久しぶりの学園
アルマと別れた次の日、ラルクはひと月ぶりに、黎音と一緒に学園を訪れていた。すれ違う人々の視線を感じながら校庭を歩く。
「クラトス様に勝ったラルクさんだ……」
「こうしてみると、覇気あるなあ」
「アイツただの気違いじゃなかったんだね」
「最近学園に来ていなかったらしいけど、何をしていたのかな」
ラルクより耳の良い黎音は内緒話を聞いて、誇らしさの中にほんのりと独占欲を隠した複雑な表情をしながらラルクの方を見た。
「ラルク、お前は人気者ですね」
「はは、竜人の黎音さんが物珍しいから注目を集めているだけじゃないですか?」
「いえ、視線はどちらかと言えば、お前に注がれていますよ」
確かに、自分のことが噂されているみたいだな、とラルクは思った。なぜだろうかと思って、
「そういえば一応、大会で優勝したんでした」
「大会?」
「ええ、武力を競う大会が先月学園で開かれたんですよ。それでまあ、色々あって優勝することになりまして」
それを聞いて不思議そうに黎音は首を傾げた。
「ラルク、お前あの仮面の男に勝ったのですか?」
「あー、」
「あの男には、私でも油断したら負けますからね。万に一つも、お前では勝ち目がないように見えましたが……、存外やるのですね」
少しだけ褒めてくれているような気がしなくもない黎音に、ラルクは苦笑して、
「いえ、大会には学園生しか出ないんですよ」
「……?ああ、あれは学園生でなかったと」
「はい」
「とはいえこんな立派な学園で一位になるとは、素晴らしい事です」
「……」
黎音はあの日から、かなりラルクに対する評価が甘くなった。というか、無理矢理誉め言葉を捻り出しているようにも見える。
何とも言えない居心地の悪さがあったが、とはいえ黎音なりに変わろうとしているのかもしれない。ラルクは特に何も言わないで、
「おっと、そろそろ校舎ですね」
「……ここですか。お前の恩師とやらがいるのは。幼女の教師というのも、変な話ですが」
ラルクたちは昇降口のドアを開けて、木造の三階建ての建物の中に入っていった。二人とも靴を脱いで、右手に曲がる。
「あの教室に、先生はいるはずです」
そうしてラルクたちが手前の教室をひょっこり覗き込むと……、
「――、」
教卓の上で桃色の髪をツインテールにした、童女が本を読んでいた。
黎音は一瞬、その美しさに息を呑む。窓から差し込む正午の陽光に照らされ、柔和そうな顔に陰影が描かれる。どこか神秘的な、神聖な美しさだった。
「……あら?」
その少女、ヨシュアはラルクたちに気づいて、本をパタンと閉じた。そして愉快そうな笑みを浮かべながら、教卓を降りて近づいてくる。
「ざこラルクじゃない、久しぶりね。それと……、」
「黎音です。初めまして」
「黎音ね。よろしくするわ」
すっと、ヨシュアが右手を差し出してくる。フレンドリーな少女だった。黎音は性格上一瞬躊躇った後、しかし手を伸ばした。
「……ふうん、貴女強いのね」
「黎音さんは元竜将ですから」
「ふうん、龍神(天華のこと)の側近ってことか。なら納得ね」
黎音ほどの実力者にはそうそう会えるものではない。ラルクの見立てではこの王国に黎音以上の実力者は二人、王国騎士団長とヨシュアしかいないのだ。彼女が驚くのも当然だろう。
「しっかし、珍しいこともあったものねー。なんだってそんなお偉いさん連れてきたのよ」
「かくかくしかじかで」
「ああ、そういうこと」
「……かくかくしかじかで、伝わるのですか?」
「長い付き合いですから」
「まあ殆ど予想だけど、大きく外れることはないでしょ、……で、そんなアンタが、なんでわざわざ休みにここを訪れたのよ」
「あ、そういえば」
黎音が不思議そうに首を傾げているが、一旦彼女の疑問を置いて、ラルクはここに来た目的を果たすことにした。
「先生、聞きたいことがあって来たんです」
「何かしら?へんたいロリコンラルクが黎音を妊娠させちゃったとかなら知らないわよ~♡」
「昨日、子供の責任について、話をしたんです」
「えっ、あっ。……えっ、」
「アルマが実は子供で、そして彼は自らの目的のためなら自分が犠牲になることを是としていました。これは一体、どういうことなんでしょうか」
「……ああ、そういうことね!」
