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続・永遠の蛙  作者: 十々木 とと
本編
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4. 人間歴が浅いもので


 シモンは精力的に魔女探しをしだした。文献を調べ、防護結界の見回りに同行した際には各地で情報収集をし、社交シーズンになると、目ぼしい夜会に出ては魔女研究家と繋がりのありそうな人物と接触している。


「昔は魔操者の力を失った貴族が、同等の力を求めて研究に出資してたらしいんだけど、地下に潜ってしまったらしくてね」

「どうしてですか」

「魔操者達が国家転覆の兆しとして抑えにかかったんだ。地位が脅かされると思ったんだろう」

「そういうことでしたら、お義父様も良い顔をなさらないのでは」

「まだ貴族の半分が魔操者だった時代の話だよ。今は大分事情が違う。有効活用できるよう研究を進めて欲しいことは、祖父の代から表明していることだ。そろそろ警戒を解いて欲しいんだけどね。だいたい、我が家の負担が大き過ぎる。このままだと、家を継いだらヴェラとの時間がなくなってしまう」


 シモンは悩み深そうに吐息してヴェラの腰を抱き寄せ、夜会用に結い上げられている金髪に頬を摺り寄せた。次期魔法伯として注目度が高いシモンは、容姿としては地味な部類でも直ぐに見つけられ、動向を窺われている。にも拘らず壁際で妻と仲睦まじくしているのは、何か思惑でもあるのかとヴェラは首を傾げる。ヴェラは観劇から始め親戚内の茶会、晩餐、親戚の主催する夜会と、徐々に社交に出され、こうしてシモンと出席していたが、会場でずっと二人きりで過ごそうとする夫婦は見かけなかった。


「シモン様。夫婦で参加する場合の新しいお作法ですか」


 ヴェラはまだまだ学ぶべきことがある。家庭教師やカミラが教え忘れた作法なのかと見上げる。シモンは言葉に詰まった。暫し葛藤の末、シモンはその無垢な瞳に屈して口を開く。


「不足しているヴェラを補充しているだけだよ。こういう場ではあまり褒められた行為じゃない」


 シモン自身は子供を急いでいるわけではなく、寝所でもヴェラを蛙にし何もせずに眠る日も多かったのだが、それでも毎晩傍にあった存在が急になくなって寂しい思いをしている。魔女捜索で忙しくなったこともあり、ゆっくり会えるのがこうした夜会の場のみという、状況だけ見れば仮面夫婦のようになってしまっていた。


「ちょっと牽制も兼ねているから許して」


 シモンはヴェラの匂いを充分に吸い込んでから、寄りかかっていた上体を起こした。ヴェラは人工の匂いを好まず、香水は鼻に優しいものを、うなじと手首にほんのり香る程度に使用しているだけだ。それでも香水の匂いと判るのだが、ヴェラの体臭と混ざり合っているからなのか、シモンが吸い込んでも気分の悪くなるものではなかった。


「それじゃあ少しの間離れるけれど、遊びたい盛りの男が寄って来ても誘いに乗っては駄目だよ」


 シモンはヴェラの両手を握って真剣に言い聞かせる。

 結婚、若しくは跡取りを産んでからが解禁の貴族の恋愛事情。それを教えられた時、ヴェラは理に適っていると思った。人間だった時の自分の恋愛事情は覚えていないが、それでも惚れた腫れた燃えた冷めたは男女の常だったような記憶はある。そんな一過性のもので家をかき回されたら、貴族は立ち行かないのだろう。だから結婚と恋愛を分けているのだと、納得が深かった。


「はい。私はシモン様のものですから、大丈夫です」


 それがシモンの幸せである限り、ヴェラは真っ直ぐな瞳でそう答える。シモンは困ったような切ないような、複雑な形に顔を歪め、もどかしそうに何某かの言葉を呑み込んだ。


「うん。ありがとう。では行ってくるよ」


 擦り寄った為にほつれたヴェラの髪を軽く直し、夫と訪れているヤンヌにヴェラを託して、シモンは離れていった。

 暫くは歓談の中に居たが、長く話を続けることに慣れないヴェラは、そっと抜け出してテラスに出る。どの派閥の人間もバランス良く呼ばれた、中立派の侯爵家の夜会だった。今まで参加した中で一番規模が大きくて、上品な人間の集まりとはいえ熱気だけで疲れてしまっていた。

 芝生の面積を大きく取った、見晴らしの良い庭が目前に広がっている。低木で幾何学模様を象った区画の中央に、月明かりでぼんやりと浮かび上がる噴水が見えた。ヴェラは人の手で整えられたものがあまり好きではなかったが、煌びやかなシャンデリアの下、色とりどりのドレスの色彩を眺めるより安らぐ風景だ。人の声を聞けなかった時期には人の気配が恋しいこともあったものだが、今は静寂や思惑のない森のさざめきが恋しくなって、惹かれるようにふらふらと足が進む。テラスから下りかけたところではっと踏み止まった。噴水などの雰囲気のある場所や木陰などの死角のある場所は逢い引きにうってつけだから、一人では決して近づいてはいけないと言われていたのだ。結局ヴェラはテラスの端に寄り、手摺りに手を添える形で落ち着いた。

