竜の巣へ
「そう言えばなんでアンタは、わざわざドラゴンの巣まで行くんだ?卵が欲しいだけなら、買えばいいだけだろ」
レッドドラゴンの巣に向かう山道。マダニの潜んでいそうな藪の中を進んでいるときに、ラルクは逆立ちで山を登りながらそんなことを聞いていた。
「魔石を取るときの動き。アンタは多分、戦闘面でも優れているんだと思う。でもレッドドラゴンは危ないだろ」
「だからドラゴンが巣を留守にするのを確認するまで、村で待っていたわけだが」
「戻ってきたら危険じゃない?」
「……鍛錬の為とは言え逆立ちで藪を進んでいる奴に、正論を言われるとはな」
ガサガサと草木を掻き分ける音が、少し明瞭になって、
「……金が、ない」
「……え?」
「俺には自由に使える金が、全くない」
「はあっ!?」
驚いたラルクが叫ぶ。鳥がバタバタと飛び去って行き、思わずアルマは顔をおそらく顰めて、
「おい、うるさいぞ。ドラゴンに気づかれはしないだろうが、魔物を引き付けたらどうする」
「いやだって、なんで薬を作れて、しかも分解までできる優れた錬金術師なのに、金がないんだよ!?」
そこまで言った後で、ラルクは突然ある可能性に気づいてポンと手を打つ代わりに足を合わせた。
「あ、いや、アンタいつも無料で治療してるのか。なら……、」
「違う」
「えっ、」
はっきりと否定されて、わけが分からなくなる。
「違う?ならなんで金がないんだよ」
「……いや、厳密にはあるんだが、錬金ガマを買うために貯めていて使えない」
「……えっと、アンタ、どんだけ高い錬金ガマ買う気だ?ミスリル製のだろうと、50000ゴールドは超えないと思うけど、」
「1000万ゴールド」
「へ、はあっ!?」
錬金ガマは魔力を流れやすくし、また保持する機能を持つとともに、魔石と素材を合体させやすくする触媒作用も果たす。
錬金の難易度が高くなればなるほど、つまり必要な魔力量が大きく、素材たちが合体しにくくなるほど錬金ガマの重要性も上がるのだ。
1000万ゴールド、これは錬金術師の彼であっても到底稼げる額ではない。高位貴族ですらおいそれ出せはしない。
そんな錬金ガマを、なぜ欲しがっているのかとラルクは不審げにして、
「なあアルマ、」
「……しっ」
「なっ、なんだよ?」
「あれがドラゴンの巣だ」
「!!」
藪を抜け、平坦で開けたところに着いた。前を見ると、鬱蒼とした木々に囲まれ、人の背丈ほどもある卵が3個ほど置いてある。
「……あれが竜の卵」
ラルクは一回転して足で着地すると、ごくりと唾を呑んだ。村で話にはよく聞いていたドラゴンだが、卵とはいえその実物を見るのは初めてだった。
光沢を帯びた白の殻。
風を受けて揺れる巣。
溢れる魔力。
まだこの世に生を受けてもいないというのに、その存在感。これらはいつか、地の王となるだけの素質を秘めているのだ。
「こんなにも、大きいんだな」
「成体は体長20mを超える。戦って勝てない相手ではないが、負けない相手でもないだろう。とっとと卵を運び出すぞ」
「えっ、これを運ぶって、どうやって、」
「錬金、開始」
彼は、小さなポーチから手のひら大の黄色い魔石を取り出した。そしてそれを、近くの見上げるほどの木に押し当てる。
「えっ、なにをやっているんだ?」
「気が散る。黙れ」
「……」
仕方がなく言われたようラルクが黙っていると、突然に木が変形を始めた。
「ッツ、このサイズの物を、錬金!?」
ラルクは騎士見習いで、アルマに話してはいないが国内最高峰の学園に通っている。
多くの優れた騎士や魔法使いと共に、多くの優れた錬金術師を見てきた。しかしその中でもアルマの能力は明らかに傑出していた。
「『変形、塑性付与、曲がれ、編め』」
「……」
木の真ん中が凹み、粘土を捏ねるように薄く横に引き伸ばされていく。木が皿のような形に変わる。
そして2本の枝と2本の根が円を描くように曲がっていき、次第に車輪のようになる。そしてその輪は途中で分離して、木の横から突き出している枝と根にはまる。
