いながら自慢げに言うと、掌を自身の血で真っ赤に染め上げた薫が、悔しさと恨めしさ、そして込み上がる興奮を内包した笑みを浮かべながら振り返った。
「忘れてたよ、君のその居合術。まさか僕の《風帝の鎧》を斬り裂くなんて。一体、どんな鍛え方をしたらそんな斬撃が生み出されるんだい?」
「年がら年中学園内を歩くたびに暗殺されかけりゃ、いやでもできるようになるぞ」
「……苦労してるんだね」
「ほっとけ」
「クスッ。―――でも、今の一撃で決めれなかったのは失敗だったね」
「なんでだ?」
怪訝な顔をして俺が問いかけると、薫は自信に充ち溢れた眼で俺を睨めつけながら、すでに納刀した《神楽》を指差した。
「居合に弐の太刀はない。つまり一撃目を避ければ、君は死に体だ。その瞬間を見逃すほど、僕はお人好しじゃないよ」
薫の言うことは、確かに正しかった。
居合は剣術において最速最鋭の技だが、外れてしまった場合、その後に出来る隙は敗北に直結する。
それに、薫の属性は風。
敵の攻撃に対する防御・回避能力は、他の追随を許さない。
「そんなこと、分かってら」
そう、俺だって分かってる。
分かってるからこそ、俺は《神楽》の柄に右手を添えた。
「やっぱり、そうだよね」
俺の返答を予想していたように、薫が先んじて両腕を前に突き出し、その両掌に大気を凝縮した。
そして……
俺は居合をもって、躊躇うことなく薫に斬り込んだ。
その速度は、先の一撃を更に上回る。
薫の風は放たれない。
それは、誘いだ。
だが、俺は迷わない。
俺は更に大きく足を踏み込んで、身体を加速させる。
刹那
《神楽》の白刃が、鞘から抜き放たれた。
銀光を残し《神楽》の刀身が薫目掛けて振り抜かれる。
虚空を切り裂く《神楽》
薫は動いていない。
しかし、薫の操る風が、薫の身体をほんの一歩分だけ後方に動かしていたのだ。
完全なる隙。
薫が快心の笑みを浮かべて、両腕の小台風を俺に突き出す。
その薫の視界から、俺の身体が消えた。
「っえ!?」
思わず声を洩らす薫。
俺は速度を緩めず、踏み込んだ右足一本でその場にしゃがみ込み、そのまま薫の身体に身を投げ出した。
しかも、腕に力を集中したことにより《風帝の鎧》の力が弱まり、俺と薫は錐揉みしながらその場に転がった。
鼻の突きそうな距離にいる薫が笑う。
突如として俺と薫の間に吹き荒れる突風。
俺の身体が薫から引き剥がされる。
離れながら跳び起きる俺と薫。
背中に浸り突く汗を感じながら、俺は間髪入れずに間合いを詰める。
それは薫も同様だった。
薫の左腕が持ち上がり、その掌に大気が集まる。
俺はその大気ごと、薫の左手に《神楽》を振り落とした。
集められた大気が割れ、慌てて引き戻した薫の掌に一筋の血線が走る。
――こいつ、まさかっ!
飛び退く薫を追撃せず、俺は手に残る感触をもう一度吟味し、ある確信をもって薫を睨めつけた。
「読めたぜ、薫。お前の《風帝の鎧》。攻撃しているときは、かなり精度が落ちんだろ」
俺がそう問うと、薫は「ばれたか」と小さく舌を出した。
「うまく隠してたんだけどなぁ~。みんなには内緒にしてよ」
「ヤダ。言いふらしてやる」
「根性悪」
「ほっとけ」
「まぁ……いいや。じゃあ次は、こんなのはどうだい?」
そう言って薫が両腕をそれぞれ左右に突き出したかと思うと、薫を中心として強大な竜巻が発生した。
だが、それで終わりじゃない。
竜巻が次第に収縮し、人型に変わる。
「お待たせ♪」
そして、身体を風、じゃなく暴風で包み込んだ薫が、初めて体術の構えを見せた。
「なんだ、そりゃ?」
「ああ、ごめんごめん。そう言えば、この技は初めて見せるよね。これは《風神の闘衣》。僕の裏技だ、よっ」
言葉を後方に置き去りにし、竜巻を見に纏った薫が、俺目掛けて突っ込んで来た。
でも速度はそこまで速いものじゃない。
何か裏がある。
薫が拳を突き出す。
それは完全にお互いの間合いの外。
だが薫の拳圧により放たれた風の拳は、間合いの外から俺に迫って来た。
咄嗟に横手に飛び退く俺の後ろで、屋上のフェンスがまとめて空中に吹き飛ばされる。
こりゃ、一発でも貰ったらアウトだな。
遠距離戦では完全に薫に分がある。
俺は極限まで引き絞った脚筋を開放し、一瞬で薫との間合いに跳び込むと、その勢いのまま突撃の速度と上半身のバネをフルに使った《神楽》の切っ先を薫に突き刺した。
もし《風帝の鎧》だったなら確実に《神楽》の切っ先は薫の身体を貫通していたはずだ。