 満ちかけた月は明るく、付近の星の瞬きを隠してしまっている。こうして月光浴をするのも随分と久しぶりな気がして、ぼんやりと見上げた。解呪されてからというもの、結婚式に間に合わせる為に最低限の作法の突貫教育、式が終われば本格的な教育が始まり、長いこと使っていなかった部分の脳が大分酷使されている。


「失礼、夫人。気分でも?」


 思わぬ近さで男の低い声が聞こえた。ヴェラは派手に肩を跳ねて振り返る。いつの間にか蛙気分で風景に溶け込んでいるつもりでいたヴェラは、静かに混乱した。


「驚かせてしまったかな」


 ヴェラは頭を切り替え損ねて、咄嗟に言葉が出てこず、ゆっくりと首を振ることで意思表示をする。

 綺麗な顔をした男だった。黒髪を一つに束ねたその人は、ヴェラより頭ひとつ分背が高く、薄茶色の瞳は落ち着いている。シモンより幾分年上の印象があった。

 その男は言葉を発しないのを警戒ととったのか、半歩下がって柔和な笑みを浮かべた。


「私はアーベル・アベニウス。ノルデラン子爵夫人であっているかな? 随分長いことそうしているから、歩けない程なのかと。人を呼ぼうか」


 ノルデラン子爵はトールボリ家が持つ爵位の一つで、セランデル伯を継ぐまではシモンが名乗る爵位だ。ヴェラは名乗りを聞いて瞼を持ち上げ、挨拶に軽く膝を折る。


「お初にお目にかかります。ノルデラン子爵が妻、ヴェラ・トールボリと申します。……少し人酔いをしただけです。お気遣いありがとうございます」


 ヴェラは淑女たるもの微笑まねばならないことを思い出して、表情筋を動かした。


「夫が閣下を探しに出たのですが、お会いになりませんでしたか?」


 このところのシモンの夜会の目的は、魔女研究に関わりがあると思しき貴族との接触だった。今回はまさに目の前の人物、ファルンバリ公アーベル・アベニウスが目当てだったのだが、シモンを連れていないようなのを目線だけを動かして見てとる。


「すれ違ったみたいだね。そういうことなら、貴女の傍で待っていればいずれ戻ってくるだろう。隣、良いかな?」


 問う形でありながら、アーベルは一人分の距離を空けてヴェラの隣に歩を進めていた。家格に加え、相当な美貌の持ち主だ、否は聞き慣れていないのだろうことが窺える。ヴェラも断る理由はないので頷いて、アーベルは室内の給仕に片手で合図を送った。テラスに出てきた給仕から水とワインのグラスを受け取り、人酔いなら水が良いだろうとヴェラの手には水が渡る。


「私のこと、よくご存知でしたね」


 シモンがいくら注視されていようとも、ヴェラは社交に出始めたばかりで、まだ顔は広く知れ渡っていないのだ。


「先程子爵といるのを見かけたからね。彼の女性嫌いは有名なんだよ。男色の噂も出るほどだった。あのような様子を見せるなら、最近唐突に婚姻を結んだ女性しか思い浮かばない」

「だんしょく」


 男色と蛙とどちらが人々に受け入れられるものなのか、ヴェラは考え込んだ。その様子を眺め、アーベルは双眸を細める。


「実を言うとね。先程は貴女があのまま空気に溶けてしまうのではないかと思って、慌てて声をかけたんだ」


 ヴェラが意味を解しかねて目線を上げると、艶を含んだ薄茶色の瞳で見つめられていた。


「貴女をそのように儚くさせる憂いは何かな。それを知る栄誉を、私に与えてくれないか」


 左手でグラスを持ち、添えているだけの右手の甲を指の背でそっと撫でられて、ヴェラは瞬く。そんなことをされたのは初めてで、戸惑うと同時にどういった意図があるのか、覗くようにアーベルの瞳を凝視する。貴族は遠回しの表現を好むものだと教わってはいるが、実践経験に乏しくて、直ぐ様的確に読み取って応対するのはヴェラには難しい。

 するりと掌に滑り込んだアーベルの手がヴェラの右手を持ち上げ、見つめ合ったままヴェラの指先がアーベルの唇に寄せられる。


「そんな目で見つめられると、場所も忘れてこの胸に閉じ込めてしまいたくなる」


 色気を含んだ仕草と眼差しに、ヴェラの鼓動が跳ねた。






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