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続・永遠の蛙  作者: 十々木 とと
番外編
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森番になり損ねた男(2)軌道修正係


 大雨の翌日のことだった。川の様子を見に行きたいとシモンが所望した。増水していて足元もまだぬかるんでいるから、護岸していない森の中の川は危ない。日を改めるよう進言すると、シモンはより意志を固くして、川岸には足を踏み入れない約束で森に入った。そこでシモンは遠目にもはっきりと判る濁流と化した川に驚いた。シモンの心を優しく慰めてくれた川の姿はそこにはなかったのだ。土色に濁った激流が、倒木を下流へと押し流している。

 ベルントは、シモンが青ざめているのは、これに流されては一溜まりもないと悟ってぞっとしたのだと思った。こうしてこのお坊ちゃんは今まで知らなかったことを実地で学び、将来領主となる為の準備をしているのだ。現領主や領主代行が、貴族の嗜みとしての狩りとは関係なく、平民との森遊びを許しているのは領民達の為なのだと、自分達はその手伝いを任されているのだと、誇らしくも思い始めていた。


「こ、これ……」


 シモンの口から震えた声が出た。


「こんなの、……皆、流されてしまうよ、ね」

「そうですね」


 異口同音にベルント達は頷く。皆、危ないから帰ろうと言い出すのだと思った。その一言を待っていると、シモンは川に向かって片手を翳した。掌の周辺の空間が歪んだように見えた、次の瞬間。濁流が割れて向こう岸の地面が抉れ、木々が倒れた。何が起こったのか瞬時には理解できず、護衛を含めた全員が思考停止した。


「あ、あれ? 違う、ええと……こう、かな」


 その間にシモンが何事かを軌道修正し、再び手を翳す。濁流が逆流し、先程抉れた地面へと流れ込んで、川が二股に分かれた。


「ああ違う、そうじゃないのに」


 焦るシモンはまた何かしようと、今度は両手を掲げた。その頃になって漸く、噂にしか聞いたことのない超常的な力をシモンが行使したのだと、ベルントの理解が及んだ。


「あっ、あっ、あっ、ああああんた、何してくれてんだ!」


 護衛が慌てて止める中、ベルントも怒鳴っていた。


 それからの対処は迅速だった。護衛の一人が新しく出来た川の下流にある集落に馬を走らせ、領主邸への知らせは一番足の速いマッツに任せる。残った護衛はシモンを諭し、新しく出来た方の川を堰き止めさせた。

 シモンが言うには、川の水をきれいにしようと思ったのだが、使ったことのない魔術だから失敗してしまったということだった。操作がうまくいかなくて魔力だけがそのまま出てしまったと。魔術のことを説明されても誰も何も言いようがない。そして気にすべきは魔術の失敗ではなかった。


「はあああああ!? 蛙が死ぬ? あほか! 流されたのもいるかしんねぇけど、今まで大雨でも全滅してねぇから坊ちゃんも蛙に会えてんでしょうが! あんたのやったことのがよっぽど蛙の棲家荒らしてるわ! 森だけじゃない、人間の被害考えろよ! 頭沸い」


 ベルントは激怒し、ケネト達は慌ててベルントの口を塞いだ。


「おおお落ち着けベルント、お前大分やばいこと言ってんぞ! 言おうとしてんぞ!」


 今度こそセランデル伯領から放り出されるだろう。それだけならまだ良い方かもしれない。それでもベルントは、ブチ切れてしまったのだ。


 幸い川が早めに一本に戻り、抉られた地面も人里に届く距離ではなかったので、森を出る頃には水流の勢いが弱まり人的被害はなかった。それでも領主邸ではこの件が重く見られたらしく、シモンは暫く自室で謹慎となった。だから暫くは森にも行けないと次の日に告げられたが、シモンをあほ呼ばわりし怒鳴りつけたベルントにお咎めはなかった。あの場にいた全員が同じ気持ちだったから、護衛があほの部分だけ秘したのではないかとベルント達は推測したが、真相は判らない。


