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続・永遠の蛙  作者: 十々木 とと
本編
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5. 優しい拘束者


「閣下!」


 咎めるようなシモンの声がした。アーベルは呼気に笑みを混ぜてヴェラの手を離す。数歩下がった時には色めいた気配は綺麗に消えていた。


「やあ、ノルデラン子爵。結婚おめでとう」


 シモンも和やかな表情で歩み寄り、ヴェラの隣に立ち腰を引き寄せる。


「ありがとうございます。ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。妻が何か、ご迷惑を?」

「いいや。人気のないところに一人では危ないからね。微力ながら、護衛代わりを務めさせてもらっていたよ」

「それはご面倒をおかけしました」


 先程のアーベルの色気も、シモンの一瞬の尖った気配も、幻であったかのように自然な会話に移行した。ただ、ヴェラの腰にあるシモンの手には不自然な力がこもっていた。ヴェラが問うようにシモンを見上げると、優しい微笑みが返ってくる。表面上は流したのだから突くことではないのだろうと、ヴェラは口を噤んでいることにした。諸先輩方に倣えである。


「私に用があるとか。それは君が最近興味を持ち始めたことに関係していると思っていいのかな」


 心当たりを口に出せる程、アーベルもシモンの動向を気にしていたということだ。魔操者と魔女研究家との関係を思えば、シモンが行う探し物として警戒されるべきものだから、当然だろう。アーベルの瞳にあるのは興味か警戒か、それを悟らせない微笑み方をしている。


「ご明察です。以前から父と今後の展望について、見直しの時期が来ていると話しておりまして」

「私はまた、子爵夫人に関係することかと思ったんだが」


 シモンは表皮の裏で驚いたに過ぎなかったが、ヴェラは僅かに瞼を持ち上げた。アーベルがそれを認めて、ヴェラに微笑みを送る。


「此方でするようなお話ではありませんので、後日我が家へご招待しても?」


 シモンは目立った反応は見せず、アーベルの言葉を聞かなかったものとして話を進めた。


「それなら私が招待しよう。丁度見せたいものもあるしね」

「どういったものでしょう」

「それを言ったらつまらないだろう」

「蚤の心臓を虐めないでいただきたい」

「セランデル伯領は今年も豊作と聞く。蚤とて随分と発育がよくなっているのではないかな。アルブ茶を用意して待っているよ」


 アーベルは鷹揚に笑むと、ヴェラには一度視線を流しただけで屋内に戻っていった。




 シモンは夜会の用は済んだとばかりに主催者に挨拶をし、帰りの馬車に乗り込む。その間、社交用の薄笑みのままである。上手くいきましたねと言って良いものなのか判らず、ヴェラも黙していた。


「ヴェラ、閣下に呪いのことを話した?」


 二人を乗せて馬車が動き出すと、シモンが口を開いた。声音が少し硬い。ヴェラはゆっくりと首を振る。


「そうか、そうだよね。ごめんね、疑うようなことを」

「必要な確認です」


 決まり悪そうなシモンに対して、ヴェラは自然と頷いた。シモンは複雑な顔になる。


「少しは詰ってくれてもいいと思う」


 どこか寂しそうに呟くシモンを、ヴェラは不思議そうに見上げた。


「シモン様が話していないのなら、私を疑うのが筋です」

「……うん。そうなんだけどね」


 表情が薄くなったシモンは吐息して、ヴェラの肩を抱き寄せその頭に頬を寄せる。


「ヴェラは閣下のような方が好き?」


 ヴェラははたはたと瞬いた。シモンは先程の事を、流したようで流し切れていなかったようだ。

 あの時ヴェラの心臓は不正な動きをしたが、それは捕食されると思ったからだ。肉食動物に狙いを定められた時の、その感覚に似ていた。実際に肉として見られていたわけではないことは解ってはいるが、人間の異性に人間として迫られることに、慣れていないのだ。夜会ではシモンやカミラ、ヤンヌが目を光らせていて、ヴェラが気付くほどあからさまに口説いてくる男には出会ったことがなかった。

 ヴェラは改めてアーベルの姿を思い浮かべる。人間の美的感覚は失っていなかったから、アーベルが美形であることは認識できていた。好みかと問われると好ましい容姿である。為人は判らない。ヴェラがそれを判断するには、短すぎるやりとりだった。切り替えが巧みで、社交術の一つを学んだ気にはなった。


「判りません。私はシモン様のお傍にいると、お約束しました」

「……それは恩があるからだよね?」

「打算もありました」

「いやうんそれはね」


 シモンの肩が盛大に落ちた。


「あの時の君は人間になりたてだったからね。当然だと思う。何も持たない君の状況を踏まえて、もっと色んな選択肢を用意すべきだったと思っているよ。家族揃って、君を手に入れることしか考えていなかった」


