学園にて
夕方学園に着いた後ラルクはレイシアたちと別れて、自分のクラスである2_Aへと向かった。
閑静な廊下。斜めに日が差し込む、薄暗がりの教室。
休みだからか人は殆どいないが、教卓の上に当たり前のように、その少女は座っていた。
「あれ、ざこラルクじゃない。久しぶりね」
「久しぶりです」
そこにいるのはピンクの髪をツインテールにした、10歳ぐらいに見える少女。彼女は黒を基調としたゴシックなドレスに身を包み、本を片手に持っている。
「……ヨシュア先生。あれだけ教卓に座るのはやめろと、」
「ふふ~ん、どうせ休みに学校に来る生徒なんて、悩みのあるザコだけだからいいもんね」
「……、」
一見ただの生意気な童女に見える彼女は、ラルクの担任にして社会学の教師ヨシュア。亜人種なのか、こんな見た目でも彼より遥か年上の人間だった。
「で、夏休みはどうだった?まだ終わってないけど」
「妹が病気になったり、ドラゴンに襲われたりと散々な夏休みでしたよ。……まあ友人もできたし、新しい剣技もいくつか覚えられましたが」
「ウケる~、色々大変だったわね」
「まあ、はい」
「ま、暑いし夏バテ対策にこれでも食べなさい」
そヨ言うと彼女は、ドレスのポケットから岩牡蠣を取り出した。近くの海で取れる物である。ラルクはそれを取って口に放り込みながら、
「……先生、海水浴とか行ってました?」
「海の水ってしょっぱいのね、湖とは全然違うわ。今度アンタも一緒にどうかしら?」
「やらなければいけないことがあるので遠慮しときます」
「そう」
ヨシュアは、ピンクの前髪を弄って整えながら話している。
幼さの中に、どこか底知れなさを持った少女だった。
「で、どうしたの?ここに来たってことは何か聞きたい事があるのだろうけど、そのやることと関係があるのかしら」
「……少し、聞きたいことがありまして」
「ふぅん?」
聞きたいことがあると言っても、ラルクとどう関わるべきかを聞きに来たわけではない。ラルクは人を信じようとする性格だったからだ。
聞きに来たのは、
「あと3か月で劇的に強くなりたいんですが、いい方法ってありますかね?」
「どんくらい強くなりたいの?」
「できれば学園三傑に、勝てるぐらい」
「ぷっ」
それを聞いた彼女は、思わず吹き出してしまっていた。
「アハハッ、アンタみたいなザコザコが、あの天才たちに三か月で勝てるようになるわけないじゃない!」
「そ、そんな!何か裏技みたいな、」
「裏技?」
この時、つぶらな桃色の瞳が、確かにラルクを透徹していた。うっ、とラルクが一歩下がる。
「ばぁーか、裏技なんてないことぐらい分かるでしょ?今までずっと地道に、全力で、騎士になるため頑張って来たんだから」
「……、」
「例えて言うならば、前髪すっかすかのザコおじさんと髪ふさふさのおじさんがいたわ。それでハゲは育毛剤を塗ったり無駄な努力をしていたんだけれど、いつまで経ってもふさおじには敵わなかったわ」
「……」
「ある日そのことで、なぜ毛量が追いつかないのかと彼が非難すると、ふさおじは自分ははげる前から育毛剤を塗っていたと言ったの。アンタとアストラフィアの関係もそれに似ているわ」
ゴミみたいなたとえ話だが、それを言われると苦しかった。
そう、これまでラルクの歩んできた歴史が、手っ取り早く強くなる方法などないことを証明していたのだ。
何が目的なのかは分からないが、ともかくアルマの目的は達成しなくてはならない。しかしそのためには、アルマに卑怯な手段を使わせるより他になかった。
「……まあ、そうですよね」
ラルクは苦悶の表情を浮かべる。
しかしそこで、ヨシュアが教卓からちょこんと降りてきて、
「でもまあ、アンタがそんなこと聞いてくるってことは、相当何か緊急の理由があるのよね」
「はい……」
「強くなれるかどうかはともかく、ザコでも格上に勝てるようになるための裏技ならあるわよ」
「!?それは、いったい、」
パタンと彼女は羊皮紙の本を教卓に置いて、天井を見上げた。
「格上に勝つための裏技。それは、格上のザコと戦いまくればいいのよ」
「格上のザコ……?先生、その話し方頭おかしくなりません?」
「どうせ私からすればザコだからいいの!ともかく、格上の攻撃をなんとか耐え凌ぐ方法、なんとか攻撃をそれに当てる方法、そしてそれをできるなら一撃で倒す方法を、実戦で学ぶのよ。アンタは一応、よわよわなりに基礎体力はあるんだから」
確かに、いつもの素振りやら筋トレよりかは、役に立ちそうな方法だった。
長い目で見れば基礎練習の方が重要だが、数学の公式を前日丸暗記すれば一応それなりの点は取れるように、付け焼刃というのは短期間では最も効果的な鍛錬の一つなのだ。
「格上の倒し方を学ぶ、か……、」
実際騎士になってからも誰かを守るために自分より強い者と戦うことはあるだろうし、ちょうどいいかもしれないとラルクは思って、
「ここではっきり言っておくけれど、それでもたぶんアンタの勝算は薄いわ」
「やっぱりそうですかね」
「ええ。だってアンタの方がザコであることには変わりないんだもの。当然じゃない」
彼の表情が曇る。
曇って……、そのときヨシュアが悪戯ではない、真摯な瞳を向けた。
「けれどまあ、アンタが今まで頑張ってきたのも、また変わらない事実なのよ。せいぜい勝ってみなさい」
「……あっ、」
ヨシュアはとんっと、ラルクの胸を叩いた。教室に斜めに日が差してくる。
彼女にそう言われると、不思議と体の底から力が湧いてきた。ザコだのなんだの言ってくるが、それでも彼のことを思ってくれているのだ。
あの時も、そうだったなと彼は少し思い出す。
「でも、格上の練習相手なんて……、」
いるわけがないと言おうとして、いるなとラルクは気づいた。それもおそらくは、学園三傑とも遜色のない怪物が。彼は彼女の瞳を見つめ返した。
「どうも、ありがとうございます。流石は先生」
そう言われて、彼女はにっこりと微笑んだ。
「ふふっ、もっと褒めなさい。それで、どうせ人脈よわよわラルクには対戦相手なんていないだろうし、特別にウルトラグレートさいきょーの私が手伝っ」
「ああ、それは大丈夫です!ちょうど志を同じくする友人がいますので!」
「ええっ!?」
そう言うと、ラルクはぴゅーっと教室の外に走っていってしまった。迷いのない、力強い足だった。
ヨシュアは、一人教室に取り残される。
「……待ちなさいよ、バカ。私が稽古、つけてあげようと思ったのに」
彼女は俯きながら、そんな独り言をつぶやいた。言葉は虚空に、消えていく。