「あれが未来の領主様になるの?」


 ヨルゲンがぽつりと落とした言葉に不安をのせた。


「……ヤベェな」

「うん、ヤバイ」


 ベルントがその不安を言葉を飾らず肯定すると、マッツも遠い目で同意する。


「どうする」

「どうするったってどうにもできねぇだろ」


 マッツの意見を求める目を受けて、ケネトは吐息する。


「あれさ、なんかで怒らせて、俺たちに向かってあんなのぶっ放されたら、死体も残んねぇんじゃねぇの」


 マッツはげんなりと天を仰いだ。皆無言になる。それだけ初めて見た魔術は衝撃的だったのだ。シモンに言わせれば、術という程洗練されたものではなかったようだが、ベルント達にはそんなことは判らない。ただ、圧倒的なそれが、全力ではなかったようなのは判った。あれは片鱗でしかないのだ。

 ベルント達は示し合わせたわけでもないが、各々の仕事の合間を縫って、森番の作業場に集まっていた。作業台に腰を預けたり薪になる前の木材に座ったりと、それぞれ無造作に寛いでいる風だが、話す内容は誰かに聞かれたら不敬に問われかねない。それでも皆危機感を覚えていて、心情を吐露せずにいられなかったのだ。だが未来の森番、未来の猟師にできることなどない。


「領中の蛙を守れば害のない領主様になるんじゃない?」

「蛙どんだけいると思ってんだよ」

「だって蛙の時だけでしょ。他のことなら特になんでもないし、話が通じないわけじゃない。蛙にさえ何事もなければいいんだよ」

「そうかぁ?」

「守れたとしてもだよ、蛙だけ増えてもえらいことになんぞ。領民全員がうじゃうじゃしてる蛙を踏まずに歩く方法身につけなきゃいけなくなる」

「え、なにそれ森から溢れる想像してる? 領中蛙?」

「壁にもみっちり」

「おいやめろ流石にきっしょい」

「お、なんだお前ら、集まってんのか」


 まるで建設的になりようのない話を展開していると、森番が顔を出した。ベルント達は腰を上げて、軽く挨拶をする。

 丁度良いとばかりに森番は口を開いた。


「ベルントは森番にできなくなった」


 説明がなくても、皆理由は瞬時に理解した。ベルントはその言葉を神妙に受け止めた。反発はない。ベルントはやらかしてしまったのだ。矢張りお咎めなしとはいかなかったかと、マッツ達も顔を見合わせる。


「お前をお邸に上げるって話が出てんだ。だからケネト、お前が俺んとこ来い」


 場は沈痛な空気になり損ねて、代わりに戸惑った空気が漂う。


「どういうことですか」


 処分の詳細説明を待っていたベルントが一番困惑している。


「坊ちゃんには、間違った時に恐れず物を言える従者が必要だってぇお考えだ」

「……家でもあほだと思われてるってことで」

「おいその口よ」


 ケネトが窘め、森番は苦笑いをした。


「お前のその口の悪さは許されてるわけじゃねぇ。向こうで教育するそうだからしっかりやれや」


 つまりは、咎めない代わりに誠心誠意仕えろとの御達しである。ベルント達は再び顔を見合わせた。図らずも、やばい領主誕生をどうにかできそうな立場が用意されたのだ。ヨルゲンが顔を引き締めて応援の両拳を作って見せ、マッツとケネトがそれぞれベルントの肩や胸を無言で小突き、希望を託す。

 ベルントは自分が飛び抜けて優秀だとは思っていない。適性がないと判れば直ぐに辞めさせられるだろう。だがきっと、求められているのは常識とバランス感覚だ。それならなんとかなるかもしれない。新しい未来の森番と未来の猟師達に向けて、力強く頷いた。

 あほが発症したら軌道修正する。この時ベルントは、全セランデル伯領民にとっての重大な役目を請け負ったのである。






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