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続・永遠の蛙  作者: 十々木 とと
本編
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7. 巡るは思考ばかり


 シモンが持ち帰った話に、ヴェラも首を傾げた。魔女研究とは、人間が魔女の力を利用できるようにするための研究だと聞いている。ヴェラが渡せる有益な情報は何もない。役立つとするなら一つしか思い浮かばなかった。


「被験体」

「それは断る」


 ヴェラがぽつりと口にすると、シモンが即座に終わらせた。


「もしかして。魔女の呪いを解く研究もしていたりするのでしょうか」

「……有り得るけど。僕を通さずそんな話を持ちかけられても、簡単に乗ってはいけないよ」


 ヴェラが目で問うと、シモンは苦いような弱ったような、一言では形容し難い複雑な顔をした。


「母上からも教わっただろう。親切心だけで上手い話を持ってくる貴族なんていないんだよ」


 額面通りに受け取ってはいけない、表情を読め裏を読め。カミラは勿論、ヤンヌからも口を酸っぱくして言われている。それだけヴェラが真っ直ぐな受け止め方をしているということで、危なっかしいと思われているのだ。


「それに」


 シモンはその先を音にするのを迷うように口を噤んだ。ヴェラは大人しく続きを待つ。暫く見つめ合うだけの時間が過ぎた。シモンの瞳には懊悩の片鱗が見えるが、ヴェラにはその内容までは見通せない。だからただじっと待つ。じっとしているのは苦ではなかった。蛙の間に、置物のように何時間でもじっとしていられる忍耐が養われていた。やがてシモンの瞳が揺れ、顔が近付いてくる。額同士が合わさる頃には、鳶色の瞳は瞼の奥に隠されていた。


「ヴェラは完全な解呪を望んでいるよ、ね」


 近過ぎるせいでうすぼんやりとして見えるシモンの瞼を見ながら、ヴェラは考える。この問いはどういう意味なのか、シモンがどういう答えを望んでいるのか。これはきっと、先程言いさした言葉の続きではない。だがそれが解っても、どんな言葉を期待しているのかは判らない。素直に言葉通りのことを考えることにした。


「どうでしょう」


 改めて考えると、ヴェラの中には明確な答えがない。当初は勿論それを望んだ。狂おしい程にそれしか望みはなかった。やがて諦めることでその渇望とは折り合いが付いて、長い年月が過ぎ去った。そして不完全とはいえ解呪された今、不自由は感じていない。産まれてくる子が心配だから、できることなら完全な解呪が望ましいと思う。だが積極的に求める心は、以前の渇望は不思議と湧いてこない。人生より、蛙生の方が遥かに長かったのだ。生きる為の基本的な営みの他に、すべきことや抱えることの多い人間の生活に比べ、蛙生は実に簡素であった。苦痛や恐怖に晒される機会が圧倒的に多かったのだとしても、蛙であることが身に馴染んでしまっている。

 シモンの瞼がそっと持ち上がった。じっと瞳を覗き込む鳶色を見ながら、ヴェラは呟いた。


「わかりません」


 折り合いがつく前であったなら、即答できただろう。それに蛙にできるのはシモンだけなのだ。タイミングにさえ気を付ければ、不便さも特にない。他に支障らしきものも───あった。


「私は。……死ねるのでしょうか」


 永遠に蛙であることを止められない呪いだ。蛙の時は死んでも死ねなかった。ならば半ば解けている状態の今はどうなのだろうか。蛙の時だけ不死なのか。人間の時も不死なのか。蛙でも死ぬのか。

 ヴェラは息を呑んだシモンの手から抜け出て、ふらりと書き物机に向かう。


「待って。何をする気」


 シモンが慌ててヴェラの手を握った。


「傷の治り方が他の人と違ったりしないかと」


 ヴェラの手にはペーパーナイフが握られている。


「なんだ、傷か。……いやなんだじゃないよ、そういう確認は駄目だよ」


 シモンは一度は安堵しかけたが、直ぐに表情を険しくしてヴェラの手からペーパーナイフを抜き取り、引き出しにしまった。


「他に確認のしようが」

「駄目」

「指先だけ」

「駄目」

「かすり傷」

「駄目」

「ちょっとだけんぅ」


 ヴェラはシモンにキスを浴びて、強制変化の刑に処された。



 一夜明けて朝方。一足先に目を覚ましていたヴェラは、シモンの枕元で人間にしてもらうのを待っていた。蛙用の寝床は、中央が蛙よりひと回り大きな範囲で窪んでいる枕で、そこを中心に常に湿っている。素材は他の枕と同じものだが、人間より保湿が必要なヴェラの為に、シモンが魔術を施しているのだ。

