6 旅立ちの時② ~フリックからのプレゼント~
「そうか。グラッドの港街に行くんだね。しばらく会えなくなるね」
早朝。
出発前に治療院のロシュウ先生を訪ねた。
母親からの手紙を渡すと「そうか」と頷く。
「これは大変な仕事だ。でも君なら大丈夫だろう」
「うん! 先生も元気でね!」
「あ、そうだ。ちょっと待って」
すると彼は治療院の戸棚から小さな薬瓶を取り出し持ってきた。「傷薬だよ」と簡単に使い方を教えてもくれる。
「ありがとう!」
皮袋に受け取った薬瓶を入れたアリシアは、治療院の入り口から奥を覗く仕草をした。
「フリックはまだ起きてないの?」
「昨日、山に薬草採取へ行ってたからね。疲れてるんだよ」
「そっか。じゃあ起こしたら悪いね。フリックにはロシュウ先生からよろしく言っておいて」
「きっと寂しがると思うよ」
そう言ってアリシアはロシュウと別れ、自分の歩く方向を確かめるみたいに「西、西」と西の山へ指をさした。
「よし! しゅっぱーっつ!!」
身の丈ほどある大剣と皮袋を背負って出発する。
と、ノーファンの町を出て数刻としない頃のことだった。
「アリシアーーーッ!」
「フリック?!」
両手を振ってズンズン歩いていたアリシアの背後から、フリックが走って追いかけてくる。
「やっと追いついた……。クソ、昨日の今日で疲れてんのに…」
よほど走ったのだろう、走るのが得意な彼なのに珍しく、膝に手をついてゼエゼエ肩で息をしていた。
アリシアの3つ年上の彼は今年18。もう町でも立派な青年で、背はずいぶん追い越されてしまっていた。
ロシュウ先生そっくりの金髪から流れる汗を拭う彼に、
「寂しくなって追いかけてくれたの? フリックも一緒に行く?」
「バ、バカかお前は。い、いちおう俺はお前の兄貴分で、幼馴染なんだろ」
「そ、そうだけど…」
「だったら無理にでも起こして、挨拶くらいして行けってんだ」
アリシアは唇を尖らせる。
(幼馴染みの兄貴分か……。ま、そうだよね)
持っていた水筒を差し出したが「長旅だろ、大事にしろ」と彼は拒否し、空気を求めるように空を仰いだ。
「お前んちのお袋ってマジで常識ねえのな。娘ひとり、大陸の端まで歩かせるとか何考えてんだよ」
「んー。うちのお母さん、いろいろあって大変なんだよ」
「ったくオヤジもオヤジだぜ。止めてやれよ。本当にどいつもこいつも頭大丈夫か…」
愚痴を言い続けたフリックはようやく息を整え、上着のポケットに手を突っ込む。
そして中から長細い箱を取り出してきた。
「なにこれ? 武器?」
不思議そうな顔をするアリシアにフリックは呆れ顔をする。
「違うって。どうしたらそういう発想になるんだよ。筆だよ、筆」
「筆?」
「2年くらい戻ってこれねえんだろ。良い筆選んだから、ちゃんと練習しろ」
「…………」
アリシアは首を傾げた。
「私、2年も戻って来ないって言った?」
「グラッドまで半年なんだろ? じゃあ往復だけでも1年掛かるじゃねえか」
「あ、そっか」
アリシアは手を打って納得する。
フリックから箱を受け取り「開けてもいい?」と訊ねたら「開けろよ」と彼はぶっきらぼうに言った。
開けた途端「わっ! すっごい高級品!」と驚く彼女に、フリックは「フ、フン」と鼻を鳴らす。
「そいつで練習すりゃ、お前のヤバい字もちったあマシになる」
「ど、どうしてこんなのくれるの?」
「どうしてって。それは……」
フリックはやや口ごもり、ややあって、
「お前みたいな女、どこにも嫁げねえだろうから。うちで雇ってやるって言ってんだよ」
「私、算数ダメだよ?」
「期待してねーから。けど、字くらいまともに書けるようになってくれ。いいか、本当にちゃんと練習しろよ? 毎日だぞ!」
毎日だぞ、という彼との約束を守れるかどうか自信はない。
だけど、
「うん、練習する!」
アリシアは笑った。大事に皮袋にしまって「ねえ、フリック」
「心配しなくていいからね? ぜんぜん平気だよ! 山賊と出逢ってもお母さんから貰った剣でやっつけるから!」
「そりゃ鬼に金棒だ。相手の山賊に同情するぜ」
「鬼ぃ?!」
「その辺はぜんぜん心配してねーよ。いや、少ししてっけど。つーか、ちゃんと辿り着けるかってとこでだな」
「ん????」
お互い、なかなか良い別れの言葉が出なかった。
うまく言えないからそのまま行ってしまおうと、そう歩き出しかけた足を……ふと、止める。
彼の方を振り返り、
「フリック、元気でね!!」
「あ、ああ。お前もな。絶対、無事に帰って来いよ?」
「うん!!」
短く別れの言葉を交わし、改めてアリシアは出発した。
元気よく手を振って、歩き出す彼女にフリックは疑問を抱く。
(ところで何で半年なんだ? グラッドの港町って確かに遠いけど…半年もかかるのかよ?)
徒歩でゆっくり行っても、2か月あれば十分な距離のはずだがとフリックは思った。
もしかしたら、ロクに字も読めないアリシアのことだから。
途中で道を間違たり、方角を誤ったりするのも計算に入れているのかもしれないが、
(2年か……。町も静かになっちまうな…)
金髪のフリックはひとりで毒づきながら、遠く小さくなってゆくアリシアの姿が見えなくなるまで見送った。