炎
次の日、訓練が終わった後にラルクはレイシアと、王都の商店街の方に来ていた。
レッドドラゴンによって折られた鋼の剣の代わりを買いにきたのだ。
ラルクはきょろきょろと、辺りを見渡す。
「いやー、しっかしどこの武器屋がいいんでしょうか」
「武器は父上に買ってもらっていましたから。私も分かりかねますね」
ラルクはこの間助けたお礼ということで、レイシアに剣を一本買ってもらえることになっていた。せっかくだから質の良い、魔法金属とかの剣を買っちゃおうかな、と彼は内心思っていた。
「それにしても、騎士様はお強いんですね」
「そうですかね。アルマにはてんで敵いませんが……」
「彼はそもそも年上でしょうし、何より天才です。そういった人と比べなければ、騎士様は十分凄いですよ」
「そうなん、ですかねー……」
ラルクの目指しているのは、善人も悪人も救えるような最高の騎士だ。アルマだろうと、あるいはもっと上、王国騎士団長だろうと超えていかなければならない。
「ま、ぼちぼち頑張りますか」
ぼちぼち頑張ると言っている割には、今でさえもラルクは鍛錬を続けていた。巨岩を背中に括りつけた状態で、バーピー(腕立て伏せと跳躍を繰り返す瞬発力訓練)をしながら進んでいっているのだ。
立ち上がる度に、昨日の特訓の傷跡から血が滴る。
「……」
ラルクは人の目を気にしない。
レイシアは内心少し引くが、とにかく会話を続けるために、
「……騎士様、辛くはないのですか?ずっと頑張り続けて、」
「はぁ、はぁ、俺ら、騎士は、慣れてますから、ね。ふう、辛さに耐えるのは」
道行く人は、なんだなんだと暴れ散らかしているラルクの方を見るが、すぐ隣にいるレイシアを見て顔を背ける。
ブライトハート侯爵家長女レイシア・ブライトハート。何かの拍子に不敬罪にでも問われたら拙いと考えたのだろう。
あるいはラルクを見て、なんだラルクかと前を向き直る者もいた。
「……」
「よっ、ほっ、はっ、」
レイシアは、運動しながら前に進むラルクを見つめる。
半袖から出る、血管の浮き出た前腕。短パンの下の、しなやかながらも筋肉の隆起している脚。大きな胸。レイシアが見上げるほどの高身。
そしてそれらの特徴からは想像もできないほど、爽やかで屈託のない顔。
汗をかく彼を、ぽーっとレイシアは見つめていた。
「……騎士様」
呟きともとれない小さな声は、虫の音と道行く人々の喧騒に掻き消されていく。
暑いからか顔は、少し火照って……、
「はあ、終了!」
と、そこでラルクがバーピーを止めた。腕立ての部分で起き上がれなくなって潰れたのだ。
滝のような汗と荒い息の割に、彼は笑顔を浮かべていた。
「お疲れ様です。……ところで疲れているでしょうに、騎士様はなんでそんなに笑顔なんですか?」
「ああ、これですか」
彼はにこやかな笑顔を彼女に向けて、
「頑張ると、また最高の騎士に一歩近づけたって思えるんです。それが嬉しくて」
なんとなくレイシアは、彼がこれから多くの人を救っていくのだろうと感じた。
純粋性。
平均寿命の短いこの国では、17歳は大人と認められることもある。
普通この年になれば多少は厭世観や醜い我欲といった、世俗にいるがゆえの闇も背負うこととなるのだろうが、彼には一切それがなかった。
眩しい陽光。どこまでも開けた蒼天。昼間の光は肌の汗をすぐに蒸発させて、けれどもすぐにまた汗が出てくる。
「良い天気ですね。騎士様」
「そうですね。夏だから暑いけど、曇りや雨と違って気分は晴れる」
虫の鳴き声が、どこからともなく聞こえてくる。みんみん、みんみん。
街路樹の方からだろうか。
「ああ、でも、やっぱり暑いなあ」
そんなことを言いながら、ラルクが起き上がる。
……そしてふと彼は、向こうに小さな生き物がいることに気が付いた。
「おもー」
「ああ、おもか」
ラルクたちが鳴き声の方を見ると、亜人種、おも達がちょこちょこと足元を歩いていた。
おもは体長30㎝ほどで、女の子を二頭身にしたような見た目をしている種族だ。目はくるくるぱっちりしていて、のんびりした性格が特徴的である。