 シモンは後悔を滲ませているが、ヴェラは起こったことを受け入れることに慣れすぎていて、特に思うところはない。それに諦めていたヴェラには、人間に戻った後の構想などなかった。沢山のことを提示されても迷っただけだっただろう。全員の利益が一致した結果なのだから、シモンが悔やむ必要はないのだ。何より、永い蛙生が、過ぎ去ってしまったことを振り返るという作業を苦手にしてしまっていた。そんなことより目の前のものを見ればいいのではないかと、膝の上に残っているシモンの片手にそっと手を重ねる。


「シモン様に幸せになってもらいたいのも、本当です」

「……幸せだよ。君がいてくれるから、幸せだよ」


 シモンがヴェラの手の下から一度手を抜いて、指先を握り返す。


「だけどきっと、最初を間違えてしまった。だから君の愛を得られないでいる」


 ヴェラの指先をなぞるシモンの指が、どこか所在なさげで、顔を見ようとヴェラは視線を上げた。頭に寄り添うシモンの顔は当然見えず、諦めてなぞられる指先へと視線を下ろす。


「シモン様。私はおそらく、感覚が鈍麻しているのです。永い蛙生活で死ぬような目にも遭えば、文字通り死の苦痛も幾度と味わいました。人間としての色々なことも、諦めてきました。そうしていくうちに、私の中の何某かは死んでしまったのではないかと思うのです」


 だからシモンの好きな、蛙を彷彿とさせる凪いだ瞳というのは、それなのではないかと思う。欲も激情も、薄れてしまったが故の静謐。


「幸せでいてほしい、悲しませたくないと思うだけでは、愛していることにはなりませんか」

「……そうだね。それが君の愛だと言うのなら、僕はそれで満足すべきなんだろう」


 指先を撫でていたシモンの指が滑り、ヴェラの手全体を包み込んだ。


「でも足りないんだ。……蛙の時は、こんなこと思いもしなかった。ただじっとそこに存在する君を愛でるだけで、満たされてた。なのに意思疎通できると知った今は、一方通行が寂しくて仕方がない。僕も君の心が欲しいよ」


 ヴェラは黙考する。

 ヴェラは長らく誰と心通わすこともなく生きていた。何者とも交流がなかったということではない。胃にご招待したがる肉食動物には熱烈に迫られたし、うっかり繁殖期の水辺に足を踏み入れようものなら、同種の雄が絞め殺さんばかりにしがみついてきたものだ。

 始末に負えないのは圧倒的に後者だった。前者は食われれば終わるが、後者は延々と抜け出せず体力を消耗するのだ。もがいてもそう器用な四肢ではないから剥がせもせず、重さで動きが鈍ったところにまた別の雄がしがみ付いてきて、逃れようと移動した先で我も我もと群がられる。そうなるともう抜け出せない。初めは圧殺しにかかられてるのかと恐怖したものだ。鳴いたら離れる個体に気付いてからは猛烈に鳴き続けたが、雄のような鳴嚢(めいのう)がなく、響かない鳴き声は小さい。雄の大合唱の中では気付かれにくいのか、別の要因があるのか、離れない雄もいた。確実に子孫を残したいのなら、卵を産める雌を知る機能を発達させねばならないのではないかと思う。イモリにしがみ付いている者だっていたのだ。

 蛙界に於ける繁殖行動の雌の負担と効率について考察しかけて、身動いだ傍らの温もりにはっとする。今相手にしているのは圧殺者ではなかった。絶妙な力加減を心得た拘束者だ。

 兎に角そんな情緒の出番がない時間を長く生きてきたから、人間同士の心の交流となると、遠い記憶を呼び起こさなければならない。蛙になりたての頃は、まだ無駄な足掻きをしていた気がする。人間に気付いてもらいたくて、必死に飛び跳ね視界に入ろうとして、あの時はどうなったのだったか。あまりに酷い結果だったのか、記憶が古すぎるのか詳細を思い出せない。ただとても悲しかったことは覚えている。何度も捕食者に運ばれて知った土地から遠く離れても、人間に遭遇する機会はあった。その時にはもう諦めてしまっていて、懐かしさに誘われても、声が聞ける程度に近付くくらいになっていた。一方通行の虚しさは、ヴェラの心を枯れさせるに十分だった。


「ごめんね。無理をさせたいわけではないんだけど、君を前にすると、どんどん欲深くなってしまう」


 シモンはヴェラが困っていると解釈したようだった。優しい人なのだ。この優しい人の愛情も、虚しさでいずれは枯れてしまうのかもしれない。それを惜しいと思うのは、意識の底に沈めていた飢えか、でなければ自分可愛さ故の浅ましさかもしれなくて、ヴェラは今口にできる分だけを音にする。


「私もシモン様に応えたいです」


 蛙愛への応え方は判らないが。シモンは勢い良く上体を起こし、ヴェラの両手を握った。


「そうか! じゃあ今日からまた一緒に寝」

「それはまた別の話です」

「くっ! 必ず蛙にするから!」

「……ならいいです」


 その日からシモンの枕元にヴェラが戻り、シモンは枕を濡らさずに済むようになった。






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