眼を白黒させていたヨシュアだが、安心したように息を吐いた。らしくもなく焦ってるな~と思いながら、ラルクは、
「アルマはあの時、責任などではなく。魂に突き動かされて突き進むといった旨のことを話していました。子供を一人の人間として尊重するというのなら、一定の理はあります。でも俺は正直、どんな理由があろうと子供が犠牲になることを間違っているように思ったのです」
それを聞いたヨシュアが、目を細めて言った。
「……子供ってのは?」
「年齢的に幼い人間のことです」
「幼いの定義は?」
「必要ないでしょう。こんな感情論に」
えっと黎音が驚いて声を出す。
「感情論を言っているという自覚はあったんですね」
「この頭よわよわはいつだって感情論よ」
「論理だとかなんだとかは、正直どうでもいいじゃないですか」
滅茶苦茶なラルクの発言に、しかし黎音は納得する。ラルクのような澄んだ感性と正義の心を持っている人間には、確かに正しい方向に行くための論理は要らないだろう。
「まあともかく、子供の犠牲ね……」
ヨシュアは何かを考えるように上を向いた。
「アンタはどう思ったの?アルマのその、苦難に立ち向かう姿を見て」
ラルクは一瞬苦しそうな顔をした。
「……美しいと、思ってしまいました。美しく在っていいはずなど、ないというのに」
「ふうん」
彼女はしばらく考え込んだ。考え込んで、そうしてふと顔を上げた。
「それじゃあアンタ、バクフー魔石田争奪戦に行きなさい」
「……バクフー魔石田?」
ラルクは首を傾げた。ヨシュアは頷いて、
「そう、大陸の極南東に位置するヴェート国、そのさらに沿海側に立地している超巨大魔石田よ」
「……」
詳しい説明を聞いても、ラルクは納得いかなそうな表情を浮かべていた。ただしそれは、魔石田に行って何になるのかという疑問に端を発しているわけではなかった。
「6年前の大地震で地殻が変動し、魔石田が可採領域にまで昇り、そこは世界最大の魔石田として話題になりましたね」
「よく覚えているじゃない」
「でもそこは、表面に魔石があるだけだと発覚して捨てられたはずです。なぜ今になって……、」
そう、そこはラルクの知っている限り、そもそも魔石田でもなんでもなかったはずだ。今は確か、バクフー平野と名前を変えている。
と、そこでヨシュアがにやりと笑って、
「妙だとは思わないかしら?表面にだけ魔石が広く分布しているのも、そんな見かけだけの場所が一時期だけとはいえ、世界最大の魔石田として有名になるのも」
「……まあ、それはそうですが、」
「なかったことにされたのよ。王国と獣王国という二つの大国の、利権の波に攫われてね」
「!?」
驚愕するラルクをよそに、ヨシュアは語りを続ける。
王国は領土内に巨大な魔石田がなく、エネルギーの殆どを外部からの輸入に頼っていると。
獣王国は産業の中心が魔石輸出であるため、特に近くに立地しているバクフー油田を欲しがったと。
結果、二つの大国は戦争に発展しかけた。500年前からの不戦の誓いを破って。
とはいえ二国の戦争は世界経済に大打撃を与える上、何よりこの事例をきっかけに五大国間での戦争を復活させかねない。一〇〇〇年続くかもしれぬ、不毛の大戦争をだ。
だから戦争になるのを危惧して、二国の仲裁に立ち上がった者がいた。
それが他でもない七冠聖絶の三、超越のリシディアクォーツである。
「……七冠聖絶?」
ここで、ラルクが口を挟んだ。聞き覚えのある、どころではない名前。ええ、とヨシュアは頷いて、
「なぜ彼女が他国のことに首を突っ込んできたかは分からないわ。分かるのは彼女が、少なくとも二大国がヴェートに派遣できるくらいの戦力なら容易く殲滅できる武力を持っていたということだけ」
「結果として二大国は敗北という恥を外に知られないため、一旦バクフー魔石田の存在を周辺国家も巻き込んで秘匿したわ。裏では王国と獣王国とで、魔石田を得るため、または高値で売りつけるための交渉をしながらね」
「そして先日、本格的に王国と獣王国とでの、魔石田の奪い合いが始まったわ」
「……?」
ラルクは話の流れがよく理解できなかった。なぜ急に、再び奪い合いを始めたのかと思って、
「グルディオクラッチの死で聖絶の神話性が失われた結果、止まる理由がなくなったのですね?」