ちなみにラルクは近所のおもたちとは大体友達だった。この金髪の大きめのおもと、青髪の中くらいのおもと、水色の髪の小さめのおもの三人組とも親交があった。
「わっ、かわいいです。おもさんたちって絵本の中だけの妖精だと思っていましたが、実在してたんですね!」
「個体数が少ないですからね」
レイシアが青髪のおもを持ち上げると、彼女はおもーと鳴きながらパタパタと足を振った。
その愛くるしさに眼を輝かせるレイシア。
しかしラルクはその動きで、おもが焦っていることに気がついた。
「どうしたんだい、おも?」
「えっ、どうしたんだって、どういうことですか?」
「おもは基本的に持ち上げられても暴れませんから。足をパタつかせているということは、何か緊急の用事があるってことです」
「なっ、」
それを聞いたレイシアがすかさず彼女を地面に下す。
……するとおもはラルクの言った通り、焦ったように口を開いた。
「ラルクー、あっちで今にも倒れそうな人がいたよー。助けてあげて」
「なんだって!?」
それだけ伝えて安心したのか、ちょこちょこと向こうに消えていく。
彼とレイシアはすぐに、彼女らが指さした方を見て、
「……?」
ふらふらと、焦点の定まらない目で近くの街路樹に近づいていく、ピンク髪をツインテールにした少女を発見した。
「う~、なんで財布を忘れてきちゃうのよー!」
「……」
「あの歩き方、熱中症でしょうか。この暑い中危いかもしれませんね。……って、騎士様?」
「……」
「もういい、街路樹の果実食べてやるー!」
話を聞くに、お腹が減ったからここまで遥々食事に来て、お金がなくて食べられなかったというところだろうか。
「なんで夏なのに果実がなってないのよ!前側スカスカ!ハゲ!もう一生生えてくんな!」
「えーと、お腹がすいてしまったのでしょうか。それとも脱水……?とにかく助けないと」
そう言うとレイシアは彼女に向かって走っていった。
なぜだかラルクは涙目で叫んでいる少女を見ると固まって動かなくなってしまったが、気にせずにレイシアは童女に近寄る。
「そこの方」
「う~、何よ~?」
「良かったらおごるので、一緒にご飯を食べていきませんか?」
「えっ、いいの!?」
眼をキラキラさせながら、彼女は店の方を見やる。
「……あら?」
――と、そこで彼女がラルクに気づいて彼の方を向いた。
「ってあれ、ざこラルクじゃない」
「…………どうも、こんにちは」
「知り合いですか?」
「……彼女はヨシュア先生。俺たちの担任です」
「先生っ!?って、もしや彼女が噂の、『幼女先生』なんですか!?」
「ふふ~ん」
ご飯をおごってもらえると分かり、普段の調子を多少取り戻したのか彼女はにやりと笑う(もっとも、視線は虚空に注がれているが)。
「こんな、私の肩までしかない子が教職についてるなんて、」
「身長で決めつけるのはよくないわ。でかさだけで言ったらラルクとか、大抵の人より上なんだし」
「でも顔も、」
「エルフだとか魔族とかおもだとかがいるこの世界で、そんなこと言ってもしょうがなくないかしら?はっきり言っておくけれど、小さいから子供だとか、そんな認識を持っていたらいつか足元を掬われるわよ?」
「確かに……」
レイシアは少し納得する。
……と、そこで身内?の恥に顔を赤くしながらラルクが前に出てきた。何をするのかと、レイシアは疑問に思って、
「とにかく、これでも食べてください」
「むぐっ」
彼は無理矢理に、彼女の口にパンを突っ込む。ポケットに突っ込んでいたものだった。
「うぷっ、くっさぁ~」
「我慢してください。過度の空腹は体に悪いですよ」
「えぐっ、おえっ、でもこれ腐って、」
「我慢してください。それで体を壊すほどやわじゃないでしょう」
そのパンは既に、朝の時点で悪くなっていた。それが夏の昼間にラルクと外の熱気に挟まていたのだから、状態は推して知るべきだろう。
仕方がなくヨシュアは、持っていたワインでそれを流し込んで(ちなみにレイシアはワインは持ってるんだという顔をしていた)、
「ぷはあっ。ざこラルク、アンタいっつもこんなもの食べてるの?」
「ええ、でもまあ俺の胃腸なら問題ないですよ」
