イクセルは満喫中
俺はイクセル。超常現象に魅せられ、近づき過ぎて人間の姿を失った、愚かな男の一人である。俺は永遠に人間の姿を取り戻せないらしい。
俺が呪われていると知ると皆気の毒がるが、俺にとっては好都合だ。何故なら。人間の命は短い。クソほど短い。俺にとってはあまりにも短すぎるものだ。医療、天文、地質、伝承、その他あらゆる分野の研究に携わる人間が、一生をかけても目的を果たせない、何も掴めないなんてことはざらだ。名が残るほどの発見や、真理を掴める者などほんの一握り。殆どの人間が、生涯をかけて知識を継承し、ほんのひと匙ほどの手がかりを掴んでは次の世代に託す、気が遠くなる程果てしない道程の中の一人に過ぎないのだ。
魔女研究家などもっと酷い。殆どが若くして命を落としてゆく。研究者達の間でも魔女研究家が最も狂っていると言われるほど、報われない分野だ。だが俺はどうだ。決して人間に戻れない永遠の梟。そう、永遠だ。魔女に殺られでもしない限り、探究し続けられる時間を手に入れた。俺は大して頭がいいわけではない。知的好奇心だけが突き抜けた凡人だ。そんな俺にとって、これが幸運でなくて、なんだというのか。
呪われてからは一人、幸運にも手に入れた時間と翼を活かして、只管魔女を観察して過ごしていた。とてつもなく充実していたが、暫くして不自由も感じるようになっていた。何を見ても何を思いついても、記録ができない。魔女め俺に梟の姿を与えるとは御褒美だぞぬかったな、などと思っていたが、そうでもなかったのだ。知ったのに、残せない。思いついたことの、検証ができない。これは俺を苦しめた。研究ができないのだ。見ても知っても仮説を立てても何もできはしない、ただの観察者。それが俺の歩む生となったのだ。
愕然とはしたが、絶望はしなかった。同じ研究者と協力すればいいだけの話だからだ。魔女を追っていれば自ずと研究者も釣れる。そこに舞い降り協力要請を───どうやってすればいいんだ? あっ、おいやめろ魔女の使いじゃねぇ捕まえんな、ちょ、痛ぇそれ普通に怪我するから、いや直ぐ治るからってだからって魔女じゃねぇよバラすなやめろ馬鹿死ぬわいや、ほんとそれ駄目やめ、あ゛っ───! ……なんてことにもまあなった。
あいつらのことは恨んではいない。魔女と共に現れた死なない鳥なんて俺でもそうするわ。消えない恐怖を植え付けてくれやがったから二度と会いたかねぇが。次からはバラされないよう細心の注意を払って、似たようなことを何度か繰り返した。そうして出会った公爵閣下と、なんやかんやあって漸く協力関係が築けて今がある。
権力者を味方につけるのは大事だ。めちゃくちゃ大事だ。知ってはいたが、梟になってからより重くそれを感じている。俺はこの辺りでは珍しい白梟だから、人間は直ぐに俺を捕まえたがる。大抵は躱せるが、稀に執拗な奴がいて、捕まることもある。そこで威力を発揮するのが公爵家の紋章の入った脚輪だ。それを見た瞬間、恐れをなして俺は解放されるのだ。俺はこの脚輪を失いたくない。アーベル様は次代に、アーベル様の意志を継ぐ優秀な養子をと考えていて、俺のこともそいつに引き継いでくれると約束してくれた。是非代々受け継いでいってほしい。
アーベル様はこれがまあ有能で、他分野の優秀な人間を見つけてきてはそれを研究者達と結びつけたり、出資者を見つけてきたり、研究過程で得た知識で自領を発展させたりと、よく王家は手放したなと思わざるを得ない。事情ってやつだろうが、そういう人であるから、俺も地べたを這い回って会話する労力を惜しまないという気になれる。そう、俺の考察を伝える仲介を、アーベル様も労力を惜しまずやってくれるのだ。未だ嘗てないほど、俺は充実した日々を送っている。
だが研究の進みは遅々としたものだ。対象が対象だけに大胆な検証ができないのだから、そういうものだと皆思っていて、地道さを特に苦々しくも思ってはいなかった。ある日そこにアーベル様が魔操者を連れてきて、状況は一変した。ある程度の安全は保証され、犠牲者を出さずに多くの情報を得ることができるようになったのだ。
「頼む魔女。不死かどうかだけでも教えてくれないか。ヴェラに危険のある検証をさせるわけにはいかないんだ」
その魔操者、シモン様は今日も絶好調に私心まみれである。だがこれはこれで良い。この私心まみれの言動が、俺達に多くのものを齎してくれていた。俺を含めた研究者達はシモン様の張った結界の中で、一瞬の変化も見逃すまいと固唾を呑み、目を皿のようにして状況を見守っている。
「またその話ー? アンタしつこいわぁ」