 シモンは夢見が悪いのか、顰めっ面をしている。ヴェラは寝床から身を乗り出して、吸盤の付いた指を眉間の皺に当てた。ひんやり湿った感触が判るのか、皺が浅くなる。人体の体温は蛙には高すぎて、ずっと触れていると火傷をしてしまいかねないから、触れては窪みに戻り、手を湿らせる。寝床多めにシモンの眉間をぺたぺたとほぐしながら、ヴェラは懇懇と諭されたことを思い返していた。

 ヴェラが傷つくと心が潰れそうに痛むこと。治癒力の違いを知ったところで不死の確認にはならないこと。別の方法を考えるからそれまで早まらないで欲しいこと。言葉を尽くして、兎に角ヴェラの身を大事にして欲しいと延々と言い聞かせられた。解ったら前肢を上げてと言われたので、片方を上げると、シモンは悶えて突っ伏していた。

 渇望が蘇ってこないのも不自由を感じないのも、おそらく、シモンの所為でもあるのだ。シモンがありのままを受け入れているから、現状で満たされてしまっていた。この人は何故こんなにもヴェラを大事に想っているのか。それは矢張り蛙であるからなのだろうと思うと、解呪に対しての気持ちは遠のいて、解呪の必要性を思えばまた近付く。

 シモンの眉間の皺がすっかり取れて、ヴェラは寝床から出た。寝台から下り、窓辺によじ登る。トールボリ家が王都に持つ邸は、緩やかな坂になっている貴族街の高い位置にあり、東の地平線が明るくなり始めている気配が早くから判る。天の高い所はまだ藍色を残していた。ヴェラは人の何倍も夜明けを経験している。ままならない蛙生の中、思考だけは自由だった。何を考えようと外界への影響はなく、時間制限もなかったのだ。それはつまり、答えを出さなくてもいいということでもあった。だが今はずっと考え中ではいられない。

 昨夜は霧が出ていた。ヴェラの為に室内の湿度を上げたかったのか、少しだけ窓が開いているのを見つけて、ヴェラは気分転換のつもりで外に出た。壁を伝い下り、湿った土を踏む。人間である時は淑女であらねばならず、直接土に触れることはおろか、裸足で外に出ることなど許されない。蛙の時間はシモンのためにあるので、ずっとシモンの部屋で過ごしていた。実に久しぶりの感触で、しみじみと踏みしめる。数回跳ねると直ぐにきれいに刈られた芝に出た。切り口が鋭くちくちくする感触はあまり好きではなくて、逃れるように只管跳ねていると、いつの間にか門に辿り着いていた。

 門扉は鉄格子になっており、そこから出る時は必ずシモンかカミラと一緒だった。一人での外出はきっと心配をかける。この時はそれが意識からするりと抜け落ちて、格子の下の隙間から抜け出していた。そこから広がる世界は石畳で、朝早いせいか人通りはない。道の真ん中を跳ねても踏まれることはないだろうが、遮蔽物がなく、空への視界が大きく開けていれば、不安を呼ぶ。ヴェラは塀に沿って跳ね進んだ。外出時は馬車任せだったから、土地勘はない。だがそんなことはヴェラにとって日常だった。ただ遮蔽物のある場所、緑深い場所を求めて跳ねる。

 無心に跳ねているうちに、全身が凍るような感覚に襲われて止まった。幾度となく経験した、捕食者の目に捕捉された時の感覚だった。数メートルも離れていない塀の上に、それは居た。真っ白な梟。瞳孔の大きな琥珀色の目が、真っ直ぐヴェラを射抜いている。

 雪の少ないこの国にはいないはずの白い梟。それも場違いな住宅街に現れたのだ。ヴェラには人ならざるものの使いのようにも思えた。もしそうであるのなら。


 ────私の命を、刈り取ることができるのだろうか







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