黎音がそう呟いた。ああ、とラルクは頷く。
「ああ、なるほど!頭いいなー」
「それほどでもありま「残念、最大の理由はそれじゃないわ」
「はっ?」
ラルクに褒められて少し照れていた黎音が、思わず声を上げる。それでないとは、なら一体……、
「勿論グルディオの死も一つの理由としてはあったのだろうけど、最大の原因は、最近ヴェートが魔石の採取技術を確立させたことね」
「……採取技術の、確立」
「ええ。二大国はヴェートに資源を取られるのを嫌がったのよ」
取られるのを嫌がる。ラルクはそれに、彼らしくもなく一種の怒りを覚えた。……なぜなら、
「そもそもバクフー魔石田は、ヴェートのものじゃないか」
「それもそれで、違うと思うけれどね」
「……どういうことですか」
「だって二大国にバクフーを得る正当性がないとするのなら、ヴェートにも正当性がないもの」
「……?」
理解できていないラルクに、そのスカスカの頭でも分かるよう喩えてあげるわとヨシュアは前置きして、
「短小の男が美しい妻と、農場で睦まじく暮らしていたわ。しかしある日つよオスがやってきて、その妻を寝取ってしまうの。それに男が怒って文句を言うんだけれど、そこでつよオスは言うの。『お前だって前髪スカスカ低身長ワキガおじさんからこの女を寝取っただろう。なぜ文句を言えるのか』と。その過去を掘り返されて、短小おじはすっかり黙ってしまったわ」
「…………何ですか、このゴミみたいな喩えは」
「いつものことです気にしないでください」
「ともかく、ヴェートもより弱い者から奪い続けて今日の国家に至るのよ。同情の余地はないわ」
奪い合いの関係という論理ではなく国家という論理から言えば、ヴェートは正当にバクフーを持つ権利があるのだろう。諸国家から、バクフーはヴェート領だと認められているのだから。
ただその正当性は、薄っぺらなものだ。ヴェートがかつてバクフーを有していた国を攻めた時に得た、国家という枠組みの存続の為にあり、善性を持たない正当性だ。ラルクの気にするところではない。
彼は少し下を向いた後、また少ししてヨシュアの方を見て、
「……とりあえず、バクフー油田を奪いに行くこと自体は悪い事じゃないのは分かりました。ヴェートや獣王国の人たちも、必死に利権を得ようとしているわけですし」
「ふふっ、アンタにしては理解までの時間が短かったわね」
「でもなぜ、そこに行けば子供が命を犠牲にすること、その意味が分かるのですか?」
そう、それは黎音にとっても全くの疑問であった。まさか未来が見えてでもいない限り、そんな限定的な事象に対する断言はできないはず。
黎音はヨシュアが只者でないというのを薄々感じている。黎音は何か、彼女が自分たちを納得させるのに十分な根拠を示しうるのではないかと少し期待して、
「……それは、言えないわ」
帰ってきた答えに逆に驚愕することとなる。
それは、言えない。そんな答えで、ラルクを説得できると思っているのか。
「分かりました。じゃあヴェートに行こうと思います」
「なっ!?」
しかしラルクはなぜか頷いた。思わず黎音は彼の腕を掴んでいた。
「黎音さん?」
「ラルク、お前はなんであの答えで納得するんですか!?ヴェートなんて、一日やそこらで行けるところではないのですよ!?」
「まあでも先生が行くべきだって言っているんだし、なんか意味はあるんですよ。ああ、それとヨシュア先生、俺に何かあったら妹たちをお願いしますね」
「任せなさい」
「ッツ、」
黎音は絶句した。人懐っこく、他人をよく信用する少年だとは思っていたが、親しい者が相手ならこうもなるのか。
これではまるで、妄信ではないか。
「それじゃヴェートに行ってきます。黎音さんも行きますか?」
「え、ええ、お前ひとりじゃ心配なので、付いて行かせてください」
「じゃあ特に準備するものもないし、今日中に出発といきましょう」
無条件の信頼。ラルクの人間への愛は、そのまま彼を破滅させる錆び着いた刃にもなりかねない。
ふと、彼女はヨシュアがそれに気づいているのか聞きたく思った。そうして彼女の方を見ると。
「……」
ヨシュアはどこか慈愛に満ちた、悲しみに満ちた、感情の知れない瞳をしていた。黎音はその人間離れした瞳をどうにも、忘れられそうにない。