だが、今薫を包み込んでいるのは《風帝の鎧》ではなく《風神の闘衣》。
銃弾をも超える速度で突き出した《神楽》の切っ先が、薫の身体を覆う風に弾かれる。
俺は弾かれた刀身をすぐさま引き戻し薫目掛けて斬り込んだが、やはりその斬撃も《風神の闘衣》の前に弾かれた。
「チッ!」
舌打ちしながら俺は薫から大きく飛び退いた。
そんな俺を追って拳を繰り出してくる薫。
ギリギリで避けた俺の背後で、再びフェンスが突風の腕に掴まれ宙を舞う。
俺は薫の突き出した腕目掛けて《神楽》を掬い上げたが、高速で渦巻く《風神の闘衣》はいかなる敵も通さない。
しかも、無理な体勢から腕を振り上げたせいで、俺の動きが鈍る。
次の瞬間、風の中でも微動だにしない眼鏡の奥に光る薫の眼と俺の眼が交わり、俺のどてっ腹に強烈な風を纏った拳が突き刺さった。
許容量を超える痛みに、一瞬俺の視界が明滅し、俺の足がコンクリートの床を抉る。
だが、俺はその一撃を耐えきった。
「っな!?」
薫がこのバトル中一番大きく眼を見開いた。
俺だって、耐えきれるとは思っちゃいなかった。
ただ、運が良かっただけだ。
そして、俺は薫の精神のブレより生れた《風神の闘衣》の僅かなほつれを見逃しはしなかった。
弾かれた《神楽》の刀身が再三薫に食らいつく。
「しまった」、と叫ぶ時間すら薫には与えない。
ピキィン
金属が断ち切られる甲高い音が辺りに木霊する。
静寂。そして静止。
薫を包み込んでいた激しい《風神の闘衣》が、穏やかな春風に変わる。
風の衣を脱ぎ捨てる薫の切り裂かれた左袖から、縦に切り込みが入れられたリングか、乾いた音を響かせて、コンクリートに落下した。
「あ~あ。まさか、とっておきの《風神の闘衣》まで破られるなんて……。これがSランクとSSランクの実力の差ってことかい? 一騎」
悔しそうに笑いながら、拾い上げたリングを指でクルクル回す薫は、ドッとその場に座り込む俺に訊いてきた。
「アホ言え。SSランクの定員が3人じゃなかったら、間違いなくお前もSSランクに入ってんだろ」
それは俺の本心からの言葉だ。
それほど、薫は強かった。
背中に汗が浸り付く、勝か負けるか分からないマジバトル。
俺がその心地よい余韻に浸っていると、薫がクイクイっと何やら指を動かし、小さな風を起こした。
風に誘われてきたもの、『天響の焼きプリン』が薫の手の中に収まる。
「はい、一騎。戦利品だよ」
薫はその『天響の焼きプリン』を俺に投げ渡した。
俺は自分の手の中に納まった『天響の焼きプリン』をチラッと一瞥し、
「妹さんに持って行ってやれよ。このシスコン」
薫に投げ返した。
「い、いいの? 一騎だってコレすごく好きなんでしょ?」
「腹ぶん殴られた後に、あんまり食べる気しないっつーの」
肩を竦めながら俺がヒラヒラと手を振ると、薫は「じゃあ、お言葉に甘えて」と言って、『天響の焼きプリン』を再び風で包み込んだ。
「でも、やっぱりタダってわけにはいかないよ」
「気にすんなって。今のバトルで、俺はもう腹いっぱいだ」」
そう言って大げさに腹を擦って見せるが、薫はやっぱり納得いかないといった様子で、首を横に振った。
「一騎って、嘘つくの下手だよね」
「ウソじゃねぇよ、本当に俺は満足だ」
「……じゃあ、せめて。これは受け取ってくれてもいいよね」
早口にそう言うと、薫は俺の返事を待たずに、大きく腕を回した。
その途端、俺たちを中心として強風が渦を巻いて吹き荒れる。
そして、その小さな旋風が止むと、一瞬の間をおいて俺たちの上空から、たくさんの食べ物が降り注いできた。
「な、なんだこりゃ」
呆気にとられる俺を眼の端に収め、小さな笑いを洩らしながら、薫はさらに器用に風を操り、降り注ぐ食べ物を優しく風の腕で捉える。
あっという間に、俺の眼の前には、美味しそうな食山が生まれた。
「あ~あ。どうしたんだよ? コレ」
「別に、どうってことはないよ。本当は罠用に張っておいた風の網に引っ掛かったヤツを集めただけだから。さすがに『天響の焼きプリン』はないけど、よかったら食べてくれよ。質より量。等価交換手やつさ」
「よし、ノッた。じゃあ、これで貸し借りはなしってことで」
「うん。そうしてくれると、僕も楽だから。ああ、そうそう。たぶん大丈夫だと思うけど、念のため暴風壁を張っておくから。ゆっくり食べるといいよ」
「ああ、そうする。サンキューな」
俺の礼に薫は笑顔で応え、『天響の焼きプリン』を片手にその場を後にした。




