レイシア
「ふう、疲れたな」
「しっかしアルマ、強すぎるだろ。終わってもまったく息が上がってなかったなあ」
あれから5時間。鍛錬が終わり、体中を痣だらけにし、砂埃で汚したラルクが林間道を歩いていた。
「寮に帰ったら、食べてとっとと寝よ」
普段彼はトレーニングをしながら歩く悪癖があるのだが、その余裕すらもないほどに疲れ切っていた。足は棒になり、眠気とも疲れとも取れない、混濁した重さが体にのしかかってくる。
「歩くのも、きついな」
「まあいいや、あと一分くらいで着く」
「……ふう、」
「よし、着いたー」
眼の前にはぽつりぽつりと窓から明かりが見える、3階建ての木造の古びた建物。
1年と3か月入っていた見慣れた寮だが、それを見たラルクは不思議と安心していた。
「ようやく休める」
そう言ってラルクはドアを開けて建物の中に入り、右に曲がってすぐの103号室の鍵穴にカギを入れた。
そうしてゆっくりと、鍵を捻って、
「……ん?」
なぜだか回らなかった。そこで彼は、鍵が根本まで入っていないことに気が付く。
「……流石に疲れすぎだろ。カギを押し込む力もないなんて、そんな」
彼は今度は力を込めて、鍵を奥に押し込もうとする。
しかしおかしなことに、鍵はこれ以上入っていかなかった。
「いやちょっとまて、どういうことだ!?」
これ以上力を込めれば、鍵穴か鍵のどちらかが危うい。疲れで頭が回らず、違う部屋の前に来ちゃったかと彼は目線を上げて……、
「え?」
そこには『103号室入居者ラルクに退去を命ず』と書かれた紙が貼ってあった。
「え、あ……?」
疲労困憊の彼の頭に真っ先に、まだ休めないの?という怒りのような不満のような、悲しみのようなやるせなさのような感情が浮かんできた。
そして次に、この疑問が浮かんできた。
「……なんで俺が、退去させられなければならないんだ?」
思い当たる原因は少ししかなかった。
常に何らかの運動をしながら移動しているのが目障りだったか、食事のために寮のゴミをよく漁っていたためか、あるいはよく横暴な貴族を懲らしめていたためか。
「……あれ、意外と妥当か?」
情状酌量の余地こそあれど、弁明の余地はない。
となると彼は近くで野宿をするか、王都の方まで歩いて宿を探すしかない。前者では疲れが取れず、後者では辿り着く前に死ぬ自信があった。
絶望したような顔をしながら、彼が仕方なく振り向いて……、
「騎士様」
「……レイシア様?」
金の髪を腰まで伸ばした、優し気な雰囲気の少女。髪は基本ストレートだが昼間とは違い、白いリボンを結んだ三つ編みを、一本だけ肩の前に出している。
ドレスも少し華美になっているし、おしゃれをしているのだろうかとラルクは思った。
「なんでここに?」
「騎士様がこの寮に住んでいらっしゃると聞きまして」
「あはは、それは……、」
もはや彼はこの寮に住んでいない。
ラルクは先ほどまでの経緯を説明した。
するとレイシアは同情してか口元を手で押さえた。
「そんな、追い出されてしまうだなんて、」
「自業自得と言えばそうなので、あまり文句も言えませんがね」
と、そこでレイシアは少し考え込むようにして……、
何かを思いついたのか、ラルクの手を握ってきた。
「……?」
「その、騎士様……、」
「はい、何でしょうか」
「よろしければ、私の家に来ませんか?」
「えっ、いいんですか!?」
それは願ってもない提案であった。彼女は微笑みながら、
「騎士様には助けられましたから。出来る限りのお礼をしたいと思っております」
「……かたじけない」
ラルクはぺこりと頭を下げると、足を前に踏み出した。
……踏み出して足がかくんと折れた。
「お疲れのようですね」
「う、ぐ、」
「おんぶしますよ」
「貴女様にそんなことをさせるわけには、ってうわ!?」
彼女はラルクを楽々負ぶると、ゆっくり歩み始めた。
人ひとり背負っているというのに体の軸はずれていない。明らかに鍛えられているなとラルクは思った。
「えへへ、驚きましたか?あのときは足が折れていたから何もできなかったけれど、実は私も無敵流の剣士だったんです」
「意外でしたね、てっきり魔法使いあたりかと。それに強い」
「ふふ」
寮を出て、元の林の道へと戻っていく。二人は何気ないことを語らいながら、レイシアの家に帰った。
(……ん?)
(そういえばレイシア様は、なんで寮の前で、こんな時間まで待っていたんんだ?)
よく考えてみれば少しおかしなことだった。訪ねてきたのだから、ラルクが103号室に住んでいたことも誰かに聞いて知っているはずだろう。
ラルクが別れてすぐに寮に向かって、そしてあの張り紙を見て出ていった場合、レイシアはラルクといつまでも会えないことになることは普通分かるはずだ。
(久々に帰省したんだ。物を取りに、あるいは掃除とかをしに、すぐに寮に戻る可能性は低くない)
ただ彼はそんなおかしさを感じながらも、それを言うのは咎められることのような気がした。
相手は高位の貴族だ。
ちょっとした違和感で聞くのもなあと思って、彼はそのまま柔い背中の上で眠りについた。
……。
「ごめんなさい、騎士様。でも、一緒にいたかったから」
夢見ごこちの中、そんな悪戯気な、儚気な声を聞いた気がした。