魔女は宙で寝そべり、欠伸をしている。魔女の本日の姿は灰色の髪に鳶色の目の、長身の女だ。顔の印象は決まって薄ぼんやりとしているが、人間の女を模す時の姿にはこだわりがないようだった。子爵夫人が同行していた時は金髪に緑の目でもう少し小柄だったから、今のところ、その場の者を参考にしているのではないかと推測している。
「しつこくもなる。重要なことだ。でもそうだな、毎度同じでは飽きてしまうのも解る。……こうしないか、貴女の欠伸を捕まえられたら教えてくれ」
「欠伸ぃ? いいよお」
魔女は音もなく弾けた。魔女を構成していた色味が霧散するかに思えた、その中央から、白銀の虎が躍り出た。欠伸の表現だろうか。俺の隣でハンネス達が紙にペンを走らせている。こういった概念の違いの法則は全く掴めていないから、事例は多ければ多いほど良い。シモン様には是非色々試していただきたい。俺達の気持ちは一つである。
そこからは猛獣と魔操者の、一進一退の攻防である。牙を剥き襲い掛かる虎にシモン様が見えない何かを噛ませ、半透明の布のようなもので捕らえにかかり、虎は布が閉じられる間際で霧散する。離れた場所で形を取り戻したかと思うと、背を向けて駆け出し、止まって振り返り見る、揶揄うような仕草を見せる。シモン様の足元から何かが地を這ったかと思えば、虎の足元に穴が空く。虎は落ちると見せかけて薄く伸びて天に向けて駆け上る、といった具合だ。
俺達には何がどうなっているのか判らない光景が目まぐるしく繰り広げられ、日が傾きかけた頃。
「はぁ~遊んだ。じゃあねぇ」
虎は萎むように空気に溶け、満足そうな声が響いた。
「完全に去ったね」
魔女の気配を感じ取れるアーベル様が俺の隣で呟き、眼下でシモン様は崩れ落ちていた。
草臥れた、敗北者の顔で俺達のいる観測所まで登ってくるシモン様には悪いが、俺達は一連の出来事で気付いたことや新たな疑問を出し合い大盛り上がりだ。
「ご苦労様、シモン君。お茶でも飲んで身体を休めなよ」
アーベル様が労い、ベルントが阿吽の呼吸でカップを差し出す。シモン様は温めに用意されたそれを一気に飲み干して、魔器をテーブルの上に置いた。
「一つは消えていましたが、残った此方には魔力が溜まりました。但し、僕のも混じっています」
魔女には吸収機能の付いた魔器の存在を紹介していて、使用の許可を得ていた。魔女は一瞥し、へえ、と一言発しただけで直ぐに興味を失ったようだったから、さしたる問題のあるものではないと判断されたのだと、勝手に判断したというのが正確なところだが。
「魔女が齧ったんですかね」
「その瞬間を見てはいないから判らない。魔力を持っていかれる量が減ったから、消えた瞬間がいつかは覚えているけれど」
オリヤンの問いにシモン様が首を振る。俺達もそっちに注意を向ける余裕がなかったから、誰も目撃していない。実は魔女、魔器に思うところがある説が浮上したが、この件は次の機会に持ち越しだ。
「閣下、これ、子爵様の魔力だけってことになってませんか?」
「大丈夫、魔女の気配があるよ」
アーベル様が現場にいると、即確認が取れて助かる。
「魔女と魔操者の魔力を区別して集めることはできないんですかね。現場に子爵様は必要ですし、何れ大規模に採取できるってなった時にでも支障が出ますよ」
「対象を限定する術式を開発してもらうしかないんじゃないか。魔力自体は同じものなんだから区別できないだろう」
「俺もそう思ってたんですけど、魔女を感じ取る閣下の能力はどう説明します?」
「魔力だけが魔女を構成するエネルギーではないということではないのか。ほら、子爵様は子爵夫人やイクセルさんからは魔力を感知していないだろう。でも魔女の魔力は子爵様は同じものとして感じているんですよね?」
一同の視線を集めたシモン様は確認に対して頷いて、モルテンとベルントが用意した夕食を一足先に食べ始めた。今日は魔女もいつもより長く構ってくれたことだし、魔力消費が激しかったんだろう。昨日より用意された量も多い。貴族の癖に食うの早いのなんなんだ。早くても上品なのは貴族だからか。足りるか? 俺の分もやるよ。干し肉を空になった器に乗せると、シモン様はありがとうと微笑んで俺の嘴に押しつけてきた。いや食えって。俺一食抜いたところでどうもならんわ。なんならその辺で狩りするわ。ぶっちゃけ生肉のが栄養摂れんだよ。梟だからな。なんの心配してんだよ、わざわざ夫人選んで食ったりしねぇわ。今人型だろ。
「呪いは魔力とは別のエネルギーってことか?」
「それどうやって調べます?」
「呪われる現場を閣下と子爵様に見てもらうしか思いつかない」
「……俺。呪われてみます、……か、ね」
「コーレ、お前正気か」