「なんていう、略式詠唱だ……」
果たしてそこには、木の車が完成していた。
車輪はスムーズに回転し、車体は安定を保っている。
「こんな規模の錬金、学園の生徒にも、」
「騎士見習いなんだろ?なら力はあるはずだ。運べ」
「あ、ああっ!」
驚いてばかりもいられない。ラルクは卵の一つに歩を進めていく。彼は自分よりも少し大きな卵を見上げて、
「……しっかし、でっかいな」
「持てるか?一つだけあれば事足りるが、」
「大丈夫。……ふん、」
彼はそう言うと、腕を広げて膝を前に出して、卵を抱え上げた。ほう、とアルマが吐息を漏らす。
「流石に騎士見習いと言ったところか」
「ぬぐぐぐぐ、重ッ」
「ああ、車には優しく乗せろよ。頑丈な卵とはいえ、重さが重さだ」
「わかってる、よっ!」
ラルクはそのまま体を前に倒すようにして、しかし衝撃は起こさずに卵を荷台に乗せた。
「ふむ、他に取り柄があるのかは知らんが、力だけはそこそこのようだな」
「はあ、はあ、アンタ常に憎まれ口叩いてないと気が済まないのか」
そうは言うが、確かにアルマはラルクの腕力の強さを認めていた。
彼は自らの顎に手を当てて、
「それだけ体力があるのなら、魔物を狩るなり護衛をするなり、10000ゴールド位用意できそうなものだが」
そんなことを不思議そうに言った。ラルクは頭をポリポリと掻きながら、
「いやまあ、ある程度溜まり次第適切なとこに寄付しちゃうんだよ」
「貧民のくせに寄付とは、奇妙な奴だ」
「俺はそこそこ強いから」
善良な性格なのだろう。アルマは何かを言おうとして、しかし首を振って、
「……まあいい、それでは下りるぞ」
「下すだけなら車輪もあるし、たぶん楽だよな?」
「なわけないだろ。速度を出さないために、全力でストッパーになってもらうぞ」
「だよなあちくしょう!それじゃ、よしっ、」
そう文句を言いながらも、どこか笑顔を浮かべて彼は車の後ろの方を掴む。すると斜面の下方向に向かって、引っぱられるような力を感じた。
「うおっ、やっぱり重っ、」
「傾斜自体はそこまでない山だがな。下までもちそうにないか?」
「いいや、余裕だ」
なぜかラルクは機嫌がよさそうだった。元から明るい彼だが、今は特に機嫌がいいように見える。
不思議そうにアルマは聞いた。
「なぜお前は、そんなにテンションが高いのだ?」
「決まっているだろ!」
「いや、決まってはいないと思うが、」
ラルクはへへんと鼻を鳴らして、
「あのドラゴンの卵を、俺は今持っているんだ!」
「……?」
「あのおとぎ話の化け物……、という割には毎月一度は見てるけど、ともかくそんな奴の卵を持っているんだぜ!?」
騎士見習い。アルマは血豆がいくつも浮かんだラルクの手を見る。どうやら彼は、長年見上げるだけだったものに、その卵とはいえ関わることができてうれしいのだろう。
ふとアルマは、口を開いて、
「……ふむ。お前は竜を倒す英雄に興味があるのか?」
「え?」
彼はどこか、場の雰囲気が変わったのを感じた。
「それとも英雄になって得られる名誉や富、権力に興味があるのか?」
「えっ、いきなりなんだよ?」
ここで初めて、アルマはほんの少しだけ彼に興味を持ったようだ。ラルクの質問にも、彼は取り合わず、
「人には目的がある。そして目的には責任がある」
「……?」
「答えろ。お前はなぜ、騎士になりたい?」
「……うーん、なぜ騎士になりたい、か」
ラルクはそう言われて、少し考えるように俯いた。おそらく今までは憧れるばかりで、しっかりとその理由について考えたことはなかったのだろう。
「うん、そうだな」
しかしそこまで長く考え込みはしなかった。
「みんなが平和に暮らせる、そんな世界を作りたかったからかな」
「……」
「この世界ではさ、毎日たくさんの人が死んでる。国家間の戦争で、魔物の襲撃で、あるいは個人間の暴力で、病気で、空腹で、何もかもで」
比較的平和で裕福なこの国でも平均寿命は50を越えず、もっと貧しい国や紛争地帯に住む人間は、言うまでもないだろう。