「でもマズいでしょうに。そこの、ええと、」
「レイシアと申します」
「レイシアとやらに食べさせてもらいなさいよ」
彼女がそう言うと、レイシアは少しため息をついた。ため息の割に、どこか嬉しそうに、
「でも騎士様、施しは受けないって言って聞かないんですよ。剣を買ってもらうので、助けたのはチャラにしようなどと言ってまして」
「それはまあ、騎士ですから(厳密には騎士志望だが)」
「ふふっ、格好いいですね」
「あははっ、雑魚のくせにプライドは高いのね」
「プライドじゃないですよ。俺は騎士で多少は強いんだから、俺に回す分を他の貧しい人に回してほしいだけです」
「ふぅん」
「……ふうん」
このときヨシュアの瞳が、妖しくあるいは神秘的に輝いていた。
「レイシア」
彼女は、レイシアの顔を覗き込んでいた。
何かと思って、癖で彼女はピンク髪の幼女に目線を合わせようとしたが、
「貴女は彼の在り方が、真っ当な人間のそれであるように思えるかしら?」
目が合う前にヨシュアは視線を空にやる。そしてそんな質問を投げかけた。
「……真っ当な、人間?」
「ええ」
「俺は真っ当に決まってるじゃないですか。これでも課題を出し忘れたことないんですよ」
「えっ、凄いですね。私だって何度か忘れたのに」
「騙されないで。コイツ、学校の課題出したこと一度もないから」
「えっ」
「覚えていて出してませんからね。忘れてないってわけです」
「もうアンタはちょっと黙ってなさい」
ラルクの後頭部をバチコンと叩く。
泡を吹いているラルクを無視して、軽やかに彼女は歩を進めながら、
「だってそうじゃない?この雑魚は自分の利益より、他人の利益を優先しようとしているのよ。天国もなければ神もいない。それでコイツが救われるわけもないのに、にも関わらず見知らぬ他人にすら善意を無制限に振りまく」
「……いやですが、それは彼がとても善良だからで、」
「私はね、それを蓋し病気と思うわ」
断言だった。レイシアが一瞬動きを止める。
病気、思い当たる節はあった。
ラルクはレイシアを助けようとすることを、たとえ勝算がなくとも躊躇わなかった。
「……でもやはり、彼が善人だということですべての説明はつきますよ。病気などとは関係ありません」
それでも彼女は、輝くような笑顔を浮かべる少年がそんなものであるとは思わなかった。ヨシュアはそれを聞いて、ひどく曖昧な笑みを浮かべた。
「でもね、ラルクは少なくとも貴女のような、通常の人間ではないわ」
通常の人間ではない。
その意味を量りかねた。
彼女から見たラルクは今のところ、ただのひどく善良な少年である。
少なくともヨシュアのような、幼いながらもどこか人間離れした雰囲気は感じられない。
「……人間じゃないのはむしろ、」
レイシアが何かを言おうとして、
ヨシュアが唐突に真顔になって、斜め前を見つめた。
「あら、よりによってコイツ狙うかしら」
「…………?って、あっ!」
その瞬間ラルクに、彼より幼い少年がぶつかってきた。
「へへっ、悪いねお兄さん!」
「っ、」
レイシアはその瞬間、少年がラルクの財布を盗んで行ったことを見逃さなかった。
貴族の近くにいたことから金を持っていると判断してだろう。
走ってぶつかってくる人間の3人に1人はスリだ。
ただお人好しのラルクは人を疑うことを知らないのか、少年のことをぼんやりと眺めるだけで追いかけようとはしない。
少年の足は、才気あふれるレイシアからすれば遅かった。
いや、栄養状態が悪いのか痩せこけていて、さらにせいぜい10かそこらの歳であることから、誰からしても遅かっただろう。
「待ちなさ」
レイシアは追いかけようとして――、
伸ばした手を、ラルクに手刀で落とされた。
「痛っ!!?」
唐突な強烈な手刀に、彼女が顔を顰める。
ポタポタと垂れる血。
レイシアは痛がるというより驚いた顔でラルクの方を見た。
「一体、何を、」
群衆がレイシアの悲鳴を聞いて騒然とし出す。
原因が何であれ、貴族に怪我をさせておいてただで済むわけがない。
「……あっ!」
一瞬して、自分のしでかしたことの大きさに気が付いたのかラルクが彼女に向き直り、地面に額を付けた。