「いやだって、イクセルさんの例がありますからね。閣下や子爵様に保護してもらえるなら、永遠に研究し続けられるって、魅力的だなって思えないこともないというか……」
「……確かに。齧られて消えるよりは呪われる方が有意義だな」
ハンネスが難しい顔で重々しく頷くと、コーレの正気を疑ったオリヤンまでもが、そう言われてみれば、という気配を醸し出す。おいおいやめろ。全員呪われたら意思疎通えらいことになんぞ。いや、それはそれで楽しいか。永いこと知識を蓄積した研究仲間と、ああだこうだ、わちゃわちゃしながら過ごせるってことだ。アーベル様達の目の前でやられるなら、俺みたいな恐怖体験もしなくて済む。くそ、それは羨ましいな。
「落ち着きなさい君達。永遠だよ? 魔女を解明した後、目的がなくなってしまうじゃないか。その時のことを考えたかい」
アーベル様が苦笑いで真っ当なことを言う。俺もそれを考えるとちょっと不安になることがある。今暫くは解明できる気配が微塵もないから、差し迫った不安じゃあないが。
「蛙にされたら僕は保護しないよ。ヴェラが不安になるからね」
シモン様も否定的だが理由がアレだな。ブレないな。元が男なんだから夫人も不安にはならんだろうよ。いや、なるのか? 夫人は永く生き過ぎた所為か、読めないところがあるんだよな。地味に壊れてるというか。
俺が蛙の夫人を運ぶ機会が何度かあったが、あの人は掴み取ると直ぐに重くなる。その時は力を抜いて俺に身を委ねてくれてんだなと思った。暴れられると落ちないように握り込まなきゃいけなくなる。傷つけない自信がないから助かった。目的地に降ろしてもぐったりしているから、何度かつついて起こしたわけだが、うっかり絞め殺しちまったのかとひやりとしたものだ。後で訊くと、条件反射でつい意識を落としてしまうのだということだった。自分で落とすってなんだ。意味わからんわ。死ぬ準備自分ですんのか。自己防衛本能かなんかなんだろうが、ぶっ壊れてんだろ。いや防衛してんだからそれ以上壊れない措置か? そこに到達するのにどんだけ捕食されてきたのか、想像するだに恐ろしい。
すまん夫人、俺もう蛙は食わない。夫人には嘘をついたが、食ったことあるんだよ蛙。梟になったところで腹は減る。そりゃ生きるために食うわな。始めのうちは狩りの腕を磨いてた。その時は食わなくても生きられるって知らなかったんだよ。知ってても空腹我慢するとかねぇけど。
俺は野生では強者なのだ。縄張り争いでやり込められたこともあったが、それは兎も角、猛禽だからまだ人間に殺られただけで済んだ。いや待てよ、蛙でもひょっとしたらまだマシ、ということもあり得ないか。
俺は一声鳴いて注目を集め、俺用に地面に刻まれている文字の上を踏んでまわる。
『必ず動物か判らない 石や木になったらどうする』
意思疎通の道が絶たれたら終わりだ。
「そうだな、判明している事例が少なすぎる」
先ずハンネスが頷いた。そうだ、そこは慎重になって若い奴らを抑えてくれ。
「呪われた人の捜索も始めてみますか」
「待て、生物なら探しようもあるが、他はどうやって探し出すんだ。閣下にしらみ潰しに歩いてもらうくらいしか方法がないだろう」
全土を歩かせるのか。公爵閣下相手に遠慮ねぇなオリヤン。せめて失踪事件と魔女出現記録を照らし合わせて、場所を絞ってからだろ。
「残念だけど、流石にそんな時間は取れないよ」
アーベル様は品良く鷹揚に答えているが、んな暇あるかボケ、ってことだぞ。
「そうだね、やるなら別に捜索隊を作ったらいい。アーベル様、今なら各領主に協力頼めるんじゃないですか」
シモン様は夫人の呪いを知りたいだけで、呪いそのものには興味が薄いんだよな。そもそもアーベル様も国防に役立つことを優先する約束で支援してくれているわけだが、その過程で人員減っていったら前に進めないから、呪いの解明だって必要になる。だがまあ、俺も捜索隊を別に作るのには賛成だ。魔女を解明する過程で呪いの情報も出てくるだろうから、俺達は今まで通りで良い。夫人の解呪方法だって、シモン様が呪いの詳細訊きまくるのに飽きた魔女が、一蹴すべく投下したようなもんだしな。確かに解呪したら興味がなくなるだろうが、大丈夫か。シモン様の参加、なくなるんじゃないだろうな。研究速度一気に落ちるぞ。
俺の心配を余所にシモン様は手紙を書き始めている。魔女が去ったからな。一通り議論したら撤収準備に入る。移動は明日の朝になるだろうが、これは今から帰るの手紙だろうな。やれやれ俺使いの荒い子爵様だ。何通目だよ。まあいいさ、俺は準備は手伝えない。どれ、愛しの蛙夫人に手紙を届けてやるとするか。
イクセルさんはメンフクロウベースの梟。