幸い『五大国』がシェテ会議(第12回五大国会議)での戦争禁止の取り決めを長らく守っているためにそこまで戦争は大規模でないが、その平和も永遠ではない。
「アンタみたいな良い錬金術師もいるけど、大半はそうじゃなくて、貧しい人は治療を受けられない」
だからさ、と彼は言って、
「俺は良い人も悪い人もみんな助けられるような、すごい騎士になりたいんだ。誰も傷つかなければ、そんな世界はきっと眩しい!」
「……それは夢物がた」
「ああ、夢だ」
「……」
燦然たる瞳には、夢と現実が同時に映っていた。しかしそれらは確かに弁別されているのだ。
ふと、アルマは静かな声で呟いた。
「今はまだ未熟だが、お前はそのうち大きな力を持つのだろう」
「たぶんそうだね」
「……『命』に対して、すべての人は『責任』を負っている」
「えっ?」
唐突な発言に、ラルクは目を丸くした。
「そしてこれは、大きな力を持った者の宿命だが、―――その責任を果たすためには、正しい『決断』をしなければならない。夢だの理想だの、なんだのを捨ててな」
「いや、だから何を、」
「要するにだ」
その瞬間、耳をつんざくような、甲高い鳴き声が聞こえてきた。下の方からである。
「ッツ、何が、」
「下を見ろ。遠目からでよく分からないが、おそらく女と馬車が竜に襲われている。レッドドラゴンが帰って来たのだろう」
「何だって!?」
ラルクが目を凝らすと、高い木々の隙間から赤い巨大な何かと、人のようなモノが見えた。
彼は即座に走ろうとして、
「思ったより帰ってくるのが早かったが、ともかくは決断の時だ」
「何を、俺はもう走るって、」
「それは決断か?」
「はぁ!?」
こんな状況で何を言っているんだ、とラルクは非難の声を上げようとして、
「俺は死にたくないから戦いに加わらない。そしてお前がレッドドラゴンと戦えば、ほぼ確実にお前は死ぬ」
「それが、どうした!!」
「お前が死ぬということは、これからお前が立派に成長して救うはずだった人たちを見捨てるということだ」
「!?」
アルマはさらに語る。
ラルクは凡人の中ではそれなりに才能がある方なことを。生きさえすればいつか、王国一の騎士団の、さらに精鋭部隊にすら手が届くことを。
「決断とは、秤にかけるすべての事象を理解して初めて下されるものだ。衝動のままに判断すれば、それが直接的であれ間接的であれ、どれだけ多くの禍根と悲劇と不利益がもたらされるのかを知れ」
「……ぐっ、」
「責任を持て。正しい決断をしろ。お前の取るべき正解は、」
「ああっ、もう、うるさいっ!!」
「!!?」
ラルクはアルマの話をすべて聞くこともなく、レッドドラゴンの方に向けて斜面を走り始めた。
「なっ、何をしている!?戻って来い!」
「うるさいっ、訳の分からない理屈ばっかり言いやがって!助けたいから助ける、見捨てたくないから見捨てない、それじゃダメなのか!」
ラルクは腰に着けていた鞘から剣を抜くと、音のする方に向かって走り下りていった。
「うおお、ドラゴン、こっちを向けえっ!!」
「ちっ、あの莫迦……、」
ドラゴンから少女を助けに行ったラルク。
一方でアルマはバックを開けて、魔石の数を確認する。中くらいの魔石が一つ、小さい魔石が三つ。
「…………少ないな」
彼は向こうのドラゴンのサイズを見る。全長は30mほど、おそらくはレッドドラゴンの中でも長く生きている強力な個体だろう。
「いや、もはや通常のレッドドラゴンとは分けて考えるべきだな。竜族は長生きすればするほど肉体は強大になり、いずれ人にも劣らぬほど知恵を付ける」
「『エルダーレッドドラゴン』とでも呼ぼうか。あれに勝てる奴は、王都に行ってもそこまではいないだろう」
彼は呟くと、車を掴んだまま、レッドドラゴンを迂回するように横の獣道に抜けていった。
「俺はお前が何と言おうと加勢に行かないぞ!死にたいなら勝手にやるといい!」
彼は叫んだ。あるいは竜に襲われている少女にも、聞こえかねないほどの大きな声で。