「ごめんなさい!つい魔が差して、レイシア様の痛がる顔が見たいと思ってしまい!」
「ええ……?」
「許されることではございません!ですがどうか、ご慈悲をくれないでしょうか!」
「一体何を、いや、私は何ともないので、とりあえず頭を上げて欲しいのですが」
迫真の謝罪にレイシアが困惑する。
滅茶苦茶すぎる。一体彼は何を言っているのか。そもそも何がしたいのか。
……困惑していると、ヨシュアが彼女に耳打ちした。
「侯爵令嬢の付き人の物を盗んだとなると、あの少年はどうなるのかしらね。仮に貴女とラルクが許したとしても、義憤に駆られた大人に、もしくは貴女に少しでも取り入りたい平民に、あるいは法局あたりにでも殺されるんじゃない?」
「!!?いや、確かにそうですが、でも彼は騎士様の物を盗んで、」
「関係ないのよ」
いっそ神の如く真理を透徹する薄桃色の瞳。
「善人は悪人でない者を救おうとするわ。だって悪人は他人を傷つけるのだから。じゃあ翻って、善人も悪人も救いたいとはどういうことなのかしらね」
「……!!?」
その真意に気が付いて、レイシアはゾッとした。
「コイツはバカみたいなことを言っているけれど、決してバカじゃないわ。仇で返されるとも知らず悪人を匿う老夫婦とも、悪を助けることの意味を正しく理解せず、感情で目の前の人間を助けるお人好しの青年とも違う」
「……!!」
「あの子を助ければ、あの子はまた盗みを働くでしょう。そのせいで病気の家族を救えずに亡くなる人だってでてくるかもしれない。ラルクはそういった苦しい葛藤の中で生きているの」
ヨシュアの言っていることが本当なのかどうかは、判断はつかない。
ただレイシアには、どうしてもラルクが考えなしであるようには見えなかった。
レイシアは目を細めた。
「矛盾、していますね」
「そうね」
「善人を救うことと、悪人を救うことは全く逆の結果を導くと私は思います」
「私もよ」
「でも、あるいは『炎』とはなれるのかもしれないわね」
「……炎?」
「ええ、天にまします父とも救世の英雄とも、あるいは賢王とも聖人とも違う、人の心に炎を灯す者」
彼女が何を言っているのかはわからなかった。
ただ、ヨシュアは穏やかに眼を細めていた。
その姿に彼女の言う『炎』が、少なくともヨシュアにとっての理想であることはわかった。
「……まあ、」
そこでパッとヨシュアがラルクの方を向いて、表情をもとに戻した。
「まあ、ラルクは今はただのザコだけどね。ざぁーこ♡ざぁーこ♡」
「ぐっ、なんで俺を急に煽り始めるんですか!」
「あのマズイパンを食べさせられた仕返しよ!あれ他人に食わせるのはやめなさいよ!」
「えー、いいじゃないですか。ヨシュア先生なんだし」
「むー」
二人は生徒と先生という垣根の違いこそあれど、とても仲が良さそうだった。それはさながら、兄妹のようで。
ヨシュアがびよ~んとラルクの頬を引っ張る。それに彼は何だかんだ言いながらも、嫌そうにはしていなかった。
「……本当に、騎士様のことを良く見てきたのですね」
彼女は、騒いでいる二人を横目に小さくこぼす。
「たぶんよく、似ているのでしょうね」
「――私ももっと、優しい人間であれたらなあ」
レイシアは多くの人間を殺してきた。それは直接暴力を振るったとか、裁きを下したとかそういうことではなく、ただ助けられる人間を救わなかっただけだ。
自分を傷つけたことで絞首刑に処された人の助命を嘆願しなかった。貧しい人々に富を配らなかった。それは人間としてひどく普通のことなのだろう。例えば遠く離れた貧しい人々の為に、身を切って生活を犠牲にして援助をする人間はいないように。
そう、他人事だった。一食を抜けば何人もの人を救えると知っていても、それをしはしない。
だがラルクという少年にとってはたぶん、その他人が自分より上にあるのだろう。
「ああ、どうか」
「――私も自分を犠牲に、誰かを助けられるような、そんな人間になりたいです」
その後3人は武器屋に行ってミスリルの剣を買って、公園でぶらぶら遊んで、カフェに入って、いつか日も暮れ散り散りに別れた。